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ヴォルフの事情

1


「ヴォルフ、貴方に頼みたい事があるのよ。」


ある日の夕方、仕事帰りに俺は突然フレアに声を掛けられた。


「俺に頼み事・・・?」

この女は俺の幼馴染であり、俺の雇い主でもある。フレアはここ上級魔族の社会でも特に階級の高い家柄の出身であり、魔界の門の『花』を守る番人としての重要な仕事にも就いている。まあ、それだけ信頼されているという事だ。

他にも事業を展開していて、俺はフレアが作った<便利屋業>で働く従業員という訳なのだが、フレアから直接依頼を受けるのは初めての事だったのだ。

「珍しいな。と言うか・・・初めてじゃ無いのか?お前が俺に直接仕事を依頼してくるなんて。」


「まあね。ちょっとプライベートな事だから・・・。」


フレアは溜息をつき、長い髪の毛をかきあげながら言った。


「その代わり、いつもの倍以上のお金は払うわ。」


「何?マジかよ。やる、引き受けるに決まっているだろう?」


「そう・・・なら今すぐ第一階層へ行って頂戴。」


「何?今すぐだって?一体何の為に・・・・。」

俺は耳を疑った。何故あんな言葉も通じない、獣同然の魔族しか住んでいない憂鬱な場所に俺が行かなくてはならないのだ?でも破格の金額に目が眩んだ俺は・・・フレアの依頼を受ける事になったのだ。



「全く・・・何だってこんな面倒な事を・・・。」

俺は転移魔法を使って第一階層に着くと、すぐに巨大なオオカミに遭遇した。

うん、これは使えそうだな・・・。俺はオオカミを睨み付けると、一瞬でオオカミは怯んで逃げだして行った。

ふう~ん・・・。そうか、あのオオカミがここ第一階層の門番なのか・・・?まあ多少は知性があるようには思えたが・・・所詮下級魔族でしか無いな。

俺は第一階層の鏡の間へ行く。その道すがら、邪魔な罠は全て破壊しておいた。

何せ、フレアの元へ届ける前に魔界の門をくぐってくる者をくだらない罠で死なせるわけにはいかないからな。


 よし、邪魔な罠は全て破壊した。後は・・・第ニ階層へ続く鍾乳洞へ行かなければ・・。

俺は転移魔法を唱えた―。


俺は今、鍾乳洞の巨大空間に立っている。そして目の前には大きな鏡。

「全く・・・いつ来ても不気味な場所だ。」

俺は陰鬱な気分で独り言を言う。

この鍾乳洞がある第ニ階層は鏡の中を通り抜けると第三階層への牢屋へと続いている。しかし、第ニ階層に住む魔族達はここから第三階層へ進むことが出来るのは知っているが・・・誰一人としてこの鏡を抜けた先は牢屋に繋がっている事実を知る者はいないのだ。

この事実を知っているのは第三階層の上層部の魔族達だけである。

つまり、ここは上級魔族達が自分たちの住む階層に下級魔族達が侵入してくるのを捕える為に存在する場所なのであった。

 

 俺は溜息をつくと、鏡の奥へと入る。

もうじき俺はフレアの命令で、ある者をこの牢屋へ閉じ込めなくてはならないのだ。

全く何て事をあの女は命じて来るのだろう・・・。


 何故そのような真似をさせるのだと問い詰めた所、フレア曰く、自分の大事なペットだったのに勝手に遊びに出かけてしまった。もうすぐこの魔界に戻って来るので、罰を受けさせるためにこの牢屋に閉じ込めるのだとフレアは言ったが・・・。俺はそんな話は絶対に嘘だと思っている。何か別の理由があって、ペットと称している何者かをこの牢屋にとじこめるつもりなのだ。一体どの位の間フレアは捕らえておくつもりなのだ?あの時のフレアは牢屋に入れる相手を相当憎悪しているようにも感じられたが・・・。まさか一生この牢屋に閉じ込めておくつもりでは無いだろうな・・・?

