第2章 2 ナイトメアの悪夢
1
ドサリッ!!
「え?」
背後の大きな音に私は思わず振り向いた。するとオオカミが倒れている姿が私の目に飛び込んできた。
「ね、ねえ!どうしたの?!」
私は慌ててオオカミに駆け寄り、気が付いた。
「酷い傷・・・」
いつの間に傷を負っていたのだろうか?オオカミの左脇腹と右後ろ脚から酷く出血している。ひょっとすると逃げている最中に魔物達の攻撃で怪我をしたのかもしれない。
それにしても・・・こんなに酷い傷を負いながら、私を連れて、ここまで逃げてきたなんて・・・。
私はオオカミの様子を伺うと、彼は荒い息を吐きながら目を閉じている。
もしかして気を失ってしまったのだろうか?
とにかく、今は傷の手当をしなければ。
私はリュックサックから大きなリネンの生地を取り出した。何かの役に立つかもと思い、念のために持ってきていたのだ。
幸いな事に、この洞窟は明るい。洞窟内部は床から壁、天井までが青白く光り輝いている。どうやら自然に発光する鉱石の洞窟なのかもしれない。
私はリネンの生地を手で切り裂いた。この布地でまず傷を塞がなくては・・・。
だけど・・・・・。改めてオオカミの傷跡を見て見ると、かなりひどい事になっていた。逃げる最中、かなり険しい道を走っていたので、傷口はかなり汚れている。
「このまま止血しても・・こんな汚れた傷口じゃ化膿してしまうし・・。」
その時・・・・。
ピチヤーン・・・・。
洞窟の奥の方で水音が聞こえた。え?水の音・・・。ひょっとするとこの洞窟の奥に水が湧いているのだろうか?・・・よし、見に行ってみよう。
私はオオカミの側に行くと耳元で言った。
「少し待っていてね?水があるか探して来るから。」
そして水音の聞こえた洞窟の奥へ、切り裂いたリネンを持って向かった。
「あ!やっぱり!水がある!」
少し歩くと、地面に大きなくぼみがあり、底には水が溜まっていた。中に沈んでいる小石が良く見えるので、かなり澄んだ水だと言える。
私は持っていたリネンを水の中に沈め、軽く絞ると急いでオオカミの元へ戻った。
「ねえ・・・大丈夫?」
呼びかけてみても返事は無い。兎に角まずは先に傷の手当だ。
汚れた傷口をなるべく刺激しないようにそっと、リネンで綺麗に拭き取っていく。そして汚れが取れた傷口に長く切り裂いたリネンで縛る。
「良かった・・・お腹の傷はそれ程酷く無くて。こんなに大きな身体では傷口を縛る事出来ないものね。」
足の傷はかなり深く切れていたので布で縛る必要があったが、お腹の傷はそれ程深くは切れていなかったのだ。
「ふう・・・。」
私は傷の手当てが澄むと、意識の無いオオカミによりかかった。兎に角このオオカミが目を覚まさない事には、これ以上私にはどうしようもない。
そしていつしか私は眠ってしまっていた・・・。
ピチョーン。
いきなり私の顔に冷たい水が降って来た。
「わ!冷たいっ!」
慌てて飛び起きる私。
「い、いけない・・・。私眠ってしまっていたんだ・・・。」
オオカミの様子を伺ってみるが、未だに意識を無くして眠り続けている。
「大丈夫かな・・・?」
私はそっと傷口に触れると呟いた。それにしても・・一体今はいつの何時頃なのだろう?狭間の世界へやって来てからは、私には時間の概念が全く分からなくなってしまっていた。
その時・・・
グウウ~ッ・・・・。
「あ・・・。」
お腹が鳴ってしまった・・・。
「そう言えば、お腹減ったなあ・・・。何か食べ物になりそうなの・・・あるといいんだけど・・。」
私はリュックサックの中身を思い出し・・・首を振った。考えてみれば魔界へ行く準備をしていた時は食べ物や飲み物の事はちっとも考え付かなかったのだ。ああ・・・でもこんな事なら非常食になりそうなチョコレートでも持ってくれば良かった・・・。
「魔界にも・・果物位あるよね・・・?この洞窟の近くに何か果実でも無いかなあ・・?」
私は立ち上がると、洞窟の外へ歩き出した。
「うわあ・・・・。」
私は洞窟の外へ出ると感嘆の溜息を洩らした。ここに連れてこられた時は周りの景色を見る余裕など無かったが、こうして改めて見ると中々壮観な景色であった。
何処までも広がる平原は遠くの方に広大な森が見える。
空の方は相変わらず陰鬱な色をしているが、うっすらと明るく光っている。
