第13章 5 悪魔のような囁き
1
「悪い、2人共!待たせたな。」
小型ボートに乗ってレオが現れた。
「レオ、わざわざ来てくれてありがとう。」
「そりゃあ、ジェシカの為なら何処だって行くさ。」
そしてレオはマシューを見ると言った。
「ああ、確かにあんただったな。俺達の代わりに花を摘んで来てくれたのは。あの時は世話になったな。」
「いや、ジェシカの命が懸かっていたんだから、あれは当然の事さ。」
マシューは私を見ながら言う。そして視線をレオに戻すと言った。
「とりあえず、何処か店に入って話をしよう。」
私達は港近くの酒場に入った。一応セント・レイズ学院の学生である事がバレないように私とマシューはフード付きのコートを脱がず、顔が隠れるように目深に被ると一番奥のテーブル席に3人で座った。
「俺は明日の午前0時に3人の門番達と交代する事になっているんだ。見張りの時間は午前0時から午後の12時まで。2人とも知ってる通り、俺は1人で門番をしているから『ワールズ・エンド』の世界では何の問題も無い。肝心なのは学院の神殿を守る者達なんだ。君達が以前『ワールズ・エンド』へ入ってきた時、神官2名の見張りを倒して中に入ってきただろう?だからあれ以来見張りが強化されて、今は神官2名と聖剣士2名で見張りを立てるようになったんだよ。」
「・・・すまなかったな。俺のボスが・・過激な事をして門番を気絶させてしまったからな・・・。」
レオが頭を下げた。・・・ボスって・・・まさかウィルが・・?お、恐ろしい。一体どんな手を使って門番を気絶させたと言うのだろう?聞きたいけど・・聞かないでおこう。
「なあ、それじゃお前がその門番達に差し入れと称して食べ物に睡眠薬を混ぜて眠らせるのはどうだ?」
おお!レオ!ナイスな考えだ!
「いや、それは無理だよ。俺は・・・半分は魔族だから、皆からは・・信頼されていないんだよ。」
マシューは少し寂しげに言う。
「「・・・・。」」
マシューの言葉に私もレオも何も言えなくなってしまった。
「い、嫌だなあ、2人とも。そんな辛気臭い顔しなくても大丈夫だよ。俺は少しもそんな事は気にしていないんだから。」
マシューは苦笑しながら私達に言った。
「神殿にいる門番てどんな人達なのかな・・・?」
私はぽつりと言った。
「それなんだけどね・・・。当日にならないと分からないんだよ。あの時以来、学院側もかなり警備体制を強化していて、神殿の守りは当日まで誰も知らされないんだ。」
私はそれを聞いて何故か非常に嫌な予感がしてきた・・・。何だろう、この嫌な感覚は・・・。思わず肩を抱きかかえた。
「おい?どうしたんだ。ジェシカ。顔色が悪いぞ?」
素早く気が付いたレオが声をかけてきた。
「本当だ。ジェシカ・・・どうしたんだい?具合でも悪いの?」
マシューも心配そうに私を見ている。
「う、うううん。大丈夫、何でも無いから心配しないで。それで・・マシューには何か考えがあるの?」
「うん・・・。取り合えずは俺の催眠術に相手がかかってくれるといいけど・・・。聖剣士は何とかなっても、問題は神官の方なんだ。彼等は魔力耐性に特化しているから、俺の催眠暗示が効かないかもしれない・・・・。」
マシューは考え込むかのように言った。
「よし、なら聖剣士には暗示がかけられるんだよな?そうしたら残りの神官2名は力づくで倒せばいいな。」
レオが物騒な事を言う。
「ちょ、ちょっと待ってよ、レオ。仮にもセント・レイズ学院の神官なんだよ?敵じゃ無いんだから倒しちゃ駄目でしょう。」
「でも、倒さなければ通してくれないだろう?」
確かにレオの言う事も一理あるが・・。
「マシュー。どうしよう・・・。」
私はマシューを見た。
「うん、確かに倒しては駄目だ。彼等には・・眠ってもらうしかないな。俺もあまり手荒な真似はしたくないし。魔法耐性があるから、眠りの魔法は効かないかもしれないけれど、強烈な睡眠薬なら・・・全員まとめて眠らせる事が出来るかもしれない。」
マシューは腕組みしながら言う。
「よし、それなら俺がその睡眠薬を調達してくるぜ。任せておきな、俺はそういう事が得意なんだ。何と言っても・・・。」
そこでレオが慌てて口を押えた。
「「?」」
私とマシューは首を傾げた。何故言いかけた事をやめるのだろう?