 だから・・・俺にできる事は、せめて少しでもこの牢屋を居心地の良い空間にしてやることだけだ。

 そしてフレアに内緒で用意しておいた毛布やカーペットを牢屋に準備し始めた。

悪いな、俺はフレアの命令には歯向かう事が出来ないんだ・・・・。

俺はまだ見ぬ誰かに心の中で謝罪した―。




 石の牢屋に閉じ込められたジェシカは最初は自分の身に何が起こったのか理解出来ていない様だったが、目の前にはめられた鉄格子を見て、ようやく自分が牢屋に入れられている事に気が付いた。 


「ヴォルフさん・・・。何故・・・・?」


 ジェシカは紫色の大きな瞳を見開いて半分涙目になって俺をじっと見つめている。その表情には絶望と・・・悲しみが浮かんでいた。

 

 俺は今、心の中は罪悪感で一杯だった。最初からこうなる事は分かり切っていたのに、いざ自分が手引きをしてジェシカを牢屋に閉じ込めてしまうと、自分が酷く悪い事をしている気持ちになってしまう。だが・・・ジェシカには事実を告げなければ・・。それがどんなに残酷な事であろうとも。


「・・・だから、言っただろう?」


「はい?」

ジェシカは鉄格子を握りしめながら首を傾げた。


「この魔界では・・・絶対に相手に気を許してはいけない、と。」

俺はジェシカの顔をまともに見る事が出来ず、俯いて唇を噛み締めながら言う。


「ヴォルフさん・・・・。つまり、ここは・・・第三階層って事なんですね・・?」


ジェシカの口から出てきた言葉は意外なものだった。


「え?」

俺は思わず顔を上げた。


「だって・・・言ったじゃないですか。第三階層に着くまでは絶対に私を裏切る事は無いって・・・。だから、ここは第三階層なんですよね・・?」


ジェシカは俺から視線を逸らさずに言う。


「あ、ああ・・・。そうだ・・・。」


「ヴォルフさん。教えて下さい。貴方が自分の意思で・・・私を閉じ込めたのですか?それとも、誰かの命令で・・?」


「そ、それは・・・。」

俺は言い淀む。駄目だ、言えない・・・。何故なら俺がフレアの言いなりにならなければならないのには・・・・!


「・・・分かりました。」


俺が答える前にジェシカが言った。


「え?」


「何か・・答えられない深い事情があるんですよね・・・?短い間しか一緒にいなかったけれども・・ヴォルフさんが自分からこんな事をするような魔族の人には見えませんから・・。」


ジェシカは悲しそうな笑みを浮かべて俺を見た。


「ジェシカ・・・そんな甘い事を言って・・・・・。いいか?言っただろう?俺の事を・・・信用するなって・・。」


「ヴォルフさんを信用するかどうかは自分の意思で決めますよ。自分自身の事だけを信じろって。だから私は・・・自分の信念に基づいて判断します。」


「ジェシカ・・・・。」


名前を呼びかけた時、ジェシカがブルリと震えた。


「どうした?ジェシカ。寒い・・・のか・・?」


俺はジェシカの近くによると鉄格子から手を伸ばしてジェシカの頬に触れた。

冷たい―。まるで氷のように冷え切っている。それに唇は青く染まっている。


「は、はい・・・。正直に言うと・・・す、すごく寒いです・・・。ま、魔界という所は本当に寒い場所なんですね・・。ノア先輩の言った通りでした・・・。」


ノア?今・・ジェシカはノアと言ったか?そう言えば・・・フレアの家に一緒に住んでいる男は確かノアという名前だった。しかも・・あの男は人間だ!ひょっとするとジェシカがこの魔界にやってきたのは・・・。


