第10章 1 冷えた身体を暖炉の前で温めて
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ピーターと出掛けて1週間が経過した。今日は私の愛車が手元に届いた日である。
「へえ~これがハルカの自転車なの?」
アンジュが興味深げに新しく届いたばかりの自転車に興味を持って見ている。
「うん、そうよ。今まではピーターさんに自転車を借りてばかりだったけど、これで今日から私も気兼ねなく自転車に乗って王都に行く事が出来るわ。」
私は届いたばかりの自転車を満足気に見ながら言った。
今回購入した自転車はこちらの世界では最新モデルで、少しだけママチャリタイプに似ている。これなら乗りやすいし、色もわざわざ女性らしい色のパステルピンクに染めてもらったのだ。うん、見た目も可愛くなったし、これで周囲からあまりジロジロ見られる事も無いだろう。
「王都に行きたいならボクが転移魔法で一緒に行ってあげるのに。」
アンジュは口を尖らせながら言ったが、最近のアンジュは我が家に古くからある図書館がお気に入りの様子で、1日中こもりっきりになっている。私も何回かその図書館へ行った事があるのだが、いわゆる魔力がかけられている本の様で、かなり強い魔力の持ち主で無ければその本を読むことが出来ないとかで・・・そもそも何故そのような本が我が家にあるのかは謎だが、魔法が全く使えない私にとってはただの落書きのようにしか見えないのであった。
「ハルカ、それじゃ今日も王都に行くんだね?」
アンジュは眺めていた自転車から視線を逸らして私を見ると言った。
「うん、ほら、資金を貯めておかないとならないからね?」
今日も私はトランクケースを持っている。それを自転車の後ろに積み込むと言った。
「それじゃ、出掛けて来るわね。お父様やお母様にも伝えておいて。」
「うん、行ってらっしゃい。」
アンジュに見送られ、私は自転車にまたがると王都へ向かった。
王都へ着いたのは丁度お昼になる時間帯だった。
私はいつも利用しているリサイクルショップを訪れた。ここは最近お気に入りの店である。何故なら通常の店よりもかなり良い値段で買ってくれるからだ。
しかも頻繁に出入りするようになった私はこの店のお得意様のような存在になり、徐々に金額も上乗せしてくれるようになっていた。
「いらっしゃいませ。これはこれはジェシカ様。いつも当店をご利用頂きまして誠にありがとうございます。ジェシカ様のお持ちいただいた商品はとても品質が良いので、我が店でも客足が伸びてきているんですよ。」
「それは良かったです。私もそう言って頂けると嬉しいですよ。」
すっかり私と仲が良くなった女性店員は最近はこんな風に店の内情まで詳しく話すような仲になっていた。
「今回はこちらの品ですか?え~と・・・衣類が7点に、アクセサリーが12点ですね・・。それでは査定をさせて頂きますのでこちらの椅子でお掛けになってお待ちください。」
私は店内にあるソファに座っていると、何やら外から騒がしい音が聞こえて来るのに気が付いた。
「え・・?何だろう?喧嘩かな?」
私は立ち上がって窓から様子を伺った。
「まあ・・・喧嘩ですか?ジェシカ様。危険ですので店内からは暫く出ない方がよろしいですよ?」
騒ぎを聞いた店員の女性は眉を潜めて言った。え・・・あの人は・・・?!
窓から外の様子を伺っていた私は息を飲んだ。何と喧嘩の騒ぎの中心になっていたのは公爵だったからだ。
喧嘩の相手は・・・貴族と思われる身なりをした4人の男性。まさか・・・彼等は・・?
私はそっとドアを開けた。
「ジェシカ様?!どちらへ行かれるのですか?!」
女性店員が私を呼び止めたので振り向くと言った。
「ごめんなさい!あの方は私の知り合いなんです!」
それだけ言うと私はドアを開けて店の外へと出た。
往来の真ん中で4名の男性が公爵に向かって大勢で殴りかかっているが、それを軽々と避けて公爵は代わりに彼等を拳で殴ったり、蹴り上げたりしている。余りにも強すぎてその差は歴然だ。
周りには大勢の見物客がいて、まるで高みの見物だ。
「いいぞーやれーっ!」
「あの黒髪の兄ちゃん、強いなーっ!」
等々・・・まるで無責任な台詞を言っている。
だけど、これは喧嘩だ。単なる暴力だ。どうして・・・公爵はこんな真似をしているのだろう?彼はこれ程残忍な人間だったのだろうか?
