マシュー・クラウド ③
1
昨日、ジェシカは学校に来なかった。どうやら風邪を引いてしまったらしい。
具合はどうなのだろう?今日も休みなのだろうか・・・?
それにしてもたった1日ジェシカに会えなかっただけで、こんなにも喪失感を味わう事になるとは思わなかった。
もっと彼女と親しければ・・・お見舞いの手紙でも書いて女子寮へ届けられたのだろうが、生憎ジェシカとはクラスさえ違う。もし仮に俺からお見舞いの手紙でも届こうものなら、何故違うクラスの俺が休みなのを知ってるのだろうと訝しく思われてしまうのでは無いだろうか・・?そう思うと手紙を書く事が出来なかった。
溜息をつくと、男子寮を出た。
すると・・・。
「マシューッ!」
何とジェシカが再び茂みの中から飛び出してきたのだ。余りの不意打ちと嬉しさの余り、一瞬どんな反応をすれば良いのか分からなくなってしまい、ついジェシカにかくれんぼでもしてたのかい?とくだらない質問をしてしまった。
しかし、彼女の口から出てきた言葉は感動的だった。
マシュー、貴方を待っていた事位分かっているでしょう―?
天にも昇る気持ちと言うのは、正にこういう事を言うのかもしれない・・。
ジェシカは少し話がしたいと言う事で、何故か俺のクラスへとやって来た。
そしてクラスの連中は俺がジェシカに手を引かれ、自分たちのクラスへ入って来たので、全員がギョッとした顔つきで俺達に注目した。
しかし・・・当の本人、ジェシカはそれに気付く様子もなく、俺の隣の席に座って話しを始めようとして・・・。
そこで初めて俺達がクラスの連中から注目を浴びている事に気が付き、何故自分たちがこれ程注目されているのか、尋ねて来たから驚きだ。
やはりジェシカは全くの無自覚だったのだ。自分がこの学院でどれ程有名人なのか、どれ程他の男子学生達の憧れの存在であるかという事に・・・
だから無自覚のジェシカに教えてあげる事にした。どれ程自身が魅力的な女性であるかという事に。
それにしても・・・このクラスの男子学生達・・・特に、二度に渡って襲撃して来た連中は先程から怖ろしい形相でこちらを睨み付けて来ている。全く・・ジェシカの前でそんな怖い顔をしないで欲しい。そんなに人間と魔族のハーフの俺が憎いのだろうか・・?俺と交流する事によって、彼女が俺を襲撃した彼等に目を付けられるのも困る。
そこで自分からジェシカに伝えた。
俺が人間と魔族のハーフの為にクラスメイト達からは、あまりよい目で見られていない事を・・・。
すると、俺の話を聞いたジェシカは何故か突然謝罪をしてきた。
私のせいで、すごく今迷惑をかけているかも・・・と。え?そこはジェシカが謝る所じゃ無いだろう?でも・・・ここまで俺の事を親身に思ってくれる人は身内以外は居なかった。ジェシカが初めてだった。思わず胸に熱いものが込み上げて来るのを感じ、それを胡麻化すためにわざと明るく言った。
「そんな事気にする必要は無いって。それにクラスメイトから憧れのジェシカ・リッジウェイと親し気に話せる俺を羨望の眼差しで見てくる視線も悪くは無いし。」
それでもジェシカは何か言いたげにしている。でも・・これ以上心配されると、理性が崩壊して、気丈に振舞えなくなりそうだ。もうこの話はここで終わりにさせないと・・・。
「それより、ジェシカ。俺に何か用事があるんだろう?そろそろ授業も始まるし、要件を教えてくれないかな?」
すると、ジェシカは自分が何故俺のクラスにやって来たのかを思い出したようで、催眠暗示を解く方法を尋ねて来たのだ。え?催眠暗示?一体・・・誰が暗示にかけられているのだろう?ジェシカに尋ねると、暗示にかけられているのはドミニク公爵だったらしい。そして暗示をかけた人物はソフィー。
ジェシカに取ってドミニク公爵はそれ程大事な人なのだろうか・・・?
