第8章 3 今の私にできる事
1
私は突然目が冷めた。窓の外を眺めると夜明けが近いのだろうか、空が白んでいる。そっと自分の頬を触ると涙で濡れていた。大丈夫、私はノア先輩の事を覚えている。初めての出会いから昨夜見た夢の世界の最後のお別れ迄・・・。
ベッドから起きあがると、耳についているピアスに触れてみた。
そう、このピアスはお別れの最後にノア先輩が私にくれた物だった。
「ノア先輩・・・私、全部思い出しましたよ。もう・・・絶対にノア先輩の事忘れたりしません。そして・・・必ず先輩を助け出しますね。例え自分が罪人として裁かれる事になったとしても。」
今までの私は自分が身に覚えの無い濡れ衣を着せられて罪人として捕らえられ、裁かれてしまうのだとばかり思っていた。だからそれを回避する為に逃げる事ばかり考えていたのだが、事実はそうでは無かったのだ。
恐らく夢の中で見た私はノア先輩を助けるために門を開け、どういう経路があったのかは分からないが、アラン王子達に捕らえられ、公爵によって裁きを受ける事になったのだ。でも・・・ノア先輩を救えるのなら、今の私はそうなっても構わないとさえ思っている。
あの時に見た夢の中ではノア先輩が皆と一緒に夢の中に出ていた。と言う事は、私はノア先輩を救出する事に成功したのだ。
そして、その代わりに捕らえられて流刑島へと送られることになる・・・。
けれどそれには大きな痛手を負う。リッジウェイ家の全財産を没収される事になってしまう。家族には迷惑をかける事は出来ない。せめて私が作った財産だけでも信頼出来る誰かに預かって貰い、没落という道だけは避けないといけない・・・。
どうしよう、誰に預かってもらうのが一番安全だろうか?
私は夢で見たあの時の光景を必死で思い出してみる。
あの場にいた人物でお金を預かってもらうのに最適な人物は・・ダニエル先輩か生徒会長だ。
うう・・・でも生徒会長にだけは絶対にお願いごとはしたくない!
そうなると、残る一人はダニエル先輩だ。幸い、ダニエル先輩は意外とノア先輩と仲が良かった。
「もう、学院が始まるまではダニエル先輩とは会えないしな・・。」
私はポツリと呟いた。
となると、今の私が出来る事は1つしかない。もっともっと自分の手持ちでいらない服やアクセサリーなどを売り払って現金化してお金を貯めておかなくては・・・。
「ああ・・・。こんな時、ジェシカが免許を持っていたらな・・・。」
私は溜息をついた。
「え?ジェシカが免許を持っているかだって?」
私は朝食が終わり、出勤する直前の兄を捕まえて自分が車の免許を持っているかを尋ねた。
「はい、学院にいた頃は週末に開かれる門を通って簡単に町へ行く事が出来たのですが、我が家から王都までは遠いですよね?私は転移魔法も使えないので自由に王都へ行き来したいのです。だから車の免許を私が持っていたかお兄様に確認しておきたくて。」
私の言葉を兄は目を丸くして聞いていた。
「お兄様?」
「い、いや。本当にジェシカは記憶を無くしてからはすっかり人が変わったようになってしまったね。以前のジェシカなら自分で運転をするなどという発想すら無かったからね。いつでも自分が出掛けたい時に運転できる使用人を呼び出しては王都迄連れて行かせていたから・・。」
「そ、そうだったんですね・・・。」
ああ、もう!本当にこの世界のジェシカは最低女だったみたいだ。私が一番嫌悪するタイプの女だっ!
