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第3章 1 魔界の地下牢での再会

1


 私が地下牢へ閉じ込められて数日が経過した。ここに連れられてすぐに地下牢のまりの寒さに風邪を引いて体調を崩してしまったが、ヴォルフが看病してくれたお陰で、すっかり私は元気を取り戻していた。

そしてヴォルフはいつも私に食事を差し入れに来てくれていた。


「ジェシカ、良かったな。風邪が治ったみたいで。ほら、食事を持って来たぞ。」


今朝もヴォルフは私に食事を持って地下牢へと現れた。


「ヴォルフ、いつもありがとう。」


お礼を言うたびに、ヴォルフは照れたように笑う。

今私が閉じ込められている地下牢にはヴォルフからの色々な差し入れで溢れかえっていた。

何処から手に入れてきたのか、私が読みたがっていた大量の小説から、果ては編み物道具まで置かれている。

本当に・・・どうしてヴォルフはここまで私に色々してくれるのだろう?罪悪感・・・からなのだろうか・・?


スープを飲み終えた私にヴォルフが言った。


「すまない、ジェシカ。実は今日俺は大事な仕事があって、今日はもうこれ以上ここにいられないんだ。食事の事なら心配するな。時間になればここに届くようにしておくからな。」


「え・・・?そんな事が出来るの?」


「ああ、別になんてことは無い。」


ヴォルフの言葉に私は驚いた。

「そ、それなら・・私の所にわざわざ食事を届けに来る必要は無かったんじゃ・・無いの?」


「ジェシカ・・・お前、ひょっとすると・・俺がここに来るの・・迷惑だったのか?」


急にヴォルフの顔が曇った。う・・・。何か勘違いさせる言い方をしてしまったかもしれない。

「ち、違うってば、ただ私が言いたかったのは、毎回私の所に来てもらうのは申し訳ないなって思って・・・。」


「いや、そんな事は無い。俺はお前に会いたくて来ているんだから。」


ヴォルフの言葉に私は驚いてヴォルフを見つめると、彼の顔は赤く染まっていた。


「ヴォルフ・・・?」


「あ・・・お、俺は今一体何を・・・。」


そしてヴォルフは慌てたように立ち上がると言った。


「ジェシカ、また明日来る。じゃあな!」


そして転移魔法でヴォルフの身体は一瞬で地下牢から消え去ったのである。



あれから数時間が経過し・・・私は眠りに就いていた。その時、誰かが近付いてくる気配を感じ、私は目を覚ました。


「起きたわね。人間。」


え・・・?その声は・・・?

頭を上げると、私を見下ろすようにフレアがそこに立っていた―。

「フレアさん・・・?」

私は起き上がるとフレアを見た。するとフレアは私の目の前に置かれていた椅子に座ると言った。


「どう?いい加減にノアの事は諦める気になったかしら?いつまでもこんな地下牢に閉じ込められるのは嫌でしょう?かと言って。無理に脱獄しようものなら、この牢屋から出た途端、お前の心臓は止まってしまうけどね・・・・。」


冷たい笑みを浮かべながらフレアは言う。

そう・・・この地下牢に閉じ込められた初日に私は彼女から聞かされていた。

この地下牢には死の呪いがかけられていると。無理に扉をこじ開けて出ようものなら、その瞬間私の心臓は止まってしまうだろうと聞かされていた。

正直、この話を聞かされた時は怖くて震えてしまったが・・・私は脱獄する気等一切無かった。ただ、ノア先輩だけには会っておかなくてはと思い、必死で懇願して来たが、まだ一度も会わせて貰えてはいなかった。

私は拒絶されるのは覚悟の上で再度フレアに頼んだ。


「お願いです・・・。どうか、どうかノア先輩に会わせて下さい。ほんの少しの間だけでも構わないので・・・!」


「お、お前は・・・。」


途端にフレアが唇を噛み締めて身体を震わせた。


「お前はまだそんな事を言ってるの?!一体何度同じことを言わせるつもりなのかしら?絶対にお前とノアを会わせないと言ってるでしょう?!」


「そ、そんな事を言わずに・・・お願いですから・・・。」

嫌だ。こんな所でノア先輩に会う事も出来ずに諦めて帰るなんて。そんな事をしたら・・・この魔界まで来た意味が全く無くなってしまう。マシューの死という大きな犠牲を払ってまで、ここにやって来たというのに・・・。