「ジェシカ・・・そう言えば、今まで一度も尋ねた事が無かったが・・・ひょっとするとお前がこの魔界にやってきたのは・・・ノアという男に会う為だったのか・・?」


「え?!ヴォ、ヴォルフさん・・・彼を・・知っているのですか?!」


ジェシカは、弾かれたように俺の顔を見上げた。


「知ってるも何も・・・。」


そこまで言いかけた時、背後で声が聞こえた。


「ご苦労様、ヴォルフ。ついにその女をここに連れて来てくれたのね?」


「フレア・・・ッ!」

いつの間に背後に立っていたのだ?話に気を取られていて少しも気配を感じる事が出来なかった。


「フレア・・・?」


ジェシカが首を傾げながらフレアを見つめる。


「ええ、そうよ。私がフレア。ノア・シンプソンを魔界へ連れて来た女よ。」


言うと、フレアはこの上無い程に憎悪の籠った目でジェシカを睨み付けた―。





2


 フレアは今迄に見た事が無いほどの憎悪の目でジェシカを睨み付けている。

ジェシカはすっかりその瞳に射抜かれたように身をすくめてしまっていた。

俺はフレアの視線からわざとジェシカを隠す様に鉄格子の前に立った。


「フレア・・・。命令された通りにジェシカをここへ連れて来ぞ。」

そう、命令・・・そこだけ強調するように俺は言った。


「そう、ご苦労様。それじゃもう貴方は下がっていいわ。この人間と話があるから。」


フレアは腕組みをし、牢屋に近付こうとして・・・俺が立ちふさがった。


「どういうつもり・・・?ヴォルフ。」


「フレア。一体・・・ジェシカに何をするつもりだ?彼女はか弱い人間の女だ。俺達魔族とは違うんだぞ?」


「ヴォルフさん・・・。」


ジェシカが息を飲んだように俺の名前を口にした。


「あら?随分心外な言い方ね。大体、この人間が第1階層の迷宮を抜けられることが出来たのは私のお陰なのよ?」


「え?あ、あの声は貴女が・・・・?」


ジェシカの声には驚きが混じっていた。


「ええ、そうよ。私が介入しなければ、貴女は力尽きるまで永遠にあの迷宮から抜け出せることが出来なかったのよ。」


「・・・あ、ありがとうございます・・・。」


ジェシカが礼を言った!おい、何故礼を言うんだ?!お前をこの牢屋に閉じ込めているのは目の前にいるフレアなんだぞ?!


「ふ~ん・・・。一応礼儀はわきまえているのね?」


フレアは腕組みをしながら何処か小馬鹿にしたような言い方をした。

その時、フレアはジェシカが自分を抱きしめるような形で小刻みに震えている事に気が付いた様子で突然声色を変えてジェシカに詰め寄って来た。


「あら?何よ・・・貴女、震えているじゃ無いの。おまけに顔色も悪いし・・・。具合でも悪いのかしら?嫌だわ・・全く。もう、今日は行くわ。いい?明日までに体調を直しておきなさいよ?」


フレアは吐き捨てるように言うと、俺達の前から一瞬で姿を消した。


「お、おい!ジェシカ、大丈夫か?!」


俺はジェシカの手を握り締めた。冷たい・・・まるで氷のように冷え切っている。


「あ・・ヴォ、ヴォルフ・・・さん・・・」


ジェシカは青ざめた顔で俺を見た。


「待ってろ、すぐに温めてやるからな?」

鉄格子を挟んで俺はジェシカを抱き寄せると、自分の身体を発熱させた。

「・・・どうだ?ジェシカ。少しは・・・・温かくなってきたか?」

俺はジェシカを抱き寄せながら尋ねた。


「は、はい・・・。温かくなってきました・・・。」


余程寒かったのだろう。ジェシカの方から俺の身体に身を寄せて来た。


「・・・知らなかったよ・・。」


俺はポツリと言った。


「何がですか?」


「人間が・・・俺達魔族に比べて、ずっと体温が高いって事に・・・。」


「ええ・・・そうなんですよ。私も知らなかったんですけど、ノア先輩やマシューから教えて貰ったんです。


「そうか・・・。」

まただ、ジェシカはまたマシューという名前を口にした。一体何者なんだ・・?