「明るく光っている・・・っていう事は今は夜では無いって事なのかな?」
それにしてもこんな事になるなら、もっとアンジュに魔界の様子を詳しく聞いておくべきだった。例えば、魔界の湧き水は飲んでも大丈夫か、魔界には人が食べられる果実が自生しているのか・・・等々。
辺りを見渡していると、左前方に林が見えた。
「あの林・・・果物の成っている木が生えていないかなあ・・?よし、取り合えず・・行ってみよう。大丈夫、きっと私は大丈夫。だって今私の姿は猫なのだから。」
自分に言い聞かせると私は一度洞窟に戻り、リュックサックの中を空にした。
オオカミの様子は・・・相変わらずだ。意識を無くしたまま眠っているのだが、先程に比べると呼吸が随分楽になっているように感じられた。
聞こえてはいないだろうが、私はオオカミの耳元で言った。
「私、この近くに林があるのを見つけたの。今からそこに行って、何か果物でも生えていないか確認してくるから、貴方はここで待っていてね?」
そして空になったリュックサックを背負うと、林に向かって歩きだした―。
「うわあ・・・すごい!」
私は林の中で声を上げた。ここに生えている木にはどれも様々な果実が鈴なりになっていたのである。
例えばリンゴに似たような果実が成っている木があるかと思えば、隣の木はオレンジのような果実が成っている。
「だけど・・・これって普通に食べられるのかなあ・・・?匂いは悪くは無いけど・・・?」
私はもいだ果実を手に取り、鼻に近付けてクンクンと匂いを嗅いでみる。
「そうだ、1個だけ・・・食べずにまずは汁だけ舐めてみようかな?」
私は先ほどもぎ取った果実の内、オレンジに似た果実の皮をむいてみる事にした。
うん、皮は柔らかそうだから、手で剥けない事も無い。
皮をむくと、辺りに柑橘系の良い匂いが漂う。
「よ、よし・・・そ、それじゃ・・少し舐めるだけ・・。」
私は勇気を振り絞って少しだけ果実を絞って舐めてみた。
「・・・・美味しい。」
何これ。すごく甘くて美味しいんだけど!思わず私は残りの果実を口に入れようとして・・・やめた。
「もし、調子に乗って食べた後猛毒で死ぬなんて事になったら大変だものね・・・。取り合えず持てるだけもいだ果実を持ってオオカミの所へ戻らないと・・。」
それに考えてみれば、ここは魔界。どんな魔族が住んでいるかも分からない、私にとっては恐ろしい場所なのだ。
急いでリュックサックに果実を詰め込むと、私は足早に林を後にした。
「ねえ・・・起きてる?」
洞窟に戻って来ると私は入り口で声を掛けてみた。しかし、オオカミからの反応は無い。
「ま・・・まさか、死んでしまったの?!」
私は大慌てで洞窟の中へと駆け込んだ。どうしよう・・・もしあのオオカミが死んでしまったら・・私はもう二度とノア先輩の元へ辿り着けない。いや、それどころか二度とこの世界から抜け出す事が出来ないだろう。
「あ・・・。」
いない、あの大きな身体のオオカミが・・・。ひょっとすると目が覚めて私が居ない事に気付き、探しに出たのだろうか・・・。
私は震えながら先程オオカミが寝ていたであろう場所に近付いてゆき・・・。
「えええっ?!」
思わず大声をあげてしまった。そこには見た事も無い男性が横たわって眠っていたのである―。
2
だ、誰・・・この男の人は・・・?恐る恐る近寄り、改めて見直してみる。
年齢は私と同世代くらいであろうか・・・腰まで伸びた青く長い髪は後ろで1つにまとめている。耳は人間の耳よりは少しだけ大きく、先端が心なしかとがって見える。そして独特なのはその肌の色。青みを帯びて、うっすらと光を放っているようだ。
綺麗な肌・・・。思わず見惚れてしまった。でも殆ど人間とは大差ない外見のように見える。この人も・・・魔族・・・?
服装は白いシャツに茶色のベストにボトムス、そして足は皮のブーツ・・・え・・?
その時私は気が付いた。この男性は右足を怪我しているのか、血が滲んだリネンを足に巻き付けている。
ま、まさかこれって・・・?
私は眠り続けている青年の顔をまじまじと見つめた。
青く長い睫に切れ長の青い眉・・・・そして長く美しい青い髪・・・。
ま、まさかこの男性は・・私をここまで連れて来てくれた・・オオカミ・・?!
