8話 タコさん、口説いてみる
「うーん、おいしー。あ、みなさんもどうぞ召し上がれ」
タコは誰よりも先にパクパクとスプーンを進めていた。
警戒をしていたアレサンドラもそれを見てオートミールを一さじすくい食べる。軟らかめに煮てあるようで、ミルクの甘味と合わせて疲れた体に心地良い。
「美味しい……」
思わず言葉が漏れた。久しぶりの温かい食事、痛みの無い体、闇の中からの刺客を恐れなくていい場所。張りつめていたものが涙となって出ていきそうになり、必死でこらえる。
隊員の中には耐えきれず目頭を押さえている者がいたが、それを止める気にはならなかった。
「お口に合ったようね。良かったわ」
そういうタコも満足げにオートミールを食べている。その姿はアレサンドラたちに合わせて食べているというよりも、この食事を心から楽しんでいるようだった。
事実、タコが一緒に食事をしているのは、単にいろんなものが食べてみたいだけ、というのが大きかったが。
食事を終えたところでタコが口を開く。
「さて、それじゃ話を聞きましょうか。あなたたちはだーれ? 何であそこにいたの?」
「それは……」
「姫、私から話しましょう」
つらい内容になることが分かっているヴァレンティーナが話を引き継ごうとする。しかし、アレサンドラはこの場の指揮官として、その役割から逃げることはしたくなかった。
「いえ、私が話します。私は、ナスキアクア王国の王女アレサンドラ。ここに居る者たちは私の親衛隊であり、彼女は親衛隊長のヴァレンティーナです。私たちがなぜあの村に来たのかというと……」
そして、アレサンドラはここに来るまでの経緯を説明し始めた。
◆
「ほうほう、叔父に裏切られ、魔族に国を攻撃され、父親を殺され、ここまで逃げてきたと」
「……はい」
情けない。今思い出しても自分の不甲斐なさが許せなくなる。そう思ったアレサンドラはうつむいて手を強く握ってしまう。だが、そんな彼女に聞こえてきたのはタコの派手な泣き声だった。
「な“、な“ん”て“か”わ“い”そ“う“な”の“ー!」
タコは目から流れる涙を隠そうともせず、おんおんと声を上げて泣いている。そこに、横からオクタヴィアがさっとハンカチを差し出した。それで改めて目元を拭きながらアレサンドラに答える。
「良し、ここで会ったも何かの縁よ! あなたたちは私が保護します、好きなだけここに居なさい!」
突然の宣言に全員が戸惑ってしまう。さらに、タコの提案はそれだけではなかった。
「それから追加で、叔父さんや魔族たちに復讐するのもバックアップしてあげるわ!」
とんでもない申し出ではあるが、それはとても魅力的なものだった。この方の協力を得られればきっと叔父も魔族も倒せるだろう。アレサンドラにそんな考えがよぎる。
だが、そこでタコの表情が変わった。まるでいたずらを思いついた子供のように、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「ただしサンドラちゃん、こっちはあなたが悪に堕ちるならね」
「……先ほどもあなたは私にそう言いましたよね? その、悪に堕ちるとはどういう事なんですか?」
タコは待ってましたと言わんばかりに立ち上がると、オクタヴィアの方を触手でバーンと示す。
「お、興味ある!? 分かりやすく言えばここに居るオクトちゃん、この子はこの世界における悪堕ち第一号でね。つい一月前は剣も持てないような普通の女の子だったのよ。彼女の強さは、ティーナちゃんが良く知ってるわよね?」
オクタヴィアはフード付きのローブを脱ぐと、爪と翼を出して人外であることをアピールする。その姿にタコはご満悦だ。
確かに、ヴァレンティーナはオクタヴィアの強さを肌で感じている。それがタコから与えられたものだと聞けば、驚きと嫉妬が混ざった複雑な感情が顔に出てしまった。
「ほら、人を辞めればこんなに強く、美しくなれるの。悪い話では無いんじゃなくて?」
「……あなたの言うことが分からないわけではないです。しかし、それは出来ません。私は王族として国を取り戻さないといけません。そのためには、人間であることを辞めることは出来ません」
アレサンドラはあくまで理性的に拒絶を口にする。だが、タコを見据えるその瞳には、迷いと恐怖を押し殺しているのが見て取れた。
