第3章 5 逃走の理由
1
「あ・・・あのね。ヴォルフ・・・。貴方に話があるんだけど・・・。」
私は焚き木の火を見ながら口を開いた。
「うん?俺に話?」
「そ、そう。あの・・・ヴォルフ。私と一緒に・・・。」
そこまで言いかけた時、私達の正面に浮かんでいる第3階層から第2階層を繋ぐ鏡が怪しく光り、中からノア先輩とフレアが出てきた。
「すっかり待たせてしまったようね。」
フレアが髪の毛を撫でつけ、私達の方へ歩み寄りながら言った。
「中々手ごわい魔族達で、ちょと手間取ってしまったよ。」
ノア先輩は笑みを浮かべながら言う。
「良かった・・・!ノア先輩もフレアさんも無事で・・・。」
思わず涙ぐむとノア先輩が言った。
「うん、ごめんね。ジェシカ、心配を掛けちゃて・・・。」
一方のフレアは眉をしかめながら言った。
「な・・・何なのよ。貴女って本当に変な人間ね。まさか私の事まで心配するなんて・・・おかしな女だわ。」
そしてフイと顔を逸らせてしまった。
「まあ、それがジェシカのいいところさ。」
ヴォルフがにこやかに言うと、途端にノア先輩とフレアが微妙な顔つきになった。
「ねえ・・・前から気になっていたんだけどさ・・・。」
ノア先輩が言う。
「ヴォルフ・・・ひょっとして・・貴方・・この女の事・・・。」
フレアがヴォルフの顔をじろりと見た。
あ・・・何だか嫌な予感がする・・・・これ以上この話の続きはされないように何とか阻止しなければ・・・!
「そ、そんな事より!一体今何が起こっているのか私に説明して下さいっ!」
私は3人の顔をぐるりと見渡しながら言った。
「そうだね・・・。ジェシカは何も事情を知らずに、ここまで連れてこられたんだものね・・。知りたいのは当然だ。」
ノア先輩が言うと、フレアが口を開いた。
「それじゃ・・・私から説明するわ。」
小さくため息をつくと、フレアは腰を降ろして今迄の経緯を説明し始めた―。
「私は魔界に咲く貴重な『七色の花』の管理人をしているのだけど・・・その花を盗んだという罪で、昨夜遅くに今の魔界を管理している上官達が突然屋敷にやってきたのよ。・・・最も私の屋敷に来た理由はそれだけじゃないのだけどね。」
言いながらノア先輩をチラリと見た。
「仲間たちが・・・私がノアを自分達から遠ざけたからって理由で・・腹いせにノアが私の屋敷に居る事を密告したのよ。・・・貴女は知っていたかしら?今の魔界には必ず守らなければならない掟があるのよ。それは絶対に人間をこちらの世界へ連れて来てはいけないという事・・。もし破れば重い罰を受けなければならないのよ。」
「その罰って・・・全ての魔力を奪われ、第1階層まで落とされる・・・という罰ですか?」
私が口を挟むとフレアは意外そうな顔をした。
「あら?貴女・・・よく人間のくせにそんな事知っていたわね?」
「はい・・。実はここに来る直前、襲って来た魔族が・・・そう話していたので・・。」
「あら・・・そうだったのね。そう、第1階層へ落されるとね・・二度と第3階層へ戻る事は出来ないわ。しかも魔力を奪われた状態で長い時間あの場所に留まると、いずれ知性は失われ、身体も人型でいられなくなるのよ。・・・それこそ獣のような姿に変化してしまうわ。」
「ああ・・・。ジェシカ、お前も第1階層を通り抜けてきたから・・・あいつらの姿を見てきただろう?あの魔物達の中には・・・かつて俺達のような高位魔族だった連中もあの中には含まれているんだ。」
「え?!」
途中から話に割って入って来たヴォルフの言葉に私は驚いた。
「そ、そんな・・・・。」
何て・・魔界というところは恐ろしい世界なのだろう・・・。
「それだけじゃないわ・・・・。私の仲間がね・・・ジェシカ。貴女を地下牢に閉じ込めている事も知っていたのよ。・・・あの花畑に自分の結界を張って、全て監視していたのよ・・・。」
成程、フレアの犯した罪が全てその仲間の魔族の女性に寄って白日の下に晒されたとう訳だったのか。だけど・・・。
「だ、だけど・・・それが今回の事と何の関係があるって言うんですか・・・?」
するとノア先輩が言った。
「ジェシカ・・・フレアは元々ね・・・最初から君を人間界へ帰すつもりだったんだよ。」
「え?そ・・・そうだったんですか?!」
思わずフレアを振り返った。
「ええ、そうよ・・・。ノアの事を諦めさせたら・・・すぐにでも人間界へ・・・送り返そうかと思っていたのよ。それなのに・・・貴女は頑固だったから・・・!」
キッと私を睨み付けながら言うフレア。ええ?!そ、そんな・・・何故そこで睨まれなければならない訳?!