するとフレアが言った。


「無理ね。」


「え?」


「もうノアはお前の事など、とっくに忘れてしまっているのよ。」


「・・・。」

私は黙ってフレアの次の言葉を待った。


「人間界にいた時の暮らしも、何もかも・・・。覚えているのは自分の名前だけよ。きっと自分が人間だったと言う記憶も無くすでしょうね。それに・・・・ノアは私に言ったのよ。結婚しようって・・・。」


フレアはうっとりしたような眼つきで言った―。



 翌朝・・・。

私は昨夜フレアと交わした話のせいで、殆ど一睡もする事が出来なかった。

そんな・・・ノア先輩がフレアに結婚を申し込んでいたなんて・・・。本当にノア先輩はもう今迄の記憶を全て無くしてしまったのだろうか?それなら・・・私は一体何の為に魔界まで来たのか意味が無くなってしまう・・・。



「お早う、ジェシカ。」


不意に声を掛けられ、顔を上げるとそこには笑顔のヴォルフが立っていた。


「お、お早う、ヴォルフ。いつもありがとう。」

私も笑顔で返事をしたつもりだが・・・・ぎこちない笑顔になってしまった。


そんな私の様子にヴォルフが気が付いたのか、スープを口にしていると不意にヴォルフが話しかけて来た。


「ジェシカ・・・。昨日、俺が居なかったときにフレアがここにやってきたんだろう?」


思わず手を止めてヴォルフを見ると、彼は続けた。


「その表情・・・何かあったな?暴力でも受けたのか?それとも何か嫌な事でも言われたか?」


その顔は心配そうに見えた。


「うん・・・。ノア先輩の事を尋ねてみたんだけど・・・絶対に私には会わせないって言われちゃった。でも、こんな事は毎回会うたびに言われ続けていたんだけどね・・・。ただ・・・。」


「ただ?」


ヴォルフが言葉の先を促してきた。


「もう・・・ノア先輩は人間界にいた時の記憶・・・殆ど無くしたって言われちゃったの。それにね・・・。昨日初めて聞かされたんだけど・・・。フレアさん・・・ノア先輩に結婚を申し込まれているんだって。」


話している内に悲しみが込み上げて来る。私は・・・ノア先輩を連れて帰るのを諦めて・・人間界へ戻らなくてはならないのだろうか?

いつだって、私の予知夢は悪い意味で当たっていた。だけど今回ばかりは外れてしまうのだろうか?でも、どのみち人間界へ戻った私に待っているのは重い罰だけだ。


黙って私の話を聞いてくれているヴォルフに私は自分の考えている事を全て吐露してしまった。私自身、ノア先輩を忘れてしまった事、だけどマーキングのお陰で思い出す事が出来た事・・・。


ヴォルフは私の話に少なからずショックを受けている様子に見えたが、最期まで話を聞いてくれて・・・私に言った。


「ジェシカ、必ず近いうちにノアをここに連れて来てやるからな・・・・それまで待っいてくれ。」


「ヴォルフ・・・。ほ、本当に・・・・・・。で、でも・・・フレアさんに歯向かったら・・・。」

そうだ、そんな事をすれば・・もしバレてしまったらヴォルフはただではすまないだろう。


「大丈夫、先の事は何も心配するな。俺が・・・必ず何とかしてやるから・・。」


本当に・・?ヴォルフ、本当にノア先輩に会わせてくれるの・・・?

私は黙って頷い―。


 そしてヴォルフは私との約束を守ってくれた。



「お早う、ジェシカ。」


何時ものようにヴォルフが私の元へやってきた。


「おはよう、ヴォルフ・・。今朝も来てくれたんだね・・・。」


その時だった。


「ジェシカッ!!」


聞き覚えのする声で名前を呼ばれた。

え・・?今の声は・・・?

