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141/206

フレア ②

1


「ノア・・・。大丈夫?」 


私は体調を崩して寝込んでいるノアに声を掛けた。


「うん・・・大丈夫だよ。」


ノアは熱に浮かされながらも弱々しく微笑んだ。

いつもこうだ。ノアはミレーヌ達を相手にした後は大抵体調を崩してしまう。

一体何故・・・。余程彼女達に酷い目に合わされているのだろうか?

だけど私は聞けない、と言うか聞きたくない。ただでさえ、自分の屋敷でノアが他の女を抱いている事自体、我慢の限界まできていると言うのに、中でどんな事が行われているのか話されようものなら正気を保ってなどいられない。だから私の出来るささやかな抵抗は女達を屋敷に上げるのは、私がいる間だけ、長時間滞在させない為にも時間もきっちり決め・・・ここで思わず苦笑いしてしまった。これでは本当にノアを男娼扱いしているよいなものでは無いか・・・。

ノアは今の自分が置かれている状況をどう感じているのだろうか・・・?


 やはり口には出さないが、ノアは何処かで私を恨んでいるのだろう。いつもいつも感じていた。私とノアの間には厚い壁があり、遮られていると・・・。私はこんなにもノアを愛しているのに、相変わらず彼の心は人間界にいるジェシカと言う女に囚われているように私は感じていた。



 そんなある日の事・・・私は気乗りのしない夜会に参加しなければならなかった。


「僕の事は構わずに、楽しんでおいでよ。」

 

ノアは上機嫌で私を送り出そうとしている。・・・何か怪しい。だから私はこの屋敷に魔法をかけた。ノアに怪しい動きがあれば、それを感知出来るように探査の魔法を・・・。



 パーティー会場のテラスで私は魔力を使ってノアの様子を観察していた。

もしかして私に内緒で逃走の準備を進めているのか、それとも何処かへ外出するつもりなのだろうか・・・。しかし、ノアの取った行動はいつものと変わりなかった。

彼は自分のベッドを暖炉に近付け・・・そのままベッドの中へ入ってしまったのだ。

え?一体どういう事だろうか?こんな早い時間いにもう眠りに就くとは・・・。


 その後も私は眠りに就いたノアを注意深く観察してみたが、ノアは深い眠りに就いたのか、一向に起きる気配が無い。

そうか・・・ノアの様子がおかしいと感じたのは私の単なる気のせいだったのかもしれない。ここで私は探査の魔術を遮断して、くだらないパーティー席へと参加する為に会場へと入って行った―。



 翌朝-

パーティー会場から帰宅すると、丁度ノアが暖炉に火をくべて、暖まっている所だった。その後ろ姿が何故か私には浮かれているように見えた。

何か・・・良い事でもあったのだろうか?


「ノ・・・。」

声を掛けようとした時、ノアの言った一言が私の心を深く抉った。


「ジェシカ・・・・。」


ノアはうっとりとした声で私が一番聞きたく無かった名前を口に出した。

え?何故?何故ノアは今その名前を口にしたの?私は動揺で震える身体を何とか抑え込むと背後から声をかけた。


「随分と楽しそうね、何か幸せな夢でも見ていたのかしら?」


ピクリ。

ノアの肩が少し跳ねるのを私は見逃さなかった。


「お帰り、フレア・・・。」


いつも通りの取り繕った笑顔・・・。


「ただいま、ノア。」


するとノアは私の背後に回り、コートを脱がせる。・・・駄目だ、今の私はどうしても疑心暗鬼に囚われている。何かを隠すために私のご機嫌を取ろうとしているのでは無いだろうかと勘繰ってしまう。

「ノア・・・別にいいのよ?毎回そんな真似をしなくても。別に貴方は使用人でも何でも無いんだから。」

つい、ため息をつきながら可愛げのない台詞を言ってしまう。


「そうかな?でも僕は君にお世話になっている身分だからね、これ位は当然のことだよ?」


・・・やはり様子がおかしい。いつも私とノアの間に生じる分厚い壁を・・・今は感じ取る事が出来ない。

「全く・・・魔界の男は・・皆つまらないわ。いくら付き合いでもあんなパーティーに参加するのはもうこりごりだわ。ノア・・・。やっぱり貴方が最高よ。」

言いながらノアの身体に自分の身体を預け、動揺を隠すためについどうでもよい愚痴をノアにこぼしてしまう。


ピクン。

ノアの身体が一瞬硬直する。まただ・・・。いつもこうだ。私がノアに触れる瞬間、彼の身体は強張る。そんなに緊張するのだろうか・・・?これが私がノアに感じる一番大きな壁の原因の一つなのだ。

