7話 タコさん、招待する
深夜、廃村の近くにヴァレンティーナとシンミアの2人が潜んでいた。
自身も戦おうとするアレサンドラは、「あなただけは絶対に生き延びなければならない」、「重傷のヴォルペを看病する者が必要だ」と説得し、ここには連れてきていない。レオーネはその監視役に残ってもらった。
「魚人の子供はあの小屋っすね。他の者はあちらの小屋で、物置小屋は恐らくあそこかと」
「物置小屋から光が漏れているな……仕方がない、なるべく静かに近づくぞ」
欲しいのは食料や薬草だけだ、無駄な戦闘は避けたい。しかし、いざというときに手を止めることだけはしない。そう心に決めると息をひそめて小屋に近づく。
引き戸の隙間から内部を覗くと、荷物を整理していると思わしき魔族が1人、話にあったローブを着ている者がいた。
近くに人間がいることに気づいている様子もない。ならば今が好機と、シンミアが静かに引き戸をずらし、ヴァレンティーナは素早く魔族の背後を取る。
「騒ぐな」
「……っ!?」
腕をとられ首に剣を押し付けられた魔族は、一瞬体が硬直するも声を出さずに動きを止めた。
腕を握ったヴァレンティーナは、何か固い鱗のようなものが生えていることに気づく。リザードマンの類かと推測するが、剣の感触で首に鱗が無いことを確認すると、その考えは一度置くことにした。
「食料と、あれば薬草を出せ。そうすれば危害は加えん」
「しかし、それが無くては我々も生活できません。ここには子供が……」
魔族がそこまで言うと、ヴァレンティーナは腕を締め上げる力を強め、刃を首にぴったりと張り付ける。
「子供が大事だと言いながら、我ら人間を平気で殺すのは何処のどいつだ……! 知らないとは言わせんぞ!」
何とか声を抑えているが、そこには隠し切れない怒りがにじみ出ていた。今にも魔族の首を切り落としそうである。
だが、それが理解できないのか魔族からはほとんど反応が無い。その事へヴァレンティーナが疑問を感じるより前に魔族の口が開かれた。
「知らないと言っても、信じてもらえないのでしょうね」
「……? なっ!?」
魔族の右手がすっとヴァレンティーナの腕に添えられる。それに気が付いた瞬間、彼女は腕をひねられ、体が一回転して地面に転がっていた。
「ぐはっ!」
背中を打ち付けて口から空気が漏れる。だが、この程度の痛みで動きを止めるわけにはいかない。すぐさま腕を振りほどこうとするが、それはまるで巨大なドラゴンに掴まれているかのようにびくともしなかった。
そのまま魔族は左手から爪を伸ばすと、ヴァレンティーナの首に添える。
「勝負ありですね」
「くそっ、シンミア……!?」
おかしい、そもそもこの状況でなぜ彼女が動かないのか。不審に思って入り口の方を見ると、そこには完全に開かれた扉と、倒れているシンミア。そして、不気味に微笑む人魚の魔族が立っていた。
「おーほっほっほ! この娘は私が麻痺させたわ。これからどうなるかは……あなた次第よ」
そう、そこにいたのはタコである。
タコは彼女たちがこの廃村に近づいているのに気が付いていた。正確には、人狼のクロが発見し報告をしていたのだ。
タコの目的は廃村を拠点とした情報収集であり、「誰か来てくれば都合がいいな」とも考えていた。そのために、わざわざ警戒されないようなメンバーを村の開発要員に当てている。
だが、さすがに初期メンバーだと怪しすぎるかなと思っていたところ、オクタヴィアが協力を願い出たので、これ幸いと追加で行ってもらった。
もちろん、村に近づくのが盗賊などのろくでもない者だったら早々にお引き取り願うよう、開発メンバーには言ってある。
だが、高貴そうな女性と女騎士の集団と聞いては放っては置けない。どうにかして村にお呼びしようと考えていたら、向こうから来てくれたというのが今の状況だ。
それでも、子供を人質に取るようだったら対応も考えていただろうが、ぼろぼろな彼女たちの状況を察すれば同情の余地はある。
タコも暴力的なことはしないよう、オクタヴィアにチャットで連絡をしておいた。
「さて、とりあえずは話を聞きましょうか。まずはこっちへ……あら?」
ヴァレンティーナを小屋の外に連れ出し、タコが魔法で麻痺させようとする。だが、そこへ水の弾が飛来し、タコの目の前に着弾した。
「お待ちなさい! その者に対する狼藉は私が許しません!」
「……姫!? なぜここに来たのですか!?」
水が飛んできた方を見ると、アレサンドラが1人こちらに向かってきている。どうやら自分が安全な所に残っていることが許せなかったようだ。
彼女は腰から護身用に持たされていたレイピアを抜き、タコに突きつける。
「魔族よ! 彼女たちをこちらに渡しなさい」
