第9章 1 王立図書館での出会い
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「お嬢様、公爵との婚約話は無かったことになったそうですね。」
開口一番、朝の挨拶に来たマリウスがニコニコしながら私に言った。もう昨日の話なのにマリウスが知っているなんて、全く耳が早いものだ。
「ええ、そうよ。公爵も納得してくれたしね。それに今は誰かと付き合ってる暇など無いから。」
あれ、そう言えば・・・。
「ねえ、マリウス。最近ミアを見ないけど、どうしたの?私の専属の付き添いはミアだったよね?」
「ええ、彼女には別の部署に行って頂きました。」
「はい?ちょっと待って。私そんな事言った覚え無いけど?」
「ご存知無いのは当然です。私が自ら彼女に指示を出したので。」
涼しい顔で言うマリウス。
「ねえ・・・どうしてそんな大事な事を私に言わずに勝手にマリウスが決める訳?」
落ち着け、冷静に対応しなくては自分のペースを乱されてしまう。
「そんな事は当然では無いですか?24時間お嬢様の傍にお仕え出来る権利を持てるのはこの邸宅において・・・いえ、全世界においてこの私しかおりませんから。」
あ、駄目だ。何だか頭が痛くなってきた。そんな事よりこれからずっと私の傍に張り付くつもりなのだろうか?冗談じゃないっ!24時間貞操の危機に怯えつつ生活していくなんて、まさに地獄。ああっ!誰でもいいからこの男を引き取っては貰えないだろうか。
こうなったら・・・アリオスさんに相談するしかない。何とかマリウスを私の専属下僕の役目から取り消して貰わなければ。
「どうだい?昨日突然公爵から婚約取り消しを言われてしまったが・・ショックだったのではないか?」
朝食の席、突然父が言った。恐らく私を気遣っての事なのだろうけど・・・逆に私の方が公爵に対して申し訳ない気持ちで一杯だ。
「そうよね・・・。あれ程公爵とは頻繁に外出をしていたのに・・今度こそうまくいくと思っていただけに私も驚いてしまったわ。」
母も溜息をついている。
「いいんです。これで良かったんですよ。私はまだまだ誰とも結婚する気なんてありませんし・・・。」
そこまで言いかけてハッとする。父と母が白い目で私を見ているからだ。
「いいか、ジェシカ。お前はこのリッジウェイ家を盛り立てていくためにも絶対に家柄の良い男性と結婚しなければならない事は何度も言ってあるだろう?」
父はフォークを振り回しながら熱弁し始めた。
「は、はい・・・。肝に銘じておきます。あ・あのっ!私図書館で勉強したい事があるので、今朝はこれで失礼致しますっ!」
私は朝食もそこそこに慌てて席を立つと逃げるようにダイニングを飛び出した。
自室に戻った私はノートとペンを前に腕組みをしていた。
ノア先輩を助けるためには魔界へ行かなくてはならない。しかし、自分の小説ながら、どうやって魔界へ続く門の鍵を手に入れるのかは考えていなかった。
何せ、実際に門の鍵を手に入れて開けてしまうのはジェシカでは無かったからだ。
ソフィーとアラン王子に嫉妬した別の女生徒達が門を開けて聖剣士であるアラン王子と聖女ソフィーを引き離す為に行い、その罪を全て悪女ジェシカに押し付けたというとんでもない設定で小説を書き上げてしまったのだ。
ここまできて、まさか自分の意思で魔界へ行く事を決めるとは最初の頃は思いもしなかったけれども・・。
「確か、夢の中では私・・鍵を持っていたよね?あの鍵は何処で手に入れるんだろう・・?それに夢の中でノア先輩が話してくれたマシューと言う名前の聖剣士・・。学院が始まらないと会えないよね・・・。」
卓上カレンダーを見て溜息をつく。冬休みが明けるまでは後半月以上は先だ。
こんな事をしてる間にノア先輩の身が大丈夫なのかどうか不安が増していく一方だ。
「ノア先輩・・・無事だといいけどな・・・。」
取りあえず、今日も王都に行って図書館や本屋を巡って魔界の事について調べてみる事にしよう。
でもまずは・・・その前にマリウスだ。あの邪魔なマリウスを何とかしない限り、自由に行動する事が出来ない。よし、アリオスさんを探してみる事にしよう・・。
「アリオスさん、何処かな・・・?」
私は城の中をキョロキョロしながら探し回った。奇妙な事にマリウスもいないのが気になった。ひょっとすると2人で何処かへ出掛けているのだろうか・・・?