「ねえ、レオ。今何言いかけたの?」
「い、いや・・・。な・何でも無い・・・。」
レオは冷汗を垂らしている。
「その顔は何でも無いって感じでは無さそうだよね?」
マシューもレオをじっと見る。
「わ・・・分かったよ・・。白状するよ・・。実はジェシカを誘拐した時なんだけど・・あれは俺が睡眠薬を調達して来たんだよ。あの睡眠薬は気体で出来ていたから、空気中に簡単に散布して使う事が出来るんだ。あれは強力な薬だったな・・・。その証拠にジェシカ、お前は船に担ぎ込まれても目を覚まさなかったものな?」
「そ、そうだったのね・・・・。」
もう今更だが、私が彼等に誘拐されなければこんな事には・・・。つい、恨めしい目でレオを見てしまった。
「う、うわああ!す、すまん!ジェシカ!」
レオは私の視線に気づき、テーブルに頭をぶつけるくらい頭を下げて謝罪してきた。
「しーっ!レオ、声が大きいよ。俺達はあまり目立つわけにはいかないんだから。」
マシューがレオを注意した。
「別に、もう今更気にしていないからいいよ。それよりレオ、その睡眠薬ってすぐに調達出来そうなの?」
「ああ、手に入れるルートはちゃんと持ってる。だから安心しろ。」
その時―。
「!」
突然マシューがビクリとして酒場の窓の方に視線をやった。
「ど、どうしたの?マシュー。」
「い、いや・・・。今・・視線を感じた気がして・・。」
いつも冷静なマシューが何故か青ざめた様子で窓の外を見つめている。
「視線?う~ん・・・。俺は過去に海賊を生業としていたから、人の視線は察知しやすい方なんだが、悪いが何も感じなかったぞ?」
「わ、私も・・・何も感じなかったけど・・?」
「・・・。」
マシューは返事をしないで、周囲をキョロキョロと見渡している。
「お、おい・・。一体お前、どうしたんだよ?大丈夫か?」
レオが心配そうにマシューに声をかけた。
「マシュー・・・。」
私も徐々に不安が込み上げてきた。
「いや・・ごめん。2人とも。取り合えず、睡眠薬だけに頼るのは心許ないから、もっと別の方法も考えておいた方がいいな。所でレオ、君は剣を扱える?」
「ああ、何と言ってもおれは元海賊だぞ?毎日剣術の練習はしているし、腕に自信はある。」
「そうか・・・。それじゃ明日は剣も携えてきてくれるかな?念の為に・・・。」
「ああ、当たり前だ。俺はジェシカの騎士だからな。」
レオは私の頭にポンと手を乗せるとニヤリと笑った。
「それは頼もしいな。」
マシューはチラリと私を意味深に見ながら言った。
「ねえ、私は・・・何をすればいい?何か手伝える事はある?」
「いや。ジェシカ。君はもう手伝いとかは一切考えなくていい。俺とレオが必ず君を魔界まで連れて行ける道筋を立てるから・・・ノア先輩を助け出す事だけを考えるんだ。ジェシカが魔界に入ってしまえば、もう俺は君を手助けしてあげる事が出来ない。だから・・・。」
マシューはレオを見た。
「レオ、何としても・・・2人で魔界へ行ってくれないか?ジェシカを1人に・・しないであげてくれ。」
「ああ、分かってる。任せておけ。命に代えてもジェシカは俺が守り抜くと決めてるからな。」
レオはマシューに手を差し出した。
「「?」」
私とマシューは首を傾げるとレオは言った。
「おい、マシュー。手、出せよ。仲間の誓いの握手だ。」
「仲間・・・。」
マシューが呆然とした様子で言った。
「ああ、俺とお前は一蓮托生だ。」
そしてレオは強引にマシューの手を取ると、2人は握手を交わした―。
2
この日、私達3人の話し合いは深夜近くにまで及んだ。
レオはもう島には書置きを残してきたので、今夜はこの島に留り明日の朝早くに睡眠薬を調達するとの事だった。
レオと別れた後、マシューの転移魔法でセント・レイズ学院へと戻って来た私達。