「ああ、でもピーターがいるな。彼に頼んでみたらどうだ?1日おきに王都へ商品の仕入れの為に出掛けているそうだから。」
「ピーター?」
私は首を傾げた。何やら初めて聞く男性の名前だなあ・・・。
「ほら、リッジウェイ家の近くに家が建っているだろう?そこに住んでいる庭師だよ。」
アダムの言葉で私は初めてマリウスとこの地へやって来た時に魔力切れで倒れてしまったマリウスを助けるために私が駆け込んだ家に住んでいる男性の事か。
「ありがとうございます、お兄様。それでは後で彼の家を訪ねてみる事にします。」
すると兄は窓の外をチラリと見ると言った。
「いや・・・わざわざ訪ねてみる必要はもう無いと思うよ。」
「え?どういう意味ですか?」
「ほら、見てごらん。もう彼はここへ庭仕事をやりに来ているよ。」
兄の視線の先を追うと、そこにいたのはあの時の栗毛色の青年だった。
「彼の名前がピーターと言うのですか?」
「ああ、そうだよ。まずは彼に聞いてみるといいよ。それじゃ、ジェシカ。僕はもう仕事に行かないといけないから。」
「はい、行ってらっしゃいませ。お兄様。」
私はアダムに手を振って見送り、姿が見えなくなるとピーターの元へ行った。
「お早う、ピーターさん。」
「うわあ?!ジェシカお嬢様?お、おはようございます!」
庭仕事の手を休めるとピータ―は慌てて私に頭を下げた。
「あの、実はピーターさんに尋ねたい事があるんだけど、1日おきに王都へ行ってるって本当?」
「ええ。本当ですよ。今日もこの後行くつもりなんです。」
おおっ!何てラッキーッ!
「あの、もし迷惑じゃなければ私も一緒に王都へ連れて行って貰えないかな?」
「え?!ジェシカお嬢様をですか?!」
ピーターは露骨に嫌そうな顔をした。はあ・・・やっぱりそうなるよね?
「ごめんなさい、突然こんなお願いしてしまって。迷惑だったよね?忘れて。」
背を向けて歩き始めると背後から声がかけられた。
「い、いえ!迷惑とかそう言う訳では無いんです!ただ、俺の乗ってる車が農作業用の汚れた車なので、仮にもリッジウェイ家のお嬢様をお乗せする事が出来ないような車でして・・・。」
ピーターは慌てたように言う。
「何だ、そんな事ならちっとも気にする必要無いのに。私はどんな車だって大丈夫だから。」
でも、そこまで言って気が付いた。今のはひょっとすると遠回しに断る口実を言ったのかもしれない・・・。
「あ、あはは・・・。ご、ごめんなさい。やっぱりいいです。それじゃお仕事頑張って下さいね。」
私は背を向けて歩き出し・・・・。
「待って下さいっ!」
背後から呼び止められた。
「ピ、ピーターさん?」
「ジェシカお嬢様、大丈夫です。俺はちっとも迷惑だとは思っていませんから。そこまでして王都に行きたいって事は何か大事な用事があるんですよね?大丈夫です。お嬢様の出掛ける準備ができ次第、王都に一緒に行きましょう!」
ピーターは笑顔で言った。
おおっ!なんて理解力のある青年なのだろう!