「貴女も・・・知ってるんでしょう?人間が長く魔界にいると・・・いずれ魔族になってしまうっていう話は・・・。」
フレアは私の目をじっと見つめながら尋ねて来た。
「は、はい・・・。」
「上官達はいきなり私の屋敷にやってくると、ノアと・・貴女をすぐに差しだす様に言って来たのよ。そうすれば、私の罪を見逃してやると言ってね。」
「・・・。」
ノア先輩は黙って聞いている。
「え・・ええ?!な、何故そんな事を・・・?!」
「ジェシカ・・・実はこの第3階層に住む上級魔族は・・・物凄く数が少ないんだ・・・。このままいけばあと数百年で滅びてしまうかもしれないと言われている。だが・・・人間が魔族になると、不思議な事に上級魔族に生まれ変わる事が出来るんだ。だから、アイツらはお前とノアをここに留めて魔族にするつもりだったんだ。」
ヴォルフが言いにくそうに言った。
え・・・?つまり、私とノア先輩を魔界から閉じ込め、魔族にしようとしていたって言う事・・?
「・・・そんな事させる訳にはいかないでしょう?だから・・私とノア、そしてたまたま居合わせていたヴォルフの3人であいつ等に攻撃を仕掛けて、その一瞬の隙に・・・ジェシカ。貴女の所へ来たって言う訳よ。」
「でも・・・地下牢へ行くまでは・・・本当に不安だった・・・。もし、万一先回りしてジェシカ・・・お前が連れ去られていたらどうしようと・・・不吉な事ばかり考えてしまって・・・。でも・・本当にジェシカの無事な姿を見た時はどんなに嬉しかった事か・・・!」
ヴォルフは感極まったのか、いきなり私の手を掴んで引き寄せると強く抱きしめて来た。
く・・・く、苦しい・・!。
「!おい、ヴォルフ!ジェシカから離れろよ!」
ノア先輩の怒気を挟んだ声が背後から聞こえて来る。一方のフレアは溜息をつきながら、やっぱりヴォルフはジェシカの事を・・・等呟いている声がばっちり聞こえる。
「ヴォ、ヴォルフ・・・く、苦しいから・・う・・腕を緩めて・・くれる・・?」
「す、すまん!」
ようやくヴォルフは私を締め上げていた事に気付いたのか、パッと手を離した。
ふう、苦しかった・・・。
「で、でも・・・ようやく分かりました。だから・・・あの魔族達から逃げていたんですね。だけど・・・こんな真似をして本当に良かったのですか・・・?」
私はフレアの顔をじっと見つめながら言った。
「え・・?な、何の事よ・・。」
「私を逃がす為に・・・上官達を攻撃したんですよね?そればかりか私の事を逃がそうとまでして・・・。こんな事をすれば・・・もうフレアさんの居場所も、ヴォルフの居場所もこの魔界には無くなってしまうのでは無いですか?」
「そ、それは・・・。」
フレアの言葉が詰まる。
「・・・。」
ヴォルフは口を閉ざしてしまった。
「フレア・・・・。」
ノア先輩は心配そうにフレアの肩を抱き寄せると言った。
「ねえ・・・フレア・・・。僕達と・・・一緒に人間界へ行こうよ。」
それは・・・まさに私が考えていた事と同じだった―。
2
「え・・・?ノア・・・。今何て言ったの?」
「うん、だからさ・・・。僕達と一緒に人間界へ行こう。そして・・・一緒に暮らそうよ。人間界へ戻ったら僕は学院を辞めて働くよ。2人で小さくてもいいから家を借りて・・・一緒に住もう?」
ノア先輩はフレアの両頬を手で挟みながら優しい笑みを浮かべて語りかけた。
それは・・・まるでプロポーズのようにも聞こえる。ここは・・・気を遣って席を外すべきかもしれない。
「あ、あの。この後どうするのかは、どうぞお2人で話し合って決めて下さい。私と・・・ヴォルフは席を外しますので。」
「ええ?お、俺もか?!」
ヴォルフは驚いたようだが、私は立ち上がって彼の右手を両手で引っぱりながら言った。
「ね、ねえ・ヴォルフ。私・・・外の景色が見たいの。お願い、連れて行ってくれる?」
「あ、ああ。そういう事か?いいぜ。それじゃ少し外に出てみるか?あまり大した景色は見れないかもしれないが・・・外で食料も調達して来た方が良さそうだしな。それじゃ、俺達はちょっと出かけて来る。」
「ヴォルフ・・・。」
フレアがヴォルフをじっと見つめて名前を呼んだ。
