6話 国を追われた王女
国が、燃えている。
母が愛した国が。父が守っていた国が燃えている。
その守るべき人々の叫ぶ声が聞こえる。彼らは逃げまどい、傷つき倒れ、無残に殺されているのだろう。あの、恐るべき魔族たちによって。
……そして、あろうことか、我が国の兵士によって。
裏切られた。
まさか、王弟である叔父が反乱を起こすなんて。
確かに政策で父と意見が合わないこともあった。しかし、それはこの国のことを考えてのことだと思っていた。
それが、魔族と手を組んでまで父を亡き者にしようとするとは。
すでに王宮の周囲は魔族と反乱軍に囲まれていた。それでも兵士たちが果敢に立ち向かって行き、無慈悲に切り捨てられる。
王宮の周りに水をたたえる湖。この国の象徴であり、守護精霊ウンディーネが住まう神聖な場所であるはずのそこは、今は血と炎により真っ赤に染まっていた。
必死の抵抗もむなしく、私は父と共に叔父の軍団に捕らえられてしまう。そして、魔法を使えないように魔力が発散する腕輪を付けられ監禁させられた。
数日の後、叔父は私たちに冷たく死刑を言い渡した。
◆
「皆さん。この男は王宮の料理人です。皆さんが少ない食料で苦しんでいるというのに、彼は肉や魚をふんだんに使った料理を王たちに振る舞っていたのです! さぁ、彼はどうするべきでしょうか!?」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
違う、叔父はでたらめなことしか言っていない。王宮とて食料は豊富になどなかった。彼は、少ない食料から様々な工夫をして料理を提供してくれた。
そんな彼は猿ぐつわをかまされ反論することも出来ず、処刑台の上で拘束されている。
処刑台の前には大勢の人が集まっていた。中には叔父が用意した人間もいるのだろうが、それでもこれだけの国民の悪意が渦巻いている様は、見ているだけでこちらの心が冷たくなっていく。
「ヒヒヒ、奴もバカな男さね。『新王につく』とさえ言えば、殺されることも無かっただろうに」
この男も王宮で働いていた者だ。だが、金に目が眩み父を裏切って反乱に加担した。
彼は、戦争で疲弊した国をどうにかしようとする父の苦心を知っているはずなのに、それを一言も証言しようとはしなかった。
「お姫さんは14だっけか? もうちっとで成人だってのに死ぬなんて可哀そうになぁ。けっこういい体してるのによ」
男の下品な視線に耐えきれず思わず目をそらす。だが、そんな反応が気に入らなかったのか、彼は私の髪を掴んで無理やり処刑台の方を向かせる。
そこには、すでに処刑人である巨漢な虎の獣人が両手剣を振り上げていた。
口から叫び声が出そうになるが、私の口にも猿ぐつわがかまされており、むなしく呻くことしかできない。そして、獣人が剣を振り下ろすと首が切り飛ばされる。
首が処刑台の下に落ち、血が吹きだした胴体の方は叔父が魔法で炎を出現させると、一瞬で黒い炭に変わった。
「ははは、見なさいこの力を! 無能な元王は魔族と敵対することしかしなかった。だが、このように魔族とは共存可能です! 現に私は魔族からこんなに素晴らしい火の精霊、サラマンダーを紹介していただいたのですよ! これからはこの力で皆さんをお守りしましょう!」
叔父の言葉に民衆は歓声で応える。そして、ついに私が処刑台に立つことになった。乱暴に髪を掴まれ叔父の前に連れ出せる。
私は無様な真似はしないと叔父を睨みつけるが、彼はにやにやとした視線をこちらに向けていた。
「ふふ、私が憎いですか? ただこれもすべて義兄上が悪いのですよ! ウンディーネの為と言って湖を開発しない。娘を帝国に送り込んで協力を求めることもしない。そんなことでは我が国はいつか滅びる! ならば、私が立ち上がるしかないでしょう!」
叔父は、まるで自分に酔っているかのようにまくし立てる。話すごとに語気が強まり、それに呼応して体から炎が舞い上がっていた。
「皆さん、こちらをご覧ください! なんでしょうか、この華美なドレスは! 皆さんが多大な税で苦しんでいるというのに、彼女はこんなものをまとっていたのですよ!」
違う、それは母が残した唯一の形見だ。私は誓って国費を無駄に使うようなことはしない。父が王の座に着いた時、すでに国は借金にまみれており、そんな余裕は一切なかったのだ。
「兵士が血と汗にまみれて前線で戦っている中、あなたは王宮で安穏とした生活をしていたのでしょう!?」