彼女がドミニク公爵をどう思っているのか知りたくなり、鎌をかけてみた。
「そうか。君の大切な男性がソフィーに奪われてしまったんだね。」
ジェシカは果たして、何と答えるのだろうか・・?頬を染めて肯定でもされようものなら、立ち直れないかもしれない・・・。
しかし彼女の回答は俺を安心させるものだった。
ドミニク公爵は大切な相手には違いないが、異性として大切な相手という訳では無いとジェシカは答えてくれた。それを聞いて心の底から安堵した。
良かった・・・!ドミニク公爵は特別な誰かでは無いんだ・・・!
その後、ドミニク公爵がどんな催眠暗示をかけられているのかを知る為に、昼休みにジェシカのクラスに行くので、ドミニク公爵を引き留めておくように頼んだ。
けれど、まさか昼休みにあんな大騒ぎが起こるとは・・あの時の俺には想像もつかなかった・・・。
朝の朝礼が終わった後に、教師が俺の所へやって来た。
「マシュー。本日の昼休みに学院長の元へ行ってくれ。」
「え?昼休みにですか?」
まずい・・・ジェシカと約束しているのに。
「何だ?その顔は?何か用事でもあるのか?」
担任の男性教諭は怪訝な顔で俺を見る。
「い、いえ、特に予定はありません。」
参ったな・・・咄嗟に嘘をつく。
俺は学院の教諭たちからもあまりいい目で見られていないから、拒否する事も出来ない。仕方が無い・・・。ジェシカには取り合えず、昼休みに詫びだけ入れに行く事にしよう・・。
「それで、学院長はいったいどのような要件で俺を呼んだのでしょう?」
「ああ、来週、聖剣士になる為の試験があり、昼休みに説明会があるそうなんだが、君にも立会人になってほしいそうだ。あ、そうそう、今年は隣のAクラスから2名選出されるそうだ。アラン・ゴールドリック王子とドミニク・テレステオ公爵が選ばれた。ついでだからお前達3人で昼休みに学院長の元へ行ってくれば良いだろう。」
それだけ言うと、教諭はさっさと教室を出て行ってしまった。
まあ、俺の予想通りアラン王子は聖剣士に選ばれる事は分かり切っていた。
けれど・・・
「ドミニク・テレステオ公爵・・・。」
思わずその名前を口に出していた。ソフィーに操られているかもしれない人物が聖剣士に選ばれるとは・・・。確か彼は今学期に編入して来た学生だったはず。
それなのに、もう聖剣士に選ばれているとは・・・。
恐らく彼は相当実力があるのだろう。編入早々、ソフィーに目を付けられるのも怪しい。何だか嫌な予感がする。
・・絶対にジェシカを守ってやらなければ・・・。
3時限目の授業の終了時間が少し長引いてしまった。ジェシカに昼休みに教室に行くからと伝えていただけに待たせてはいけない。
急いで荷物を片付けて教室を出ようとした時に・・・。
ドオオオオッンッ!!
ジェシカのクラスから物凄い爆発音が聞こえ、教室がビリビリと揺れた。
途端に騒ぎ出す学生達。それにA組では学生達が悲鳴を上げながら教室から逃げていく姿が見えた。
一体何があったんだ?!急いで自分の教室を飛び出した時・・・。
「マ・・・マシューッ!早く・・早く来てーっ!!」
ジェシカの声だっ!ジェシカが俺に助けを求めている・・・!!
ジェシカの教室に飛び込んだ時に見た光景はアラン王子に彼の2人の従者、そしてマリウスがドミニク公爵と対峙している姿だった。
そして、それをなすすべもなく真っ青な顔で見守るジェシカ・・・。
ならば・・・!
俺は時を止める魔法を唱えた―。
2
キイイイイイイイーンッ!
耳をつんざくような金属音が辺りに響き渡る。
「キャアッ!」
ジェシカが両耳を押さえてしゃがみ込んだ。音がやむとそこは俺とジェシカ以外の時が止まった世界・・・。よし、成功した!
「え・・・?何・・・?」
ジェシカは時を止められた彼等を見て戸惑っている。
「少し、彼等の時間を止めたのさ。」
言いながら教室から入って来るとジェシカは振り向き、俺の名前を呼んで駆け寄って来た。
そして・・・。
「ちょっと!酷いじゃ無いの!どうしてもっと早く来てくれなかったの?!」
俺の襟首を掴み、半分涙目で訴えて来る。不覚にもその表情が余りにも可愛くて胸がときめいてしまった。な、何かジェシカに言わなくては・・・!