次々と男達は地面に倒れて行く。それを冷淡に見ていた公爵はさらに足蹴りしようとし・・・
「やめてっ!」
私は思わず飛び出して、公爵の身体にしがみつき、必死で止めた。
「ジェ、ジェシカッ?!」
驚いたのは公爵の方だ。
私を見下ろしたその目は驚愕に満ちている。周りでは私が現れた事により、一層騒ぎが大きくなる。
「お?なんだ?あの姉ちゃんは!」
「そうか・・・あの女が原因で喧嘩になったのか・・・。」
え?1人の野次馬の言葉が突然耳に飛び込んできた。私が原因・・?どういう事?
「ド、ドミニク様・・・?」
今のはどういう事ですか?そう尋ねようと思ったのに公爵は私の顔をチラリと見ると、転移魔法を使って一瞬で姿を消してしまった。
それを見た人々は、何だもう終わりかよと言いながらその場を立ち去ってしまい、後に残されたのは公爵に倒された若者達と私だけだった。
暫く私は呆然と立ち尽くしていたが、彼らの呻き超えにはっとなり、慌てて付近の店に助けを頼み、彼らは病院へと運ばれて行った。
それらを見届けると私はため息をついた。一体公爵に何があったのだろう?
分からない。もう私と公爵は2週間以上会ってはいなかったのだ。婚約者のフリさえしなければ、友人として気兼ねなく会う事だって出来たのに・・・。会えなくなってしまったのは全て私の責任だ。
とりあえず私は先程いた店に戻り、査定してもらったお金を受け取ると、公爵の館へ向った。
「え?まだ戻っていないのですか?」
公爵邸へ行って聞かされたのは、まだドミニク公爵が戻って来ていないとの事だった。一体彼は何処へ消えてしまったのだろうか・・・?
「あの・・・よろしければこちらでドミニク様が戻られるまで待たせて頂く事は可能でしょうか?」
使用人の男性に尋ねると、彼は快く承諾してくれた。
「はい、何時頃戻られるかは分かりませんが、きっと公爵様もジェシカ様がいらしている事を知れば喜ばれますので。」
そして一つの部屋をあてがわれ、私はそこで公爵を待つことにした。
それにしても遅い・・・。あれからもう5時間以上が経過し、辺りは薄暗くなってきていた。途中、お昼ご飯を出して頂いてから、まさか日が暮れても帰って来ないなんて・・・。
そこで、私はホールに出てみた。そして通りすがりの使用人の女性を見つけて、呼び止めた。
「あの・・・すみませんが、公爵様はいつもこのようにお帰りが遅いのでしょうか?」
「ええ・・・・。実はここの所、ずっと外で飲み歩いて帰って来るようになりまして・・・。」
使用人の女性は目を伏せていたが、やがて意を決したかのように顔を上げて私を見た。
「ジェシカ様・・・。何故、公爵様との婚約を解消してしまわれたのでしょうか?公爵様は、ジェシカ様と婚約されてからはそれは毎日がとても幸せそうな様子でした。今までこの館に長年仕えておりましたが、公爵様のあのような笑顔を見るのは初めてです。本当に公爵様は、ジェシカ様を大事に思っておいででした・・・。婚約を破棄したのは自分がまだこの城に仕えていたメイドの事を忘れられないからだと言っておりましたが、それは嘘です。私達には分かります。どうか・・公爵様を捨てないで頂けますか?!」
「え・・・?」
そんな、嘘でしょう?だって公爵は私とは良い友人になれそうだと・・・。
いや、違う。本当は私は自分で薄々気が付いていたのだ。ひょっとすると公爵は私の事を好きなのではないだろうかと。だから・・・その気持ちを利用するのは自分が卑怯者のように思えて・・・婚約したフリを解消してもらおうかと思ったのだ。でも・・まさか、本当に・・・?
