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第3部 第1章 1 狭間の世界のジェシカ

1


「マシュー・・・マシュー・・・。」

門の前で地面に座り込み、私は泣き続けた。胸を剣で貫かれて、あんなに沢山血を流しては、恐らくマシューは助からない。私の見た悪夢が現実化されてしまったのだ。もうあの穏やかな声で名前を呼ばれる事も無ければ、優しい眼差しを向けてくれる事も・・・。

私が巻き込んでしまった。私に関わりさえしなければ、今もマシューは生きていられたのに・・。いや、マシューだけでは無い。マシューを助けに戻って行ったレオだって、無事かどうかも分からない。


 あの時、レオが私の手を引いて門の前まで来ると呆然としていた私を叱咤し、鍵を渡すように言ってきた。そして門を開けると私だけを中に入れて扉を閉めて・・・。

レオはマシューを助けに戻って行った。必ず私に無事に魔界へ辿り着いて絶対にノア先輩を連れて戻って来いと言い残し、レオはマシューの元へ・・・。

ひょっとするとマシューだけではなく、レオも、そしてライアンも・・?

後から後から悪い考えばかりが頭に浮かび、涙が止まらない。



 その時・・・。


「ねえ、お姉さん。いつまで泣いてるの?何がそんなに悲しいの?」


背後で小さな子供の声が聞こえた。ま・・まさか魔物?!

一気に緊張が高まり、後ろを振り返る。すると、そこには背中から蝶のように大きな羽を生やした金の長い撒き毛が可愛らしい4~5歳程度の女の子が立っていた。


「あ・・・あなたは・・・?」

涙を拭いながら尋ねた。


「私?私はフェアリーよ。この森は私の家なの。」


「森・・・?」

そこで私は初めて辺りを見回した。『ワールズ・エンド』に残してきた大切な人達の事で頭が一杯で、今自分が何処に居るのか気にも留めていなかったのだ。

そこは鬱蒼とした木々に覆われた森で、色々な鳥の鳴き声が聞こえてくる。空を見上げると、不思議な事に金色に輝いていた。


「い、一体ここは・・・?もしかすると・・・『狭間の世界』・・?」

思わず口に出して呟くと、フェアリーは言った。


「『狭間の世界』って何の事?ここは神獣や妖精達の住む世界だよ?でも時々、神獣達は人間の世界に呼ばれているけど・・・。ねえ。ひょっとしてお姉さんは人間なの?何だかお姉さんの身体には色々な匂いがついていて分かりにくいけど・・?」


「え?に・匂い?」


「そう、匂い。ここの住人と同じ匂いもするし、魔界の匂いもする・・。それに、何だか嗅いだことの無い匂いもするから。」


「う、うん。一応人間だけど・・・。」


「うそーっ!この世界に人間が来るなんて・・・初めてよっ!」

フェアリーと名乗る少女は興奮を隠せない様子で私に人間の世界はどんな所なのかと色々質問をしてきた。そして私がその質問に答える度に目をキラキラさせて話に聞き入ってくれている。私も目の前の少女のお陰で、少しだけ悲しみが癒えたので少女に礼を言った。


「ありがとう・・・。貴女のお陰で・・・少しだけ元気を分けて貰えたわ・・。」


「そう言えば、お姉さん・・・。どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?ほら・・見て。お姉さんの心が泣いているから雨が降って来たよ?」


少女は手の平を空に向けて言った。


「え?」

私は思わず上を見上げると、金色に輝く金の粒が空から地上に向けて降って来た。


「こ・・・これが雨・・?」

まるで光のシャワーのようだ。私は立ち上がって空を見つめた。そうだ、私はいつまでも泣いてばかりではいられない。マシュー・・・そしてレオと約束したのだ。必ずノア先輩を魔界から連れ出して戻って来ると・・・。でも、これからどうすれば良いのだろう?誰に頼めば魔界へ無事に行く手助けをお願い出来るのだろうか?