「ああ、ごめん。悪かったよ、少し準備に手間取っちゃって・・・。ほら、そんな泣きそうな顔しないで。折角の美人が台無しになるぞ?」
言いながらジェシカの頭を撫でるとジェシカは安心したかのように俺の胸に身体を預けて来た。
高鳴る心臓の音・・・お、落ち着けっ・・・!この魔法はせいぜい10分しか止められないのだから。
俺は今の状況を簡単にジェシカに説明すると彼らの前に立ち、順番に暗示をかけていく。今あった出来事は全て忘れるように・・・。そして公爵だけには別の魔法を・・。唱えた魔法で、出来る限り事前にかけられていた暗示を取り除く。でもこれではまだ完璧では無い。そして指を鳴らして時を再び動かすー。
時が動き出すと、アラン王子達は俺の思惑通りに教室を出ていく。残るは公爵のみ。ジェシカは心配そうに見守る中、暗示状態にある公爵に質問をした・・。
暗示により公爵がソフィーの卑劣な手段で催眠暗示をかけられていた事を知らされた。ソフィーは公爵を暗示にかける為にジェシカにどれだけ嫌われているのかを語り、そして憎ませて自分に好意を寄せるように卑劣な暗示をかけていたのだった。
ショックを受けているジェシカの肩をそっと抱く。その小さな肩は震えていた・・・。
俺はジェシカに言った。
この暗示は強力で、簡単には解くことが出来ないから、公爵を嫌っていないという安心感を彼に与えてあげれば徐々に暗示を解いていく事が出来る事をジェシカに伝えた。でも・・・本当はこんな事は教えたくは無かった・・。だってジェシカが公爵の側にいる限り、俺は彼女と距離を置かなくてはならないのだから。ただ・・ジェシカの悲しむ顔を見たくは無かった。それにジェシカは公爵の暗示を解く事に何故か必死になっていた。・・ひょっとすると、そこには何か深い理由があるのかもしれない。
それにしても・・・公爵の事で気になる事があった。ジェシカなら・・何か事情を知っているのでは無いだろうか?
「・・彼は一体何者なんだろう。体の中から怖ろしい程の魔力を感じるよ。魔力量は俺と同じ位ありそうだね。・・・本当にただの・・人間なのかな?」
「え?マシュー。それは一体・・・。」
俺はジェシカの一言で我に返った。あ・・・お、今一体何を口走っていたのだ?これではまるで公爵を陥れるような言い方をしているような物じゃ無いか・・・!
急に自分が情けなくなってしまった。ジェシカにこんな自分を見られたくない。
「ごめん、ジェシカ。俺この後用事があるんだ。聖剣士のテストを受ける学生達の説明かに立ち会わないといけなくて。実はテレステオ公爵も候補生の1人なんだよ。
だから悪いけど、彼を連れて行くね。」
一方的にジェシカに告げると、彼女から話しかけられる前に公爵を連れて転移魔法を唱えた。
ごめん、ジェシカ。
俺は魔法を使ってジェシカの頭の中に直接語りかけた。
『ジェシカ、明日は約束の日だから一緒にセント・レイズシティに行って貰うよ。今から楽しみにしてるね・・・。』
一夜明けて―
今朝は清々しい天気だった。そして、今日はジェシカと2人きりで初めて休暇を過ごす記念日。昨夜は余りにも嬉しすぎて興奮して眠れなかったので、最終的に自分自身に睡眠の魔法をかけて眠りに就いたくらいだったのだから。
そして今、俺は女子寮の付近でジェシカが出て来るのをはやる気持ちで待っている。その時だ・・・。
あ、ジェシカが出てきた!ワンピースに防寒マントを羽織って出てきた私服の彼女はいつにもまして綺麗だった。思わず本音を口走ってしまった。
「おはよう、ジェシカ。今朝はいつにも増して奇麗だね。俺の為にお洒落してくれたんだと思うと嬉しいよ。」
そしてニッコリと笑って・・・我に返る。
ああっ!お、俺は何て今恥ずかしい事を言ってしまったんだ・・・?!これは・・絶対にジェシカに引かれてしまう!
しかしジェシカの反応は予想外の物だった。
「あ、ありがとう・・・。」
え?ジェシカ・・・。今、ありがとうって言ったの?本当に?それに・・よく見るとジェシカの頬がうっすら赤く染まっている。
こ、これはもしかして・・・俺の言葉に喜んでくれているのだろか?