「あ・・わ、私は・・・。」
そこまで言って言葉に詰まった。どうしよう、きっと公爵をあんな風に変えてしまったのは私のせいなのだ。
その時、ガチャリとドアが開かれて公爵が帰宅して来た。
「ドミニク様・・・ッ!」
丁度、ホールにいた私は公爵と目が合う。
「・・・っ!」
途端に公爵は顔色を変え、身を翻して外へ飛び出してしまった。
「待って!ドミニク様!」
私は慌てて公爵の後を追いかけた。
外は真っ暗で、今夜に限って月も出ていない。
「公爵様!ドミニク様!」
辺りを探しても姿は、見えない。一体、何処に・・・?
月が出ていないので周りの景色が良く見えない。近くでは、川の流れる音が、聞こえてくる。そう言えば公爵邸の裏手には川が流れていたっけ・・・。そう思った瞬間、私は足を滑らせてしまった。
ドブーンッ!!
激しい水音と同時に冷たい川の中に落ちる。
気付いた時には私の身体は水の中にいた。必死で頭を出して息をしようとするも、水を大量に飲み込んでしまう。苦しい、川の流れの激しさと冷た過ぎる水で身体の自由が効かず全く動かない。
もう駄目・・・私はまた死ぬのだろうか・・・?
誰かが私の腕を力強く引き上げる感覚を最後に、私は意識を失ってしまった―。
2
パチパチパチ・・・・。
暖炉の火のはぜる音が何処かで聞こえてくる。寒い、身体が寒くてたまらない。
思わず身を縮こませると、誰かが私を抱き寄せるのを感じた。温かいな・・・。
私は思わず擦り寄ると抱き寄せる腕はより力強くなった。
ああ、安心する・・・。
そして再び私の意識は深い眠りへと落ちて行った―。
「う~ん・・・。」
闇の中、暖炉の炎が赤く辺りを照らしている。ぼんやりする頭の中で、考える。
ここは何処だろう・・・?私、どうしたんだっけ・・・。自分の置かれている状況が全く分からなかった。そのとき私を抱き寄せている腕に気が付いた。
あれ?これは誰の腕・・・?
そして、次の瞬間私の意識は一瞬で覚醒した。
なんと私を抱き寄せていたのは公爵であった。私は公爵に抱きしめられたまま、毛布にくるまれて暖炉の前で眠っていたようだ。しかもご丁寧に敷かれたマットレスの上で。公爵も眠っているらしく、規則的な寝息が聞こえてくる。
それより一番問題なのは私も公爵も何も衣服を身に付けていないと言う事だ。
え?え?!一体これはどういう事なの・・?
一気に緊張が走り、心臓の鼓動が早くなっていく。どうしよう・・・確か私は公爵を探している途中で川に落ちて、そこから先は・・・?
自分の身に起こった出来事が何一つ思い出せない。何より今の状況が恥ずかしくてたまらず、思わず身を固くしてしまった、その時に頭の上で声がした。
「う・・・ん・・。」
公爵が目を覚ましたのだっ!
「ジェシカ・・・?」
公爵の私を呼ぶ声が聞こえる。
「・・・・は、はい。」
緊張しながら返事をする。
「良かった!目を覚ましたんだな?!」
公爵は私を見つめると強く抱きしめてきた。
え、ええ~っ?!
もう一度言っておく、私も公爵も何も衣服を着ていないのだ!
「!!」
途端に何かに気付いたように私から身体を離して、素早く背を向ける公爵。
「す、す、すまないっ!!」
「い、いえ・・・!」
私も公爵に背を向ける。
今迄見た事が無いくらい動揺している公爵。でもそれは私だって同じだ、いやそれ以上に動揺している。
ど、どうしよう。公爵に全部見られてしまった。それどころか、お互いに裸の状態だというのに、公爵に抱き締められてしまった・・・!!