でもマリウスがいないのなら丁度いい。
王都に行ってみる事にしよう。
「多分、この辺りにいるはずなんだけどな・・・。」
私はリッジウェイ家の中庭へ来ていた。実は昨日ピーターの家を訪ねた時、今日は朝から中庭の庭園で苗木を植える仕事に来ると話してくれていたっけ?
中庭へ行くと・・・あ、いた!
帽子を被った栗毛色の髪の後ろ姿。額に汗を浮かべて働いている。私は暫くその様子をベンチに据わって黙って見ていたが、やがて立ち上がりピーターの側へ行くと声を掛けた。
「おはよ、ピーターさん。」
「あ、おはようございます!ジェシカお嬢様!」
ピーターは作業の手を止め、帽子を取って挨拶をしてきた。
「忙しそうだね。何かお手伝いしようか?」
するとピーターは大慌てで手を振った。
「と、とんでもありません!ジェシカお嬢様に手伝って貰うなど、恐れ多い・・・。」
「そうなの?別に遠慮する事無いのに・・・。」
「所でジェシカお嬢様。何か俺に用ですか?」
「うん・・・王都に連れて行って貰おうかと思ったけど、忙しそうだからいいわ。ごめんなさい、仕事の邪魔して。」
「そんな、邪魔だなんてとんでもありません!すぐにお連れしますよ!」
ピーターは園芸用のエプロンを外した。
「そんな駄目だってばっ!仕事がまだ途中なんでしょう?!」
「いえ、大丈夫です。全く問題ありません。さあ、行きましょうか?」
こうして私は再びピーターに連れて行って貰う事になった。
「ジェシカお嬢様、本当に帰りのお迎えは宜しいのですか?」
王都に到着した私を降ろしたピーターは言った。
「うん、ピーターさんはお仕事忙しいでしょう?だから帰りはタクシーで帰るから大丈夫だよ。送ってくれてありがとうね。」
私は笑顔でピーターを見送ると、図書館へと向かった。
王都の図書館はとても大きかった。とりあえず私は司書の男性に魔界の事について記載されている本棚の場所を教えて貰おうと思ったのだが、此処には置いてなく、王宮の中にある王立図書館にしか無いそうだ。
「そんな・・・それでは誰でも見れる分けでは無いんですか?」
私は落胆してしまった。
「いえ、そんな事はありませんよ。王立図書館で受付を済ませ、身元の確認が取れ次第、閲覧は、可能ですから。」
そうか、それなら行ってみようかな?