頬を赤く染めたジェシカが愛しすぎて・・思わず抱きしめたくなりそうになるのを理性で何とか押しとどめる。
「うん、それじゃ行こうか?」
こうして俺とジェシカの楽しいデート?が始まった・・・。
ジェシカに今日は何処へ行くのかを尋ねられた俺は、教会に行く事を告げた。
教会のシスターや子供達にジェシカを紹介したかったからだ。
シスターには普段俺が学院でどのような扱いを受けているのかは少しだけ話したことがあり、心配させてしまった事がある。だからこそジェシカを紹介して、学院で孤立していないと言う事を皆に伝えたかった。
教会の手土産を買うために2人で立ち寄ったスイーツショップ。
お土産を買って行きたいから待っていてとジェシカに告げて、奥の商品棚へ向かった。
ショーケースを見ながら迷った。・・・さて、どうしよう。いつもなら子供たちの為にキャンディやチョコレートを買って行ってるのだが、今日はジェシカも一緒だ。彼女はどんなスイーツを食べるのだろうか・・?ふと視線を外すと、クッキーのショーケースが目に止まった。
それはジンジャー・クッキーのショーケースだった。ジンジャークッキーか・・・
身体にも良さそうだし、これなら甘い物が苦手な人でも食べれそうだ。(何故か俺の中のジェシカのイメージは甘い物好きに思えない。)
ジンジャークッキーを買って戻ると、ジェシカは食い入るように一つのショーケースを見ていたが、やがて視線を逸らすと別のショーケースへ向かった。
・・・一体ジェシカは何を見ていたのだろう?ショーケースへ近づいてみた・・。
その後、ジェシカを連れて教会へ飛んだ。
シスターと子供たちはジェシカを見て、とても驚いたが皆彼女を受け入れてくれた。そこでカイトがちょっとした爆弾発言をした時には流石の俺も驚いてしまった。
なんと、ジェシカに俺の恋人になってあげて下さいと言って来たのだ。な・な・なんて事を・・・!
しかし、その後のカイトの話で胸が詰まる思いをした。カイトは全部知っていたのだ。俺が学院内で魔族と人間のハーフであるがゆえに1人で過ごしていると
言う事を・・。
それを聞いたジェシカの言葉に俺は驚かされた。
俺とは恋人同士では無いけれど、とても仲良しの友達で優しい俺の事が大好きだと・・。これからもずっと友達でいたい、俺を絶対1人にはさせないと・・。
ねえ、ジェシカ。今の言葉は本当なの?・・・その言葉を信じて・・いいの?
教会を出た後、2人でセント・レイズシティの町を歩いていたけれども、ジェシカが落ち込んでいるように見える。何故なのだろう?
そう言えば・・・子供達と教会の外で遊んでいる時にシスターと2人で話をしていたけれどもそこで何か話を聞かされたのだろうか?
「ジェシカ・・・どうしたんだい?」
心配になって声をかけてみるが、ジェシカは何でも無いと答えただけだった。
そして次にジェシカはお腹が空いたから、何処かでお昼でも食べようと誘って来た。
そこで、2人で近くの食堂に入る事にした。
気まぐれで入った店だったけれども・・・味は絶品だった。
いや、俺には分かっている。ここまで美味しく感じられるのは目の前にジェシカが居るからだって事が・・・。
その後、2人でコーヒーショップへ移動したが、ジェシカは何だか始終落ち着かない様子で俺と話をしている。
ジェシカ・・・君は今本当は何を考えているんだい・・・?何か別に話したい事があるんじゃない?
とうとう、俺から話を切り出す事にした。
「ねえ、ジェシカ。俺に話があるんじゃないの?」
「え?」
「いいよ。ジェシカ。前にも言ったと思うけど・・・俺で良ければ協力するよ。」
「マ、マシュー・・・・。」
それでもジェシカは首を振って答えない。それなら・・・。
少し外を歩こうと言って、ジェシカの手を握り締めて店を出た。
ジェシカにあの景色を見せるんだ・・・!