私は目の前にいる少女に尋ねた。


「ねえ、この世界で一番偉い人って誰なのか教えて貰える?」


「え?一番偉い人・・・?う~ん・・・。そうなると・・・やっぱり国王様かなあ・・?あ、あのね。実は国王様ってずっと不在だったのよ?でもつい最近、ようやく戻って来てくれたの。とっても素敵な方なのよ。」


フェアリーは嬉しそうに話す。


「不在って・・・どの位不在だったの?」

私が尋ねると、少女は指を折って数えていく。


「う~ん・・。300年位かな?」


「300年?!」

これには流石の私も驚いた。もしかするとこの狭間の世界の人達は物凄く長生きなのかもしれない。ちなみに・・・この少女の年齢は幾つなのだろうか?


「あ、あの。貴女は何歳なの?」


「私?私は120歳なの。」


「ひゃ・・・120歳?!」

そ、そんな!どう見ても5歳程度にしか見えないのに・・・。

敬語を使って話す事にしよう・・。



 フェアリーに案内されて私は森の中を少女に連れられて歩いている。フェアリーは歩くよりも空を飛んでいる方が楽なのだろうか。蝶のように大きな羽をヒラヒラさせてフワフワと飛ぶ姿はとても可愛らしく、120歳には到底思えない。


「ねえ、そう言えば・・・貴女の名前は何て言うの?」


前を飛んでいるフェアリーが尋ねて来た。


「あ、すみません。そう言えばまだ名乗っていませんでしたよね。私の名前はジェシカ・リッジウェイです。」


「え?何?その話し方?」


前を飛ぶフェアリーは訝し気にこちらを見た。


「え・・だ、だって年齢が120歳と聞いてしまえば・・私よりもずっと年上の方なので・・。」


「私は120歳だけど、まだまだ子供よ。長老なんか2000歳を超えてるんだから。」


20000歳?!もはやそれは樹齢と同じだ!もう開いた口が塞がらなかった。


「そう、だから私がまだまだ子供だって事は分かった?だからそんな口調で話すの辞めてね。ジェシカ。」


「う、うん・・・。分かったわ。所で・・・その国王様のいる場所って、ここから近いの?」

もうかれこれ20分近くは歩いているので、いささか疲れた私はフェアリーに尋ねた。


「う~ん・・・。どうかな?多分後4時間位歩けば着くと思うけど・・・。」


「そうなんだ、後4時間・・え?ええっ?!よ、4時間も歩かないと着かないの?!」


「うん、そうだよ。え?どうしたの?」


その場に座り込んでしまった私にフェアリーが声をかけてきた。


「無理・・・。」


「え?」


「無理、絶対に無理!そんなに沢山歩けないから!」

自分でも我儘を言ってるのは分かっているが、彼女は妖精。かたや私は魔法の1つも使えない、只の人間。しかもジェシカの身体はあまり運動が得意では無いようなので長時間の運動も出来ない身体なのだ。

それに、本来なら今の時間は人間界でいえば真夜中に当たる時間だし・・時差ボケ?もいい所だ。


「あ・・・ああ!そうか、ごめんね。ジェシカ。別に歩く必要も無かったよ。ごめんね。サークルを使えば良かったんだっけ。」


「サークル・・・?」


私は立ち上がるとフェアリーに尋ねた。


「そう、サークル。見ててね。」


フェアリーは突然右手の人差し指で空中に丸い円を描いた。すると空中に光り輝く穴が空き、そこから立派な白亜の宮殿が見えた。


「うわあ・・・なんて綺麗なお城なの。」

思わず感嘆の声を上げるとフェアリーが私の腕を掴むと言った。


「さあ、行こうよ。ジェシカ。」


「え?ち、ちょっと待ってよ!」

私が制止するのも聞かず、フェアリーは金色に光輝くサークルの中に飛び込んで行った。


ぽん。


輪を潜り抜けた先は・・・城の中だった。あれ?目の前にシャンデリアが見える・・?え?目の前・・?!


「あ、ごめんね。出る場所、ちょっと目測謝っちゃった。そう言えばジェシカは飛べないんだったよね?」


「キャアアアアーッ!!」


フェアリーの言葉を耳にしながら、落下していく私。

駄目だ、ぶつかる―!!ああ・・・こんな形で私は死んでしまうのだろうか・・・?