こうして私は王宮へと向かった。
王立図書館は王都の図書館に比べて、倍以上の巨大建物だった。
私は受付を済ませ、身元の確認が取れるまで椅子に座って待っていると、暫くしてから急に図書館が騒がしくなってきた。
うん?何だろう?図書館は静かにしておかなければならない場所なのに騒がしいなあ・・・。
やがてバタバタと複数の足音が聞えて来て・・・、
「ジェシカッ!!」
え・・・?何だか果てしなく嫌な予感がしてきた・・・。
恐る恐る振り向くと、こちらへ走り寄ってきたのは、アラン王子とフリッツ王太子その人だった・・・。
「「ジェシカ、会いたかったぞ!」」
2人は見事にはもって笑顔で私に言った。
「ど、どうも・・・。」
私は引きつった笑顔で挨拶をした―。
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何?この状況。
私は今王室のサンルームの丸テーブルを前に椅子に座らされている。
そしてアラン王子とフリッツ王太子もニコニコしながら椅子に座っている。
「あの~。」
「「何だ?」」
2人が同時に身を乗り出して返事をする。
「で、ではアラン王子・・・。」
「うん、うん。何でも聞いてくれ?」
満面の笑みを浮かべるアラン王子。それにしてもアラン王子って、こんなキャラだったっけ・・・?最初に出会った頃はもっとクールなタイプだったのに・・・段々キャラ崩壊している気がするなあ。
「まだ、この国にいらしたんですね。いつまで滞在されるかは存じませんが、そんなに国をあけていて大丈夫なのですか?」
「ジェ、ジェシカ・・・お前、そんなに俺に国に帰って欲しいのか?」
あ、何だかアラン王子の目が涙目になってるよ。参ったなあ・・・。
「い、いえ。あの、ほら。グレイやルークも心配してるんじゃ無いですか?」
「あの2人の名前は口にするな。」
何故か不機嫌になる。
「何故ですか?」
「お前の口からあの2人の名前は聞きたくないからだ。」
「えええっ?!そんなあ・・・。」
無茶苦茶だ、何と横暴な。
それを黙って聞いていたフリッツ王太子がクスクス笑いながら言った。
「全く・・・お前がそこまで嫉妬深い男だとは思いもしなかったぞ。」
「う、煩い!大体、俺はお前にジェシカには手を出すなとあれ程言っておいたのに・・!」
すると私を舐めるような視線で見るフリッツ王太子。
「別にまだ手は出したつもりは無いがな?」
何故か含みを持たせた言い方をする。
ゾワリ。
背筋に悪寒が走る。何だかすごく嫌な予感がする・・・。
「そ、それではフリッツ王太子にお尋ねします。何故私はこちらに呼ばれているのでしょうか?私はこちらの王立図書館に閲覧に来たのですが・・・。」
「将来の俺の后がわざわざこの城に来てくれたのだぞ?手厚くもてなしたいと思うのは当然の事だ。」
え?今のは聞き間違いだろうか?
「おいっ!誰がお前の后になるだと?!言っておくが、ジェシカと結婚するのはこの俺だっ!もう既にリッジウェイ家に親書も出してあるのだ。」
「はいいっ?!な、何言ってるんですか?アラン王子!第一私はプロポーズすらされていませんけど?」
するとこちら振り向くアラン王子。その頬は少し赤く染まっている。
「そうか、お前は俺から直接言葉が欲しかったのか。気が利かなくて済まなかった。」
はい?何を言い出すのだろう。この俺様王子は。
アラン王子は私の前に跪き、右手を取ると言った。
「ジェシカ、俺は誰よりもお前を愛している。・・・一生大切にする。どうか俺と結婚してくれ。」
「おいっ!勝手な事を言うなっ!」
フリッツ王太子はその脇で抗議する。
「い、いい加減にして下さいっ!私は今から図書館に閲覧に行きたいのです。そんなどうでも良い話で私をわざわざここに呼んだのですか?!」
取られた右手を振り払うと私は言った。
ハッ!い、いけない・・・思わず本音が飛び出してしまった。
「「どうでも良い話・・・。」」
2人の王子は明らかにショックを受けているようだった。
特にアラン王子は私へのプロポーズを断られたショックのせいか、背もたれに寄りかかり、呆けたように天井を見つめている。
だが今の私には彼等に構っている暇など無い。
「それでフリッツ王太子。私に閲覧許可は出して頂けるのでしょうか?」
私はフリッツ王太子を見ると尋ねた。
「あ、ああ。それは勿論大丈夫だが・・・。」
「ありがとうございます。それではお二人共、失礼致します。」
私は頭を下げると2人をサンルームに残し、図書館へと向かった。
「魔界についての記述の書籍ですか?それならYの棚に保管してあります。」
図書館司書の女性に尋ねると、彼女は恐らく探しきれないだろうからと言って私を案内してくれた。
高さ7階建てにもなる図書館はとても巨大で、目当ての書籍は4階にあった。
「こちらになります。」
「ええっ?!こ、このフロア全てですか?!」
私は仰天してしまった。何万冊あるか検討もつかない本の中から、魔界の門を開ける為の鍵の在り処を掴むなんて・・・。
こんな事なら自分で書いた小説の世界で、魔界の門を開く鍵は聖剣士達によって破壊されているなんて設定にしなければ良かった。
「はああ・・・。私は馬鹿だったわ・・。」
思わず本棚に手を付き、頭を擦り付けていると、声をかけられた。
「ねえ、そこの貴女。何の本を探しているの?」
頭を上げて、声のする方向を振り向くと、まだ幼さの残る少女が机に向かって座っていた。ウィル位の年齢かな・・・?