ジェシカを連れてやってきたのは港が見下ろせる小さな公園。そろそろ夕日が沈む時間帯がやってくる。
「ほら、ジェシカ。夕日がとても綺麗だろう。ここは俺のお気に入りの場所なんだ。」
眼前に広がるオレンジ色の海は太陽の光を浴びて輝いている。
俺は隣に立っているジェシカを見つめた。
「うん、とても綺麗・・・!」
夕日に照らされ、瞳を輝かせて海を見つめるジェシカは・・・。
息をするのも忘れるくらいに美しく・・・思わず見惚れてしまった。
だからこそ・・・彼女に告げる。
「ジェシカ・・・。俺は君の聖剣士だ。だから・・絶対に何があってもジェシカを守ると決めている。さあ、ジェシカ。俺にお願いしてみなよ。」
ジェシカの紫の瞳には俺の姿が映し出されている。
「マ、マシュー・・・・。」
「さあ、言って。ジェシカ・・・。」
俺の愛しい人・・・・。彼女の小さな身体をそっと抱き寄せ、耳元で囁いた。
「わ・・・私・・・。」
ジェシカは顔を上げて俺を見つめた。
「うん、何だい。ジェシカ。」
さあ、君の望みを聞かせて・・・。
「マシュー・・・。わ、私を・・・魔界の門まで連れて行って・・・・。」
「うん、喜んで。」
彼女を魔物達から守るための印を付けてあげよう。
ジェシカの前髪をかきあげると、そっと額に口付けた―。
3
俺とジェシカは今、公園のベンチに2人で並んで座り、海に沈む夕日を一緒に眺めていた。
ジェシカも俺も一言も喋らない。今隣に座っている彼女は何を考えているのだろうか?出来ればもう少しこうしていたい・・。ジェシカと離れたくない。このままずっとこうして2人でいられたら・・・。
でも現実は残酷。まだジェシカには伝えていない事がある。
彼女の側にいられる時間も後残り僅かなんだ。
本当はこの学院に入学した時からジェシカを知っていたのに、手の届かない存在だと最初から諦めて、単なる傍観者になろうと決めつけてた・・。
でも本当は・・。
ふと空を見上げている中、我に返った。いつの間にかオレンジ色の空に変わり、星が空に瞬いていた。
「ねえ、マシュー。」
その時、突然ジェシカの方から声を掛けて来た。
「何だい、ジェシカ。」
ああ・・そうか。もう学院に帰ろうと言う事だな。俺は彼女の次の言葉を待った。
しかし、ジェシカの言葉は意外なものだった。
「魔界でも・・・星が見えるの?」
え・・何だって?星の事を聞きたいの?それじゃ・・まだ帰るつもりは無いって事だと受け取ってもいいのかい?
俺は昔行った事がある魔界の世界を思い出しながらジェシカに説明した。そう、魔界は・・・寂しくて・・生きにくい所・・。だけど人間と魔族のハーフである俺にとってはこちら側の世界も決して俺に優しい世界とは言えなかった・・。
「マシュー・・・・。」
その時、ジェシカが俺の指に自分の細い指を絡めて来た。
え?ジェシカ・・・・?
彼女は俺の顔をじっと見つめていた。まるでその表情は俺を憐れんでいるかのように・・・。
そうだ、俺は・・行動する前から彼女を諦めてしまっていたんだ。
本当は・・・手を伸ばせばすぐ届く場所にジェシカはいてくれたのに・・・!
ジェシカは言ってくれた。家族以外にも教会の人達だって、俺に寄り添ってくれていると。
「それに・・・。」
ジェシカはそこで言葉を切った。それに・・・?一体何を言おうとしていたのだろう?問い詰めても答えてくれないジェシカ。
きっと、彼女の事だ・・。俺の理解者として寄り添ってあげたいけど、自分にはその資格は無いと思っているんだ。
だけど!・・・今一番側にいて欲しいと思っている人はジェシカなんだ。
もう、これ以上自分の感情を押さえておくことが出来なかった。なので、今までの事・・全てをジェシカに語った。
入学当時からずっと憧れていた事、他の誰よりも輝いて俺の目にはとても眩しい存在だった事。そして・・・初めて言葉を交わした中庭の出来事、それがどれだけ俺にとって幸せな気持ちになれたのかという事・・全てをジェシカに吐露した。
「あの日は・・・ジェシカと言葉を交わす事が出来て、嬉しかった。その日はお陰で1日中幸せな気持ちで過ごす事が出来たよ。だから・・あの時、ジェシカが死にかけている話を聞いたときはどうしても助けてあげたいって思った。それなのに俺がミスしてあの花を管理している魔族の女に見つかってしまったせいでノア先輩を魔界へ連れ去られてしまった。だからこれは俺の責任なんだ。ジェシカに手を貸すのは当然の事だよ。ジェシカは負い目を感じる事は何も無いんだ。」
自分の気持ちを正直に話した。しかし、ジェシカは全ての罪は自分にある、決して俺のせいでは無いと全力で否定してきたのだ。
ジェシカ・・・君は知らないだろうけど、俺達には本当に後僅かな時間しか残されていなんだよ?早く、自分の望みを伝えてよ。
だから俺はジェシカに告げた。
「ジェシカ・・・。次に俺が門を守る順番が回って来るのは後4日後だよ。その時に・・魔界の門へ行く為の手引きをする。だから、準備をしておきなよ?」
「え・・・?4日後・・・?」
その言葉を聞いて真っ青になったジェシカは突然俺の胸に飛び込んできた。ジェシカは俺の腕の中で震えている。何故・・こんなにもジェシカは震えているのだろう?