本当は今すぐにでも彼を起こして、何者なのか問い詰めたい。けれども時折苦し気に唸りながら横たわっている彼を無理やり起こして質問するなんて事は到底出来るはずが無い。
「ううう・・・。」
青年は苦し気に時折唸っている。傷口が痛むのであろうか?
私は額に手を当ててみると、驚く程に熱を持っている。熱が出ているのかもしれない。
リネンを切り裂いて、手頃な大きさにすると先程の湧き水のある場所へ急いで向かった。水にリネンを浸して絞ると、それを持って青年の元へ向かう。
「大丈夫・・・?しっかりして・・。」
私は青年の額に絞ったリネンを乗せ、ずり落ちないように手で押さえてあげた。
頭が冷えて少しは楽になったのか、青年の苦痛の表情が少しだけ和らいだように感じる。だけど、こんな岩肌でゴツゴツしたような場所で大怪我を負った状態で寝ているのは非常に良く無い状態だと思う。けれども今の私にはこれ以上どうしてあげる事も出来ない。こんな事なら荷物が増えても薄手の毛布くらいは持って来るべきだったな・・。
私は青年の側に座って膝を抱えると言った。
「どうかお願い・・・早く良くなって・・・。」
・・・喉が渇いたな・・・。
あれからどれくらい時間が経過したのだろうか。青年は一向に目を覚ます様子は無いし、洞窟の中に居ても時間の感覚がさっぱり分からない。・・一度洞窟の外に出れば様子が分かるかな・・?
青年をチラリと見ても今のところ大きな変化は見られない。少しくらいこの場所から離れても大丈夫そうだろう。私は立ち上がると、洞窟の外へ向かった―。
「う~ん・・・。困ったな・・。これじゃちっとも時間の感覚が分からないわ。」
空を見上げて私は溜息をついた。
相変わらずどんよりとした空は少しだけ明るく光っている。全く変化が無い空だ。
マシューが言った通り、魔界の空は何とも言えず・・・とても寂しいものだった。
「マシュー・・・。」
私はポツリと呟いた。第2階層へやってきて、今初めてマシューの事を思い出した。
いや、意識的に思い出さないようにしていたのかもしれない。何故ならマシューの事を思い出すだけで、胸が締め付けられそうに苦しく、切ない気持ちになるのだから。
ビュオッ!!
その時、突如一陣の強い風が吹いて私は舞い上がる髪の毛を押さえて目を閉じた。
そして次に目を開けた時・・・目の前に魔物の姿があるのを目にした。その姿はまるでライオンのように巨大な鳥であった。その外見は何処となくハゲタカのようにも見える。
巨大な鳥は私を見るとくちばしを開けて言った。
<何だ?貴様は・・・・ここは俺の縄張りだ。早く出て行けっ!>
眼前にいる巨大な鳥の姿に私は恐怖で身がすくんでしまった。で、でも・・・この洞窟の奥には意識を無くした彼がいる・・・!
「ど・・・どうかお願いです・・・。この洞窟の奥には怪我をした人が意識を無くして眠っているのです。その怪我人が目を覚ますまで、こちらに置いていただけないでしょうか・・・?」
私は震える声で必死に懇願した。
<何だと・・・?!俺の聖域に他の奴が勝手に入り込んでいるだと・・?!>
巨大鳥は私の言葉にますます怒りが増したようで大きな羽をはばたかせながら言った。
<ゆ・・・許せん・・・っ!今すぐ捻りつぶしてくれる・・・!まずは・・貴様からだっ!!>
巨大長は羽をばたつかせて空中に舞い上がると、上空でピタリと止まり、突然私に向かって急降下してきた。
こ、殺される―っ!!
「た・・・助けて・・・マシューッ!!」
恐怖で目を閉じ、咄嗟に今はいないマシューに私は助けを求めて叫んでいた。
すると突然私の額が今迄に無い位、熱い熱を持ち、それが一筋の光となって巨大鳥に向かって放たれた。
<ギャアアアアアッ!!>
光に身体を貫かれた巨大鳥は耳を塞ぎたくなるような恐ろしい咆哮を轟かせながら、地面へ真っ逆さまに落ちて行き・・・。
ドガアアアッンッ!!
激しい音と共に地面に叩きつけられた。
「・・・・。」
何が起こったのか訳が分からない私はその様子をただ茫然と眺めていたが、やがて我に返り、恐る恐る巨大鳥に近寄ってみた。
地面に半分以上頭から突き刺さった身体はピクリとも動かない。まさか・・・落下したショックで死んでしまったのだろうか・・。
試しに長い棒きれを拾って、突いてみるが無反応だ。どうやら偶然?にも私はこの魔物を倒したようだ。う~ん・・・これがRPGの世界だったら、きっとレベルが上がって強くなれたはずなのに、生憎ここはその様な世界では無いので、私は結局弱いまま・・・。だけど・・私の額から放たれたあの光は・・間違いない・・!