彼女は三角帽子を被り、ローブ姿である。その姿はまるでゲームの世界に出てくる魔法使いのような姿だ。そして極めつけは・・。物凄い美少女である事だった。白銀の髪は肩先で切り揃えられ、切れ長の赤い瞳は宝石のように輝いている。
私は彼女の美しさに一瞬息を飲んでしまった。
「あ、あの・・・ちょっと魔界について詳しく記述されている本を探していて・・・。」
「うん、それならここのフロアに置いてある本全てだよ。」
「それは分かってるんだけど、こんなにたくさん本があると、どれを読めばいいか分からなくて・・・。」
私は頭を抱えて言った。
「ふ~ん・・どんなジャンルの本を探しているの?」
うっ!言いにくい事を突っ込まれてしまった・・・。でも全く知らない相手だし、まだ子供だから話してみてもいいかな・・・?
「実は・・・魔界とはどんなところか・・・詳しく書かれている本なんだけど・・・。」
私は目を伏せながら言った。これは流石に相手に引かれてしまうだろうな・・・・。
しかし、彼女からは意外な台詞が返って来た。
「それなら、向こうの棚の本がいいと思うよ。ここにある本は全部作り物や子供向けの絵本ばかりだから。」
その美少女は私の前方にある書棚を指さした。
「ええ?!ま、まさかこのフロアの本・・・全て内容を知ってるの?!」
すぐに答えられた彼女にすっかり驚いてしまった。
「うん、まあね。8割ほどは読んだかな?時間はたっぷりあるし、毎日ここに通っていたから。」
「本当?どうもありがとう!」
私は咄嗟に彼女の手を取ると、お礼の握手をしてすぐに教えて貰った書棚に向かった。
手始めに1冊の本を取り出してみる。
「・・・・・。」
物凄い分厚い本だ。パラパラとめくってみると半分以上は魔界についての歴史?的な事ばかりが記述されており、とても私の知りたい情報が載っているとは思えなかった。
溜息をついて本を戻すと、隣の本に手を伸ばした。その本は魔界に住む魔族達について記述されていた。
魔族には異形の姿を持つ者や、人間とさほど変わらない外見をしている魔族など多種多様な種族がひしめき合っている・・・・。
ううう・・・。こんな情報ばかり知っても意味が無い。何と言っても私が知りたいのは魔界へ行く方法。そして無事にノア先輩を探し出し、人間界へ連れて帰る方法を知りたいのだから。
「これも駄目かな・・・。」
首を振って本を書棚に戻し、次の本に手を伸ばす。
今度の本は魔界と人間界の魔法について。この本によると魔界は人間界とは全く違うエネルギーに満ちているので、人間が魔界では魔法の力を使う事が一切出来ないと書かれている。しかし、魔族は力が半減こそしても、人間界でも魔法を使う事が出来る。その為、過去の長い歴史の中で魔族は人間界に度々襲撃をかけてきたという。
「ちょっと待ってよ・・・。私、小説の中でこんな設定していないけど・・?」
思わず言葉に出して言うと、背後から再び声をかけられた。
「へえ~何だか随分意味深な言葉だね。」
「え?!」
慌てて振り向くと、いつの間にか先程の美少女が私の後ろに立っていた。
「ねえ、お姉さん。本当はどんな本を探しているの?正直に教えてくれる?」
そして彼女はニコリとほほ笑んだ―。
3「ほ、本当はどんな本を探しているか・・・って?」
私は冷汗を流しながら、彼女から視線を逸らした。
「とぼけないでよ。だって、ここへ来てからのお姉さんの言動が何となくおかしいんだもの。ねえ、ボクならお姉さんの力になれると思うよ?」