そして、提案を断られたというのにタコの方は特にリアクションもしない。椅子に座り直すと、自然な動作でテーブルからオレンジを一つ取る。
「ふーん。でもさ、その『取り戻したい国』とやらは、今どこにあるのかしら?」
アレサンドラの心に鋭いとげが刺さる。認めたくない現実が襲い掛かってくる。
そう、愛した父も、慕ってくれた臣下も、守るべき国民も、奪われたのではない。もう、存在しないのだ。
彼女が打ちひしがれる様子をあえて気にしないかのように、オレンジを食べながらタコの言葉は続く。
「まぁ、まだちょっとくらいは残ってるかもしれないけど、タコさんの手を借りない正攻法でそれを取り戻すのが間に合うかしらね?」
タコが言葉を紡ぐたびにアレサンドラの心は切り刻まれていく。その言葉が間違いない事実だという事が重くのしかかってくる。
「それに、今のあなたにはもっとしたいことがあるんじゃない?」
そこでタコの雰囲気が変わった。テーブルの上で触手を組むと、子供をあやすような優しい声で話しかけてくる。
「憎いでしょう? 理不尽に自分の世界を奪った全てが」
アレサンドラは、自分の心を読まれたかのようなタコの言葉に思わず顔を上げる。それに対してタコは、にっこりと微笑むと視線を合わせながらゆっくりと話を続けた。
「叔父や魔族をぶん殴ってみたくない? 国を汚した者たちに復讐したくない? 恩知らずな民衆に色々と分からせてやりたいとか思わない?」
その言葉は、アレサンドラの心にある黒い部分を的確にくすぐる。
彼女自身も、自身の手で彼らに天誅を下すことを頭の中で何度も考えていた。それが、自分をさらに惨めにすることが分かっているのに。
「私が、あなたの望みを叶えてあげる」
タコの言葉がアレサンドラの頭に反響して何度も響き渡る。それが叶えられるなら、どんなに気持ちが良いことだろう。
だがそれは、人として正しい道ではない。彼女は必死に誘惑を振り払おうとする。
「あ、あの!」
突然、二人の間に割り込むような声が上げられた。
「その、タコ様……でしたよね? うちの姫様も疲れてますし、返答は後日という事に……しません?」
声を上げたのはシンミアだ。先ほどタコから感じた恐怖を忘れられないのか、絞り出したような声で訴える。
その声に反応したタコの視線がシンミアの方を向く。思わず彼女は震えて姿勢を直していた。
「おっと、言われてみればその通り! タコさん気が急いてたわね。失敬、失敬」
しかし、タコから出たのはお気楽な謝罪の声だった。さらに、触手で自分の額をぺちんと叩く。
「それじゃ、続きはまた明日にしましょうか。オクトちゃん、皆を案内してもらっていい?」
「かしこまりました」
翼や爪をしまったオクタヴィアが立ち上がって、部屋のドアを開ける。
アレサンドラはため込んでいたものを吐き出すかのように息を吐くと、皆の方に目を向けて言われた通りにすることを伝えた。
「それではみなさん、こちらにどうぞ」
オクタヴィアに促され一行は部屋を出る。後ろにはマツリカとクロもついてきた。
最初は監視かと思っていたアレサンドラも、彼女たちが特に警戒していないことに気づく。ヴァレンティーナが軽くいなされたことを考えれば、そもそも危険であるとは思ってないのだろう。
そして、オクタヴィアがとある部屋のドアを開いた。そこには青く光る魔法陣が設置されている。
そこに彼女が無造作に入り込むと、その姿が一瞬で消えた。突然の事に驚いていると、その理由に気が付いたマツリカが説明する。
「あ、それは転移の魔法陣だよ。客室に繋がってるから、入って入って」
「転移の魔法陣!? 作成方法は失伝したはずでは!?」
はるか昔、優れた魔法技術を持った王国があったという。だが、その王国は何らかの原因で滅び、それらの技術はほとんどが失われてしまった。転移の魔法陣もその一つである。
現在では発掘された数台の魔法陣が利用されているだけで、アレサンドラ自身もそういったものがあると本で読んだことがあるだけだ。
「え? それならタコ様が作れるよ? 素材が必要なのと、支配地域? じゃないと転移できないらしいけど」
そう言いながらマツリカがクロと共に魔法陣に入る。すると、彼女らも同じように姿を消した。アレサンドラは息をのむと、魔法陣に足を踏み入れる。