もう恥ずかしくて恥ずかしくて堪らない。穴があったら入りたい心境だ。
「そ、その。お、俺がジェシカの服を脱がしたのは川に落ちてずぶ濡れになってしまったからで、俺が服を脱いでジェシカを抱き締めていたのは、お前がとても寒がっていたから温めようとしたわけで・・・。決して妙な真似をしようとした訳では・・・。」
あのいつも冷静沈着な公爵が慌てている姿を見て、私は少し緊張が解れ、次に可笑しさが込み上げ、クスクスと笑ってしまった。
「ジェシカ・・・?」
背中から公爵の戸惑った声が聞こえた。
「あ、す、すみません。ドミニク様のいつもとは違う姿が何だか新鮮で・・・。でもドミニク様が考えているような事は一切思っていないので安心して下さい。それよりも・・・寒がっていた私を温めて下さったんですよね・・・?ありがとうございます。」
一瞬公爵の身体が強ばるのを感じた。
「ジェシカ・・・。だが、それは全て俺のせいで・・。」
躊躇いがちに公爵は言う。
「いえ、私の命を救ってくれたのはドミニク様です。本当に・・・ありがとうございます。」
「ジェシカ・・・。」
公爵が苦しそうな声を出す。
「き、着替えてくる。ジェシカ、お前の服は暖炉の前にある。恐らく乾いていると思うから・・・。」
そして公爵は毛布から出た。私はそのまま背中を向けていると背後から声をかけられた。
「ジェシカ。」
思わず呼ばれて振り向くと、公爵はガウンを羽織っていた。
「まだ寒いだろうから、着替えたら暫くこの部屋で暖まっていくといい。」
「ドミニク様は・・・どうされるのですか?」
私は毛布を巻き付けて身体を起こして公爵を見上げると、顔を真っ赤に染めて視線を逸した。
「お、俺は自分の部屋へ戻っている。もしジェシカが家に帰るなら、送るからそれまではこの部屋で休んでいくといい。そ、それと・・・。」
コホンと公爵は咳払いすると言った。
「あ、あまり男の前では・・・そんな格好を見せるものじゃない。」
「え?」
それだけ言うと、私の方を振り返る事も無く、部屋から出て行ってしまった。
公爵が部屋から出て行くと、私は毛布を巻き付けたまま暖炉の近くへ寄った。
そこには私の下着から衣類まできちんと干されていた。
私は着替えを取るとポツリと言った。
「私の・・・服・・・公爵が脱がせたんだよね・・・?」
途端に私は顔が真っ赤になってしまった。公爵は一体どんな顔で私の服を脱がせて、身体を温めてくれたのだろう?
1人になると、改めて恥ずかしさが込み上げて来るのだった・・・。
そう言えば今何時なんだろう・・・?
着替えを済ませ、時計を探してみるが一向に時計が見つからない。
仕方が無いので部屋から出ると、廊下は薄暗く、しんと静まり返っている。
何だか怖いな・・・。
私は公爵の部屋を探した。
同じような部屋から一つだけ明かりが漏れているのに気が付いた。ひょっとするとこの部屋が公爵の部屋なのだろうか?
コンコン。
試しに部屋のドアをノックしてみる。するとすぐに部屋のドアが開けられた。
「ジェシカ、帰るのか?だったら送ろう。もう真夜中だから俺の転移魔法でお前の部屋まで移動してやろう。」
公爵は私をすぐに家に帰そうとしているようだが、私はこのまま帰る訳にはいかない。
「いえ、ドミニク様。私・・・今夜は帰りたくありません。だってドミニク様には大事なお話があるから・・・ここに一晩泊めていただけませんか?明日、朝になったら1人で帰りますので。だから・・・お願いです・・・。」
気が付くと私は公爵の袖を掴んで握りしめていた。
「ジェシカ・・・。」
公爵の手が伸びてきて、そっと私の髪を撫でる。
「分かった・・・。そこまで言うなら今晩はここに泊って行くといい。明日の朝、俺がお前を家まで送る。」
公爵は私を自室に招き入れると言った。
「真冬の川に落ちた上に溺れかけたんだ。寒いだろう?」
そして暖炉の火をつけてくれると手招きをして私を呼んだ。
「ジェシカ、暖炉の前に来るといい。ほら、毛布もあるから。」
「ありがとうございます・・・。」
良かった、正直言って助かった。乾いた服を着て今迄暖炉の側にいたとはいえ、やはりまだ身体から寒気が取れなかったのだ。