驚いて声の先を見つめると・・・・そこには目を見開いて立っているノア先輩の姿がそこにあった―。





2


「ジェシカッ!!」


え?その声は・・・。

私は驚いて顔を上げると、そこには懐かしい人・・・ノア先輩が立っていた。


「ノ、ノア先輩?!」

私は慌てて鉄格子に駆け寄った。


「ジェシカ・・・。」


金色に輝く巻き毛、緑色の瞳・・・間違いない、とても懐かしい人・・・ノア先輩本人だった。


「ジェシカ・・・・僕の為に本当に魔界に来てしまったんだね・・・?」


 ノア先輩の手が鉄格子の向こう側から伸びてきて、私の頬に触れた。

冷たい・・・。先輩の手はまるで死人のように冷え切っていた。余りの冷たさに身を縮こませると、ノア先輩は慌てたように頬から手を離して鉄格子から引っ込めた。


「ごめんね・・・・。僕の手・・・冷たかっただろう・・?もう、すっかり身体がこの魔界に馴染んで来ている様なんだ・・・・。この魔界で寒さを殆ど感じなくなってきたんだよ?・・・きっともうすぐ僕は・・完全な魔族になってしまうんだろうね。」


自嘲気味に笑うノア先輩。

ヴォルフは私達の会話を邪魔してはいけないと気を遣っているのか、先程から牢屋の奥に移動し、移動腕組をしたまま黙ってこちらを見つめている。


「ノア先輩・・・・。先輩は今フレアという女性の魔族の方の家で暮しているんですよね?その女性に聞いたのですが・・・もう私の事を忘れてしまっていると聞かされていたのですが・・・・本当は覚えていたんですね。・・演技でもしていたのですか?」


私は何故ノア先輩が私の事を覚えているのか不思議に思ったので尋ねてみた。


「うん、その事なんだけどね・・・・。不思議な事に本当に・・ほら、あそこに立っている彼・・ヴォルフだっけ?彼にここに連れて来られるまではジェシカの事はすっかり忘れていたんだよ。でも君の声を聞いた途端、突然記憶が戻ったんだよ。

ジェシカ・・・君の事をね・・・。」


ノア先輩が愛おしそうに私を見つめている。


「ノア先輩・・・。」


すると不意に今迄黙って私達の会話を聞いていたヴォルフが間に入って来た。

何故か私とノア先輩の前に立ちふさがると言った。


「おい、お前・・・・。これからどうするつもりなんだ?ジェシカから聞いたが・・・フレアにプロポーズしたらしいな?・・・本気でフレアと結婚するつもり・・・なのか?」


「ヴォ、ヴォルフ・・・。」

折角再会したばかりだと言うのに、何故ヴォルフはいきなり答えにくい質問をしてくるのだろう?


「そ、それは・・・。」


ノア先輩が言い淀む。


「どうなんだ?お前は・・・フレアを選ぶのか?それともジェシカを選ぶのか?」


「ぼ、僕は・・・。」


ノア先輩は苦し気に顔を歪めた。


「確かに、僕は・・・フレアにプロポーズをした・・・。彼女には色々お世話になったし、この魔界で生きていけるのも全てフレアのお陰だから・・・。それに、あの当時は僕の記憶は曖昧になっていて・・・。」


「ノア先輩・・・フレアさんの事が・・・好きなんですか?」

私はノア先輩の目を真っすぐ見つめると尋ねた。そう・・・もしノア先輩がはっきりフレアさんの事が好きだと答えるのであれば、私はノア先輩を諦めて1人で人間界へ戻って、罰を受けようと思っていた。


「!た、確かに僕は・・・フレアの事を好きだと思い・・結婚を申し込んだけれども・・・だけど・・・ジェシカ・・・。僕は・・・ジェシカの側にいたいと思う気持ちもあるんだ・・。」


「え?ノア先輩・・・・?」

私が言いかけた時、突然ヴォルフが吠えた。


「貴様・・・!ふざけるな!フレアに結婚を申し込んだくせに、その言いぐさは何だ?!お前は・・・フレアの気持ちを弄んでいたのか?!そんないい加減な気持ちしか持てない人間にジェシカを渡す訳にはいかんぞ!」


「ヴォ、ヴォルフ?!」


するとヴォルフは私を見ると言った。


「見ろ、ジェシカ。あの男はとんでもなくいい加減な男だという事が分かっただろう?・・・悪い事は言わない。ジェシカ、もうあの男の事は忘れろ。そしてアイツをここに残して人間界へ戻れ。」


「・・・・。」


ノア先輩は青ざめた顔で俯いている。


「ちょ、ちょっと待って!私達の一存でノア先輩を魔界に残すなんて事決めていいはず無いでしょう?!一番肝心なのはノア先輩の気持ちよ。先輩が自分でどうしたいのか決めないと・・・。」