マシューの言葉が蘇って来る。
<俺の守りの加護がきっとジェシカを守ってくれるはずだ。だから心配する事は無いよ。俺の事を信じてくれるほどに、その加護は強くなるから。必ず君を守ると誓ってみせる。>
マシューの言った言葉はこの事を意味していたのだ。死してもなお、マシューは私の事を守ってくれている。・・・・でもこの加護は何時まで続くのだろう・・・。もうマシューはこの世にはいない。だからいきなり加護が消えてしまう・・・なんて事もありえるかもしれない。
もし・・・彼が・・・。私は後ろを振り返った。
青年はまだ目を覚ます様子はない。もし、このまま彼が目を覚まさなかったら・・?いや、それどころか目を覚ますことなく彼が死んでしまったら・・・?私はたった1人でノア先輩の待つ第3階層に行かなくてはならなくなるのだ。急がなければ・・・マシューにかけられた加護の魔法の効力が切れてしまう前に、なんとしてもノア先輩の元へ・・・!考えてみれば私は相手の居場所が何処か分かるマジックアイテムの鏡を持っていたのだ。これを使えば私一人でも第3階層に行く事が可能なはず・・。
私は青年の元へ行ってみた。相変わらず彼は眠り続けているが、少しは顔色が良くなっているように感じる。それなら・・・。
リュックサックから取って来た果実を全て取り出すと、私は恐る恐る林の中で皮をむいておいた果実を少しだけかじって食べてみる。
ゴクン。
あ、美味しい。
「・・・・・・・。」
少しだけ待ってみても身体に特に異変は無い。
「良かった・・・・。これは私でも食べられる果実だったんだ・・。」
私は眠り続けている青年の側に自分が取って来た果実の半分以上を置いた。
そして残りは自分のリュックに戻して、背中に背負う。
「ごめんなさい・・・。本当は貴方の目が覚めるまでは側にいてあげないといけないんだろうけど・・。」
私は青年の前髪にそっと触れながら言った。
「一刻も早くノア先輩の元へ行かなくてはならないの・・・・。だから・・先に行かせてね・・。」
そして私は立ち上がり、洞窟の外へ向かって歩き出したその時。
「何処へ行く?」
背後から突然声をかけられ、気付いた時には私は青年の腕に囚われていた。
「たった1人きりで一体何処へ行くつもりだ?」
見上げると、青年の目は金色に怪しく光り輝いていた―。
2
青年は私を羽交い締めにしたまま離さない。そして金色に光る目でじっと見つめている。
「あ、あの・・・わ、私は・・・。」
「勝手にいなくなるな。俺はお前を第3階層まで必ず連れてくるように命じられているんだ。分かったか?」
「は、はい・・・。」
コクコクと私は頷く。すると青年は溜息をつきながらようやく私を離すと、その場に崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですかっ?!」
私は慌てて青年の側にしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
「全く・・・何故俺が・・こんなお前のような奴を相手に・・・。」
青年は苦しそうに眉をしかめながら私をじろりと睨みつけながら言った。う・・た、確かに私は何一つ頼りにならない人間だけども・・・。
「・・・す、すみません・・・。」
何も言い返す事が出来ずに謝罪するしか無かった。すると青年が少し狼狽えたように言った。
「あ・・・そ、その・・すまん。きつい言い方をしてしまって・・・。お前が俺の傷の手当てをしたんだろう・・?」
青年は自分の足に巻かれたリネンを指差して言った。
「は、はい・・・。酷く出血していたので・・・せめて止血だけでもと思って。」
「そうか。」
フイと青年は私から視線を逸らすと言った。洞窟の中で彼の顔色は、より一層悪そうに見えた。
「あ、あの・・・。まだ具合が悪いんじゃないですか?」
遠慮がちに尋ねると青年は言った。
「具合・・ね。悪そうに見えるか?」
何故か逆に質問してくる。
「はい・・・良いようには見えませんけど?傷口・・そんなに痛むのですか?」
「いや・・・。違う・・・。単なる・・・魔力・・切れ・・だ・・・。」
青年は答えると、再び目を閉じてしまった。
「え?あ、あの!どうしたんですか?!」
驚いて顔を覗き込んだ私は息を飲んだ。さっきよりますます顔色が青ざめ、薄っすらと光っていた肌は今ではその光すら消えていた。
どうしよう、確か意識を失う直前に魔力切れと言っていたけれども・・・そう言えばマリウスが私を連れて実家まで転移魔法を使った時、魔力切れで死にかけた事があった。その時・・・私が魔力を分けてあげたんだった・・・。でも、彼は魔族。私は今目の前で倒れている彼に魔力を分ける事が出来るのだろうか・・?