・・・どうやらこの美少女は自分の事をボクと呼ぶようだ。ってそんな事はどうでもいい!一体彼女は何者なのだろう?大体何万冊もある本の8割程は読んだとか、時間はたっぷりあるからだとか・・・。
「お姉さん、本当はすごーく今困ってるんじゃ無いの?ボクには分かるよ。だって普通の人なら魔界の事は皆御伽噺の世界の話だと思っているから。知っているのは一部の魔法を使える貴族達だけだよ。」
「ええ?!そ、そうなの?!」
「うん、だって魔界の門があるのはここからずっと離れた島にあるセント・レイズ諸島だけなんだもの。ここに住む人々のほんの一部の人しか魔界の事も知らないよ。何故だと思う?」
「え・・・と、さ・さあ・・?」
「それはね、もう何百年も魔族が人間界に現れていないからだよ。大体、魔族に対抗出来るのは魔力を持つ人々だけだし、この世界にどれだけの人が魔法を使えると思う?ほんの一握りの人達だけなんだよ?もし本当に魔族がいると皆が知ったらそれこそパニックになるでしょう?だから魔族なんか本当はいないって信じ込ませたんだよ。何百年もかけて・・。幸い、セント・レイズ学院の聖剣士達のお陰で今は魔族が現れる事も無くなったけどね。」
まだ幼い少女なのに、なんて博識なんだろう。私は思わず感心してしまった。
「それなのに、お姉さんは魔界の事を知っているし、必死になって調べようとしている・・・。ねえ、本当の目的は何?ボクに教えてくれる?」
少女は真剣な瞳で私を見つめている。決して好奇心で尋ねている様には見えなかった。
「誰にも言わないって・・・誓ってくれる?」
「うん、誓うよ。」
「それじゃあね・・。」
私は椅子に座り、手招きで彼女を隣に座らせると耳元で囁いた。
「実は魔界に行きたいの。」
「ええ?!魔界へ?!」
余程驚いたのか、少女は大声を上げた。
「しーっ!静かにして!誰かに聞かれたらどうするの?」
私は小声で彼女に注意すると言った。
「魔界へ行きたいって本気なの?」
「そうなの、ちょっと訳ありでどうしても私は魔界に行かないといけないの。でもその方法が分からないから、こうして図書館に調べに来ているって訳。」
「ふ~ん・・・。でもお姉さん、どうして魔界に行きたいの?魔界へ行くには門を開けないと行けない事位は知っているんだよね?」
私は彼女の問いに頷いた。
「うん、勿論。門を開けるとどうなってしまうかも知ってる・・・。けど私の知りたい事は、どうすれば門を開ける事が出来るのか、またどうすれば犠牲を払わずに済むか・・・って事なの。」
少女は暫く考え込んでいたが、やがて言った。
「門の開け方は鍵を使えばいいって事は知ってるけど・・・どうすれば犠牲を払わずに済むかって方法は分かるよ。」
「えええ?!そ、それ本当なの?!」
「うん、つまりお姉さんは門を開けたら、すぐに魔族たちが現れて、人間界へ門をくぐって出現してしまうかも知れないって事を言ってるんだよね?」
「うん、そうなの。でも貴女凄いのね・・・・。私の言いたい事ちゃんと分かっているんだもの。それで、その方法知ってるんだよね?早速教えてくれる?」
すると少女は暫く考え込んでいたが・・・やがて言った。
「でも、タダじゃあ・・・嫌だな。」
「え?」
「何かボクにとっておきの面白いお話を聞かせてくれたら・・・教えてあげてもいいかな。だって、お姉さん・・・何だかボクの興味深そうなお話沢山知っていそうなんだもの?」
少女は悪戯好きそうな目をして私に言った。
え?何を言ってるの?この子は・・・。私が興味深そうな話を知っていそうだって?