本当にマシューという人物はジェシカを魔界へ行く手引きをしただけの人物なのだろうか・・?自分の心がモヤモヤし、少しだけ苛立ちを感じた。


「ヴォルフさん・・・。」


ジェシカが俺に話しかけて来た。


「ヴォルフでいい。」


俺はぶっきらぼうに言う。


「え?」


「俺の事は呼び捨てで構わない。それと・・・敬語なんか使うな。」


俺はジェシカを強く抱き寄せると言った。ジェシカは不思議そうに俺を見つめていたが・・・。


「うん・・・。分かったわ。ヴォルフ。」


「そうだ、今度からそうやって話せ。」

俺は満足して頷いた。


「ねえ、ヴォルフ。あの女性・・・フレアさんが・・・私をここに閉じ込めるように貴方に命令したんでしょう?」


「あ、ああ・・・。そうだ・・・。」


俺は歯切れ悪く答える。


「・・・すまなかった。」


「ヴォルフ?」


「俺は・・・どうしてもフレアに逆らう事が出来ないんだ。何故なら・・俺はフレアよりも身分が低く、何より俺の父が使えている貴族だから・・・。」


「そう・・。やっぱり魔界にも厳しい上下関係があるのね・・・。」


ジェシカは目を閉じながら言う。


「おい、ジェシカ?どうしたんだ?」

何だか先程からジェシカの様子がおかしい。それに・・さっきまでは身体が氷のように冷え切っていたのに、今ではかなりの熱を持っている。

俺はジェシカの額に手を当てると・・・

熱い!彼女の額はとても熱を帯びていた。どうやらジェシカは風邪を引いてしまったらしい。


「ジェシカ・・・大丈夫か・・?」


俺はジェシカに尋ねてみた。いや、大丈夫なはずは無いだろう。ここは魔界だ。人間界とは全く違う、異なる世界なのだから・・・。

この寒い世界で風邪を引いてしまったのかもしれない。


「ジェシカ?ジェシカ?」


今では完全にジェシカは意識を無くしている。駄目だ・・・こんな状態のジェシカを放って置くことなど出来るはずが無い。

俺はジェシカをそっと床に寝かせると、自ら牢屋の中へと入った。


そして用意しておいた毛布を床に敷き、ジェシカをそこの上に寝かせると、魔法で暖炉を出して、俺の魔力を注ぎ込んだ火を暖炉に灯す。

途端に牢屋の内部は温かい空気で満たされる。


「ジェシカ・・・。お前の目が覚めるまで温めてやるからな?」

そしてジェシカの隣に身体を横たえると、彼女を腕に抱き締めた。

ジェシカの身体はとても小さく、俺は益々罪悪感が募って来る。

華奢で小柄な身体で、第1階層で恐怖で足がすくんでしまっていた白い猫。

ナイトメアに命を奪われかけた時には泣きながら詫びていた姿・・・そしてその後、猫の姿から人間の女へと姿を変えた時の俺の受けた衝撃・・・。

いつしか・・・俺はジェシカから目が離せなくなっていた・・。

俺は腕の中で眠っているジェシカをより一層強く抱きしめるのだった―。




「どういうつもりなの?ヴォルフ。」


牢屋に戻って来たフレアが腰に手を当てたまま不機嫌そうに俺を見降ろして言った。


「どういうつもり?とは?」

牢屋の中で俺は答えた。



「だから、何故こんな牢屋の中に貴方はいるのよ?しかもいつの間にか暖炉まで用意しているし・・・。」


フレアは爪を噛みながら言う。


「フレア・・・。お前・・・ひょっとして何も気付いていなかったのか?」


まさか・・な・?でも念のために確認してみよう。


「気付く?一体何の事?」


フレアはさっぱり分からないと言わんばかりに首を捻る。そ、そんな・・・嘘だろう・・・?


「フレア・・・お前、人間にとってこの魔界が・・・俺達の身体がどれだけ冷たく感じるのか・・・分かっていなかったのか?」


「え?な、何よ・・・その話・・・。」


フレアは一瞬身体をよろめかせた。


「う、嘘でしょう・・・?た、確かにノアの身体は私達魔族よりもずっと温かいのは知っていたけど・・・人間にとっては、そんなにこの世界は・・・私達の身体は冷たく感じていたって事なの・・・?」


「あの人間の男・・・ノアは何もお前にはその話をしたことが無かったのか?」


「え、ええ・・。ある訳無いわ!だって、知っていたらとっくに私は・・何か対策を考えていたもの・・・。」


「ノアは・・・余程お前に気を遣っていたんだろうな・・・。ジェシカには魔界がどれだけ寒くて、辛い場所なのか・・話していたみたいだが?・・・最もどうやって2人がその話をする事が出来たのか・・・俺は知らないがな。」