私は暖炉の前に座っている公爵の隣に座り、毛布を借りると頭からそれを被った。
そして暖炉の前に手を翳すと、公爵が尋ねて来た。
「ジェシカ・・もしかしてまだ寒いのか?」
「いえ、もう大丈夫ですから。」
笑顔で答えるが公爵の顔が曇った。
「顔色が悪い・・・。」
そして毛布を被った私の身体を抱き寄せて来た。
「ド、ドミニク様?」
「・・・俺とこんな風に身体を寄せあうのは嫌かもしれないが・・・お前の身体が温まるまでは少しだけ我慢してくれないか?」
何故か自分を卑下するような言い方をする。
「嫌だなんて・・・そんな事少しも思っていませんから。」
言うと私は公爵の腕によりかかった。
「ジェ、ジェシカ・・・・。」
「ありがとうございます・・・。本当の事言うと、まだ寒くてたまらなかったんです。でも、こうして寄り添って頂けると・・・温かいです・・・。」
私は瞳を閉じながら言った。
「ジェシカ・・・。」
公爵は一瞬ためらったが、私の頭に手を添えると、そっと髪を撫でながら言った。
「ジェシカ・・・俺の話を・・聞いてくれるか・・?」
私は黙って頷いた―。
3
「ジェシカ・・・俺はお前に婚約のフリを破棄しようと言われた時、正直言って自分でも驚くほどショックを受けてしまったんだ。」
公爵はポツリポツリと語り始めた。
「滅多に連絡を入れてこない両親から見合いの話が出てきた時は、正直迷惑だと思った。あの頃は俺が恋していたメイドが結婚するからと言って屋敷を出た直後で精神的にもかなり参っていた時だったんだ・・。そんな時の見合い話だ。しかも相手は・・すまん、お前の前でこんな言い方をしてはいけないのだろうが・・・悪女と名高い女・・ジェシカ・リッジウェイだったのだからな。」
「・・・。」
私は何と答えたらよいか分からず黙って話を聞いていた。
「俺は思った。そんなお見合いは冗談じゃ無いと。しかし相手は公爵家の令嬢で身分が高く、お互い利益のある話なのだから見合いをするように命じられた。それに見合いの話を断られてきたのはお互い様だったからな。」
公爵はフッと笑って言った。
「え?」
私は顔を上げて公爵を見た。
「ジェシカ・・・お前は悪女と呼ばれていた為、何度も見合いをしても断られてきたのだろう?俺はこの黒髪と左右の瞳の色が違う事で見合い相手の女達から恐れられ、断られ続けてきたのだ。でも俺は正直そんな事は全く気にはしていなかった。何故なら俺の好きな女性はすぐ側にいたからな。それなのに・・・ある日突然彼女は俺のもとを去ってしまい、その後のお前との見合い話だ。」
公爵は私を見つめると言った。
「きっと両親は嫌われ者同士、うまくいくと思ったんだろうな?それで・・俺はお前と見合いをする事に決まったんだ。」
「ドミニク様・・・。」
私との見合い話の背景にそんな事があったのか・・。
「初めてジェシカに会った時は、正直驚いたよ。悪女と呼ばれている位だからどんな女かと思って会ってみれば・・・こんなにも可憐な女性だったのだから・・・な。」
公爵は私を見つめながら、髪をそっと撫でた。
その瞳はまるで・・・私に恋しているようにも見えた。まさか、公爵は本当に私の事を・・・?
「最も、いきなり気絶された時には驚いたけどな。今まで見合い相手から眉をしかめられたことはあったが、気絶された事等なかったから、正直あの時は驚いた。」
その時の事を思い出したのだろうか。公爵はクスクス笑いながら言った。
「で、ですから、あ、あれは・・・あの時私が気を失ってしまったのは、ドミニク様が私の夢に出てきた方で・・・。」
「ああ、分かってる。」
公爵は笑いをかみ殺しながら答えた。
「だが・・・目を覚ましたお前の口から俺の容姿がちっとも怖くはないと聞かされた時の俺の気持が分かるか?どれ程嬉しかったことか・・・。」
「ドミニク様、私は思った事を述べただけで・・・。」
すると突然公爵は私を抱き締めると言った。