でも・・・そんなの知った事か。

「ノア・・・。私を温めてくれるわよね・・・?」

私は熱を込めた瞳でノアを見つめる。


「・・・もちろんだよ。フレア。」


言いながら、ノアは私に口付けし・・・その瞬間、私はピンときた。

ノアから・・・何やら別の女性の香りがするのを感じた。それは・・・あの憎たらしいミレーヌ達との香りとは全く違う・・・。

まさか、ノアは・・・・。

私の心に暗い影がまた一つ落ちて行く―。



 それから時が経ち・・・・ノアの心と体に少しずつ変化が現れて来た。

今迄温かみのあった身体は、私達魔族のように冷たくなりはじめ、徐々に人間界にいた時の記憶がノアから薄れて行ったのだ。


 ついにこの時がやってきたのね・・・私は思わず口角が上がってしまった。

そう・・・魔界へ人間がやってくると、不思議な事に数か月でその身体は魔族へと生まれ変わるのだ。

私がノアをこの魔界へ無理やり連れて来た一番の理由は・・・ノアを魔族へ変える為である。

後少し・・後少しでノアは完璧な魔族へと変わる・・・。

ノアが完全な魔族になってしまえば、恐らくミレーヌ達はノアに対する興味を失うだろう。

だから私は彼女達に嘘をついた。

貴女達の相手をしてきたせいで、ノアの魔族化が進んでしまった。これ以上ノアに付き合わせれば、彼は完全に魔族へと姿を変えてしまうが、それでも良いのかと問い詰めると、彼女達はあっさりノアから身を引いたのである。どうやら彼女達がノアに抱かれたかったのは・・・彼の温かい身体が目的だったようだ。

だけど私は違う。ノアの外見に惹かれたのは確かだが、一番強く惹かれたのはノアの魂だ。私と同じ・・・闇を抱えた魂。だから共感を覚え・・・彼を愛し、愛されたいと思ったのだ。

ミレーヌ達を追い払うと同時に、徐々にノアの態度が軟化してくるのを感じ、徐々に私に心を開いてくれるようになり、私は幸せを感じ始めていた。

そして、それと同時に不安な気持ちが押し寄せて来る。


きっと・・・あの時、夢の世界でノアはジェシカという人間の女と会ったのだ。そして彼女を抱いている・・・。今にきっとノアを取り戻しにこの魔界へやってくるだろう。今からその為に準備をしなくてはならない。