私は慌ててヴォルフに言った。


「ジェシカ・・・お前は・・。」


ヴォルフが苦し気に顔を歪めて私を見た。


「ジェシカ、お前は・・お前の気持ちはどうなんだ?この男を人間界へ連れ戻す為に、この魔界までやってきたんだろう?このままノアが魔界に残って・・・フレアと結婚してもいいのか?ノアは・・・お前の恋人なんだろう?!」


え?恋人・・・?ノア先輩が・・・?一体ヴォルフは何を言っているのだろう。

確かに私はノア先輩を大切に思っている。夢の世界で結ばれた時は・・・ノア先輩は私を愛していると言ってくれた。だけど、私は・・・あの時先輩の気持ちに答える事が出来なかった。それは私は本物のジェシカでは無いから。そしていずれは流刑島へ送られてしまう身だから・・・。それらを言い訳に・・・私に好意を寄せてくれていた人達の気持ちに答える事が出来なかった。今だって・・・。そう・・。


私が答えに詰まっていると、ヴォルフが言った。


「どうしたんだ?ジェシカ、何故答えないんだ?ノアは恋人じゃ・・・無いのか?」


「僕は・・・ジェシカの恋人じゃ無いよ。僕が一方的にジェシカに好意を寄せていただけなんだ。」


代わりに答えたのはノア先輩だった。


「ノア先輩・・・!」


私はノア先輩を見た。


「だから・・・ジェシカ。折角ここ、魔界まで僕を迎えに来てくれたのに・・・ごめんね。僕は・・もう人間界には戻らないよ。どうせ・・・皆僕の存在を忘れているんだろう?」


「そ、それは・・・。」


私が思わず答えに窮すると、ノア先輩は肩をすくめて言った。


「いいんだよ、ジェシカ。僕からフレアに言うよ。今日ジェシカに会って・・・僕はもう人間界へ戻るつもりは無いから、君を解放してあげてって。・・・ジェシカ。いつまでもここにいたら君だって魔族になってしまうよ・・?」


「ノア先輩!ひょっとして・・・もう・・魔族になって・・・しまったんですか・・?」


私はノア先輩の顔を見つめ・・・涙が溢れて来た。


「・・・。」


ノア先輩は俯いたまま何も答えてくれない。


「大丈夫だ・・・ジェシカ。まだこの男は完全な魔族にはなっていない。」


ヴォルフが私の肩に手を置くと言った。


「ほ、本当に・・・?」


「ああ、だが・・・もうあまり時間が無い。後10日もすれば完全に魔族になってしまうだろうな・・。」


ヴォルフはノア先輩を見ながら言う。


「ふ~ん・・・。そうか、やっと僕は念願の魔族になれるのか。ここまで・・・長かったな・・・。」


ノア先輩はどこか遠い目つきで言う。


「ほ、本気で言ってるんですか?ノア先輩!私・・・私は夢の中でノア先輩と交わした話を覚えていますよ?魔界はとても寒くて寒くておかしくなりそうな場所だって。そ、それに・・・この世界では青い空も美しい星空も見る事が出来ない世界なんですよ?それでも・・・いいんですか?もう人間界へ戻れなくても・・?」

いつの間にか私はボロボロ泣いてノア先輩に訴えていた。そんな・・・マシューを犠牲にしてしまっただけじゃなく、私はノア先輩を助ける事も出来ないのだろうか?