そう言えば、マシューが私に魔界の魔力を分けてくれていたっけ。
果たしてうまくいくのだろうか・・・。
「マシュー・・・。貴方が折角私に分けてくれた魔族の魔力・・・彼に渡してもいいよね・・・・?」
その瞬間、私に額が一瞬熱くなった・・・・気がする。まるでマシューが返事をしてくれたかのように感じられた。
私は倒れている青年の手を両手で握り締めると心の中で願った。
<お願い、どうか・・・私に中にあるマシューが分けてくれた魔族の魔力を全てこの彼の元へ・・・・!。>
こんな方法で魔力を渡せるとはちっとも思えなかったが、今の私にはこの方法しか考えが付かなかった。後はもう祈るしかない。
すると・・・ある異変を感じ始めた。
私の体の中からまるで温かい熱のような物が湧き出て来るのを感じた。そしてその熱はやがて指先に移動し、握りしめている青年に流れて行くのを私は感じ取る事が出来たのだ。
これって・・・魔力が彼に元へ流れて行ってるって証拠・・?やがて、私はどんどん身体がだるくなってくるのを感じ・・そのまま酷い眠気が襲ってきて・・・いつしか眠ってしまった―。
ピチャン・ピチャン・・・。
何処かで水音が聞こえる・・・。重たい瞼を薄っすらと開けて私は目を見開き、目の前に青年がいて私に腕枕をするような恰好で眠っている事に気が付いた。
え?こ、これは・・・一体どういう事?!
思わず身じろぐと、青年がパチリと目を開けた。
「ああ・・・起きたのか?」
「は、はい・・・!」
か・顔が・・・近い・・・!慌てて身体を起こす私。すると青年も身体を起こし、私の方を見ると言った。
「おい。お前が・・・俺に魔力を分けてくれたのか?」
「え?!」
驚いて青年を振り向く私。それじゃ・・・彼が意識を取り戻したのは、やっぱり私の中の魔族の魔力がうまい具合にこの青年に流れ込んでくれたのだろう。
「もう・・身体は大丈夫なんですか?」
「ああ、お前のお陰で大分身体が楽になった。」
何を考えているのか良く分からない表情で言う青年。
「そうですか、なら早速第3階層へ向けて・・・。」
そこまで言いかけて私はグラリと眩暈を起こし、倒れ込みそうになった。
「危ない!」
咄嗟に私を支える青年。
「あ・・・ありがとうございます・・・。」
「全く・・・無茶をするな。いいか?お前は俺に自分の魔力を渡したんだぞ?自分でも気づいていないかもしれないが、それはかなりの量の魔力だったんだ。その証拠に・・・。」
青年は私を地面に降ろすと、おもむろに自分のシャツをはだけて、お腹の部分を見せた。
「!」
突然の彼の行動に私は驚いたが、それ以上に驚きの事実を目にした。
彼の腹部に出来ていた傷が綺麗に消えていたのだった。
「き・・傷が・・消えてます・・ね・・?」
私はまじまじと彼の傷があったと思われる場所を見た。
「ああ、そうだ。さっき気が付いた。ついでに言えば・・・多分足の傷も治っていると思う。全く痛みを感じないからな。」
言いながら、青年はシャツを元に戻した。
「お前・・・何者だ?」
「え?」
「魔力を分け与えると同時に、傷まで治すなんて・・・並大抵の事じゃこんな事は出来やしない。」
青年は金色に光る眼で私をじっと見つめる。
「は、はあ・・・。」
この青年の元の姿はあの巨大なオオカミなのだ。だからだろうか・・・ただこちらを見ているだけのはずなのに、物凄い圧を感じる・・。
「まあ、猫のくせに言葉を話すしな・・・。それに・・お前は何だか不思議な存在だ。人間界の魔力も感じられる・・。それに人間界以外の不思議な空気を身に纏っているんだよな・・・。本当にただのネコなのか?」
「へ?猫?」
そこまで言われて、私はピンときた。そう言えば・・・私は魔女のアイテムで猫に見える魔法のアイテムを身に付けていたのだった!猫耳のカチューシャに、猫のしっぽ・・・。それじゃ、今の今迄この青年は私の事をただの猫だと・・・?