私はマシューが花を奪った時に、彼には内緒で探査の魔力をかけていた。

彼が『ワールズ・エンド』に門番としてやってきた時には、私の探査の魔力が発動し、自室の鏡にマシューの動向が映像化されて送られてくる。

恐らくマシューはいずれ、あの女に頼まれてこの魔界へ連れて来る日がやってくるだろう。

・・・私はマシューには何の恨みも持っていないが・・・・。

「もし・・あの女を魔界へ連れて来ようものなら・・・ただじゃ置かないわよ・・・。」

私は1人、呟いた―。




「ヴォルフ、貴方に頼みがあるのよ。」


私はヴォルフの自宅を訪ねるとすぐに切り出した。


「え?俺に頼み?」


ヴォルフはいきなり尋ねて来た私を怪訝そうに見たが、部屋へ招き入れてくれた。


2で向き合って椅子に座ると何なんだ?」


「私の可愛がっていた魔界のペット『ワールズ・エンド』でいなくなってしまったのよ。

しかもどういう手段を使ってか分からないけれども、人間界へ行ってしまったようで・・。でもあの子は賢いから、必ずきっとここへ戻って来ると思うのよ。」


「へえ~・・・フレア、ペットなんか飼っていたのか?ちっとも知らなかったな。」


ヴォルフは腕組みをしながら言った。


「ええ、しかもこのペットは変幻自在、さらに言葉を話すとても賢い子なのよ。」


「何だ?それ?そんな生物がいたのか?驚きだな・・・。」


「そうよ、しかもその本来の姿も謎なのよ。兎に角貴重な珍しい生物で・・・そこでヴォルフ。彼方にお願いしたい事があるの。」



「俺に願い・・?」


「ええ、あの子を保護する手伝いをして欲しいの。取りあえずは・・・私をこれ程までに心配させたのだから、少し反省が必要ね。地下牢と第2階層を繫ぐ用意をしてくれる?」


私はにっこり微笑みながらヴォルフに命令を下した。

そう、もしあの女が門をくぐってこの魔界へやってくれば初めに訪れるのは第1階層。きっとか弱い人間ならば、その場で魔物達の餌食になってしまうだろう。


だから・・・ヴォルフにここまで連れて来てもらうのだ。

あの女だけは許せない、私が直接ジェシカ・リッジウェイにノアから手を引くように言わなければ。そして・・もし、断ってきた場合は一生あの地下牢に閉じ込めてやるのだ—。




2


私には分かる。きっともうすぐあの女はノアを連れ戻しにこの魔界へやって来るに違いない。


 今日、私はヴォルフを家に連れて来た。ノアは初めて見る魔族の男を怪しんでいるようだったが私がこれから大事な打ち合わせがあるから部屋には近づかないように話すと、それに素直に応じる。


「ふ~ん・・・噂には聞いていたが、あの男が人間のノア・シンプソンか・・・。」


ヴォルフは自室へ招き入れた途端、ボソリと呟いた。


「え?!な・何故ヴォルフがその事を知ってるの?!」

余りの突然の言葉に私は驚き、気付けばヴォルフの襟首を掴んで詰め寄っていた。


「な・何だよ・・・。フレア、お前は知らなかったのか?今町ではその噂で持ち切りだぞ・・?ほら、俺は便利屋をやっているからそういう噂話は耳に入りやすいんだよ。」


ヴォルフが慌てたように言う。


「なら、なら・・・何故そのうわさ話がある事を私に言わないのよ!」

私はより一層襟首を締め上げながら怒鳴りつけた。


「そ、それは・・・お前が俺に何も話さないから・・内緒の話なんだろうと思って悪くて聞けなかったんだ・・・。」


こ、この男は・・・・本当になんて間抜けな男なのだろう。昔からそうだ、どこか単純で抜けている。せめてもう少し頭が切れれば、もっと使えるのに・・・。

どうせ噂の出所は分かり切っている。ミレーヌ達に間違いない。私がノアとの密会を禁じた腹いせにノアの話をばらまいたのだろう。

ただでさえ、あの女がここにやってくるかもしれないと言うのに厄介な・・・。

こうなれば魔術を使って一刻も早くノアの魔族化を早めてやろうか・・。


「おい?どうしたんだ?フレア。急に黙り込んで・・・・。」


襟首を掴まれたままのヴォルフが不思議そうな顔で尋ねて来た。そうだ、今はノアの事よりも、まずはあの女を何とかしなければ・・・。


「ヴォルフ、この間話した件は進めてくれたかしら?」


「あ、ああ・・。地下牢と第2階層を繋ぐって話だろう?一応手はずは整っているが・・・?」


「そう、それなら大丈夫ね。恐らくもうすぐ私の可愛いペットが第1階層へ現れると思うから、その時はヴォルフ。貴方がここまで連れて来て頂戴。後はそうね・・・。私が指示したらすぐに第一階層へ飛んで頂戴ね。そしてあの子を無事に地下牢まで連れて来るのよ。その際、絶対に私の事とノアの事は内緒にしておきなさい。その姿であの子の前に現れるのもよしなさい。警戒心が強い子だから・・いいわね?」


私はヴォルフの目をじっと見つめながら言い聞かせる。そう、これはヴォルフにかける催眠暗示。この男は単純だから暗示にかける事等造作も無い。嘘をつくのが下手な男なのでいっそ暗示にかけてしまったほうが確実にあの地下牢へ閉じ込める事が出来るだろう。


「わ・・・分かったよ・・・フレア・・・。」


虚ろな目のヴォルフが返事をした。更に私は仕上げの暗示をヴォルフにかける。


「いい?私は人間界へペットを連れて内緒で出かけた時に、そこでペットとはぐれてしまった。自力であの子は魔界まで戻って来るので、貴方は頼まれて迎えに来たと言いなさい。もしノア・シンプソンの名前を出されても知らないと答えるのよ。」


「ああ・・・。了解した・・・。なあ、所で・・・そのペットの名前は何て言うんだ?」


「ジェシカ・・・・よ。」


私は笑みを浮かべながら言った―。



ヴォルフに暗示をかけてから数日後・・・・。その日は突然やってきた。

たまたまこの時、私は非番で管理人はミレーヌの担当だった。

真夜中、自室にいると突然部屋の鏡が輝き出したのだ。


 ついにマシューが『ワールズ・エンド』へやってきた!!