「ジェシカ・・・泣くな。頼むから・・・泣かないでくれ・・・。」


言うとヴォルフは鉄格子越しに私を抱きしめて来た。


「ヴォ、ヴォルフ・・・。」


「おい!ジェシカに何をする?!」

初めてノア先輩の声に焦りを感じた。


「煩い、お前達は恋人同士じゃ無いんだろう?だったら俺も遠慮する必要は無い。」


ヴォルフは私を見つめると言った。


「ジェシカ、あの男は諦めろ。あいつはお前じゃ無く、フレアを選んだんだ。代わりに・・・俺が人間界へジェシカと一緒に戻るよ。俺の特殊能力を今・・・見せてやる。」


ヴォルフは言うと、私から離れた。


「特殊能力・・・?」


私は首を傾げた。

ノア先輩も不思議そうにヴォルフを見ている。

やがて・・・ヴォルフの身体が揺らめき、徐々に影が薄れてゆく。


「ヴォ、ヴォルフ?!」


私は慌てて名を呼ぶ。すると、徐々に薄れていた影が濃くなってゆき・・・。


「え・・・?」


私は息を飲んだ。


そこに立っていたのはもう一人のノア先輩だったのだ―。





3


「ヴォ、ヴォルフ・・・なの・・・?」


私は声を震わせてノア先輩の姿へ変身したヴォルフに声をかけた。ノア先輩も大きな瞳を見開いて唖然とした顔でその様子を見つめている。


「そうだよ。ジェシカ。」


何故か口調まで真似して返事をするヴォルフ。う・・・・声までそっくり・・・。


「ヴォルフの特殊能力って・・・変身能力の事だったの?」


「ああ、そうさ。でもこの変身能力って本当に稀な能力なんだぜ?俺のこの能力・・実はフレアにだって知られていないんだ。」


「え・・?フレアも知らないのか・・・。」


ノア先輩が小さく呟くのが聞こえた。


「どうだ、ノアの姿に変身した俺を連れて人間界へ帰れば、無事に魔界から連れて帰れたと周りに堂々と言えるだろう?今は人間界ではノアの存在が消え失せているが、この姿で戻れば、途端に人間達のノアに関する記憶が蘇ってくる。そしてノアは自分の好きな女・・・フレアと結婚して魔界へ残る。これで全てが丸く収まるだろう?」


ヴォルフの話を聞いていて私は思わず頭を抱えた。


「・・・。」


ノア先輩の表情は曇っている。


「ヴォルフ・・・。それだと根本的な解決になっていないと思うんだけど・・・一番大事な事を忘れてる。それはノア先輩の気持ちだから。」


「気持ち・・・。」


ヴォルフは変身を解くとノア先輩を見た。


「どうなんだ?お前は・・・人間界へ・・帰りたいのか・・?」


「帰りたいか・・?だって・・・?」


ノア先輩はフッと笑った。


「そんな事聞くまでも無い・・。帰りたいに決まっているだろう?!だって・・・だって僕は人間として生まれて、ずっと人間界で育ってきたんだ!確かに家庭環境は最悪で・・両親から愛されずに育ってきたけど・・。ジェシカの言う通り、この魔界では青い空も美しい夜空も・・・そして鳥のさえずり・・・そよぐ風・・僕の大好きなそれらを一切感じる事が出来ないんだから!」


ノア先輩は感情を露わにして叫ぶ。

「ノア先輩・・・。」


「だけど・・・。僕はフレアを残して人間界へは帰れないし、きっと彼女は許してくれないだろう。この魔界で生きてこられたのは・・・全て彼女のお陰なんだから。」


 私はじっとノア先輩の話を聞いていた。でも・・・先輩・・貴方は分かっているの?私の命と引き換えに無理やりこの魔界へ連れて来たのはフレアだと言う事を・・・。

もし彼女がそのまま『花』を摘んでも見逃してくれていればノア先輩は魔界へ来ること等無かったし・・・・マシューは・・・命を落とさずに済んだのに・・!


「そうか、それじゃお前はこの魔界で生きる為に・・・フレアのご機嫌を取る為に魔界へ残ってあの女と結婚する訳だ。・・・お互い・・哀れだな。」


ヴォルフは腕組みをしながら言った。


「な・・何だって?!僕とフレアが・・哀れだって?!よくも・・・よくもそんな事を・・人の気も知らないで・・・!僕がどれだけ苦しんでいるかなんて知りもせずに勝手な事ばかり言うな!」


ノア先輩は憎悪の籠った目でヴォルフを睨み付けた。


「ほら、それがお前の本心なんだよ。」


ヴォルフが勝ち誇ったように言う。


「くっ・・・・!」

ノア先輩は唇を噛んで俯く。


「ノア先輩・・・。」

そう、確かに今の言葉がノア先輩の本心。先輩は・・本当はずっとずっと人間界へ戻りたいと願っていたんだ。でも、全てを諦めて・・・この魔界で生きていく為にフレアを頼り、ようやく人間界での記憶が薄れていった。そしてそれと同時にフレアに対し、淡い恋情を抱くようになり・・・彼女にプロポーズをしたのかもしれない。


「土下座でもしてフレアに頼んでみたらどうだ?。」


ヴォルフが不敵な笑みを浮かべながら言う。


「な・・・何だって・・?」


ノア先輩は両手を握りしめた。


「お願いします、どうぞ僕を人間界へ戻して下さいってフレアに頼んでみたらどうなんだよ。」


「そんな・・・そんな事言えっこ無い・・・!だって、フレアも・・・僕と同様、すごく孤独なんだ・・・。フレア自身も家族からは愛されずに育ってきたんだよ・・?お互い孤独で、似た者同士だったから・・・僕はフレアに惹かれたんだ。」