「あの見合いの終わったあの日・・・俺はフリッツに用事があって城へ行った時、お前がいて驚いた。そして俺の目の前で、フリッツが、トレント王国の王子が、そしてお前の従者のマリウスが、次々とお前に告白をしていくのを見ていた時の俺の気持ちが・・・。ジェシカは俺の見合い相手のはずなのに、何故彼等は俺の目の前で俺の見合い相手のお前にプローズまでしてしまうのかと・・多分あの時感じたこの気持ちはきっと・・・。だから、俺は友人としてでもいいからジェシカの傍にいられればと思ったんだ。」
公爵の私を抱きしめる腕の力が強まった。
「ドミニク様・・・?」
突然言葉が途切れたので私は公爵に呼びかけると、再び公爵は語りだす。
「だから、お前から見合いの話を断らないで一旦保留にしておいて欲しいと言われた時、どれ程俺が嬉しかった事か・・・。友人でも構わない、建前でもお前の婚約者になれるなら・・・。」
「わ・・・私・・ちっとも知りませんでした。ドミニク様がそれ程色々な思いを抱えていたなんて・・・。」
「ああ、知らなくて当たり前だ。何故ならこんな事今迄一度もお前に言った事は無かったからな。だから・・・正直、お前の口から婚約の話は無かったことにして貰いたいと言われた時には、目の前が真っ暗になったような気持ちになってしまった。」
公爵は私の身体を離すと言った。
「でも・・・それは仕方が無い事だと・・・遅かれ早かれ、ジェシカの口からその話が出てくる事は分かっていた。俺は見てくれがこのような男だし、女性を喜ばせるような言葉も言えない。」
「どうして・・・・?」
私は俯いた。
「え?」
「どうしてドミニク様は自分を卑下するような言い方ばかりするのですか?私はドミニク様の漆黒の髪を美しいと思うし、オッドアイの瞳も素敵だと思っています。それに・・とても頼りになる方だとずっと思っていましたよ?」
「ジェシカ・・・。」
「もっと自分に自信を持って下さい・・・。それに何が合ったかは分かりませんが、ドミニク様は理由もなくあのような暴力行為をするような方では無いと信じています。だから・・・何故あんな真似をしたのか教えて頂けますか?」
そうだ、私のせいで公爵がおかしくなってしまったのだとしたら・・・私はその責任を取らなければならない。それに、一つ気になる事が出来てしまった。それを公爵に確認するまでは、退くに引けない。
「そ、それは・・お前が身分の低そうな相手と・・デートをしていると、あいつ等が言って・・流石は所詮お前の元婚約者だと馬鹿にされたので・・ついカッとなって・・。」
え?それじゃもしかして・・・?
「ドミニク様・・・ひょっとすると、私があの人達に馬鹿にされたと思って、暴力を振るったのですか・・・?」
私の質問に黙って頷く公爵。
「すみません!婚約の話だけでなく、そんな事にまでドミニク様にご迷惑を・・・。私は身分の差など関係無いって言っていましたが・・・その事で私とお見合いをしたドミニク様の品位を損ねてしまう事になるなんて考えてもいませんでした・・・。」
「それは違うっ!俺の事等はどうでもいいんだ、ただ・・・お前が馬鹿にされるのがどうにも我慢できなくて暴力を振るったのは全て俺の責任だ。それに・・苛立ちもあったんだ。お前が他の男と楽し気にデートをしていた聞かされ、ついあいつ等に八つ当たりのような真似を・・・!」
俯いた公爵の頭を私はそっと撫でると言った。
「私の為に・・本当にすみませんでした。でも、これだけは言わせて下さい。あれはデートでは無く、親しい友達と遊びに行っただけの話ですからね?」
「そうなのか?」
「はい、そうです。それで、ドミニク様。話は変わりますが・・・ドミニク様がかつて想いを寄せていたという女性ついての件ですが・・・。ひょっとするとそのメイドの女性が急に仕事を辞めて他の国へ行ったのは、ドミニク様の両親が絡んでいるのでは無いでしょうか?」
「何?それはいったいどう言う事なのだ?」
「つまり・・・ドミニク様は自分だけがその女性に想いを寄せていた仰りましたよね?でも本当は、女性の方もドミニク様を好いていたのではないでしょうか?それでその事実を知ったドミニク様の両親が無理やり彼女を他国へ追いやってしまったのでは無いでしょうか?全ては私と見合いをさせる為に・・・。」
私の言葉に何か思い当たる節でもあるのだろうか?公爵の顔色が変わった。