私は緊張しながら鏡の前に立ち、マシューの様子を伺った。

・・・おかしい。てっきり女が一緒だと思っていたのに姿を現したのはマシュー1人きりだ。

何処かに隠れているのだろうか?

マシューは4人の聖剣士達と何やら会話をしている。・・・しまった。音まで聞こえる魔術をかけておくべきだった。これではどんな会話がなされているのか全く見当がつかない。


 私は音が聞こえない代わりに、じっと鏡から目を離さずにマシューの様子を観察し続けた。

 すると突然4人の聖剣士達が剣を抜くと、いきなりマシューに切りかかって来たのだ。

「マシューッ!」

思わず声を上げてしまった。

しかしマシューは咄嗟にその場を飛び退いて攻撃を交わし、4人を相手に戦いを開始した。

マシューの戦う姿を初めて見たが・・・確かに彼は魔族の血を引くだけあって強かった。

少しの間マシューの戦いぶりを見ていると、1人の若い男が剣を構えて飛び出してきてマシューに加勢し始めた。どうやらマシューの仲間が隠れていたようだ。と言う事は・・・間違いない。ジェシカ・リッジウェイは必ずここに来ている・・・。何処?一体何処にいるのだろう?!

その時・・・・。

私は見た。マシューが背後から剣で胸を貫かれるのを。剣はマシューの胸を貫通している。

「マシューッ?!」

私は思わず悲鳴を上げてしまった。マシューは一瞬何が起きたのか分からない様で自分の胸元を見て・・・振り返った。

その視線の先には・・・。

ついに・・・ついに私はあの女の姿を確認した。

長い栗毛色の髪を広げて、泣きながらマシューに向かって駆けよって来るジェシカの姿を・・・。

紫色の大きな瞳に涙を一杯に湛えて、倒れ込んだマシューに縋りつくジェシカ。

・・・美しい・・。不覚にもそう感じてしまった。

そう、ジェシカは本当に美しい女性だったのだ。これでは・・・ノアが、マシューが恋しても当然だろう。


 口から血を吐き、地面に倒れ込んだマシューに縋って泣き崩れているジェシカ。

その泣いている姿すら、彼女は美しかったのだ。

マシューは必死で何かをジェシカに話しかけているが、彼女はしきりに首を振ってマシューの側から離れようとしない。

私はその姿を見て、同じ女として確信した。

間違いない。この女・・・・ジェシカはマシューを愛しているのだと・・・。

その時、視線が切り替わり2人の聖剣士がマシュー達の元へ向かってやって来る映像が飛び込んできた。

それを見て怯えるジェシカ。・・・もうここから先は見ていられなかった。

今すぐ『ワールズ・エンド』へ向かわなければ、マシューが死んでしまう―!


 慌てて部屋から飛び出すとノアに遭遇してしまった。


「どうしたの?フレア。随分慌てているようだけど?何かあったの?」


「あ、ああ。ごめんなさい、ノア。ちょっと急を要する仕事が入ったから・・・すぐにこれから出かけて来るわ。」

何とか適当な言い訳をするも、私は生きた心地がしなかった。早く、早くマシューの元へ行かなくては・・・!