そう言えば、予知夢を見る事が出来ると以前話してくれたことがあったな・・。
ジェシカのこの怯えよう・・・もしかすると俺の不吉な夢でも・・見たのだろうか?
例えば俺が死ぬ・・・夢とか?だから腕の中にいる愛しい女性を抱きしめると言った。
大丈夫、俺は死なないよ。
死ぬつもりは全く無いし、自分が死ぬとも思えない―と。
本当は俺自身不安で一杯だけど・・・ジェシカを安心させるために偽りの気持ちを語る。
ジェシカは泣きながら言った。自分は与えて貰ってばかりで、何も恩返しが出来ていないと。
恩返し?そんな事・・・ジェシカには何も求めていない。だって、今のこの時間も俺には幸せ過ぎてまるで夢のようなのだから。
それでも・・・少しだけ欲張っても大丈夫だろうか?
「恩返しか・・・。それなら出来るよ。」
ジェシカを見つめながら言った。その言葉に俺を見つめるジェシカ。
緊張で震える声を何とか抑えながらジェシカに自分の正直な気持ちを伝える。
「夜が明けるまで・・ジェシカが今夜俺と一緒に過ごしてくれれば・・・それだけで十分恩返しになるよ。」
そう、この言葉には別に何の含みも無い。ただ、純粋に一晩だけジェシカの側にいたい・・ただそれだけの事。ジェシカは俺の要求をどう受け取ったのかは知らないが、無言で頷いてくれた・・・。
そこから先は幸せ過ぎてまるで夢の世界の住人になったような気分だった。
宿屋で2人部屋を1つ借り、一緒に宿屋の食堂で夕食を取る。そして一緒に選んだお酒を部屋に持ち込むとジェシカに先にお風呂に入る事を俺は促した。
そして・・ジェシカがシャワーを浴びている音を聞いていると、突然夢から覚めたように頭が覚醒した。
ど、どうしよう・・。ほ、本当に今ジェシカと同じ部屋にいるんだ・・・!
まさか、ジェシカが一晩一緒に過ごしてくれるとは思ってもいなかったから、全く心の準備が出来ていなかったので、今になって突然緊張し始めてしまった。
それにしてもジェシカは一体どういうつもりで俺について来てくれたのだろう?
俺が好意を寄せている事に気が付いていて・・それで・・?
そこまで考えているとジェシカがドアを開けて入って来た。
お風呂から上がりたての彼女は・・・だ、駄目だ、恥ずかしくて凝視する事が出来ない。でも・・・この宿屋に来る前に買ったパジャマ姿が・・似合い過ぎていた!
「お待たせ、マシュー。ごめんね?先にシャワー借りて。」
「い、いや。そんなの全然気にしなくて構わないよ!こういう事はやはり女性から先に済ませた方がいいに決まってるんだから。それじゃ俺もシャワー浴びてこようかな。」
俺は密かに心を落ち着かせる魔法をかけると、ジェシカに告げてシャワールームへ向った。
1人になると、深呼吸した。心臓がドキドキして、きっと顔なんか熟れたトマトみたいに真っ赤になってたかもしれない。
シャワーの蛇口をひねり、頭から熱い湯を被りながら、思った。今、ひょっとすると飛んでもない状況に置かれているのでは無いだろうか・・・・
でも、俺は断じてやましい気持ちがあってジェシカを誘った訳では無い。
きっとジェシカにしたって俺の事を無害な男だと思い、一晩一緒に過ごす事を承諾してくれに決まっている。
そうだ、何も意識する事は無いんだ・・・と言うか、意識してはいけない!