「あ、ありがとう!それじゃすぐに準備してくるね!」
私は急いで部屋に戻ると、以前売り損ねたトランクケースを誰にも見つからないように細心の注意を払いながら持ち運び、ピーターの所へ向かった。ついでに来ていた洋服も貴族令嬢が来ているようなワンピースドレスでは無く、町娘が着るような庶民的な服に着替え、髪も後ろで1本の三つ編にしてきた。これも一応変装のつもりである。
私の姿を見てピーターはポカンとした顔をしたが、すぐに我に返って言った。
「これは驚きました、ジェシカお嬢様ですか?いや~見違えましたね。これは何処をどう見ても庶民の女性に見えますよ。」
「本当?ありがとう。それじゃ早速で申し訳ないのだけどこのトランクケースごと売りに出したいの。王都の質屋さんで降ろしてくれたら後はタクシーに乗って1人で帰れるから。」
するとピーターの顔色が変わった。
「な、何を言ってるんですか?ジェシカお嬢様を1人置いて帰れるわけないじゃないですかっ!最後まで俺もお付き合いしますよ。」
こうして私とピーターは一緒に王都へ出掛ける事になった・・・。
2
「すみません、こんな車で・・・。」
ピーターは何度も私に謝りながら車を運転している。何もそんなに恐縮しなくてもいいのに。ドアも屋根も無い車だが、丸いフォルムのデザインが素敵で中々良いと私は思っている。
「どうして?窓やドアが無い車って奇抜で、逆に素敵だと思うけど?」
「でも・・・雨の日は乗れないし、それに・・・冬は寒いですよ?今日だって・・・ジェシカお嬢様、寒くは無いですか?」
「それは確かに雨の日は乗れないけど、寒ければ服を沢山着こめばいいだけじゃない?」
後れ毛を押さえながら笑顔でピーターに言うと、彼は少し顔を赤らめた。
「そう言って貰えると・・・嬉しいです。お金を貯めてやっと買った俺の愛車なんですよ。仲間内からは屋根もドアも無い変な車だって馬鹿にされますけどね。俺にとっては最高の車なんです。」
ピーターは笑顔で話してくれた。
「そうよ、そんな人達の言葉なんか気にする事ないってば。私もこの車、好きよ。だって丸い形が可愛らしいじゃない。」
「え・・・?」
ピーターが目を見開いて一瞬私を見た。
え?もしかして変な事を言ってしまっただろうか?
「何?私・・・気に触る事言っちゃった?」
「い、いえ。そうじゃないです。ジェシカお嬢様が初めてですよ。この車の事、褒めてくれたのは・・・ありがとうございます。」
「そう言えば馬を飼っていたようだけど、あまり馬は使わないの?」
「ああ、実はあの馬はもう高齢なんですよ。車を買うまではあの馬で荷台を引いて良く王都に仕入れに行っていたんですけどね・・・あまり無理をさせられないと思って車を買ったんですよ。」
ああ、なるほどね・・・。
「それじゃ、あの馬はピーターさんの大切な家族みたいなものだね?」
「はい、その通りです。ところでジェシカお嬢様。何故マリウス様に王都に連れて行って貰わなかったのですか?」
ピーターは何気なく聞いてきたのだろうが、思わず言葉に詰まってしまった。
「そ、それは・・・マリウスには言わないって約束してくれる?」
「はい、勿論です。」
ピーターは何だかんだ緊張しているように返事をした。
「実はね・・・私、記憶喪失になってから、性格がすっかり変わって服の好みも変わったみたいなの。今迄着ていた服は全部売って処分しようかと思って、それで質屋さんに行きたくて今回、ピーターさんがよく王都に行く事を兄から聞いて願いしたの。本当に急にごめんなさい。でもすごく助かったわ。ありがとう。」
改めてお礼を言うとピーターはますます恐縮してしまったように言った。
「そ、そんな迷惑とかお礼なんて、とんでも無いです。俺はリッジウェイ家の使用人なんですから。」
使用人か・・・。そんなつもりでお願いした訳でも無いし、使用人と卑下したような言い方別にしなくてもいいのに・・・。
その時、ピーターが指を指した。
「あ、ジェシカお嬢様!王都が見えて着ましたよ!」
王都に到着後、駐車場に車を停めたピーターは私のトランクケースを持って、2人で並んで歩く。
ピーターが言った。
「ジェシカお嬢様、すみませんが仕入れに行く時間が決まっているので先に俺の用事から済ませていいですか?」
そうか、彼も忙しいんだものね。それなら・・・。
「うううん、そこまで付き合ってもらうのは悪いから、質屋さんの場所の地図を書いて貰える?そしたら私、1人で行ってくるから。」
するとピーターは困惑の表情を浮かべた。
「い、いえ。でもそれでは・・・。大体ジェシカお嬢様をお一人で行動させるわけにはいきません。」
「いいから、いいから。これでもセント・レイズ学院に通っていた時は、1人で町に行って買い物したり、食事にも行ったりしていたんだから、大丈夫だってば。ほら、あそこに噴水が見えるでしょう?11時にあの場所で待ち合わせしましょう。」
「ジェシカお嬢様がそのように仰るなら・・・。」
そしてピーターはメモ帳とペンを取り出し、サラサラと地図を書き、ピッと切って渡してきた。
「こちらになります。」
「ありがとう。」
私はメモを受け取るとトランクケースをピーターから受け取り、質屋へと向かった。
約40分後・・・
「流石は王都の質屋は違うな~。こんなに高値で引取してくれるんだもの。」
今回は驚くべき値段がついたので私はすっかり機嫌が良い。何せ500万程の金額になったのだから。念の為に服の中に縫い付けた財布に金貨をしまい、待ち合わせ場所に向かう事にした。
もうピーターは来ているのだろうか?