部屋まで私を連れて来てくれたマシューが言った。
「ジェシカ、30分程でもいいから少しだけ話がしたいんだ。いいかな?」
「私は構わないけど・・・他の寮生にマシューが女子寮に居る事ばれないかな?」
私としても、明日の事でマシューには色々聞きたい事があったので好都合だったのだが、マシューの存在が女子寮に知れ渡るのはまずい。
「それなら大丈夫。今この部屋に特殊なシールドをかけるから、誰も入って来れないし、声も漏れる事はないから安心して。」
マシューは右手を床に置いて、何か短い呪文のようなものを唱えると一瞬部屋が鈍く光り、ブーンと低い音が部屋に響いた。
「これでもう外部との接触を絶ったよ。だから安心して話が出来るから大丈夫。」
マシューはにっこり笑った。
「ジェシカ、明日の事なんだけどね。まずは学院の神殿に俺と一緒に行く。そこで俺とレオが門番達を何とかするまでは物陰に隠れているんだ。安全の確認が取れれば合図を送るから、3人で門をくぐって『ワールズ・エンド』へ向かう。」
「うん、分かったわ。」
「ワールズ・エンドはもうこの世界とは別の次元の世界なんだ。そこでは人間達はもう誰も魔法を使う事が出来ない。だから仮に追手がかかったとしても、彼等は魔法が使えないからあまり心配する必要は無いと思う。まず、俺が最初に魔界の門を守っている門番と交代をするまでの間は、レオと2人で他の門番達に見つからないように近くで隠れているんだよ。そして前任者達が立去ればジェシカ・・・。君はレオと一緒に門を開けて中に入るんだ。・・・いいね?」
「う、うん・・。マシューは・・マシューはどうするの?」
「俺は・・・当然行く事は出来ない。」
「・・・・。」
そうだとは思っていた。何故ならマシューは聖剣士で門を守らなくてはならない使命を持っている。任務を途中で放り出して魔界へ行く事なんて無理に決まっている。
「ジェシカ・・・。門の鍵は持っているんだよね?」
マシューは私の肩に両手を置くと尋ねて来た。
「うん。ちゃんと2本持ってるよ。『狭間の世界の鍵』と『魔界の門』の鍵をね。」
「・・・先に『狭間の世界の鍵』を使えば、魔物達が・・・門から現れる事は無いとジェシカは言っていたけど・・・。」
マシューの目がいつになく真剣だった。
「でも、万一の事がある。だから・・・ジェシカ。門をくぐり抜けたら、後ろを振り向かずに、走るんだ。決して誰にも捕まらないように・・・!」
「マ・・・マシュー・・・?」
どうしたというのだろう?マシューの様子が何だかおかしい。ひょっとすると彼は何か重要な事実を隠しているのではないだろうか?
「あ、あのね・・。マシュー・・・私、貴方に聞きたい事が・・・!」
しかし、私の言葉はそこで遮られた。
マシューが突然私を抱きしめ、口付けをしてきたからである。
息が止まるのでは無いかと思われる程の深い口付けに全ての意識を持って行かれそうになる私。
「マ、マシュー・・・。」
は、話しを・・・。途切れ途切れのキスの合間に話をしようとしても、決してマシューがそれを許してくれない。その激しい口付けはまるで私に会話をさせる事を拒んでいるようにも感じられた。
やがて、長いキスが終わり・・・。ゆっくり唇を離すとマシューは言った。
「お休み、ジェシカ。」
と―。
その途端、私の意識は真っ暗になった・・・。
ピチャン・ピチャン・・・・。
闇の中で何か水の滴るような音が聞こえて来る。
あの音は一体何?真っ暗な闇に覆われて何も見えない。
その時、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
<こんな事になったのは貴女のせいよ・・・。>
え・・・?その声は・・・?