俺はただ・・・ジェシカが側にいて、声を聞かせてくれるだけで十分充分満足なのだから・・。
シャワールームの窓から見える月を眺めて思った。
今夜は長い夜になりそうだと・・・。
2
今、俺とジェシカは困った状況に置かれている。俺達の客室にはベッドは一つ。
そして今夜、俺達が宿泊したホテルは大盛況だった・・・。
話は今から約30分程前に遡る。シャワーを浴びて出てくると、そこに宿屋の主人がいてジェシカが困り顔で立っていた。
「え?あ、あの・・・?」
さっぱり状況が分からない俺に、いきなり主人が頭を下げてきた。
「お客様!お願いがございます!本日、ご宿泊のお客様が大変多く、部屋は何とかなったのですが、ベッドが、足りません!なのでこちらのベッドをお一つ貸してください!」
は・・?
「あ、あの・・・。でもそうなるとこの部屋は一つしかベッドが無くなるんですが・・。」
「はい、そうなってしまいますが・・・で、でも幸いにもこちらの部屋のベッドはサイズも大きくお2人で眠られても、全く問題が無いサイズでございますので・・。」
主人は汗を拭きながら言う。
え?ま、まさか・・・俺とジェシカの2人でこのベッドを使えと言うのだろうか?そ、そんな事出来るわけが無い!ジェシカをチラリと見ると、彼女も困り顔で俺をじっと見ている。
仕方が無い・・・。かと言って今更部屋をキャンセルする訳にもいかないし・・。
「・・分かりました。その代わり、この部屋に宿泊するのは彼女1人にさせて下さい。俺は今夜は泊まりませんので。」
「え?!」
ジェシカが驚いた顔で俺を振り向く。
「お客様・・・。本当に申し訳ございませんでした。」
主人は心底心苦しそうな顔をしている。まあ、仕方が無いさ。今まで一緒にジェシカといられただけで本望だ。
しかし、ジェシカは言った。
「い、いえ!大丈夫です。2人でこの部屋を借りますので!」
「ジェシカ、あのさ・・・。」
声を掛けようとした時、ジェシカは言った。
「ねえ、マシュー。買ってきたお酒・・飲みましょう!」
ジェシカはお酒を取り出すと、グラスを並べて言った。
「ここのお酒はね、セント・レイズシティの地酒ですごく美味しいんだから、きっとマシューも気に入ると思うんだ。」
嬉しそうに言うジェシカ。・・・もしかするとこの気づまりな状況を何とかしようとしてくれているのだろうか?それなら俺も彼女に合わせよう。
「うん。それじゃ俺も飲んでみようかな?」
ジェシカはにっこり笑うと、グラスにお酒を注いでくれた。2人で向かい合って乾杯
すると口に入れてみた。
「美味しい・・・。」
それを聞くとジェシカは笑顔で言った。
「でしょう?良かった~マシューにこのお酒、気に入って貰えて!」
そして俺とジェシカは2人でお酒を飲みながら色々な話をした。
ジェシカは始終優しい笑顔で俺の話を聞いてくれ、俺も彼女の話に耳を傾けた。
こうして静かな夜は更けていった・・・。
「ジェシカはベッドを使いなよ。俺はこのソファで寝るからさ。」
毛布を抱えてソファに移動しようとすると、突然ジェシカが俺の服の裾を掴んできた。
「ジェシカ・・・?」
振り向くと、ジェシカは真剣な目で俺を見ている。な・何だ・・・?思わず胸がドキドキしてきた。
「マシュー。何処へ行くの?貴方もこのベッドで一緒に眠ればいいじゃない。」
まさかのジェシカの爆弾発言。流石に俺は驚いた。
「い、いきなり何を言うんだい、ジェシカ。そんなわけにはいかないだろう?」
な・・何て大胆な事を言って来るんだ?それとも・・男性に免疫がある彼女にとってはこんな事など、何てことも無いのだろうか?