「あ、いた。」
ピーターは待ち合わせ場所の噴水に既に来ていた。私に背を向けた格好でいるのだか、なにか様子がおかしい。
「・・・?」
よく見ると二組の男女のカップルに絡まれているようだ。
私は慎重に近付いてみる事にした。
「よう、ピーター。お前こんな所で仕事サボってるのか?」
男Aが言う。
「違う、待ち合わせをしてるんだ。」
「待ち合わせ?まさか女か?」
男Bがニヤニヤしながらピーターの肩に腕を回す。
「女だって?まさか、無い無い。こいつに限ってそんな訳無いだろう?」
「そうよね~あんな変な車に乗っている男を相手にする女がいるはずないもの。」
派手なメイクをした女Cが馬鹿にしたような顔つきでピーターを見ている。
「あら、やめておきなさいよ。あんまりいじめちゃ可愛そうよ?」
女Dはそう言ったが、その顔は明らかに面白がっている。
「・・・・。」
ピーターは明らかに悔しそうに下を向いて、悔しそうにしていた。
私はその様子を見てムカムカしてきた。
一体彼等は、何者だろう?あんなにピーターを馬鹿にして・・・。
もう黙っていられなかった。
「お待たせっ!ピーター。」
私はわざと大きな声でピーターに声をかけた。
私の声に驚いてこちらを振り向く彼等。
「遅くなってごめんなさい、待った?」
私は言うなりピーターの腕に自分の手を絡ませ、すり寄って見上げた。
「ジェシカお・・・。」
私はピーターが何か言おうとする前に彼等を見渡すと言った。
「あら?ピーター。この方達は?お友達?」
わざとらしく首をかしげてみる。
「か、可愛い・・・。」
Aが言った。
一方のBは私に見惚れているのか、顔を赤く染めている。
その様子を見て面白く無いのは女達だ。
「な、何よ。あんた・・・突然割り込んで来て。」
「そうよ、何者なのさ。」
女C、Dがヒステリックに喚いたので言ってやった。
「何者も何も私はピーターの恋人だけど?あなた方は彼のお友達ですか?」
「嘘だろうっ?!」
男A。
「ま、マジかよ・・・。」
男B。
「し、信じられないわ・・・。」
女C。
「私より美人だわ・・・。」
女Dはボソッと呟く。
「ねえ、ピーター。早くデートに行きましょう。私、貴方に会えるのずっと楽しみにしていたんだから。」
私はピーターの指に自分の指を絡めて見上げる。
ピーターは顔を真っ赤に染めているが、私の考えが理解出きたようだ。
「あ、ああ。行こうか?それじゃ、俺たちは用事があるから。」
ピーターは4人に言う。彼等はまだ信じられないと言う目でこちらを見ている。
「ごきげんよう、皆様。」
私はわざとらしい挨拶をすると、ピッタリとピーターの身体に身を寄せて、さも仲良さげなカップルになりすまして、その場を去った。
去り際に彼等を見ると、全員が呆気に取られた目で、私達を見つめていた。
特に男性陣は悔しそうにしているではないか。
あー気分が良いなあ・・・。