<貴女が本来の私の役を奪ったから・・・こんな事になったのよ・・。>
役を奪う?一体何の事・・・?
<ノア先輩が魔界の手に堕ちたのも、貴女のせい。>
そう・・・私が毒の弓矢で死にかけて、それを助けるためにノア先輩は魔界へ行ってしまった・・・。これは私の責任。
<そして、マシューやレオが死んだのも・・・全て貴女のせい・・・。>
え?マシューが・・・レオが死んだ?!
すると突然私の目の前に現れた光景は・・・・。
血だまりの中、目を閉じて折り重なるように倒れているマシューとレオの姿がそこにあった・・・!
「いやあああああっ!!」
私は悲鳴と共にガバッとベッドから起き上がった。
見渡すと、そこは普段と変わりない私の部屋だった。
「ゆ、夢・・・・?」
私は荒い息を吐きながら辺りを見渡した。
全身汗をびっしりかいているし、心臓は早鐘のように打って、痛い位だ。
「な、なんて・・・酷い夢だったの・・・。」
自分があまりにも不安を感じ過ぎていたから、あんなに恐ろしい夢を見てしまったのだろうか?
ベッドサイドに置かれた時計を見ると、時刻はまだ6時少し前だった。
汗で身体に張り付いたパジャマが気持ち悪かった私はバスルームへ行き、全身を綺麗に洗い流した。
いや・・・洗い流したかったのは・・本当は先程の恐ろしい夢の記憶の方だったのかもしれない・・・。
シャワーを浴びて制服に着替えた私は、授業に出るべきか迷っていた。
どうせ今日授業に出たとしても、明日から私はこの世界から消える。そして・・・皆の記憶からも消え去るのだ。そう考えると、とても授業に出る気にはなれなかった。
それに恐らく、マシューも今日は授業に出る事は無いだろう。ひょっとするとまだ眠っているのかもしれない。
門番の時間は長い・・・。12時間もの長い間、じっと門の付近で始終見張りを続けていなければならない、孤独な時間・・・。
今日は学校へ行ってもマシューに会う事も無いだろうし、何よりマリウスの存在が今の私にとっては一番の脅威だ。
何せ、昨日は1時限目の授業の後にマリウスから脅迫状?を貰い、それきり会っていない。
マリウスは絶対に私の返事を聞きだそうとするに違いない。何より私が一番怖いのはアラン王子との事を聞かれた場合。アラン王子はよくて、何故自分は受け入れてくれないのだと追及されるかもしれないし、挙句の果てに最悪の場合逆上したマリウスに無理矢理・・なんて事も考えられる。
「決めた、今日はマシューとレオの約束の時間になるまで、寮から一歩も出ない事にしよう!」
私達は、今夜11時に神殿の裏に集合する事になっている。
私は魔界へ持って行くリュックサックに2本の鍵を入れ、最期の準備をする事にした。
ノア先輩が夢の中で話してくれた言葉を思い出す。
魔界はとても寒くて寒くて堪らない所。
私は自分が持っている防寒具の中で一番暖かそうな上着を探し出して、ベッドの上に置いた。
そして次々とセータやマフラー、帽子、手袋などをクローゼットから取り出してリュックサックに詰め込んでいく。
やがて・・・リュックサックはパンパンに膨らんでしまっていた。
「ふう・・・これ位用意しておけば・・大丈夫かな?」
そう言えば・・・アラン王子と公爵は・・・何処で訓練しているのだろう?あれから一度も学院内で見かけた事が無かったっけ・・・。
「あの鏡で2人の居場所を特定する事が出来るのかな・・・?」
不思議なお婆さんから買った究極のマジックアイテムの鏡。
私は2人の事を頭に思い浮かべ・・・鏡をのぞいた―。