「だって、そのソファじゃマシューの背丈だと絶対に無理じゃない。私ならまだしも・・。それにこのベッドはこんなに大きいんだもの。2人で寝ても十分な広さがあるでしょう?」
確かにジェシカの言う通り、やたらとこのベッドは大きい。それと同時にある疑問すらあった。何故、この宿屋にはこんな大きなサイズのベッドが用意されているのだろうと・・・。
「だ、だけど・・・。」
言い淀む俺にジェシカは言った。
「大丈夫だから。」
「え?」
何が大丈夫だと言うのだろう?
「私・・・寝相は良いから大丈夫!」
胸を張って言うジェシカ。何だか、その言葉を聞くと今迄緊張していた自分が何だったのだろうと思えて来た。だから言った。
「俺も寝相はいいよ。」
そして明かりを消して2人で同じベッドへ入り・・・。なるべくベッドの端に寄って、ジェシカに背を向けるように横になっていた。
すぐ隣ではずっと憧れていたジェシカが眠っていると思うと、とても緊張して眠るどころでは無かった。
しかしジェシカの方は・・・ベッドに入って、ものの5分も経たないうちに眠ってしまったのだ!何て寝つきがいいのだろう・・・。
ひょっとすると、俺は男としてジェシカに見られていないのだろうか・・・?
だけど・・・。
隣で眠っているジェシカの方を向くと、じっと彼女を見つめた。
・・・幸せそうな顔で眠っているジェシカ。彼女はもうすぐ身の危険を冒してノア先輩を助ける為に危険な魔界へ向かう。俺は・・付いて行ってあげる事は出来ないけれども、何としてでもジェシカを魔界の門まで無事に連れて行ってあげるよ。
だけど不安は尽きない。何故ならジェシカはとてもか弱い。魔法を自在に操る事も出来ないし、剣を扱う事すら出来ない。そんな彼女が1人で、魔界へ行ってノア先輩を助け出して再びこの世界に戻ってくる事が出来るのだろうか?
「ジェシカ・・・。ノア先輩を助けるには・・・もっと色々な人の手を借りるんだ。君には・・・君の為なら命を懸けてくれるような人達が周りに沢山・・いるんだから・・。」
俺は自分の願望を眠っているジェシカに伝え、髪の毛にそっと触れた。
「ジェシカ・・・。俺の愛しい人・・。」
幸せな時間の中、俺もジェシカの気配を傍で感じながら眠りに就いた・・・。
そして翌朝、事態は大きく動いた―
朝の5時・・・。ベッドの中でまどろんでいると、突然頭の中に声が鳴り響いて来
『聖剣士達・・俺の声が聞こえるか?指輪を・・壁にかざせ・・。』
これは・・・聖剣士の団長の声だ!
俺は嵌めてある指輪を見た。この指輪は聖剣士全員が身に付けているアイテムで、この指輪を付けている者同士で通信が出来るようになっている。
団長の言葉通り、俺は壁に指輪を向けた。すると指輪は怪しく光り、壁に団長の姿が映し出された。
『聖剣士達に重要な報告がある。昨夜未明に今迄ずっと不在であった聖女の存在がついに学院内で確認された。本日7時に学院長から神殿で説明が行われるので、必ず全員出席するように。』
そして、映像はブツリと途切れた・・・。
映像が終わった後も俺は暫く壁に向かって立っていた。え・・?さっき団長は何て言っていた?聖女が現れただって?そんな馬鹿な・・・。最後に聖女が現れたのはもうずっと昔の話では無かったか?そして今までずっと聖女がこの世界に存在していなかったのに、何故このタイミングで聖女が現れたんだ?
よりにもよってジェシカが魔界の門を開けようとしている時に・・・。
何かおかしい。あまりにもうまく出来過ぎた話だ。
ベッドでまだ気持ちよさそうに眠りに就いているジェシカを見た。
「ジェシカ・・・。」
不吉な考えが頭をよぎる。俺は頭を振ってその考えを打ち消した。
「取りあえず、学院に戻らないと・・・。」
眠っているジェシカを起こして、わざわざ告げる話では無いだろう。
紙とペンを取り出すと、ジェシカに手紙をしたためた。
そして昨日ジェシカの為にスイーツショップで買った紙袋に入ったフルーツケーキをサイドテーブルの上に乗せた。
「ごめんね。ジェシカ。先に帰ってしまって。」
まだ眠りに就いているジェシカに小声で謝ると、転移魔法を唱えた―。