「くっ・・・・!」

フレアは悔し気に呻くと言った。


「ノアの様子を…見に行って来るわ。」


言うと、フレアは再び牢屋から姿を消した―。






3


フレアが牢屋から去ると、再び辺りは静寂に包まれた。

ジェシカはまだ眠っているが、身体を温めて頭を冷やしてやったのが良かったのか、大分呼吸が楽になっているようだ。


「ジェシカ・・・。すまない。何とかノアをここに連れてきて、2人一緒に逃がしてやるからな・・・。」

俺はジェシカの髪を撫でながら言った。

この牢屋にはフレアによって強力な魔力がかけられている。

俺一人ならこの牢屋を自由に行き来出来るが、ジェシカを連れ出すのは今の俺では不可能だ。

何故ならこの牢屋には死の呪いがかけられている。対象者が無理にここから脱獄を図ろうものなら、その瞬間に心臓が止まってしまうという恐ろしい死の呪いが・・。

その呪いを解除できるのは呪いをかけた本人・・・フレアにしか解けない。

けれど、フレアのあの様子では・・・。

俺は首を振った。

 フレアは異常なほどにノアという人間の男に執着を持っている。こんな事は今迄に無かった。最初はいつもの気まぐれなのだろうと思っていた。何せ容姿もフレア好みの男だったのだから。だけど・・・一緒に暮らしていく内に・・・多分情が湧いたのだろう。人間という生き物は俺達魔族と違い、温かな肌を持っている。その温もりを・・・俺達魔族は無意識のうちに欲していたのかもしれない。

だからこそ、かつては魔界を抜けて人間と家庭を築いてひっそりと暮らす魔族達が後を絶たなかったと言われていたし。

かくいう俺も・・・ジェシカの身体の温もりから離れがたくなっていた。

これは一体どういう事なのだろうか・・・?

そう、まるで恋でもしているかの如く・・・。そこまで無意識に考えていた俺は、愕然となった。

恋・・・?まさか・・・・。

俺は自分の側で静かな寝息を立てているジェシカをじっと見つめた。ひょっとすると・・俺は本当にジェシカに恋をしてしまったのだろうか?だからこそ、この場所から離れる事も出来ず、ジェシカが時々口にするマシューと言う名に嫉妬心をいだいているのかもしれない・・・。


「ジェシカ・・・・・」

俺は眠り続けているジェシカの髪を飽きることなく、ずっと撫で続けた・・・。



 あれから数日が経過した・・・。

すっかりジェシカは元気になり、俺は勝手にジェシカの世話係になっていた。


「ジェシカ、良かったな。風邪が治ったみたいで。ほら、食事を持って来たぞ。」


「ヴォルフ、いつもありがとう。」


ジェシカは笑顔で俺からスープを受け取った。


「ジェシカ・・・。昨日、俺が居なかったときにフレアがここにやってきたんだろう?」


スープを口に運んでいたジェシカは、途端に表情を曇らせて、その手を止めた。

「その表情・・・何かあったな?暴力でも受けたのか?それとも何か嫌な事でも言われたか?」


俺は鉄格子の中にいるジェシカに尋ねた。


「うん・・・。ノア先輩の事を尋ねてみたんだけど・・・絶対に私には会わせないって言われちゃった。でも、こんな事は毎回会うたびに言われ続けていたんだけどね・・・。ただ・・・。」


「ただ?」


俺はその言葉の先を促した。


「もう・・・ノア先輩は人間界にいた時の記憶・・・殆ど無くしたって言われちゃったの。それにね・・・。昨日初めて聞かされたんだけど・・・。フレアさん・・・ノア先輩に結婚を申し込まれているんだって。」


「な・・・何だって?!」

う、嘘だろう?あの気の強いフレアに結婚を申し込むなんて・・・いや、もしかするとそれは全てあの男の策略なのかもしれない。フレアに油断させておいて、いつかこの魔界を逃げ出そうと目論んでいるのでは無いだろうか・・・。


ジェシカは何か思いつめたような表情をして、暫く押し黙っていたがやがて口を開いた。


「でも・・・。」


「でも?なんだ?」


「それが・・・ノア先輩の今の本当の気持ちなら・・・私は・・・尊重してあげたいって思うの。フレアさんが言ってたのよ。もう、私の事も全くノア先輩は覚えていないんですって。人間界へ連れ戻すのを諦めるなら・・・私をここから出してあげるって言ってたのよ。あ、でもヴォルフ。これだけは勘違いしないでね。私は自分が自由になる為にノア先輩を諦めようとは思っていないのよ。だって・・・何故記憶を無くしてしまったんだってノア先輩を責める資格は私には無いんだもの。私自身・・ノア先輩が魔界に行ってしまった直後に先輩の記憶を全て無くしてしまったんだもの。」