確かに知っているかもしれないけれど・・その話をしても大丈夫なのだろうか?
思わず黙ってしまうと、少女は言った。
「あれ?もしかしてボクの事何か疑ってる?とっておきの話をお姉さんがしたとして、それをボクが聞く。その話をボクが誰かに話したとして・・・お姉さんが危険な目に遭ってしまう・・もしくは危うい立場に立たされる・・とか考えていない?」
少女はまるで子供とは思えない様な表情で私を見つめながら言った。
「べ、別にそこまで考えては・・・。」
嘘だ。私は今目の前にいるこの美しい少女の怪しげな雰囲気にすっかり押されている。
「でも、そんな事なら気にしなくていいよ。ボクはもう大概この世界に退屈しちゃってね・・・。何か今までにない特別な新しい話を知りたいなって好奇心だけで言ってるんだもの。そうだ、だったらとっておきの話を一つだけタダで教えてあげる。そうしたらボクの事信用してくれるよね?」
「え、ええ・・・。」
何とか頷く。
「それじゃあね・・・。どんな話がいいかなあ・・。あ、そうだ。こんな話はどうかな?魔界へ行った人間は3カ月以内に人間界へ戻らないと、魔族になってしまうって話は知ってる?」
「え・・ええっ?!そ、その話は本当なの?!」
私はここが図書館であるにも関わらず、思わず大声を上げてしまった。
「うん、そうだよ。元々魔界は人間が住むにはあまりにも条件が厳しすぎる場所なんだもの。だからかな・・・そこに住み続けているとね、身体が順応してくるんだよ。その土地でも住めるようにね。だから・・・もし誰かを助け出したいなら急いだほうが良いと思うよ。大切な人なんでしょう?」
少女は真剣な瞳で私を見ている。
「・・・・。」
私は黙って頷いた。
「それで、その人が魔界へ行ってどの位の月日が経過したの?」
「大体・・・半月位・・。」
「そうか、半月か。それならまだ最低でも2か月の猶予はあるね。ボクが色々アドバイスしてあげるよ。どう?少しは信用して話してくれる気になったかなあ?」
「うん。勿論。私は貴女の事信用する。」
すると少女は笑顔になって言った。
「本当?それじゃあ、早速ボクに何か面白い話を教えてよっ!」
私は迷ったけれども・・・ついに今迄誰にも話してこなかった自分の秘密を口に出そうと決心した。
「ねえ。貴女は私が仮に、別の世界からやって来たって話をしたら信じる?」
「え?別の世界って?例えばどんな?」
少女は頬杖を付きながら話を聞いている。
「実は、この世界は私が書いた小説の世界で・・・こことは全く次元の違う世界で暮していたの。」
「へえ~!何だか斬新な話だね!」
「そこで私は小説を書いていて・・・ある日、階段から落ちてしまう事故に巻き込まれたの。そして目を覚ますと・・何と、自分が書いた小説の中の登場人物の1人になっていたと言う訳!それが、この今の私よ。」
「うん、うん、それで。」
少女の目は生き生きと輝いている。余程私の話に興味を持ったのだろう。
「だけど、私がなってしまったこの人物は、小説の中で悪女として書いていた人物で・・・魔界の門を開いてしまうという大罪を犯して罰を受けてしまったの。私は絶対にそんな道を辿るものかって思っていたのだけど・・・。」
私はそこで目を閉じた。ノア先輩・・・・。
「私のせいで魔界へ連れて行かれてしまった人がいて、どうしてもその人を助けたい。だから罰を受けるのは分かり切っているけど、どうしても魔界へ行かなくてはならないの。」
少女は暫く黙って聞いていたが、やがて口を開いた。
「要は、魔族にばれないように門を開け、その人物を無事救出したいって訳なんだね・・・?」
「え・・?私の話、信じてくれるの?」
「うん、勿論。だってお姉さんの目・・・とても嘘ついている様には見えないもの。」
そう言って少女は笑うのだった。