ノア先輩の言葉にヴォルフは言った。


「まあ・・・確かにフレアは両親からは生れた時からずっと忌み嫌われていたからな。母親からは見捨てられ、実際育てたのはメイドだったらしいし。」


「え・・・?そ、そうだったの・・?一体何故・・?」

私は不思議に思い、ヴォルフに尋ねた。


「元々、フレアは名家の家柄で・・代々、水属性の魔族だったんだが・・・・何故かフレアだけは炎属性の魔族として生まれて来たんだ。だから異端能力の魔族として・・・両親から見放されたのさ。」


「え・・?そ、そうだったの・・・?」


一方のノア先輩は既にその話は知っているのか、反論もせずに黙って聞いている。


「だからあいつはひねくれた魔族に育ってしまったんだ。でも・・両親から認めて貰いたくて必死に努力して・・・『花の管理人』の地位を手に入れたのさ。」


「ああ、そうだよ。だけど、それでもフレアの両親は彼女を受け入れてくれなくて・・。ついにフレアから縁を切ってしまったらしいよ。」


その話の続きをノア先輩がした。


「だから、僕はそんな彼女を見捨てる事は・・・。」


「・・・・。」

私は何と声をかければ良いか分からず、黙ってしまった。それではやはり・・・。

もうノア先輩は覚悟を決めて・・・?自分を犠牲にして、生涯を魔界で生きていくつもりなのだろうか・・?結局私がここに来たことで、ノア先輩の人間界への思慕を募らせるきっかけを作ってしまっただけだったのだろうか?折角人間界の記憶を忘れかけていたのに、私が現れた事によって・・・。


「ノア先輩・・・ご、ごめんなさい・・わ、私・・・。」


私は俯いて、先輩に泣きながら謝った。


「ジェシカ・・・な、何故君が謝るの?!それに・・どうしてそんなに泣いてるの?」


ノア先輩は慌てて鉄格子に近付くと私の前にしゃがみ込むと言った。


「だって・・・だって・・・私が現れたせいで、再び人間界の事を思い出してしまったんでしょう?せっかく忘れかけていたのに・・・。」


すると再びヴォルフが私とノア先輩の前に割り込むと言った。


「いや、ジェシカ。お前はちっとも悪くない。結局ノアが選ぶのはフレアだって事なんだからな。いいじゃないか、お互い寂しい者同士で、この先ずっと一緒に居る事を・・ノアは決めたんだからな。だけどな、憐れみだけで側にいたって・・・結局お互い幸せになれるとは、到底俺は思えないけどな。」


「ヴォ、ヴォルフ!な、何てことを言うの?!」

幾ら何でも余りにも酷い言い方だ。しかし、ノア先輩は何も言い返さない。

そんなノア先輩を見て、ますますヴォルフは勝ち誇ったように言った。


「ほら、見ろ。何も言い返せないんだろう?分かったら・・・早くフレアの元へ戻って、はっきりと彼女に伝えろ。自分にはもう人間界へ戻るつもりは無いから、どうかジェシカを牢屋から出してやってくれってな。」


「分かった・・・そうフレアに伝える・・・。」


ノア先輩は苦し気に言うと、背を向けた。


「な、何言ってるんですか!ノア先輩!」


駄目だ、こんな事・・・認めていいはずが無い。だって、ノア先輩はあんなにも元の世界に戻る事を渇望しているのに・・・!

「何か・・・何かノア先輩が元の世界へ戻る方法が無いか・・・一緒に考えましょうよ!」

私は鉄格子を掴み、立ち去ろうとするノア先輩に手を伸ばした。するとノア先輩は一度だけ振り返ると言った。


「ありがとう、ジェシカ。本当に魔界まで来てくれて・・・僕はそれだけですごく嬉しかったよ。待っていてね。必ず君をここから出してあげるから・・。」


ノア先輩は悲し気に微笑むと・・・転移魔法で一瞬で姿を消してしまった―。





4


ノア先輩が去り、地下牢に残されたのは私といつの間にか牢屋の中に入ってきていたヴォルフとの2人きり。何となく重たい空気になってしまい、気まずい雰囲気が流れる。

しばしの沈黙の後・・・ヴォルフが言った。


「迷惑・・・だったか?」


「え?」

何が迷惑だったと言うのだろうか?