まだノア先輩も助け出せないうちに・・・。今までの出来事が走馬灯のように蘇る。

私は床にぶつかる寸前、ギュッと目をつぶり・・・・。


身体がピタリと空中で止まるのを感じた。


「待ってたよ、ジェシカ。」


すぐ側で誰かが私に声をかけてくる。え・・・?誰・・・?


私は恐る恐る目を開けた―。




2


え・・・?誰?目を開けた私の目の前には見た事が無い青年が立っている。

その場所は巨大なダンスホールのような場所だった。

大理石の床はピカピカに磨き上げられ、床に敷き詰められた赤いカーペットには金糸で、見事な薔薇の刺繍が施されている。まるで王子様と御姫様が出て来る御伽噺の世界観の様なお城であった。


「全くフェアリーにも困ったものだね。ボクがいなかったら、今頃ジェシカがどうなっていたか・・・。」


 青年はため息を付きながらフェアリーを少しだけ睨みつけた。すると怒られるとでも思ったのか、フェアリーは挨拶もしないで姿を消してしまった。


 私は目の前に立っている青年を改めて見つめた。

マリウスと同じ白銀の髪は背中まで届く長さ、陶磁器のような白い肌に赤い瞳はまるで宝石のように光り輝いている。そして女性とも見間違うような美しい容姿・・。

一体この人は誰・・・?


「会いたかったよ。ジェシカ。」


青年は私にほほ笑みながら言った。


 え、笑顔が眩しすぎる!美しいお城に美しいプリンス・・・。こんなの場面は私の書いた小説には全く出て来ていない。もはや、この世界は私の書いた小説では無く、全くの別物の話になってしまっている。


「あの・・・。私の事、ご存知なのですか?それとも何処かでお会いしたことがありましたっけ?」


 私の周りはイケメンだらけだが、この青年は違う。明らかに群を抜いた美しさだ。これ程の美形なら絶対一度でも会えば忘れるはずは無いのに・・・生憎私の記憶の中にはこの青年は存在しない。

すると青年は一瞬キョトンとした表情を見せるが、突然グイッと私の腕を掴んで引き寄せると、顔を近付けてきた。

か・顔が近い・・・・。目が眩みそうだ。


「ねえ、ジェシカ。本当にボクの事・・・分からないの?」


青年が少しだけ悲しそうな表情になる。う・・・な、何だか酷く責められているような気分になってきた。

「は、はい・・・。すみません・・・。」


すると青年が言った。


「あ、もしかしてジェシカなんて呼ぶからボクの事が分からないのかな?それじゃ、こう呼んでみたらボクの事分かるかな?会いたかったよ、ハルカ。」


「え?」

今、この青年は私の事を何と呼んだ?ハルカ・・・?この世界で私の事をそんな風に呼ぶ人は、たった1人しかいない・・。ま、まさか・・・。

「ア・・アンジュ?アンジュなの・・・?」

震える声で青年に呼びかけてみる。すると彼はパアッと笑顔になると、私の両手を強く握りしめて言った。


「そうだよ!やっと思い出してくれたんだね、ハルカ。ボクは・・・アンジュだよ。君がこの世界にやって来るのを待っていたんだから。」


「ほ・・・本当に・・・?アンジュなの・・?」


私は今も信じられない気持ちでアンジュを見つめた。アンジュと別れて、まだ一月も経過していないのに、どうしてこんなに成長しているのだろう?不思議なのはそれだけでは無い。アンジュは・・・・女の子だったはずでは?!

「アンジュ・・・あ、あなた・・ひょっとして女装癖のある男の子だったのね?!」

私は思わず叫んでしまった。


「え・・・?」

すると露骨に嫌そうな表情を浮かべるアンジュ。うん、でもやはりどんな表情をしても美形は絵になるなあ・・・。


「まあ・・いいよ。立ち話も何だから、座って話しをしよう。」


アンジュがパチンと指を鳴らすと、今まで大ホールの中に居たはずだったのに、突然その場が応接室へと早変わりしていた。嘘?!いつの間に?