「えー? タコさんは村を襲う悪漢を退治しただけですけどー?」
とりあえずは正論を返してみるタコだが、アレサンドラも魔族に対する恨みが強く、激しい口調でタコに反論する。
「あなたたち魔族だって、人を殺して略奪をしているでしょう!」
「ふーん? じゃあ、私が死んだら、残った子供たちは人間を襲ってもしょうがないわよね? それとも、子供たちも根こそぎ殺していく?」
さらなるタコの反論にアレサンドラも言葉が詰まってしまった。その理屈は分かるのだろうが、さすがに子供を殺すことなどできるはずがない。
彼女の苦悩が見て取れるタコは、その様子がツボに刺さったのかくねくねと身悶えする。
「ふふ、いいわぁ。あなた、今まで正義の道に生きて来たんでしょう? そんな子ほど悪へ堕としてみたくなるのよねぇ」
そのまま触手を自分の頬にあて妖艶な笑みを浮かべる。アレサンドラはその全身を舐めまわすような視線に寒気を感じ、思わずのけぞってしまう。
「ひっ! や、やはり魔族となれば性根は悪の様ですね。今ここで、あなたに引導を渡します! 『水よ、刃となり敵を切り刻め!』」
アレサンドラがレイピアを振るうと、その先から水の刃が生まれタコに放たれた。だが、タコはとっさに自分を庇おうとするオクタヴィアを触手で制止するだけで、刃に対しては無防備なまま動かない。
そのまま水の刃がタコの触手にぶつかる。しかし、それは鈍い音を立てただけでタコの肌には傷一つなかった。それもそのはず、タコは種族の能力や装備により、水属性に関しては完全な耐性を有しているのだ。
「ふむ、やっぱりこの世界の魔法にも耐性は有効なのね。よかったよかった」
「な……無傷!?」
「姫、お逃げ下さい! こ奴らの力は侮れません!」
「うーん、そうされると困るのよねぇ。クロちゃーん!」
「はっ!」
恐らくここに居る仲間を見捨て逃げることは無いだろうが、念のためタコは小芝居を挟むことにした。
音もなくクロがタコのそばに現れると、その前に拘束されたレオーネとヴォルペが転がされる。
「なっ!? なぜ彼女たちがここに!?」
これは、今にも死にそうな人がいると聞いたので、タイミングを見計らって回収するようにクロへお願いしておいたのだ。
さらにタコはインベントリからポーションを取り出すと、アレサンドラから良く見えるように軽く振るう。
「ここに、生命力を回復させるポーションがあるわ。どう? 欲しくない?」
「……何が目的ですか?」
「言ったでしょ? 私はあなたを悪に堕としたいの。あなたが人間をやめて、私たちの仲間になると言えば、喜んでこれを譲ってあげる」
実は、ヴォルペの傷は命に別状がなくなる程度に癒してある。だが、タコは女の子を悪堕ちさせる機は逃さないと、彼女に揺さぶりをかけることにしたのだ。
「断ります! あなたのような悪を放置しておけません」
「まさか!? いけません、姫!」
「『精霊ウンディーネよ! 我の願い聞き届け、その身を顕現させたまえ!』」
アレサンドラの右腕の刻印から水色の眩い光がほとばしる。すると、彼女の後ろに水の精霊、ウンディーネが現れた。
彼女の父が顕現した時と違い、目を閉じたその顔は少し幼さが残っているが、これは精霊使いとしての実力の差である。
「ほっほー! すごいわねー!」
「はぁ……はぁ……、その余裕も今のうちです! ウンディーネよ、我が敵を打ち倒せ!」
精霊の顕現により魔力や体力を消耗したアレサンドラであったが、その瞳はいまだ闘志を燃やしてタコを睨みつけている。
そして、顕現したウンディーネも契約者の命に従い、その力を振るうため目を開く。だが、次の瞬間……
「ぴぎゃーーーー!」
「え?」
「は?」
情けない叫び声が辺りに響いた。その発生源は疑うべくもなくウンディーネからだ。
彼女は涙目になってぶるぶると震えると、なんと、契約者であるアレサンドラの背中に回り、タコから身を隠そうとしている。
「ウンディーネ?」
精霊のあまりにも錯乱した姿にアレサンドラも困惑していた。すると、ウンディーネはタコを示しながら恐怖に震えた声で答える。
「ア、アレ、カミサマ。ダメ、ゼッタイ、タタカッチャダメ!」
「神、まさか!?」
「あらら、ばれちゃったのね。ああ、なるほど、水の精霊だからかしら?」
ゲームでは人間やエルフなど、転生アイテムを使わないと変更できない『基本種族』と呼ばれるものの他に、吸血鬼やハイエルフなどの『追加種族』と呼ばれるものがある。
取得にはアイテムの入手やクエストの攻略が必要だったり、一定以上の能力値やクラスを要求されるなど、なかなか困難なものが多い。
そして、タコが取得している追加種族は『海神』。