「お前とノアの問題なのに・・・つい、俺が余計な口を挟んで話をややこしくしてしまったかもしれないな・・。」


ヴォルフが申し訳なさそうに項垂れた。


「ヴォルフ・・・。」

私は手を伸ばして、そっと項垂れているヴォルフの髪に触れた。


「ジェシカ・・・。俺は・・・。」


ヴォルフは顔を上げて私をじっと見つめる。


「ありがとう、ヴォルフ。」


「?何故・・・礼を・・・?俺はジェシカにお礼を言われるような事はしていない。あいつを挑発したせいで・・・・折角ジェシカが危険を冒してまでわざわざあいつを迎えに来たって言うのに、意固地にさせてしまった・・・。あの男・・魔界に残るつもりだぞ・・・?お前はそれでもいいのか?」


「良くは無いけど・・・でも、もしノア先輩がこの魔界に残って本当に幸せになれるというなら、私はそれでもいいと思ってるの・・。けど・・・。」


「・・・。」


ヴォルフは黙って話を聞いている。


「もし、魔界に残ってもノア先輩にこの先辛い事しか無いのなら・・・何としてでも私はノア先輩を連れて人間界へ戻りたい・・。」


「なあ、ジェシカ・・・。実は・・この話・・・黙っていようと思っていたんだが・・・。」


ヴォルフが躊躇いがちに声を掛けて来た。

「どんな話なの?」


「知ってたか・・・?あいつ・・・魔界へ連れてこられてからずっと魔族の女たちの相手をしてきたんだぜ?」


ヴォルフは私から視線を逸らせながら言った。


「え?!」

私は驚いてヴォルフを見つめた。


「他の魔族の女達から噂で聞いたことがあるんだ・・・。丁度あの男が魔界へ連れてこられた辺りから・・・フレアの屋敷に人間の男が一緒に住むようになったって。実は・・人間を誘拐して魔界へ連れてくる事は重罪なんだ。フレアは・・ノアを魔界へ連れてきた時に・・多分何かヘマをしたんだろうな?アイツをかくまっているのが他の仲間の魔族の女に見つかって・・。それを黙っている代わりに・・口止め料として、女達はノアを自分達の相手をする為に差し出すように言って来たらしいんだ。ただでさえ、俺達上級魔族は数が少ないうえ・・特に男の魔族はとりわけ人数が居ないんだ。だから、尚更人間の男は珍しかったんだろうな?おまけにノアはあの容姿だ。当然魔族の女供は放って置かないさ。」


ヴォルフの声は震えている。・・・・それは一体何の震えなのだろうか?卑怯な手を使ってノア先輩を弄んだ魔族の女達への怒りから?それとも冷たく冷え切った身体の魔族の女達の男娼にならざるを得なかったノア先輩への同情から・・・。

だけど・・・。なんて可哀そうなノア先輩・・・!人間界にいた時から、まだわずか13歳の時から両親に売られて男娼にされてしまった辛い過去があるのに、今度はこの魔界に来てまで・・・。そう言えば・・・私は夢の中でのノア先輩との会話を思い出した。先輩はあの時、私の身体はとても温かいと・・。それは魔族の女性達を比べて言った言葉だったのだ。


「そ、そんな・・・。」

あまりの衝撃に私は頭を抱えた。


「お、おい!大丈夫か、ジェシカ!!」


ヴォルフが、よろめいた私の身体を支えた。


「ヴォ、ヴォルフ・・・。」

私はヴォルフにしがみついた。


「どうした、ジェシカ?」


「だ、駄目だよ・・・・。私・・・やっぱりノア先輩を魔界に残すなんて事、絶対に出来ない・・・!何とか・・何とかして、人間界へ連れて帰らなくちゃ・・・。」


「お、おい!ジェシカ、落ち着け!」


ヴォルフが私の両肩を掴み、覗き込むように言った。


「俺がこの話を聞いたのは・・・・ノアがこの魔界へ来たばかりの頃の話なんだ。最近ではフレアがどうも他の魔族の女達の相手をさせるのをやめさせたようで・・・逆に今迄ノアに相手をして貰っていた女達が不満を口にしている位なんだ。だから・・。」


だから?一体ヴォルフは何を言いたいのだろう。今はノア先輩は男娼をしていないから魔界に残っても構わないだろうとでも言いたいのか?だけど・・・!