「さあ、ハルカ。座って。」


アンジュは嬉しそうに自分の隣の席に座るようにポンポンとソファを叩いた。

う~ん・・でも隣同士だと話しにくい気がするなあ。

そう思った私はアンジュの目の前のソファに座ると、彼は悲しそうに目を伏せた。


「そうなんだ・・・ハルカはボクの隣に座るのは嫌なんだね・・?」


「ち、違うってば!た、ただ話をするなら向かい合わせになった方がいいでしょう?」


「うん・・・。ハルカがそう言うなら別に構わないけど・・・。」


しょんぼりした顔を見せるアンジュ。その姿にはやはりあの当時のアンジュの面影がある。

・・・それにしても・・・私は先程からある違和感を感じていた。

ここはアンジュが教えてくれた『狭間の世界』で間違いは無いだろう。

でも・・何故?どうして私はここにやって来たのだろう?何だか酷く重要な何かを忘れてしまっている気がする。それは絶対に忘れてはいけない大事な事だったような気がするのに・・まるで先程から私の頭に靄がかかっているようだ。


「どうしたの、ハルカ。ぼんやりした顔して。」


不意にアンジュが声をかけてきたので、私は現実に引き戻された。

「う、うううん。何でも無い。でも・・アンジュ。あなたって男の子だったのね。」


するとアンジュからは意外な返事が返って来た。


「違うよ。」


「えええ?!だ、だって今・・・。男の子じゃ無いって・・・。」


「正確に言うとね・・・。あの時、ボクは性別が無かったんだよ。」


アンジュは意味深な笑顔で答えた。


「せ・・性別が無かった・・・の・・?ま、まるで天使みたい・・。ならさっき会ったフェアリーも性別が無いの?」


「違うよ、彼女はれっきとした女の子。性別が決まっていなかったのは、この世界の王になるボクだけだったんだよ。」


え・・・ちょっと待って。今アンジュは何と言った。この世界の王になる人物には性別が無い、そしてアンジュには性別が無かった・・・と言う事は・・・。

「あ・・・アンジュがこの『狭間の世界』の王様って事なの?!」


「うん、そうだよ。ハルカと出会ったのは王になる前、見聞を広げる為に人間界へ勉強に来ていた時だったんだよ。ボクたち、代々王になる者は生れた時は性別が無いんだ。そして、王を引き継ぐときに自分の性別を決める事になっているんだよ。大体、性別は旅の途中で出会った人達の影響を受けて、男か女か分かれるんだけどね・・。ちなみにボクの一つ前の王は女性だったんだよ。」


 私は信じられない思いでアンジュの話を聞いていた。あの美少女のアンジュが今は美しい青年になっていたという事実もそうだが、一番驚いたのはアンジュが『狭間の世界の王』であるという事実だ。


「ところで・・・。」


不意にアンジュが立ち上って、私の前に跪くと言った。


「どうしてボクが男性の姿になったか分かる?」


言いながらアンジュは私の両頬に手を添えると瞳を覗き込むように尋ねて来た。


「さ、さあ・・・?な・何故でしょうか・・・?」

何だろう?急にアンジュの雰囲気が変わったような気がする。


「それはね・・・。」


言いながら、アンジュの顔がどんどん近付いてくる。え・・・?


「・・・・。」



気が付くと、私はアンジュに口付けされていた。余りにも突然の出来事で私は身体が固まる。


すると、そんな私の様子に気が付いたのか、アンジュは私から唇を離して妖艶に笑った。


「フフフ・・・驚いているみたいだね。ハルカ?」


一瞬、ボ~ッとしていた私だが、すぐに気を取り直してアンジュに言った。


「な・な・な・・・・いきなり何するの?!」

両手で口元を押さえ、咄嗟にアンジュから距離を取ると私は抗議した。今、私の目の前にいるアンジュは紛れも無い、立派な成人男性だ!


「何って・・・?親愛を込めたキスをしただけだよ?挨拶みたいなものだよ。」


お道化たようにアンジュは言う。


「あ、挨拶・・・。」

私はドキドキする胸元を押さえながら言った。そうか・・・この『狭間の世界』では挨拶はキスなのか。・・・なかなか私にとってはハードルが高い挨拶だ・・・と思っていると、突然アンジュが笑い出した。



「アハハハハ!ねえ・・・挨拶って・・・ハルカ、本当にキスが挨拶だと信じちゃったの?そんなはずないでしょう?ハルカの事が好きだからボクはキスをしたに決まってるじゃないの。ボクが性別を男にしたのはね・・・ハルカ。君をボクのお嫁さんにしたいと思ったからなんだよ?」


アンジュは私にとんでもない事を言って来た―。




3


え?今アンジュは私に何と言った?私をお嫁さんにしたいって言ったの?