どうしよう?本当の事を言うべきだろうか?でも・・・ただのか弱い猫だと思わせていた方が、私にとっては何かと都合が良いかもしれない。
「どうした?ブツブツ呟いて・・。」
「い、いえ。何でもありません。」
「まあ、離れ離れになったご主人様に早く会いたい気持ちは分かるが、そんなに焦るな。」
「へ?ご主人様?」
「ああ。お前のご主人様がお前を連れて人間界に出掛けた時に、そこではぐれてしまったんだろう?お前は人間界に取り残されてしまったが、何とか自力で魔界にまで戻って来れた。そしてそのお前をご主人様の元へ送り届けるまでが俺の仕事だ。・・そう聞いているが?」
「は、はあ・・・。」
え?一体何?その話は?誰がそんな出鱈目な話を・・・・もしかしてノア先輩が作った話なのだろうか・・・?という事は、あの時の声の主はひょっとするとノア先輩だったの・・?
私は目の前の青年をマジマジと見つめた。私はこの青年を今の今までノア先輩の使い魔か何かと思っていたが・・・ひょっとするとノア先輩は彼の雇用主なのだろうか・・?臨時に雇われたのかなあ・・?
「何だ?そんなにじっと見られても、今すぐには出発は出来ないぞ。俺の魔力もまだ完全に戻っていないし、第一お前だって完全に魔力が切れているじゃないか。これでは無事に第3階層まで辿り着くなんて不可能だ。取り合えず今日はこの洞窟で休んでいくぞ。」
そして奥に置いてある果実を指さすと私に言った。
「・・おい、あの果実はお前が取って来たのか?」
「は、はい・・・。お腹が空いていたので・・。」
「ふ~ん・・・。」
青年はジロジロと私を見つめて来る。し、しまった・・・。猫があんなに沢山果実を持ってきたなんて怪しまれるかも・・・。
「・・貰っていいのか?」
青年が遠慮がちに尋ねて来た。
「は、はい!どうぞ!」
良かった!変に思われていない様だ!
「よし、それじゃ・・一緒に食うか・・?」
そこで初めて青年は笑った。それはまるで子供の様な無邪気な笑顔に見えた―。
3
「あの~貴方のお名前を教えて戴けませんか?」
2人で私の取ってきた果実を食べながら遠慮がちに尋ねてみた。
「あ?俺のお名前が知りたいのか?」
青年は果実を飲み込むと私を見た。
「はい、名前が分からないと貴方をどう呼べば良いのか困るので・・・。」
「ふ~ん・・・。まあ別に名前ぐらい名乗ってもいいけどな。俺の名前はヴォルフだ。」
「ヴォルフさん・・・ですか。色々ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。」
ペコリと頭を下げた。
「・・・猫のくせに礼儀正しいんだな・・・。しかも随分賢いようだし・・・。だから飼い主は必死になってお前を自分の元に連れてくるように俺に頼んできたのか・・。」
ヴォルフは神妙な面持ちで私を見つめた。それにしても・・先程から飼い主と言ってるのが妙に気になってしまう・・・。よし確認してみよう。
「あの~・・・その、先程から話している飼い主って・・・名前はノア・シンプソですよね?」
「いや、俺はお前の飼い主の名前は知らない。顔と住んでる場所は知ってるけどな。」
え?名前を知らない?そんな馬鹿な・・・。それとも魔界では名前という物は大して重要では無く、特に無くても困らない世界なのだろうか?