「フレア?」


ノアが心配そうに覗き込んでくる。


「ノア・・・わ、私・・・。何とかしなくちゃ・・。」

気付けば私はうわ言のように口走っていた。


「何?何とかしなくちゃって?どういう意味?」


ノアの瞳が不安げに揺れている・・・。だけど、彼には何も話せない。


「い、いえ。何でも無いわ。少し・・・仕事上でトラブルがあったから出掛けて来るわ。・・・今夜は戻れないかも・・・。」


「え?今までそんな事一度も無かったのに?それ程重大なトラブルがあったの?!」


「い、いえ。大丈夫よ、ノアは何も心配しないで。大人しくここで待っていてね。」

ノアが驚いた様に目を見開いたが、私は何とか冷静に言った。

まだ何か私に聞きたい事があるようだったが、ノアはそこで大人しく口を噤んでくれた。

私はその場で転移魔法を唱えると『ワールズ・エンド』へ飛んだ。


マシュー、どうか無事でいてと祈りながら―。





3


『ワールズ・エンド』へ一気に飛んだ私はマシューの姿を探した。

すると・・・・無理やり誰かに引きずられるように門へ連れて行かれるジェシカの姿を見つけた。

彼女は必死でマシューの名前を叫び続けている。


マシューは一体何処に・・・?私は夢中で辺りを見渡し、2人の聖剣士が剣を構えて立っている姿を発見した。そして彼等と退治している2人の男性・・・その内の1人はマシューだ。胸元から下は血まみれで口元にも吐血したのか、血で濡れている。剣でやっと自分の身体を支えている状態だ。そしてジェシカを引きずっていた男性が駆け寄ってきてマシューの背後に付く。マシューはその男を見ると何故か絶望的な表情を浮かべ・・・そのまま地面に倒れ込んだ。

その瞬間、私は全身の血が沸騰する程の怒りを覚えた。あの心優しいマシューを剣で貫いた人間共め・・・。許すものか・・・・!

 魔王不在となった今、私達魔族は厳しい掟の元で管理されている。中でも人間に関する掟は最重要事項・・・絶対に人間を傷つけてはいけない。この掟を破った者は酷い罰を受ける事になっている。

 しかし、そんな掟等今の私にとっては完全に無意味だ。あそこにいる人間達はマシューが半分魔族の血を引いているというだけで彼を虐げてきたのだ。

けれどもマシューはそんな彼等を一度も恨んだことが無かった。

自分は半分魔族だから仕方が無いよと悲し気に見せた笑顔・・・。

 私が幼い頃、遠い記憶の中で母が少しだけ歌ってくれた思い出の子守唄を唄ってくれたマシュー。

フレアにはお世話になってるからと、人間界から持ってきたというお菓子をはにかんだ笑顔でプレゼントしてくれたマシュー・・・。

マシューは人間達に傷つけられてきた事は沢山あっても、一度もそれを恨むことなく、彼等の言われるままに従順に従って来たのに・・・!


「おのれ・・・人間どもめ・・・よくもマシューを・・・!!」


その時、頭の中にマシューの声が響いて来た。


<だ・・・駄目だ・・・フ、フレア・・・。彼等に手を・・・出さないで・・。>


マシューはまだ生きていた!私の思念に呼びかけてきたのだ。

なら私の取るべき方法は一つしかない。口の中で小さく呪文を唱え、私とマシュー以外の時を止める・・・・!


キイイイーン・・・!!

辺りをつんざく金属音の音が鳴り響くと同時に、時が止まる。

4人の男達は石像のようにピタリと身体が止まり、風の動きも、なびく草原も私とマシュー以外の時が全て止まる。


「マシューッ!!」


私は時を止められた人間共には目もくれず、虫の息のマシューの側に駆け寄った。


しかし・・・もう既にマシューは息をしていなかった―。

マシューは最後の力を振り絞って思念で彼等に手を出さないでと頼んできた。ならば・・ここはマシューの願いを叶えてやらなければ・・・。


私は息をしていないマシューの頬に手を当てると言った。

「ねえ、マシュー。貴方・・・本当にこんな所で死んでしまっていいの?ジェシカの気持ちを確認しなくていいの?あれ程恋い慕っていた彼女はね・・・マシュー・・。貴方の事を愛しているのよ。半分は魔族の血を引く貴方を・・・。」

しかし、マシューはもう何も答えない。けれども・・・マシューの死に顔は・・とても穏やかだった。

「馬鹿よ。貴方は・・・あれ程ジェシカの事を愛していたなら、ノアの事を諦めさせて自分の元に留めておけば良かったでしょう?自分の事をジェシカが愛していないと思っていたの?そんなに自分に自信が持て無かったの?貴方はこんなにも・・・素敵な人なのに・・・。何故ジェシカを手放したの?何故・・ジェシカを魔界へ向かわせたのよ・・・。そんな事をしなければ、貴方も私もこの先幸せに生きていけたはずなのに・・・。本当に・・・最後まで・・お人好しなんだから・・・・。」