「アンジュ・・・。」

私の目の前に跪いているアンジュに声を掛けた。


「何?ハルカ?」


笑顔で答えるアンジュ。


「え~と・・・ついさっき・・・私に何て言ったの?」

うん、ひょっとしたら聞き間違いかもしれない。


「え?何?もう一度同じ台詞言って貰いたいの?それじゃ言うね。ハルカ、ボクのお嫁さんになって下さい。」


とびきりの笑顔で私にプロポーズするアンジュ。


「ごめんなさい。」


「え・・ええええっ?!いきなり即答するの?!何故?!」


余程アンジュはショックだったのか、大きく後ろによろめいた。


「どうして?!ボクの何処が駄目なの?!ハルカをお嫁さんにする為に男になったのに!」


あの~そういう言い方は・・・酷く語弊を感じるのだけど・・。

「何処が駄目と言われてもね~。う・・・ん。アンジュの事は結婚相手の対象としてみる事が出来ないし・・・。」

私の言葉を聞いて、さらにショックを受けたのか、心なしかアンジュの顔色が青ざめている。


「そ、そんなあ・・・。」


あ、アンジュ・・・・半分涙目になってるよ。だけどねえ・・・自分よりも美人な?男性と結婚してもみじめな気分になって来るし、第一、私の中のアンジュは未だにあの美少女なアンジュのイメージしか無いのだから。

何と言えば納得してくれるのか・・・。腕組みをしながらアンジュを納得させる理由を考えていると、不意に真剣な顔でアンジュが私に問いかけて来た。


「ねえ・・・ハルカ。本当は・・・愛している男性がいるんじゃないの・・?だからボクのプロポーズを受けてくれないんでしょう?」


え・・・?

私に愛する男性が・・?その言葉を聞いた時、私の頭の中にある男性が浮かんできたが・・・霞みのように一瞬で消えてしまった。

今脳裏に浮かんだ男性は誰だったのだろう・・・?私にはすごく大切な誰かがいたはずなのに、頭の中に靄がかかったように思い出せない。でも、名前も顔も分からないその人を思うだけで、胸が切なくなり涙が出そうになって来る。どうして・・何も思い出す事が出来ないのだろう。そもそも、私は何故この世界に来ているのか今となっては分からなくなってしまった。


「ど、どうしたの?ハルカ。」


突然涙ぐんだ私を見てアンジュが心配そうに顔を覗き込んできた。


「う、うううん。何でも無い。」

慌てて私は涙を拭いながら尋ねた。

「ねえ、アンジュ。私・・・聞きたい事があるんだけど・・・。いい?」


「うん、何?聞きたい事って?」


「私・・・どうしてこの『狭間の世界』へやって来たんだっけ?」


「え・・・?」


私の言葉を聞いてアンジュの顔色が変わった。


「ちょ、ちょっと・・ハルカ。一体何を言って・・・・。」


「それがね・・この世界に来たばかりの頃は、何故ここに来たのか分かっていたはずなのに、何だかどんどん記憶が薄れていって・・・。今は理由が思い出せないのよ。」


「ハルカ!」


突然アンジュが私の両肩を掴み、瞳を覗き込んできた。

「な?何?」

睫毛が触れるのでは無いかと思う程、顔を近付けてくるアンジュ。余りにも美しい顔に見惚れかけ・・・。


「ねえ、ハルカ。この城に来る時・・・何処を歩いてきたの?」


真剣な表情で尋ねて来る。


「え?何処って言われても・・・確か門の側にある森の中を・・・。」

あれ?ここに来た目的は忘れたのに、どうして何処を通って来たのかは覚えているのだろう?そもそも自分の名前もアンジュの事もしっかり覚えているし、自分が何処の誰かも分かっている。それなのに、肝心な理由が・・・何故ここへやって来たのかだけはどうしても思い出す事が出来ない。


「・・・忘却の森だ・・。」


え?今・・アンジュは何と言ったの?