「その方って男性ですよね?」
「いや、女だ。」
「はああ?!」
え?私を第3階層まで連れてくるようにヴォルフに頼んだのはてっきりノア先輩だとばかり思っていたけど・・・もしかして違うの?それともノア先輩は女性のように綺麗な顔をしているから勘違いしているのかもしれない。
・・・でもこれ以上追求すればヴォルフに怪しまれてしまうかもしれないので、この話はこの辺で辞めておくことにしよう。
「おい、何だ?今のはああ?ってのは?」
ヴォルフがジロリとこちらを見ながら尋ねて来た。
「いえ、なんでもありません。この果実が余りにも美味しくて変な声を上げてしまいました。」
咄嗟に胡麻化した私。
「そうか。・・・所で何故お前は1人で行こうとしたんだ?」
金色に輝く瞳でヴォルフは私をじっと見つめながら言った。
「あ、あの・・・そ、それは・・・。」
どうしよう・・まさか貴方がもうこのまま死んでしまったのかもしれないと思ったので1人で先へ進もうと思いました・・・何て言えるはずが無い。
「大体、お前のようにか弱い奴が第3階層まで辿り着けることが出来ると思っていたのか?まして、第1階層に住む魔族達は知性など殆ど持ち合わせていない、本能だけで生きているような恐ろし魔物だと言う事は知っているだろう?いくらただの猫でも、ちょっとでも奴らの気を引こうものなら餌にされていたぞ。」
「そう言えば・・・ヴォルフさんは第1階層にいましたよね。わざわざ私を第1階層まで迎えに来てくれたんですね。」
「いや、そう言う訳では無い。俺の本体は第3階層にある。精神体だけを飛ばして近場にいたあのオオカミに憑依させただけだ。まあ・・・最も今は正真正銘、これは自分の身体だけどな。」
「え・・・そ、それではあのオオカミは・・・?」
「あれは第1階層に住む下級魔族だ。俺が憑依した途端、精神を乗っ取られてあのオオカミの魂は消滅したよ。」
な、なんと恐ろしい・・・!魂が消滅?それってつまりヴォルフが憑依した途端、あのオオカミは死んでしまったって事だよね?!いわば彼がオオカミを殺したも同然。
それを平気で言ってのけるとは・・・。私は目の前にいる金の瞳のヴォルフが怖くなってしまった。
「ん?どうした。急に震え始めたようだが・・・?」
「い、いえ!な、何でもありません!」
私の異変に気付いたのかヴォルフがにじり寄って来た。ひえええ!こ、怖いからこっちに来ないで欲しい!咄嗟に半歩後ろに下がる私。
「いや。何でも無い事は無い。お前・・・ひょっとして寒いんじゃないか?猫は寒がりだっていうしな・・・。」
さらに距離を詰めて来るヴォルフ。だ、だからこっちに来ないでってば!
じりじりと壁際に追い詰められる私。そして・・・。
「ハ・・・クションッ!!」
くしゃみが出てしまった。う・・・実は確かにヴォルフが言った通り、本当は先ほどから寒くて堪らなかったのだ。魔界は元は人間の私にとってはすごく寒い世界、ましてや水が天井から落ちてくるような洞窟では尚更寒い。相当分厚い防寒着を着こんでいる物の、寒い物は寒い!。
「ったく・・・仕方が無いな。」
ヴォルフは言うと、突然私の腕を掴み自分の所へ引き寄せた。
え?
そして私をギュッと抱きしめると言った。
「今、俺の身体から暖気を放出してやるから暖まれ。どのみち俺もお前も今は魔力不足だから第3階層に向けて出発するのは今夜はもう無理だ。」
「え・・・今は・・夜なんですか・・・?」
私はヴォルフの腕の中で質問した。
「ああ、そうだ。だから・・今夜は寝ろ。大丈夫、俺が温めてやるから凍死する事は無い。それに魔族が襲ってきても、所詮ここは魔界の第2階層。俺の敵じゃない。」
「はい・・・。」
あれ・・あんなにヴォルフの事怖いと思っていたけど・・・規則正しいヴォルフの心臓の音を聞いていたら、次第に安心感が芽生えて来た。それに身体もすごく温かくなってきたし・・・何だか本当にこのまま眠れてしまいそうだ・・・。そう思っている内に徐々に私の意識は薄れていき・・・・そのまま眠りについてしまった―。
「ジェシカ・・・・ジェシカ・・・・。」
夢を見ているのだろうか・・・誰かが私の名前を呼んでいる・・・。
そこは美しい花畑だった。
「誰・・・?私を呼んでいるのは・・?」
「ジェシカ・・・こっちだよ・・・。」
私は声のする方へ向かって歩いて行くとそこには・・・。
「ジェシカ、会いたかったよ・・・。」
何とそこに立っていたのはマシューだったのである。
「え・・?う、嘘・・でしょう・・・?だ、だってそんな・・・マシュー。あ、貴方は・・死んでしまったんじゃ・・・?」