ジェシカは悲し気に言った。


「それじゃ・・・何故ジェシカは一度は無くしてしまった記憶を取り戻す事が出来たんだ?」

俺はジェシカに質問した。


「そ、それは・・・。」


急にジェシカが頬を染めた。


「?」

俺は訝しんでジェシカを見ると、彼女は重たい口を開いた。


「ゆ・・・・夢の中で・・・・ノア先輩が私に・・・会いに来てくれたから・・。そ、それで・・夢の中で私はノア先輩にマーキングを・・・付けて下さいって・・お願いして・・・。」



「マーキング・・・。」

俺はその言葉を聞いて呆然とした。そうか・・。だから、フレアはあんなに憎悪の籠った目でジェシカを睨み付けていたのか。そして・・・俺は今になって気が付いた。初めてジェシカに会った瞬間に何処かで嗅いだことのあるような香りだと思った事に。

そう、あれはノアと同じ魔力の香りだったんだ・・・。


 マーキングは対象者への接触が強ければ強いほど、強力なマーキングを相手に植え付ける事が出来る。と言う事は・・・・・。

ジェシカは・・・ノアと情を交わしたことがある・・・のか・・・。

俺はジェシカの顔を見た。・・・ジェシカの頬は赤く染まってる。もう疑う余地は無かった。その様子を見れば一目瞭然だ。

俺は今迄ジェシカの想い人はマシューと言う男だとばかり思っていたが・・・本当は違ったのか?ノアがお前の恋人だったのか?!

そうか・・・なら、尚更俺はお前の為に・・・。

内心、俺は情けない位自分がショックを受けている事に気が付いた。だけど・・俺はジェシカを助けてやりたい。2人が恋人同士だったのなら・・・尚更会わせてやらなければ・・。

何故、ノアが徐々に人間界での記憶を無くしてきているのか俺には良く分かっていた。それはあの男の身体が徐々に魔族の身体へと変化してきている証だ。

・・・今ならまだ間に合う。ジェシカに会わせれば、きっとノアは人間界での記憶を取り戻し、フレアに結婚を申し込む等といった愚かな行動を改めるに違いない。だが・・・フレアには全く隙が無い。

最近ノアの監視に余念が無いのだ。ほぼ四六時中ノアの側から離れない。

今のフレアは魔界の門まで足を運び、そこで七色に光り輝く花を盗みだそうとする輩がいないかどうか監視する仕事をやめてしまった。

その代わり、あの花畑一体に強力な魔法をかけて。少しでも『花』に触れようとする不届き者が現れた際は瞬時に魔法が発動する仕掛けを作ってしまったのだ。

既にこの魔法の餌食となってしまった魔族は片手で足りない程だった。


「どうしたの?ヴォルフ。怖い顔して・・・・。」


考え込んでしまった俺をジェシカは下から覗き込んでいた。


「い、いや・・何でも・・・何でも無いんだ・・・。」

そして俺はジェシカの方に向き直ると言った。


「ジェシカ、必ず近いうちにノアをここに連れて来てやるからな・・・・それまで待っいてくれ。」


「ヴォルフ・・・。ほ、本当に・・・・・・。で、でも・・・フレアさんに歯向かったら・・・。」


ジェシカは目を見開いて俺を見た。


「大丈夫、先の事は何も心配するな。俺が・・・必ず何とかしてやるから・・。」

俺はジェシカに約束した。


そして、その日は意外とすぐにやって来たのだった。この日は上級魔族の会合の日であった。流石のフレアもこの会議だけには絶対に参加しなくてはならない重要な会議だった・・・。

俺はフレアの家を見張っていると、案の定フレアが転移魔法で消え去るのを見た。

よし・・・ついにノアが1人きりになった。


俺はフレアの元にいるノアを尋ね、有無を言わさず転移魔法を使ってジェシカのいる牢屋へ転移した。

待ってろよ、ジェシカ。今、お前の恋人を連れて行くからな―。


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