「ね、ねえ・・。アンジュ。忘却の森って一体・・・?」

私が言いかけると、急にアンジュが言葉を重ねて来た。


「ハルカ、今日はこの世界にやって来たばかりだから疲れたでしょう?今ハルカの為にお部屋とお風呂を準備させるよ。その後、2人で一緒にディナーを取ろう?

何、遠慮はしなくていいよ。だってこの城にいるのはボクと使用人達だけしかいないから安心して。」


「お風呂・・・。ディナー・・・。」

ああ、なんて素敵な響きなのだろう。確かに今の私は酷い恰好をしているし、疲労困憊だ。ここはお言葉に甘える事にしよう。


「ありがとう、それじゃ・・・。」


私が言いかけると、突然目の前にメイド服を着た青くて長い髪の女性達が音もなく現れた。

うわっ。びっくりした。

その数は全部で8人で、何故か全員同じ姿をしている。それに・・よく見ると彼女達の耳は極端に大きく、先がとがっている。

こ、これは・・・ファンタジー小説でよく描かれる「エルフ」と呼ばれる人たちなのでは?!


「お呼びですか?アンジュ様。」


1人のエルフがお辞儀をしながら言う。ええ?!いつの間に呼んでいたの?!


「この客人の為に、お風呂と客室を準備してあげてくれ。」


アンジュがメイド達に向かって言う。おおっ!その口調・・・先程までとは全く違う。どことなく・・・王様?としての威厳すら感じる。


「はい、かしこまりました。」


エルフたちは一斉に頭を下げると、現れた時と同様、一瞬でその場から姿を消した。


「ああ、びっくりした。やっぱり、アンジュって王様になったんだね。」


「うん、そうだよ。だけど、一体急にどうしたの?そんな事言いだして。」


「ちょっとね~。さっきの物の言い方に威厳を感じたから・・・。ねえ、所でさっきの話の続きだけど・・。『忘却の森』って・・何の事?」

私はアンジュの服の袖を掴みながら尋ねた。


「え?何?『忘却の森』って?」


白を切るアンジュ。

「ちょ、ちょっと!アンジュから先に言い出したんじゃない!『忘却の森』って。」


「いいや、言ってないよ。そんな言葉。忘却の森って何の事だい?」


「!だから、それは・・・。」

あれ・・・?何の事だっけ・・・・?私、何をこんなにイライラしているの?


「いいかい、ハルカ。忘却の森の事は・・・忘れるんだ。」


まるで暗示をかけるかのようにアンジュが私の耳元に囁く。

「忘却の・・・森の事は忘れる・・・。」

私もアンジュの言葉に続く。


「そう、そしてハルカ。君は、ボクの花嫁になる為にこの『狭間の世界』へやってきたんだ。」


「私は・・・アンジュの花嫁になる為に・・・『狭間の世界』へやって来た・・。」

ああ・・何だか頭がクラクラしてきた。そう、きっと私がこの世界へやって来たのはアンジュに会う為。そして・・・私が愛している人も、目の前にいるアンジュ・・。


 だけど・・・どうして胸が苦しいのだろう?何かとても悲しくて辛い事があったはずなのに、決して忘れてはいけない重要な事があったはずなのに・・・。

でも・・・今となっては、もうどうでもいい。

だって、私はアンジュと結婚してこの世界で幸せに暮らしていくのだから―。


そこで私の意識はプツリと途切れた。


次に意識が戻った時、何故か私は美しい紫色のドレスに身を包み、豪華なディナーのテーブル席についていた。


「え?え?私・・・いつの間に?」

慌てて辺りをキョロキョロ見渡すと、向かい側の席にはアンジュが座っていた。


「どうしたの?ハルカ。突然辺りを見渡しちゃって。」


嬉しそうにクスクス笑いながらこちらを見つめている。


「ア・・アンジュ・・・。わ、私・・さっきまで応接室にいたよね?それがどうして急にこんなドレスを着て、ディナーの席に・・・。」


「いやだなあ、ハルカ。寝ぼけてるの?さっきからずっとボクたちはこの席で素敵なディナーを楽しんでいたじゃない。ほら、乾杯するんでしょう?」


「え?あ!」

気が付けば私は右手にワインが満たされたグラスを手に持っていた。う、嘘でしょう?!