4
その時、12時を示す振り子時計の音が鳴った。
「あ、ねえ。お昼の時間だから私と一緒に食事に行かない?」
「え?お姉さんと一緒に食事?でも・・・。」
何故か躊躇う少女。
「どうかしたの?」
「だって、お金持ってきていないし・・・。」
「え?それじゃいつもお昼はどうしていたの?」
「ボクはあまり食事しなくても平気だから・・・。あ、でも全く食べない訳じゃ無いからね?ほら、これ見て。」
少女は肩掛けカバンを持っていた。そこに入っていたのはりんごやオレンジ、ぶどう等が入っていた。
「いつも、こういう物を食べていたの?」
「う、うん・・・。」
少女は恥ずかしそうに俯く。
「うわあ!どれもすごく美味しそうじゃない!」
「え?」
少女は顔を上げた。
「ねえねえ、この果物と別の食事を交換してくれる?家に持って帰って食べたいから。その代わり、なんでも好きな物食べさせて上げる。」
「ほ、本当・・・?」
「うん、本当。さ、一緒に行きましょう?」
手を差し出すと、おずおずと繋いでくる。
私は少女の手をしっかり握りしめると言った。
「それじゃ、出ぱーつっ!」
「あ、ねえねえ。お姉さん、あの食べ物は何?」
「あれはドーナツだよ。」
「あ、ねえねえ。それじゃアレは何?」
「ああ、あれはね、ハンバーガーって言うの。食べてみる?」
「え?いいの?」
少女は目を輝かせながら言った。
「うん、勿論。」
私は少女を連れて店に入るとハンバーガーセットを2つ注文し、席に着いた。
「さあ、どうぞ。」
少女の前にトレーに乗ったハンバーガーセットを渡した。
「ねえ、食べていいの?」
「うん、どうぞ。」
パクリ。
一口ハンバーガーを食べると、途端に目をキラキラさせる。
「どう?」
「お、美味しい・・・。」
「そう、良かった。」
その後、少女は夢中でハンバーガーを食べ続け、あっという間に食べ終えてしまった。
「ありがとう!お姉さん。ボクこんな美味しい物、初めて食べたよ!」
「そ、そうなの?それなら良かった。」
私は少女を見て思った。ハンバーガーを初めて食べるなんて、一体今迄どんな生活をしていたのだろう?博識過ぎる位なのに、かと言えば妙に浮き世離れしているようにも見えるし・・・。
折角お店に入ったのだからと私達はこの店でデザートも注文する事にした。
私はチーズケーキとコーヒーを。そして少女にはショートケーキとココアを頼んであげると、これもまた初めて口にしたのかとても感動しながら食べていた。
注文したメニューを全て食べ終えると少女は言った。
「そう言えば、まだお互い自己紹介していなかったよね?ボクの名前はアンジュ。お姉さんは何て名前なの?」
「私?私の名前はジェシカ。ジェシカ・リッジウェイよ。」
「それじゃなくて、もう一つの本当の名前。」
「え?本当の・・・名前?」
「そう。だってお姉さん本当は別の次元の世界から来たんでしょう?その時は何て名前だったの?」
「あ・・・。」
少女に指摘されるまでは自分の本当の名前の事を忘れていた。すっかりこの世界に慣れてしまっていたからなのかもしれない。
「私の本当の名前は・・・川島・・遥・・。」
「ふーん。そうなんだ。それじゃボクはお姉さんと2人きりの時はハルカって呼ばせてもらおうかな?どう?」
少女はじーっと私を見つめながら言った。
「え、ええ・・。それは構わないけど・・・。」
「けど、何?」
「他の誰かと一緒にいる時は遥って呼ばないように気を付けてね。」
「うん、勿論。でも嬉しいな~ボクだけがお姉さんの《真名》を知ってるんだもの。」
「え?《真名》って何?」
聞きなれない言葉に私は首を傾げたが、少女は言った。
「ううん、何でも無いよ。ねえねえ、他にもお互い知りたい事色々あるでしょう?ここでもっとお話ししていこうよ。それにハルカだって魔界へ行くのに沢山情報が必要だよね?」
