グレイとルークの憂鬱 —ルークの場合—
1
夢を見た。美しい星空の下、満月に照らし出された長い栗毛色の女性の後姿。彼女は俺にこう言った。
さよなら、ルーク
俺は必死で手を伸ばすも、彼女はどんどん遠ざかってゆく―。
「あ・・・。」
あれから何度目の朝だろう。今朝も虚無感一杯で目が覚めた。頬を触ると涙で乾いた跡が残っている。それに軽い頭痛も起きていた。
またか・・・また眠りながら俺は泣いていたらしい。目が覚める直前までは夢の内容を覚えているのに、目覚めた途端にそれがどんな夢だったのかも忘れている。ただ、胸の中がぽっかりと穴が開いてしまったような虚しい感覚だけが残っている・・・。
「ルーク・・・。お前、最近随分食が細くなったな・・・。顔なんかすっかり痩せこけているぞ?」
肉厚たっぷりのステーキを頬張りながら悪友グレイが言う。
「ああ・・。全く食欲が湧かないんだよ。」
ため息交じりに言うとグレイが肩を叩いた。
「なあ。いい加減・・・その妙な夢の事なんか忘れろよ。大体、断片的にしか覚えていない夢の事でうじうじ悩む方がおかしいだろう?マリウスの奴も最近おかしいけど・・お前、今のマリウスに負けず劣らずおかしいぞ?」
グレイが小声で俺の耳元で言う。
マリウスか・・・元々何処か狂気めいた一面を持ち合わせていた男だが、ここ最近はそれが異常なほど狂気の度合いが強まってきている。何やら最近は噂によると学院の共同墓地に自分が恋い慕っている幻のお嬢様のお墓を作ってしまい、毎日お参りに行っていると言うし・・・。
「流石に婚約者の・・・ドリスだっけ?彼女の家から婚約破棄の申しいれがあったらしいが・・肝心の御令嬢が絶対にマリウスとは別れたくないと言って、首を縦に振らないらしいし・・。」
より一層声を低くして耳元でグレイが言う。
おい・・・お前の息が首筋や耳に当たってくすぐったいのだが・・・。
その時、ホール中にソフィー付きの兵士の声が上がった。
「おい!お前達っ!さっさと食事を終わらせろっ!今日は聖女ソフィーのありがたいお言葉を頂く日だぞっ!9時までには講堂に来るようになっ!」
下卑た笑いで命令するあいつは・・・3年の男爵家の・・誰だったか?
するとたちまちあちこちでヒソヒソ声がおこりはじめた。
「くそっ!俺達上位貴族に対してあんな態度を取りやがって・・。」
「何が聖女ソフィーだ。厚化粧の上に派手な服を着た着せ替え人形め。」
「あいつ・・あのソフィーの兵士達・・噂によると全員聖女様のお手付きらしいぜ・・・。」
等々・・言いたい放題だ。だが、俺には一切関係ないことだ。しかし・・・。
「参ったな・・・。まさかアラン王子がもう寮に戻って来なくなるとは思いもしなかったよ。」
グレイがため息交じりに言う。
「ああ・・非常に困った事態になったな・・・。ここ最近この学院はまともな授業など無いし、学院の風紀は・・・乱れ切っている・・。陛下に何て報告すればいいんだろうか・・?」
俺も正直、アラン王子の件では頭を痛めていた。あれ程、何度もソフィーの虜にされ・・・その度に何とか彼女のお陰で正気を取り戻せていたのに・・・え?
彼女・・・彼女って一体誰の事だ・・・・?