「それじゃ、乾杯しようか?」


アンジュは笑みを浮かべて、私のグラスに自分のグラスを打ち付けた―。





4


アンジュが用意してくれた部屋はとても可愛らしい部屋だった。

部屋全体が薔薇をイメージして作られているのだろうか?カーテンも床に敷かれているカーペットも、部屋の調度品、家具・・・それら全てが薔薇のモチーフで飾られている。部屋全体のカラーは淡いパステルピンクで統一されていた。


「うわあ・・・。なんて乙女チックな部屋・・・。」

アンジュに用意された部屋を見て私は思わず開いた口が塞がらなくなってしまった。


「どう?気に入ってくれた?ハルカをイメージしてこの部屋を用意させたんだよ?」


アンジュが私の両肩に手を置きながら言った。


「私のイメージ?」


「そう、ハルカは薔薇の花が良く似合いそうなゴージャスなイメージだからね。まさに君にぴったりのお部屋だよ。どう?気に入ってくれた?」


「うん、勿論。こんな素敵な部屋をわざわざ用意してくれるなんてありがとう。」

笑顔でアンジュに応える。そうか、私のイメージは薔薇なのか。・・・荷が重い。私はそれ程大層な人間では無いし、美形のアンジュの隣に立てば随分目劣りしてしまいそうなのに。


「それは当然だよ。だってハルカはボクのお嫁さんになる人なんだから。」


「私は・・・アンジュのお嫁さんに・・・。」

アンジュの言葉に続けて言うが、どことなく違和感を感じる。何故なのだろう・・・?

しかし、私の感じた違和感に気付く様子もなくアンジュは私の前髪をかきあげて、額にキスすると言った。


「今日は疲れたでしょう?今夜はここでゆっくり休んでね。明日はこの世界をボクが案内してあげるよ。」


「あ、ありがとう。アンジュ。」


「うん、それじゃお休み。」


アンジュは微笑むと私を部屋に残し、去って行った。


「ふう・・・。」

部屋に1人きりになると私はベッドの上に寝転がった。・・・凄いスプリングの効いたベッドだ。今跳ね上がったよ。

天井を見上げながら、私は思わずつぶやいていた。

「本当に私・・・アンジュと結婚する為にこの世界に来たのかなあ・・・?」

いくらアンジュの花嫁になると言われても、ちっともピンと来ない。だけどその理由を説明する事すら今の私には出来なかった。大体私はアンジュに好意を持っているとは思えない。何故なら一緒に居ても、ときめきもなければ胸が切なくなるような感情も湧いてこないのだから。でもある人を思えば、胸が締め付けられる程に切ない気持ちになり、会いたい、ずっと側に居たいという気持ちに駆られる。だけど、その人物が誰だったのか私には少しも思い出す事が出来ない。

「貴方は・・・誰・・・?」


思わず呟いた時・・・。

 

ポンッ

まるでポップコーンが弾けるような音が部屋の中央で鳴った。慌てて起き上がると、そこに現れたのは私をこの城に案内してくれたフェアリーであった。


「こんばんは。ジェシカ。」


フェアリーは金の粉を振りまきながら空を飛んで、ベッドの上に乗っていた私の前まで飛んできた。


「あ!あなたは!」

城迄案内してくれたのは感謝するが、高さ10mはあろうかと思われる空中に瞬間移動させられたのは謝って貰わなければ。あの時アンジュが居なければ、今頃私はどうなっていたか・・・。


「ねえ、フェアリー。城迄連れて来てくれた貴女には、とても感謝しているけど、あれはちょっと無いんじゃない?私はあなたと違って空も飛べなければ、魔法も使え無いんだからね。」

早速私は抗議した。見た目は小さな子供だけど、本当の年齢は120歳なんだから、これ位強めに言っても大丈夫だよね?

するとフェアリーは舌をペロリと出すと言った。


「ごめんね。ジェシカ。私、まだあの魔法上手に使えなくて。でもおかしいなあ。ジェシカの身体からは2つの魔族の力を感じるから、てっきり魔法を使えると思ったんだけどなあ・・・。」


え?