「ま・・・まさか・・でも、言われてみればタイミングが良すぎる・・・。」
「一度、ご両親に確認を取られてみてはいかがでしょうか?今の話は臆測ですが、・・・仮に事実であれば、彼女はもしかするとドミニク様を待ってるかもしれません。」
「ジェシカ・・・。」
私は立ち上がると言った。
「それでは、これで失礼致します。先程の部屋をお借りしてもよろしいですか?」
「あ、ああ。勿論。」
「それではドミニク様。お休みなさい。」
「あ、ああ。お休み・・・。」
公爵はまだ何か言いたげだったが口を閉ざした。
私はお辞儀をして、部屋から出ると先程の部屋に戻り、毛布に潜り込むとすぐに強い眠気に襲われたのだった―。
4
翌朝私が目覚めた時には、既に自分のベッドの中だった。今回も公爵は私が眠っている間に転移魔法で私をここへ連れて来たのだろう。
ふとベッドサイドのテーブルに目をやると手紙が乗っていた。
「・・・?」
開封して、手紙を読んでみる。
ジェシカへ
昨夜は申し訳無い事をしてしまった。
お前の話を聞いて、俺は両親に会って事の真相を確かめてこようと決心した。
もし仮に、お前の考えていた通りだとしたら俺は彼女に会ってみようと思う。そして彼女も俺と同じ気持ちだったなら・・・彼女に結婚を申し込んでくる。
ありがとう、ジェシカ。俺の背中を押してくれて。
ドミニク・テレステオ
そうか、公爵はやっと決心したのか。
「うまくいくといいな・・・。」
そうなれば、もしかすると私の運命も変わって来るかも・・・。
アラン王子はいつの間にか、国へ帰っていたし、フリッツ王太子もアラン王子が国へ帰ってからはピタリと静かになった。ひょっとするとアラン王子に対抗して私に冗談で結婚を申し込んで来ただけだったのかもしれない。何となく悪戯好きな人に見えたし。
後、残りはマリウスだ。彼は未だに戻って来るどころか連絡すら無い。何かあったのだろうか?でもマリウスがいないだけで私の周囲は静かである。
これについてはアリオスさんに感謝しなければ。
手紙を引き出しにしまうとカレンダーを見た。後2週間もすれば新学期が始まる。
「皆、元気にしてるかな。でも私は・・・。」
新学期が始まったらすぐにやらなければならない事がある。
平穏に暮らしていけるのは恐らく、この冬期休暇の間だけ・・・・。
その時ノックの音がした。アンジュの声だ。
「ハルカ、いるの?」
「うん、いるよ。待ってね、今ドアを開けるから。」
私は素早くドアを開けると言った。
「おはよう、アンジュ。」
するとアンジュは部屋に入るや否や私に飛びついてきた。
「ハルカッ!良かった・・・帰ってきていたんだね?夜になっても帰って来ないから、ボク本当に心配して・・・でもハルカの家族は誰も心配していないんだよ?!なんでのかな?!」
アンジュは憤慨したように言う。それを聞いて私は思わず苦笑してしまった。きっとジェシカの両親が心配しないのは以前のジェシカが外泊など日常茶飯事だったから心配しないのだと教えてあげようかと思ったが、自分の名誉を守るために、ここは伏せておいて私は曖昧に笑った。
「ボク、本当に心配で中々眠る事が出来なかったんだよ?でもどうやっていつの間に帰っていたの?」
どうしよう・・・アンジュには正直に言った方が良いかな?
「実はね、私つい最近まで婚約者がいたの。でも最近白紙に戻してたばかりなのだけど、昨夜は元婚約者に用事があって2人で会っていたの。それでその彼が昨夜私を転移魔法で部屋迄送ってくれたのよ。」
「ええっ?!ハルカ・・・婚約者がいたの?!」
よほど驚いたのかアンジュは目を見開いた。
「うん、でも終わった話だから。」
「そうなんだ・・・。でも転移魔法で気配を消してハルカを連れて来るなんて・・・相当魔力が強い相手なのかもしれない。」
アンジュはぶつぶつと言っている。
そう言えばマリウスも以前似たような事を言ってたっけ・・・。
「だけど。」
アンジュは言った。
「ボクが公爵の立場だったら絶対ハルカとの婚約を白紙にするなんて事しないのにな・・・。」
瞳をキラキラさせるアンジュ。
う!な、なんて可愛いの・・・!!