この時、俺は改めて自分が何か大事な物を忘れてしまっている事を再認識した・・・。
「だから、お願いしてるんだろ?どうかアラン王子に会わせてくれよっ!」
俺達は今アラン王子に面会する為、神殿へと足を運んでいた。
「あ~だから駄目だと言ってるだろう?今、アラン王子は休んでいる最中なんだっ!」
見張りの兵士は手を振って俺達を追い払おうとする。
「くそっ・・・!」
俺は陛下から届いた手紙を握りしめた。この学院の変貌した様は「トレント王国」にまで当然知れ渡っていた。そしてその事について心配した陛下が手紙を何度もアラン王子に送っていたのだが・・・今アラン王子は神殿に半分軟禁状態に置かれ、全く面会すら出来ない状況になっていた。
神殿を追い出された俺達は近くのベンチに腰掛けて呆然と分厚い雲に覆われた空を
見上げていた。
「全く・・・困ったな・・・。」
グレイがため息をついている。
「ああ・・・。でも今日こそ手紙を渡さなければ・・・。」
陛下からの大切な手紙なのに、握りしめ、皺が出来てしまっていた。まずいな・・。
神殿を注視していたグレイが突如口を開いた。
「なあ・・・ルーク。」
「何だ?」
「ほら・・見て見ろよ。兵士の中にはさ・・・兜で顔を隠している奴までいるじゃ無いか。」
「あ、ああ・・・。言われてみれば確かにそうだな。」
「よし、行くか。」
突如グレイが立ち上った。
「え?行くって一体何処へだ?」
「そんな事決まっているだろう?アラン王子の元へさ。」
そしてグレイは俺を見てニヤリと笑みを浮かべた―。
2
今、俺とグレイはソフィー付きの兵士の姿をして神殿の中を歩いていた。
あの後、神殿に侵入した俺達は兜をかぶった兵士を背後から襲い、彼等を気絶させて鎧と兜を奪ったのだ。
「しかし・・・ほんとにここの兵士の奴等って・・皆弱いよな・・・。あっという間に俺達に倒されてしまうんだからな。」
グレイが俺に耳打ちしてくる。
「ああ・・確かにな。ただ頭数を揃えた寄せ集めの集団の様だ。・・・一体何を考えているんだ?あの女は・・・。」
俺達は見張りをするフリをして、アラン王子がいそうな場所をくまなく探したが、見つからない。
「おい、ルーク。多分ソフィーとアラン王子は今一緒に居るんじゃないのか?だとしたら・・・こんな場所じゃ無く・・・。」
俺とグレイは背後を振り返った。
そこは神殿の一番最上階・・・聖女の祈りの間に続いていると言われている場所・・。
「どうする?行ってみるか?」
グレイが言う。
「ああ・・当然だ。」
そして俺達は・・・気配を消す魔法をかけ、慎重に最上階を目指した・・・。
「なあ・・・なんか妙だと思わないか?」
歩きながらグレイが言う。
「ああ・・・実に妙だ・・・。見張りが全くいないなんて・・・。」
「う~ん・・・見張りがいないと言うより・・・敢えて人払いされているような気もするなあ・・。」
首を捻りながらグレイが言う。
「敢えて・・人払いだと?」
俺は隣を歩くグレイを見た。この男は・・・子供のころから妙に勘が鋭かった。
恐らくグレイがそう言うのであれば・・・きっと意図的に人払いされているのだろう。でも・・・何故だ?
今は夕方の4時だ。この時間に何かあるのだろうか・・・?
慎重に歩きながら・・・やがて・・神殿の最上階が見えて来た。何処からか風が吹いているのだろうか・・。風に乗って声が聞こえて来た。
え・・・・?こ、この声は・・・?
思わず俺とグレイは2人で顔を見合わせた。
2人で小さく頷きあうと、俺達はより一層気配を消す魔法を強め、前へと進んでいき・・・。言葉を無くした。
そこはだだっ広い部屋だった。
床は全て大理石で作られ・・・部屋の中央には天蓋付きのベッドが置かれている。
そしてそのカーテンの奥から揺らめく2つの黒い陰が・・・。
「や・・・やめろ・・・ソフィー・・・も、もうやめてくれ・・・。」
アラン王子の苦し気な声がカーテンの奥から聞こえて来る。
その声は・・・本当に苦しそうだった。
「いいえ・・やめないわ。アラン王子・・・。だって貴方はいつまでたっても未だに私の完全な暗示にかからないんですもの・・・。一体何故?ドミニク公爵は簡単に陥落したのに・・。やはり・・あの女のせいなの?あの・・・ジェシカの・・・。」
その黒い女の陰はアラン王子に絡みつきながら含み笑いをしているのが聞こえて来る。
「ジェ・・・ジェシカ・・・。そ、そうだ・・・お、俺の心は・・ジェシカの・・ものだ・・・!」
ジェシカ?ジェシカって一体誰だ?だが・・・その名前を聞くだけで心臓が早鐘を打つようだ。
「お、おい・・・。あのベッドの奥にいるのは・・ひょっとして・・・。」
グレイが青ざめた顔で俺を見る。
「ああ・・・アラン王子と・・・ソフィーだっ!」
あのアラン王子がソフィーに汚されている・・・・っ!卑しい身分のくせに、気高き我らの王子に勝手に触れるなんて・・・っ!