「まあ・・・お前自身の事だから・・・よく2人で話し合って決めてくれよ。」
ヴォルフは肩をすくめると言った。
「ジェシカ。ヴォルフがいるから大丈夫だとは思うけど・・この第2階層にも追手がいるかもしれないから十分気を付けるんだよ?」
ノア先輩が心配そうに声を掛けて来た。
「はい、分かりました。ヴォルフの側から離れないように気を付けて行ってきます。」
「「ヴォルフ。」」
するとフレアとノア先輩が同時にヴォルフの名を呼んだ。
「な、何だよ?2人揃って。」
「「くれぐれもジェシカに妙な真似をしないようにね。」」
おおっ!ノア先輩とフレアの台詞がシンクロした!もうこの2人は生涯のパートナーとなっても息ぴったりの夫婦でいられるに違いない!
「チッ!全く・・・信頼されてないなあ・・・。」
ヴォルフは面白くなさそうにしている。フレアもノア先輩もあんな事言ってるけど・・・でも私は知っている。ヴォルフはすごく紳士的な魔族の男性だと言う事を・・。
今、私は青いオオカミの姿へと変身したヴォルフの背中に乗っている。
ヴォルフは何処までも広く続く大地を走り抜けていた。
「ね、ねえ。ヴォルフ、一体何処までいくつもりなの?」
ヴォルフの背中から振り落とされないように、しっかりと身体に掴まりながら私は大声で尋ねた。
<この荒野をもう少し行った先に森があるんだ。そこには色々な果実が生っている。そこで食料を調達してから2人の元へ戻る事にしよう。>
やがて、ヴォルフの話した言葉通りに森が見えて来た。
<よし、ジェシカ。スピードを上げるぞ、しっかり掴まっていろ!>
え?ええええ~っ?!
私は慌ててオオカミのヴォルフの太い首に両腕をまわして掴まると、ヴォルフはさらに加速して森を目指して走り続けた―。
「ほら、ジェシカ。この果実はな、すごく甘くて魔界では果実酒としても人気が高い実なんだ。食べて見ろよ。」
オオカミの姿から元に戻ったヴォルフが笑顔で、もぎ取ったばかりの赤い苺のような果実を見せると言った。
「わあ・・・赤くて綺麗な果実・・・。」
思わず目を見開くと、ヴォルフが言った。
「ほら、口を開けて見ろよ。」
「え?」
思わず声を出したところを、すかさずヴォルフが赤い果実を私の口の中に押し込む。
ムシャムシャ・・・・。
「お・・・美味しい!」
「そうか、ほら。もう1つ食え。口開けろよ。」
言われた通りに口を開けると、さらもう1つ赤い果実を私の口の中に笑顔で放り込むヴォルフ。
「うん、ほんとに美味しい!」
私はにっこり笑いながら言い・・・そこではたと気が付いた。
「ね、ねえ。ヴォルフ。・・・子供じゃないんだから1人で食べられるよ。」
「あ、ああ。悪かったな。つい・・・癖で・・・。」
ヴォルフは頭を掻きながら照れたように言う。
「癖?」
首を傾げて尋ねると、ヴォルフがため息をつきながら言った。
「まあ・・・俺がフレアと主従関係のような間柄だって言うのは。・・・知ってると思うけど・・・。あいつさ・・・家族からは構って貰える環境で育って来なかったから・・・ああ見えて実は甘えたがり屋なんだ・・・。」
「ええ?!そ、そうなの?」
信じられない・・・。だって私から見たフレアはかなり気の強そうな・・・女性に見えるけど・・・。でも・・考えてみれば妙にノア先輩に甘える節が時々見え隠れしていた気がする。
「俺と・・・フレアは小さい時からずっと一緒に育ってきたんだけど、子供の時から、時々妙に甘えて来る時があって・・・俺に食事を食べさせてくれって頼んできた事が何度もあったよ。まあ、最初の内は俺も食べさせてやってたりしたんだけど・・徐々に年齢が上がってくると、やりずらくなると言うか・・それで断ったら、フレアの奴が、だったらもう二度と頼まないと怒ったんだよ。あの時は物凄く激怒されたっけな・・・。」
苦笑しながら言うヴォルフ。
けれど・・・私はその話を聞いて思った。
え・・・?ひょっとすると・・・フレアは本当はヴォルフの事が好きだったんじゃ無いの?その事にヴォルフが気付かなくて・・・フレアはヴォルフに好意を抱くのをやめてしまったのではないだろうか?