「ありがとう、アンジュッ!」
またまた私は彼女をギュウギュウに抱きしめるのだった・・・。
朝食後、アンジュは私の部屋に来ていた。
どうやらアンジュから魔界へ行く方法について、大切な話があるらしい。
「ねえ・・・。やっぱり今も魔界へ行くって言う気持ちは、変わらないんだよね?」
2人で本を読んでいると、ふいにアンジュが声をかけてきた。
「うん、勿論。どうしても助けなくちゃならない人がいるから。」
「そうなんだ・・・・。ねえ、ハルカ。実はね、ボクまだハルカに話していない重要な話があるんだ。」
「何?重要な話って。」
「実は・・・人間界と魔界の間には『狭間の世界』と呼ばれる世界が存在しているんだよ。」
「え?『狭間の世界』?そんな・・・私、小説の中でそんな設定はしていなかったけど?!」
アンジュは言った。
「ハルカの書いた小説の世界と、この世界では少しずつ色々な歪みが生じているんだよね?『狭間の世界』もその歪みの一部じゃないかな?」
確かに言われてみれば一理あるかもしれない。
「それで、その『狭間の世界』がどうしたの?」
「うん、この『狭間の世界』には人間でも魔族でもない者達が存在しているんだよ。例えば召喚獣もこの『狭間の世界』から呼び出されているんだ。」
「ええっ?!そうだったの?!」
何てこと、びっくりだ!
「この話は恐らく誰にも知られていないと思うんだけど・・実は鍵の種類は2つあって、魔界へ続く門を開ける鍵と、『狭間の世界』へ続く門を開ける鍵が存在しているんだよ。だからまずは『狭間の世界』の門をあけて、そこに住む住民達に力を貸して貰って準備を整えてから魔界へ行くべきだと思うんだ。」
アンジュの話は今回も驚かされる事ばかりだった。
だけど・・・。
「2種類の鍵か・・。魔界の鍵さえ見つかっていないのに、ましてや『狭間の世界』の鍵なんて見つかりっこない気がするな・・・。」
私はため息をつきながら言った。
「うん、確かにそれは言えるよね・・・。いっそ、鍵が無いなら作ってしまえばいいのだろうけど、そんな簡単に鍵が作れるとは思えないし。随分昔はこの世界にも錬金術師がいた、っていう伝説が残っているみたいだけど・・。」
アンジュも腕組みをしながら言う。
「錬金術・・・?」
何処かで聞いた事がある話だが、錬金術師と呼ばれた人々がどのような事をしていたのかはさっぱり分からない。
「ねえ、アンジュ。錬金術師って何をする人たちなの?」
「錬金術師って言うのは、様々な物質を使って、どんな物でも作り上げてしまう人々の事を言うんだよ。でもこの錬金術師は魔力だけに留まらず、色々な条件が揃った人達しかなれなかったんだって。だから今ではもう人材が減ってこの世に存在していないんだよ。」
「そうなんだ・・・。錬金術師って呼ばれた人達がもういないんじゃ、この話は無理だよね・・・。」
「うん・・・。残念だけどね。」
「だけど・・・。」
私はアンジュの肩に手を置くと言った。
「本当にアンジュって博識だよね。『狭間の世界』の話どころか錬金術師の話まで知ってるなんて・・・!本当に驚きだよ。どこでそんな情報を手に入れたの?」
すると何故か視線を逸らして、ソワソワしている。
「アンジュ・・・?」
「う、うん。じつはね、この話はハルカの家にある図書館の本に書いてあったんだよ。ひょっとするとハルカのご先祖様は錬金術師だったんじゃないかな?」
「え?それじゃ『狭間の世界』の話もそこに書いてあったの?}
「う、うん。そんな感じ。」
「そうなんだ・・・。でも魔界へ行く前に『狭間の世界』と呼ばれる場所に行く事が出来れば・・・そしてそこに住む住民たちが力を貸してくれれば、何とかなるかもしれないんだよね?」
「うん、そうだよ。」
アンジュは頷いた。
「う~ん・・・だけど・・仮にその『狭間の世界』へ無事に辿り着く事が出来たとしても、協力してくれるかどうかも分からないんだよね。大丈夫かなあ?今から余計な心配事が増えちゃったわ・・。」
私が溜息をつくとアンジュが言った。
「大丈夫、ハルカならきっと誰かが助けてくれるよ。」
そしてアンジュはにっこりと私に笑いかけるのだった―。