全身の血が怒りで沸騰しそうになる。
「お、おい?ルーク?お前・・・どうしたんだ?ひょっとして・・・。お、落ち着け、頼むから落ち着いてくれ・・・っ!」
グレイが大きな声で俺を止め・・・。
「誰なのっ?!そこにいるのは!誰もこの時間はここに近付くなと言っておいたはずでしょう!名乗りなさいっ!」
カーテンの奥から黒い女の陰が叫んだ。ソフィーに気付かれたんだ。
しかし、俺達は返事をする事が出来ない。
「うう・・・・。」
アラン王子の苦しそうなうめき声が時折聞こえて来る。
するとソフィーが大声を上げた。
「誰かっ!誰か来てっ!侵入者がいるわっ!」
途端に階下でバタバタと大勢の足音が聞こえて来た。
そこで俺達は転移魔法で一瞬でその場を逃げ出した―。
「はあ・・・。」
俺とグレイは絶望的な気分で空を見上げた。・・・ショックだった。あの太陽の様な存在のアラン王子が・・・あんな下衆な女の手で・・・汚されていたなんて・・。
「なあ・・ルーク。ジェシカって本当に・・・誰なんだろうな。本当にこの学院に居たのかな・・・。」
ポツリとグレイが言う。
「さあ・・・な。」
ソフィーの話ではジェシカ・リッジウェイが魔界の門を開けて、このような空になったと言っていた。しかも聖剣士を刺し殺しているなんて・・・そんな馬鹿気た話は到底信じられなかったが・・・。やはりあの2人の口ぶりから・・・ジェシカという女性は本当にいるのだろう。
「アラン王子を助け出せるのは・・・ジェシカという女性だけかもしれないな・・・。今の俺達じゃ・・無理だ・・・。」
ジェシカという女性を探すしかない―。
その日の夜・・・俺は再び夢を見た。
美しい満月が見える。・・・もう既にこの世界では見る事が無かったのに・・ああ。そうか・・ここは夢の世界だから・・・。
ふと前方に月明かりに照らし出された緑の美しい草原が現れた。そして大きな満月の下に・・・あの時俺の夢に現れた女性が立っている。
そして彼女は俺に向かってゆっくりと振り向く。
栗毛色の長い髪は月明かりで金色に輝いている。紫色の大きな瞳は俺の心を捕らえて離さない。
そして彼女は言う。
ただいま、ルーク
ああ・・お帰り。ジェシカ・・・。
今、俺は謹慎室に閉じ込められている。そしてその俺の前には一応付き合っている彼女が神妙な顔つきで座っている。
「ねえ、どうして最近ずっと・・会ってくれなかったの?おまけに突然ジェシカ・リッジウェイの手配書を破り捨てて・・・ルーク、貴方一体何を考えてるのよ?」
詰るように彼女は言う。
「・・・てくれ。」
俺は小さく呟く。
「え?今・・なんて言ったの?」
「頼む!俺には好きな女性がいる!お願いだ!別れてくれっ!」
彼女の前に土下座する俺。
「ねえ・・・ちょっと・・・こっち向いてくれる・・・?」
怒りに震える彼女の声に俺は顔を上げ・・・
パーンッ!
おもいきり平手打ちされた・・・。
だけど・・・何故隣の謹慎室にいるグレイからも同じ音が聞こえて来たんだ―?