いつしか私の頬を涙が伝っていた。


 マシューは魔界の大事な『花』を奪った盗人で罪人だ。幾ら愛する女性を救うためとはいえ、罪は罪だ。私は『七色の花』の管理人。彼を罰する権利を持っていたのだ。

けれども・・・私の数少ない大切な友人の1人であった。だから・・・。


「そうよ・・・。どうせ私はもう既に2つの禁忌を犯している。今更罪が一つ増えたって、どうせ私は罰を受けるに決まっている。それなら・・・。」


私は立ち上がった。

そう、私が今取るべき行動はたった1つだけ―。




「ど、どうしたんだ?フレア。突然尋ねてきたりして・・・。それに何かあったのか?顔色がとても悪いぞ?おまけに随分疲れ切っているようにも見えるし・・・。」


ヴォルフは突然現れた私に戸惑いながらも家に招き入れてくれた。


ソファに腰かけ、深いため息をつくと私は言った。

「ええ・・・。ちょと昨晩、『ワールズ・エンド』で色々トラブルがあってね・・・。でも、もう大丈夫。全て解決したわ。」


「そ、そうなのか・・・なら別に構わないが・・。え?でもそれなら俺のところに来る事等しないで、すぐにでもノアの元へ戻った方がいいんじゃないのか?」


ヴォルフは慌てて言うが、私は首を振った。


「いいえ、大丈夫よ。それよりも・・・ヴォルフ。いよいよ貴方に動いて貰う時がやってきたわ。」


私はヴォルフをじっと見つめながら言った。そう、私はワールズ・エンドでジェシカの姿を見かけた時に素早くジェシカに探査の魔力をかけたのだ。これからはジェシカの行動を監視していなくてはならないからだ。私の部屋の鏡を見れば、ジェシカの行動は全てお見通しという訳だ。


「え・・・?一体どういう事だ?」


「私の探査の魔力がついに大切なペットを感知する事が出来たの。恐らく数日以内に第1階層へ現れる日がやってくるはずだから・・ヴォルフ。貴方はそれまで第1階層で待機していて頂戴。」


「え・・?ちょ、ちょっと待ってくれよ。数日以内?冗談じゃない!はっきり日程を決めてくれよ。あんな殆どモンスターに等しいような下級魔族達の住む世界で数日過ごせと言うのか?冗談はやめてくれよ!」


ヴォルフは情けない声を上げた。


「何よ・・・。貴方・・私に歯向かう気?」

私はヴォルフをジロリと睨み付けると、彼はため息をついた。


「やれやれ・・・分かったよ・・・。フレア、お前の言う通りにすればいいんだろう?」


「そうね。やはりヴォルフ。貴方は物分かりがいいわ。」

私は満足げに笑った。



 しかし、それから数日間ジェシカの姿は探査の魔法をかけていたにも関わらず、行方が途絶えてしまったのだった。


おかしい?一体ジェシカは何処へ消えたと言うのだろう?あの時の状況を考えて、恐らくジェシカは1人で魔界へ向かったはず。なのに魔界の門を開けた気配すら感じない。しかも何故か探査の魔法に引っかかって来ないのだ。まさか術が不完全でジェシカを見失ってしまったのだろうか?いや、そんなはずは無い。私は完璧に術をかけたのだ。絶対にこの魔界へノアを取り返すためにやって来るに違いない。



 そして、数日が経過し・・・・ついにジェシカが鏡の映像に映し出され・・・私は息を飲んだ。

え・・・?どういう事?あの門を開けて入って来たのは・・・本当にジェシカなの?だけど、どう見てもあの姿は・・・単なる猫じゃ無いの!

探査用の鏡に映し出されていたのはジェシカでは無く、1匹の真っ白い猫が現れたのである。そんな馬鹿な・・・!私は確かにあの時ジェシカに術をかけた。それなのに何故?何故ジェシカはいない?だが・・ここに映し出されているのが猫だと言う事は・・・ひょっとするとジェシカは何らかの方法を使って魔界の魔族達から身を守るために何者かの協力を得て、猫の姿に化けているのだろうか・・・?

私は注意深く猫を観察して・・・気が付いた。

あの猫は珍しい紫色の瞳をしている。それによく見れば、猫のくせに涙を流しているでは無いか。


「フフ・・・なかなか驚かしてくれるわね・・・ジェシカ・リッジウェイ。」


私は腕組みをしながら鏡に映し出されている白猫を見つめた。


「さあ・・・早くここにいらっしゃい。ジェシカ。貴女に特別なもてなしをしてあげるから・・・・。」


私は第1階層の城を目指すジェシカに独り言のように言うのだった―。




4



「ヴォルフ、ヴォルフ、聞こえる?」

私は既に第一階層へ潜っているはずのヴォルフに思念を送るが、全く返事が返ってこない。一体何をしているのだろうか・・・。まさか・・・寝てる・・?