フェアリーの言葉に私の心臓の音が高鳴る。

2つの魔族の力・・・?

まるで底なし沼に沈み込んでい私の記憶がほんの少しだけ、浮き出てきたような感覚に襲われる

顔は分からないけど、2人の男性のシルエットが一瞬脳裏に浮かんで・・・すぐに消えてしまった。今のは一体・・・?

私がボ~ッとしている様子に気付く事も無く、フェアリーは喋り続けている。


「それにしても、ジェシカ。すっかり元気になったようで良かったわね。門の前で初めて見た時は、あんなに沢山泣いて、この世界に雨まで降らしてしまった位なのに。あのまま泣き続けていたらあの森に酷い目に遭わされてたかもよ?」


「え?ちょっと待って。私・・・・泣いてたの?それに一体何?泣き続けていたら森に酷い目に遭わされていたって?どういう事なの?」


「まさか・・・ジェシカ、森の中で泣いていた事覚えていないの?あ!まさか・・・。い、いけない!内緒だったんだっけ!」


私の話を聞いたフェアリーは驚いた様に口を開きかけ・・・咄嗟に両手で口を押えた。え?ちょっと何?!何だか、すごく怖いんですけど!それに何?内緒の話って。気になるじゃ無いのよ。

「ね、ねえ!途中で黙らないで最後まで教えてよ!は、話しを途中で辞められたら・・こ、怖いじゃ無いの!」

私はフェアリーの両肩を掴むと言った。流石に迫力に押されたのか、フェアリーが観念したかのように重い口を開いた。


「あのね・・・絶対私から聞いたって事は・・・王様には言わないでよ?」


フェアリーは上目遣いに私を見ながら言った。


「アンジュに?何で?」

首を傾げて尋ねたが、フェアリーは私の口を両手で塞ぐと言った。


「だから、しーっ!だってば。ここだけの話なんだからね?!」


口をフェアリーに塞がれたまま、私はコクコクと頷く。


「ふう~。仕方ないなあ・・・。」


フェアリーは溜息をつくと言った。


「ジェシカを見つけたのは門の前だったの。覚えていないかも知れないけど・・ジェシカは『ワールズ・エンド』からやってきたんだよ?」


「ワールズ・エンド・・・。」

何故だろう?その言葉を聞くと、すごく胸がざわつく。


「ジェシカは誰かにこの世界に押し込まれると門を閉められて、その場で泣き崩れてしまったんだよ?マシュー、マシューって呟きながら・・・。」


「え?マシュー?」

ドクン。

私の心臓の音が一際大きく鳴った気がした。マシュー・・・?何故だろう?その名を思い浮かべるだけで、胸が苦しくてたまらなくなる。なのに・・・その人物を少しも思い出せなくてもどかしくて堪らない、それと同時に以前にも同じような経験をした記憶がある。ああ、もう頭の中がぐちゃぐちゃになって気持ちが追い付かない。


「ねえ、ジェシカ。大丈夫?顔色が悪いけど・・・?」


フェアリーが私の異変に気付き、声を掛けて来た。


「うううん、大丈夫。それより・・・、森に酷い事されるってどういう事?」


「あの森はね、生きてるんだよ。」


フェアリーは言う。生きてる・・・?どういう意味で言ってるのだろう?


「うん・・・確かに森は生きてるよね?だって木々も草花も皆生きているんだし・・。」


「違う、そいう言う意味じゃ無いってば。あの森はね、意思を持ってるの。だってこの世界の門番はあの森なんだから。」


「門番・・・?」

何故だろう?その言葉にもすごく何かが引っ掛かる。


「そう、門番。あの森はね、門からやってくる侵入者を見張っているの。例えば邪悪な心を持った侵入者が来れば捕まえて、自分たちの森の1つとして取り込んでしまうの。そして・・・悲しい、辛い記憶を持って、この世界にやって来た者達は・・記憶を消されてしまう・・・。この世界はね、誰かの悲しい感情によって雨が降るんだけど、『森』はこの世界の雨を凄く嫌うから。」


フェアリーは恐ろしい事を言った―。


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