先ほどの転移のように一瞬、軽いめまいがすると、そこは確かに先ほどとは別の部屋だった。待っていたらしいオクタヴィアが「こちらです」と手で道を示している。残っていた者も順次、こちらに転移してきた。
ますますここに居る存在の力に畏怖を感じながらも、一同は先に進む。
「ここから五部屋をお使いください。内装は同じですので、簡単にこの部屋で説明しますね」
「説明?」
部屋の説明とはどういうことかと思った一同だったが、中に入ればすぐにその言葉の意味が理解できた。
天井にある大きな光源。飲み物の入った温度が調整されてる箱。シャワーのついた風呂。サイズが調整される服が何着も入ったタンス。
どれもタコが設置したギルドの施設であるが、アレサンドラたちはマジックアイテムだと理解したようだ。
実は、同じような部屋をあてがわれたオクタヴィアも、使い方もよく分からず混乱した経験がある。それもあってタコも案内役にちょうど良いと思ったのだ。
ある程度はマジックアイテムになじみがあるアレサンドラだったが、客室と言われてここまで設備がそろっているとは思わなかった。
大国とは言えない彼女の国では、この設備のうち一つ二つでも持っているのは王族と、一部の貴族程度である。
「あの、私たちは別に一般用の部屋でも……」
「すみません、今のところ部屋はこの種類しかないんです。王族の方と全員同じで申し訳ないですが、ご了承下さい」
その言葉に一同はまた驚く。廊下を見ただけでも部屋はまだたくさんあった。それだけの部屋に、全てこれだけの施設がそろっているのか。
「それでは、何かありましたら私は隣の部屋にいますので。明日の朝……お疲れの様ですし、昼過ぎくらいの方がいいですね。その頃にお呼びします」
そう言ってオクタヴィアは出て行った。それにより、今まで張りつめていた一同の緊張感が解けていくのが分かる。
アレサンドラも空気を変えようと、なるべく元気のよい声を出して皆に話しかけた。
「皆、色々と言いたいことはあるでしょうけど、今日は休みましょう。それと……シンミア」
「は、はい!」
タコとの会話に割り込んでしまった事かと思い、シンミアは思わず気を付けの姿勢をとる。
要人、それどころか神との会話に割り込むなど不敬極まりない事であり、気を害されてはどうなるか分からないところだった。それに対する叱責が来るだろうと身構える。
「ありがとう、あなたのおかげで踏みとどまれたわ」
「え? ……と、とんでもないっす!」
しかし、アレサンドラは素直に礼を述べた。あの場で声を出してくれたことにどれだけ救われたのか考えるまでもない。恐縮するシンミアだが、そこに突然ヴォルペが大声と共に頭を下げた。
「ももも、申し訳ありません、姫様! わたわたわた……私のせいでこんな事に!」
彼女はいつも前髪で目を隠しており、口を開くとどもってしまう癖がある。だが、その声はいつにもまして震え、今にも泣きそうなのがよく分かった。
恐らく、アレサンドラが村を襲うという判断が、自分が大怪我をしたせいだと責任を感じてるのだろう。もちろん、それを彼女のせいだと考えるものはこの場にいない。
「いいのよ、ヴォルペ。すべては私の判断ミスよ」
「ししし、しかし!」
「ヴォルペ、ストップ。それ以上言っても、姫を責めるだけ」
レオーネが食い下がらないヴォルペを引き離す。さすがに自分が言っていることが逆効果であることに気づいた彼女は、大人しくなってしゅんと頭を下げた。
「疲れているでしょうし、今日はもう休みましょう」
そんな彼女の頭を優しく撫でてアレサンドラが言うと、シンミアたちはゆっくりと部屋から出ていく。
しかし、ヴァレンティーナだけは申し訳なさそうな顔をしたまま残っていた。何か言いたそうに胸の前で左手を握っている。
「姫……」
「ごめんなさい、ティーナ。今は何も言わないで」
邪神の誘惑に乗り姫であることを逃げようとした自分が、彼女にどんな顔をすればいいのか。そう思って顔をそむけてしまう。しばらくするとヴァレンティーナも何も言わず部屋から出ていった。
それを確認したアレサンドラは布団に倒れこむ。考えなければいけないことは多い。そう思っていても、疲れた体はすぐさま眠りに落ちていった。