「全く・・・なんて使えない男なの!」

私は歯ぎしりをした。本来なら私自らがジェシカの姿を拝みに第1階層へ行っても良かったのだが、屋敷にはノアがいるし、何より私は『七色の花』の管理人だ。勝手に何日も第3階層を留守にする事等許されない。


 一旦ヴォルフに思念を送る事を中断し、私は猫の姿へと変えたジェシカの様子を注視する事にした。

それにしても・・・ジェシカが魔界へ入って来た今なら、あの女の事が良く分かる。

今、ジェシカは3種類の魔力を身体に秘めているという事に。

1つは・・・人間としての『魅了』の魔力・・この魔力にあてられれば、大抵の異性はあの女の魅力に取りつかれてしまうだろう。だからこそ彼等はジェシカを愛してしまったに違いない。

そしてもう一つは・・・何だろう?これは・・・不思議な魔力を感じる。人間界とも魔界とも違う他の魔力が・・・。ひょっとするとこの世界には魔界と人間界以外の別の世界でも存在しているのだろうか?その為、あの日から数日間・・・ジェシカの行方が分からなくなっていたのかもしれない。

残りの1つ、これは言わずと知れた魔界の魔力だ。何故人間であるジェシカに魔界の魔力が備わっているのか・・・考えるまでも無い。恐らくマシューだ。

マシューがジェシカに自分の魔族としての魔力を与えたのだ。


 私はそこで再び涙が滲んできた。

馬鹿なマシュ―・・・・。ジェシカに魔族の魔力を分け与えたりしなければ、きっと貴方はあんな事で命を落とす事は無かったはずなのに・・・。でも、自分の命を犠牲にしてでもジェシカを守りたかったのかもしれない。それ程深く・・・ジェシカの事をマシューは愛していたのだろう。


 やがてジェシカは第1階層の城へと辿り着いた。

「ヴォルフ!返事をしなさい!ジェシカがついに第1階層へ着いたのよ!」

再び思念を送るもヴォルフからは返答が無い。

「ヴォルフッ!」

思わずヒステリックに叫び・・・その瞬間、私はジェシカの背後にここ、第1階層の門番である巨大オオカミの姿を確認した。


 ジェシカも異変に気が付いたのだろう。背後を振り返り、身体を震わせて動きが止まってしまった。恐らく恐怖の為に身動きが取れなくなってしまったのだろう。

チッ!

私は心の中で舌打ちをする。

全く・・・人間という生き物はなんとか弱い生き物なのだ。あれぐらいの下等生物等、私達にしてみれば恐れるに足らないのに、人間達にとっては脅威な存在なのだろう。

巨大オオカミは荒い息を吐きながら、徐々にジェシカとの距離を詰めていく。ジェシカは恐怖のあまりか、目を強く閉じてしまう。

ま、まさか・・・ジェシカを食べるつもりでは・・・?

「ヴォルフッ!何をしているの!!」

私は思わず叫び―

その瞬間、ヴォルフが巨大オオカミの身体に乗り移る瞬間を見た。一瞬で身体を乗っ取られた巨大オオカミの魂が身体の外から追い出される・・・。


「ヴォルフ、一度ジェシカから離れなさい。貴方に話があるから。」

思念でヴォルフに呼びかけると、彼は焦ったように返事をする。


「あ、ああ・・。分かったよ、フレア。」


ヴォルフは素早くジェシカから離れた。強く目を閉じていたジェシカは何も起こらないのが不思議に思ったのか、ゆっくり目を開けて辺りを見渡すと、城の奥を目指して歩き始めた。



「ヴォルフ!一体今迄何をしていたのよ!私はジェシカを無傷で第3階層まで連れてくるように言ったはずよ!それなのに・・・危うくジェシカは巨大オオカミに食べられそうになったのよ?!」


怒りの思念をぶつけてヴォルフを叱責した。


「わ、悪い。フレア・・・。べ、別に言い訳するつもりじゃ無いんだが、ここ第1階層はあまりにも空気が淀みすぎていて・・・定期的に休まないと魔力が回復出来ないんだよ。」