「嘘じゃ無いよ。ジェシカ。俺だよ、マシューだよ。もう一度、愛しいジェシカに会いたくて・・・気付いたらここに立っていたんだよ?」
マシューは笑顔で言った。
優しい声、穏やかな笑顔・・・ああ、ここにいるのはマシューだ。
「マ・・・マシューッ!」
私は泣きながらマシーに駆け寄り、抱き付いた。そんな私を優しく抱き留めてくれるマシュー。
私はマシューの胸に自分の頬を擦り付けて言った。
「ごめんなさい、マシュー。私のせいで、貴方をあんな酷い目に・・・。で、でも・・良かった・・・・。マシュー、生きていたのね・・・。」
「ジェシカ・・・。俺はね・・・ジェシカに会う為なら・・・何度だって・・・。」
急に突然マシューが私を抱きしめる腕を強めると言った。
「何度死んだって・・蘇ってくるよ・・・。」
「え・・・?」
その言葉に背筋がゾクリとする私。そして恐る恐るマシューを見上げると、いつの間にかマシューの顔色は土気色に変わり、口元からは赤い血が流れている。そして目は酷く血走っていた。
さらにいつの間にか、そこは無数の墓石が並ぶ墓場へと変わっていた。
「キ・・・キャアアアアアッ!!」
思い切り私はマシューの身体を突き飛ばした。すると大きくよろめくマシュー。
「ジェシカ・・・酷いじゃ無いか・・・。君の為に俺はこんな身体になってしまったっていうのに・・・。」
見るとマシューの身体には深々と剣が突き刺さっており、そこからおびただしい血が流れている。
「イ・・イヤアアアアッ!!」
余りの恐ろしい光景に再び私は悲鳴を上げた。
「ジェシカ・・・俺を怖がらないでよ・・・。1人は寂しいんだ・・・。俺と一緒に来てよ・・・。」
その声はとても生きている人間の声には思えない。
「マ・・・マシュー・・・。わ、私を・・・う、恨んでるの・・?巻き込んで貴方を死なせてしまった私を・・・?」
私は涙を流しながらマシューに問いかけた。
「恨んでいるかって・・・?そうだね・・・。俺がどれ程君を愛していたかは知っていたよね・・・?そんな俺の気持ちを踏みにじって、君はノア先輩を選んだんだ・・。恨んでいるのは当然だろう?」
マシューはゆらゆらと身体を左右に揺すりながら私に語りかける。その言葉のどれもが私の心を深く抉ってゆくようだった。
「ごめんさない、ごめんなさい・・・。」
私は頭を抱えて謝り続けると、すぐ耳元で声がした。
「だったら、俺と一緒にこっちに来てよ。俺の住む世界でずっと一緒に2人で暮らそう。」
「ひ!」
いつの間にかすぐ側にマシューは立っていた。そして私の肩に手を回したその時・・・。
「ジェシカッ!!」
え?誰?
顔を上げると、何とそこに立っていたのはヴォルフだったのだ。
「ジェシカ!目を閉じろっ!!」
ヴォルフが突然叫ぶ。
「チッ!」
マシューが大きな舌打ちをした。え?舌打ち・・・?一瞬違和感を感じたが、私は言われた通り、ギュッと目を閉じた。
途端に視界が一気に眩しく光り輝くのを感じた。
「ギャアアアアアーッ!!」
およそマシューの口から出てきたとは思えない恐ろしい断末魔の声に私は思わず耳を塞いだ。
やがて・・徐々に薄れていく私の記憶―。
「ジェシカ・・ジェシカ・・・!」
気付くと私はヴォルフの腕の中で揺すぶられながら声を掛けられていた。
「あ・・・?ヴォ、ヴォルフ・・・さん・・・?」
薄っすらと目を開けるとヴォルフが言った。
「すまなかった、ジェシカ・・・。でも、無事で本当に良かった!」
ヴォルフは私の両肩に手を置くと言った。
「え・・・?わ、私・・一体・・?」
周囲を見渡すとそこは先ほどの洞窟だった。
「え?私・・・墓地にいたはず・・・なのに・・。」
するとヴォルフは言った。
「いや、違う。ジェシカ・・・お前はずっとここにいた。あれは・・夢だったんだ。ジェシカ。お前は・・・『ナイトメア』に狙われていたんだ。」
「え・・・?ナイトメア・・・?」
「そう、ナイトメアだ。悪夢を見せる事によって、魂を奪う魔族の事だ・・・。油断していた。ここが第2階層の魔界だって事を・・・。」
「え・・・それじゃ、私が今迄見ていたのは・・夢だった・・の・・?」
「ああ、奴らは寝ている相手の心の中に入り込み、一番相手が気に病んでいる事を引き出して夢の中で恐怖を体験させる。そして魂を奪うんだ・・・。」
「そ、そんな・・・。」
私は自分の両肩を抱きかかえた。だ、駄目だ・・・怖すぎて震えが止まらない。
「大丈夫だ、ジェシカ!あれは・・・単なる夢だ・・。だから気にするな!」
ヴォルフは言うと、私を安心させる為か強く抱きしめて来た。すると、その拍子に私の猫耳のカチューシャが外れ・・・。
「ウ・・ウワアアアッ?!」
今度はヴォルフが悲鳴を上げる番だった―。