「ねえ・・・ヴォルフは・・・フレアさんの事・・どう思っているの?」
私はヴォルフに尋ねた。
「え?どう思っているかだって?う~ん・・・我儘な妹・・・みたいな感じだな?まあ年齢は一緒だけど・・・!」
そこまで言いかけた時、突然私を背中に隠す様にヴォルフが身構えた。
「ど、どうしたの?ヴォルフ。」
しかし、ヴォルフは私の問いに答えずに前方を睨み付けながら言った。
「・・おい、そこにいるのは分かっているんだぞ?隠れていないで出て来い。」
するとガサリと木々が揺れ・・・3人の魔族が現れた。全員があの砦に居た魔族達と同じ覆面を被っている。
「ふん・・・まさか・・・この森の中にまで追手が隠れていたとはな・・・。」
ヴォルフは身構えながら言った。
「そんなのは当然だ。何せ俺達の仲間には『預言者』がいるんだからな、当然お前達が取るべき行動は全て先読みされている。・・・おい!そこの人間の女!」
するとその魔族は突然私の方を見ると言った。
「な・・・・何でしょうか・・・?」
震えながらも私は返事をした。
大丈夫、私には頼りになるヴォルフが今一緒にいるんだ。
「悪い事は言わない・・・。人間界には戻らない方がいいぞ?おとなしくこのまま魔界に留まった方がいい。何、初めは魔界の暮らしは住みにくさを感じるかもしれないが・・・徐々に身体も慣れていって、数か月もすれば魔族の仲間入りになれるぞ?兎に角・・・人間界に戻る考えは改めたほうが良い。」
「!」
私はその魔族の言葉に身構えた。『預言者』・・・?ここで待ち伏せされていたのも預言者の言う通りに行動したからだと言うのなら・・・恐らくは私が危惧していた通り、人間界に戻れば・・以前に夢で見た事が現実化されてしまうのだろう。
ひょっとすると未来は変わっているのでは無いだろうかと淡い期待を持っていたけれども・・・やはり・・・私は自分の運命を変える事が出来ないのだろうか・・?
「うるさいっ!妙な事を言いやがって・・・そうやってジェシカの心を乱そうとしているのか?!いいか、誰しもな・・・・育った世界で生きていくのが一番幸せになれる道が開けるんだよっ!」
ヴォルフは叫ぶと、一瞬でオオカミの姿に変身した。
「くそっ!愚か者どもめっ!今に後悔するぞっ!我らの言う事を聞いておくべきだったと・・・っ!」
別の魔族が身構えながら言う。
<ジェシカッ!俺の側へ来いっ!>
ヴォルフの声が頭の中で響く。
慌てて私はヴォルフの側へ駆け寄ると、オオカミの姿に変身したヴォルフが太い尻尾で私の身体を巻き付て自分の身体へ押し付けると、咆哮を上げた。
凄まじい波動が森全体に響き渡り、魔族達の悲鳴が聞こえた。
い、一体何が起こっているの?!
ヴォルフは尻尾で巻き上げた私の身体を自分の身体に乗せると、素早い身のこなしで森の中を駆け抜ける。
<あの2人が心配だ!すぐに戻るぞっ!>
そしてヴォルフはまるで風のような速さで、フレアとノア先輩の元へ走り始めた。
お願い、どうか無事でいて!
私はヴォルフの背中の上で2人の無事を祈り続けた―。