「つまり・・・今まで貴方は居眠りしていたと言う訳ね?」


「うう・・・す、すまん・・・。」


巨大オオカミの姿になったヴォルフは項垂れた。


「まあいいわ。ジェシカは無事だったんだから・・・丁度いいわ。ヴォルフ。その姿でジェシカを第3階層まで送り届けて頂戴。」


「あ、ああ・・・。分かったよ。でもいいのか?あの猫・・・あの城の中を1匹で行動させて・・中には下級魔族共が蠢いているはずだろう?襲われたりしてるんじゃ・・。」


ヴォルフは心配そうに言う。


「それなら大丈夫よ。あの城はね、巨大迷宮になっていて、外部から侵入して来た者と第1階層の魔族達とは同じ空間だけど、互いが別次元に存在しているのよ。だからお互いに姿を感知する事は出来ても接触する事は不可能なの。ただ・・・今の状況だと絶対にあの迷宮を抜ける事は出来ないわ。勿論ヴォルフ、貴方もね。」


「え・・ええええッ?!おい、フレア。どういう事なんだよ!俺まで迷宮を抜けられないなんて・・・!大体、初めからこんな回りくどい方法を取らずに、初めから空間転移魔法でジェシカを連れて来てしまえばいいだけの話じゃ無いか!」


「それは無理ね。だってジェシカにはその空間転移魔法に耐えられるだけの魔力を持っていないからよ。」

ジェシカは確かに魔力を持ってはいるが・・・ノア程の魔力を持っている訳では無い。なのでノアに使えた魔界の空間転移魔法を行使する事がジェシカには出来ないのだ。この情報は生前、マシューから聞かされていたので、私はジェシカを魔界へ連れて来る準備が出来たのである。



「だって仕方が無いじゃない。貴方だって結局は外部からの侵入者なのよ。」

私が言うと、ヴォルフは口を噤んでしまった。

「でも安心して頂戴。私がジェシカに語りかけて誘導するから、ジェシカの後を付いて行きなさい。」


「あ、ああ・・・。分かったよ。」


言うと、ヴォルフは城の内部へと入り、ジェシカの姿を追った。

私は再び画像をジェシカへと切り替えると、丁度ジェシカが床に座り込んでいた所だった。成程・・・この城の迷宮に気が付いた様ね・・・。

声が聞こえてこないので、ジェシカが何を言っているか分からないが、頭を抱えて目に涙を浮かべている。

全く・・・世話の焼ける女だ。けれど・・・このジェシカのようにか弱い女性が男性達に取っては好ましいのだろうか?私も・・ジェシカのように女らしく振舞えば・・。


「おい、フレア!ジェシカ・・・泣いているぞ。何とかしてくれよ。」


突然ヴォルフの困り声が頭の中に響いて来た。

「ああ、ごめんなさい、悪かったわね。待っていて。今ジェシカに呼びかけるから。」


そして私は声を、話し方を変えてジェシカにコンタクトを取る―。



 私をあっさり信用したジェシカは何と単純なのだろう。だが、その方が都合が良い。声でジェシカを誘導し、『鏡の間』へ導く為に今迄かけられていた封印を解く。

途端に禍々しい魔族達の気配が城中を満たす。


てっきり恐怖で一歩もジェシカは進めなくなるのではと思ったが、なんと意外な事にジェシカは震えながらも歩き始めたのである。

へえ~少しは見所があるようね・・・。

 

 やがてジェシカはとうとう『鏡の間』へと辿り着いた。安堵の為か、ジェシカは大きくため息をつくと、鏡へ近づき・・足を止めた。

え?一体どうしたというのだろう?


そして次の瞬間・・・

鎧を付け、剣を構えた巨大な骸骨の兵士が鏡の奥から出てきたでは無いか。

しまった!まだあんな番人がいたなんて・・・・!


しかし、その番人は後からやってきたヴォルフの炎の咆哮で一瞬で燃やし尽くされたのである。それを驚愕の目で見つめるジェシカ・・。

フフ・・・。これでジェシカはヴォルフの事を信頼できる存在と認めたはずだ。

だから私はそのオオカミと一緒に第3階層まで来るように伝え・・・ジェシカとの間に結んでいた探査の魔法を遮断した。


 もう私が監視する必要は無いだろう。何せ一緒に居る相手はあのヴォルフなのだから。彼と一緒ならジェシカは必ず無事に第3階層まで来ることが出来るだろう。

そう、あの地下牢まで・・・。

私は肘掛椅子に座り、寄りかかると笑みを浮かべた―。


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