「確かに・・・そうだね。2か月以内には絶対魔界へ行かなけれならない訳だしね。アンジュ、もっと私に魔界について教えてくれる?」
「うん、勿論!でもその代わりハルカも元いた世界の事色々教えてよね?」
こうして私達は夕方になるまで沢山の話をした。最も殆ど話をしたのは私の方だったのだが、今まで私が抱えていた秘密を話す事が出来て嬉しくも思えた。
「ねえ、アンジュ。明日も会える?貴女とはまだお話したい事沢山あるんだけど・・・。」
「うん。ハルカが望むなら毎日だって会っても構わないよ。」
「本当?嬉しいな・・・。だってね、貴女が初めてだったんだもの。本当の自分を話した相手って・・・。」
私はそっとアンジュの手を両手で包み込むと言った。
「本当はね・・・ずっと辛かったの。いきなり自分の書いた小説の世界に訳も分からないまま放り出されて・・・ジェシカって呼ばれるたびにずっと違和感だって感じていたし・・・。」
そこまで言ってようやく私は気が付いた。
今迄多くの男性に好意を寄せられてきたが・・・彼等は一度も私を本当の名前で呼んだことは無い。いや、むしろ本当の名前など彼等が知る訳は無いのだが・・。
この世界の私は偽物のジェシカ。彼等が好意を寄せているのは私ではなくジェシカなのだ。だから私は誰も選べない・・・選んではいけないのだとずっと無意識に自分の気持ちをセーブしてきたのだ。
「ハルカ?どうしたの?」
急に黙り込んでしまった私を心配したのか、アンジュが顔を覗き込んできた。
「うううん、何でもない。それじゃそろそろ帰ろうかな?アンジュは王都に住んでるの?」
「あ・・・ボクは王都には・・住んでいないよ。」
アンジュは視線を逸らせながら言った。
「そう?それじゃ私、これからタクシーで帰るから、アンジュも一緒に乗って行こうよ。アンジュの住んでるところまで乗せて行ってあげるから。」
「大丈夫っ!ボクはまだ王都でやらないといけない事があるの。だから帰るつもりはないから、ハルカは気にしないで家に帰りなよ。」
「そう?アンジュがそこまで言うなら・・・。あ!ねえ、明日何処に行けばアンジュに会えるかな?」
「ボクなら明日も図書館にいるから、ハルカの都合の良い時間に来れば大丈夫だよ。」
アンジュはにっこり笑いながら言った。
そして私たちはお店を出ると、アンジュはこれから行くところがあるからと言って私に手を振ると去って行った。
アンジュの後姿が見えなくなるまで見送ると、私はタクシー乗り場へ向かいながら王都を歩いていると、遠目に見覚えのある後ろ姿が目に入った。
黒髪に黒いマントを羽織ったその人は・・間違いない。公爵だ。
何故か足取りがおぼつかない様子でフラフラと歩いているようにも見えたが、どうにも顔を合わせずらく、私は声をかけずに再び歩き始めた―。
タクシーに乗ってリッジウェイ家に戻って来た頃には日は完全に落ちていた。
両親には今迄何処へ行っていたのか心配されたが、特に咎められる事は無かった。
それより気になったのがマリウスだ。未だに姿を見せないどころかアリオスさんの姿も無い。そこで私は夕食の席で父に尋ねてみる事にした。
「あの・・・マリウスとアリオスさんは・・どうしたのですか?」
「ああ、あの親子はこれから半月の間、自分の領地へ一旦戻る事になったのだよ。」
「えええっ?!そ、そうなのですか?!」
まさかマリウスが私にそんな大事な事を話さずに行ってしまうなんて・・・!もしやこれは父親であるアリオスさんの陰謀では・・・?
「何だ?マリウスがいなくて寂しいのか?」
父はどこか私をからかうように言うと、ワインを飲んだ。
「いいえ、そんなことは決してありません。」
そこだけはきっちり私は強調しておいた―。