この種族は水属性の強化や耐性の他、水関係の種族に対して精神的な圧力を発する。その結果、弱いものなら服従するようになり、強いものでも敵対しなくなるのだ。
タコとしても邪神を名乗る以上、速攻でこの種族を取得していた。
「ほ、本当にあなたは神なの?」
「それなら、あなたたちにも分かるようにしてあげる」
さらにタコは、海神となったことで取得したスキル《神格のオーラ》を発動する。
これは、低レベルの敵性NPCがプレイヤーを恐れて逃げていくスキルだ。ダンジョンの探索などに便利であり、タコも重宝していた。
タコの思った通り、その効果はこの世界でも遺憾なく発揮される。周囲にいる者たちに、まるで魂を巨大なハンマーで殴られたかのような衝撃が襲いかかった。
すぐ近くにいるヴァレンティーナは恐怖で震えが止まらず、麻痺させられていたシンミアは気を失ってしまう。
距離の離れたアレサンドラでさえ無意識に一歩後ずさってしまい、ウンディーネに至ってはその姿を消してしまった。
「改めまして、私は邪神タコ。こことは異なる世界より来た存在よ」
「邪神……タコ……!?」
「そ、そんな、こんな存在が……」
この恐怖を感じては、もはや疑う余地も無かった。目の前にいるのは自分ごときでは絶対に敵う存在ではない。そう、すべての感覚が告げている。
しかし、当のタコは急にだるそうに脱力すると、触手をだらんと垂らした。
「あー、タコさんそろそろスタミナポイントじゃなくて、シリアスポイントが限界です。マツリカちゃーん!」
「はいはーい! それじゃ<他者転移>!」
待機していた妖精のマツリカが魔法を発動すると、そこにいる面々が一瞬で転移する。
急に転移させられ立ち眩みのようになったアレサンドラだったが、気が付くとそこは、大きなテーブルに複数の椅子がある広い部屋だった。
「さて、みなさん! 我ら『アウトサイダー』の拠点、『伏魔殿』にようこそ! 色々と話をしたいところだけど……あなた達きったないわね。マツリカちゃん、綺麗にしてあげて。あ、その前に傷は治しておきましょうか。えーと<治癒>と<体力供与>、おまけに<覚醒>」
「お掃除しまーす。<清掃>!」
タコは魔法を発動して全員の傷と体力を癒し、意識を覚醒させる。さらに、マツリカが全身の汚れを綺麗にしていった。
「ん……え!? ここは? 姫、隊長、一体何が!?」
起き上がった隊員たちは、突然の状況に皆が混乱している。だが、それはアレサンドラも同じことだった。
そもそも、転移の魔法が使えるものなど人間、魔族に関わらずほとんど存在しない。こんな複数の人間を転移させるならなおさらだ。
さらに、一瞬で自分の傷が無くなり、疲れが吹き飛んだことが混乱を加速させる。
「はーい皆さん、ここに座ってー! ご飯なのー!」
そんな面々をホタルたちが防具を脱がせ、椅子に座らせようとしていた。
さらに、部屋のドアが開くと、人狼のシロが大きな鍋などを乗せた台車を押して入ってくる。
彼女は名前の通りに白い髪を後ろでまとめており、着ている忍者のような服も白を基調としていた。料理をしていたため今はその上にエプロンを着ている。
「オートミールのミルク粥です。体が温まりますよ」
アレサンドラは妙に露出の多いその格好に驚きながらも、台車に乗せた鍋から漂う良い匂いをかげば、否が応にも自分の空腹を認識してしまう。
シロはそれを器に盛ると、椅子の前に一つずつ置いていった。
「こっちは新鮮なフルーツです。あとはジャムとハチミツね」
ほかにも飲み物、ヨーグルトなど置いてシロは部屋から出ていく。
そして、タコはアレサンドラとは反対側に座ると、鼻歌を歌いながらオートミールにハチミツをかけ出した。
「どうしたの? 食べないの?」
「待って下さい! あなたは一体何が目的なんですか!?」
思わずアレサンドラは叫ぶ。
いくら考えてもタコの思惑が分からない。村を襲った私たちを裁こうというのではないのか? なら、料理を出してくるのはどういうことか?
しかもタコは、先ほどは取引の材料に出した隊員の傷を、今になってあっさり治してしまった。
「言ったでしょ? 私は女の子を悪に堕としたいの。ま、細かい話は食事をしてからにしましょうか。お腹が空いているでしょう? それとも、さっきの所に送り返しましょうか?」
「そ、それは……分かりました。皆、ここはあの方の言う通りにしましょう」
「姫……」
先ほどタコから感じた恐怖により、彼女が神かそれに近い存在であることは疑いようが無い。それに、食事が必要なのも事実である。しぶしぶ、アレサンドラはタコの提案を了承して椅子に座る。
その苦悩は親衛隊の面々にも伝わり、彼女たちも何も言わず席についていった。