「だ、だけど・・・今はそんな事をさせられていないかもしれないけれども、この先は?これからもずっと大丈夫だと言い切れる?」

私はいつしか再び目に涙を浮かべてヴォルフに訴えていた。

「ねえ、ヴォルフ。ノア先輩はね、13歳の時から両親によって貴族の女性達の為に身体を売らされていたんだよ?それがようやく学院へ入学して、寮生活になって・・・やっとそんな暮らしから解放されたんだよ?それなのに・・・今度は魔界でもそんな酷い目に遭っていたなんて・・・!」


「わ・・分かった、分かったよ、ジェシカ。頼むから泣くな・・・お前に泣かれたら俺はどうしたらいいか分からなくなるんだ・・・。」


ヴォルフは私を抱き寄せると苦し気に言った。どうしよう・・・。私はヴォルフの事も今、酷く困らせているんだ・・・。


「ごめんなさい・・・。」

私はヴォルフの胸に顔を埋めると言った。


「何故・・・ジェシカが謝るんだ?」


ヴォルフは私をあやす様に髪を撫でながら言った。


「私・・・今、すごくノア先輩の事でヴォルフを・・困らせてるよね?ヴォルフだってフレアとの間で板挟みになって、すごく辛い立場なのに・・。全部、こんな事になったのは私のせいなのに、私は・・・いつも皆を苦しい目に遭わせてる・・・。ノア先輩にマシュー、そして・・・ヴォルフ。貴方の事も・・。」


すると突然、ヴォルフが言った。


「ジェシカ・・・。前から聞こうと思っていたんだが・・マシューって言うのは・・本当にお前を魔界へ行かせる為に手引きしただけの男・・なのか?本当はここに来るまでに・・何かあったんじゃないのか?」


私を抱き寄せるヴォルフの腕が強まった。ヴォルフは・・・一体何を聞きたいのだろうか・・?


「俺は、ジェシカに困らせられているなんて少しも思っていないぞ?むしろ・・・お前の為に何かしてやれないかと思っている位なんだ。ノアだって、きっとそう思っているだろうし、それに・・・マシューとかいう人物だって・・・きっと俺と同じことを思っていたはずだ。」


「ヴォルフ・・・。」

私を慰めようとしてくれているのだろうか・・?そうだ、私は自分を犠牲にしてまで『ワールズ・エンド』まで連れて行ってくれたマシューとの約束をどうしてもはたさければならないのだ。その為には・・・。何とかフレアを説得しなくては・・!


「ねえ、ヴォルフ。お願いしたい事があるんだけど・・・。」

ヴォルフに声をかけると、彼は私から身体を離して見つめて来た。


「俺にお願い・・?どんなお願いだ?」


「何とか・・・もう一度フレアさんとお話出来ないかな・・?まともに会話が出来た事がまだ一度も無いのよ。ノア先輩の過去を教えてあげれば・・・フレアさんはノア先輩の事を考えて、元の世界へ戻してくれるんじゃないかな?」


「ジェシカ・・・それは無理な話だ・・・。」


所がヴォルフは首を振った。


「何故?」

どうしてヴォルフはそんな簡単に無理だと言い切ってしまうのだろう?そんな私の胸の内が分かったのだろうか、ヴォルフが私の問いに答える。


「俺達魔族は・・・人間とはまるきり考えが違うんだ。自分の利益の為にしか行動しないという冷たい心を持っている。いくらフレアを説得しようとしても・・・無駄だよ。」


「本当に・・・そうなの?魔族は冷たい心を持っているから自分の利益の為にしか行動しないと今ヴォルフは言ったけど・・少なくとも私からみたらヴォルフは十分過ぎるくらい親切にしてくれてるよ?ヴォルフは魔族でも・・心の優しい魔族だよ?だから、きっとフレアさんだってきちんと話を聞いてくれれば・・・。」


「分かったよ。」


黙って私の話を聞いていたヴォルフが、何故か寂しげに私を見て微笑んだ。


「え?ヴォルフ・・・?」


どうして?何故、そんな目で私を見るのだろう?


「何とか、フレアと話が出来ないか・・・俺の方から彼女に頼んでみる。待ってろ、ジェシカ。」


ヴォルフは私の頬を撫でながら言った。


「う、うん・・・。」

ヴォルフの突然の行動に戸惑いながらも返事をした。そしてヴォルフは私の返事を聞くと、頷いて転移魔法で姿を消した―。



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