違う、私は精霊使いとして鍛錬を怠っていない。成人と共に軍を率いて皆を守るはずだった。
「さぁ、皆さん! 彼女を許せますか!? 判決をどうぞ!?」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
目の前にいる民衆は憎悪と怒りに染まった瞳をこちらに向けて、私の死を望んでいる。
……これが、我が国の民の姿か。父が、皆が必死で国の為に尽くしてきたというのに。こんなパフォーマンス一つで、私たちを殺したいほど憎んでしまうのか。
父は「民に見返りを求めてはいけない」とよく言っていた。しかしこれは、あまりにも、あまりにもではないか。
「おっと、そうでした。せっかくの娘の死に様くらいは、義兄上にお見せしましょうか」
叔父がそう言うと、私と同じように拘束された父が連れてこられる。見えないように暴行を受けたのか、歩き方が少しぎこちない。
私から少し離れた位置に父を跪かせると、叔父は口だけ拘束を外す。
「さて義兄上、最愛の娘とのお別れです。一言くらいなら許してあげますよ」
だが、父は私の方を向いて少し微笑むと、民衆の方を向いて大声で訴えた。
「……我が国の民よ! この度の騒動はわしの力不足によるもの、その責は喜んで受けよう! だが、どうか、どうか娘だけは許してもらえないだろうか!?」
「ははは! 残念ですが義兄上、あなたは元々死ぬのです。そのような者の命を取引に使う訳にはいきませんねぇ。そうでしょう、皆さん!?」
「……殺せ! 殺せ! 殺せ!」
父の魂の叫びとも言える声に大衆も一瞬、沈黙したものの、恐らく叔父の手の者が声を上げたのだろう、すぐさま怒りの声をこちらに向けてきた。
「そうか……残念だ……。『精霊ウンディーネよ! 我の願い聞き届け、その身を顕現させたまえ!』」
父の怒気と共に、その右手の甲に刻まれた刻印が水色に光る。すると、その後ろに全身が水で構成された半透明の女性、精霊ウンディーネが顕現した。
その姿は美しく神秘的な雰囲気を放っており、民衆や兵士はその姿に畏怖を感じて思わず後ずさる者や、叫び声を上げる者が出て周囲に混乱が広がっていた。
「馬鹿な! 貴様の体に魔力なぞないはず……まさか!」
顕現された精霊は人間とは比べものにならないほどの魔法を放つことができる。だが、召喚者は魔力と体力を大量に消費することになるため、最後の手段とも言うべきものだ。
さらに、父と私は腕輪の効果より魔力がほとんど残っていない。通常ならば精霊の顕現などできるわけがなかった。
しかし、一つだけ方法がある。それは、自身の生命力を使う事だ。
だがそれは、全身が焼き尽されるような痛みを伴うものであり、生半可な覚悟で行えるものではない。事実、父の口からは赤い血が滴っていた。
「『水よ! 龍となりすべてを薙ぎ払え!』」
周囲が混乱するのをよそに、ウンディーネが魔法を放つ。すると、まるで巨大な龍のような水流が発生し、ここにいる不届き者をすべて洗い流そうと暴れまわった。
「くそっ! 『精霊サラマンダーよ! 我の願い聞き届け、その身を顕現させたまえ!』」
だが、叔父もトカゲの姿をした精霊、サラマンダーを顕現させる。その全身から爆発するように炎が発生し、水流が消滅されていく。
吹き荒れる水流、それを焼き払う炎。周囲は大混乱になり兵士も民衆も逃げまどう。さらに、濃厚な蒸気が霧のように周囲に広がり混乱に拍車をかけた。
「姫! 今のうちです、こちらに!」
声をかけられ後ろを見れば、親衛隊の隊長、ヴァレンティーナが立っていた。私の拘束を解き放つと、抱きかかえてここから離れようとする。
「そんな、父上がまだそこに! ティーナ、離して!」
「できません! 姫、どうか、今は耐えてください!」
ここに父を残してなんて行けない。だが、ヴァレンティーナは私を掴んで放そうとしない。
その時、霧のすき間から父の顔が見えた。確かに微笑んでいたその顔が私に『生きろ』と告げると、次の瞬間には炎に包まれる。
そんな父の最後の姿に、私はただ叫ぶことしかできなかった。
◆
「……っ!?」
アレサンドラは飛び上がるように目を覚ました。全身から汗が噴き出しており、呼吸は全力疾走の後のように乱れている。
すでに数日着ている服は汗まみれだ。匂いも気になるが、それを解消できるような状況ではない。今でさえ数時間の休憩を交代で取っただけだ。
「姫、大丈夫ですか?」
すぐ近くで周辺を警戒していたヴァレンティーナが心配そうな顔を向ける。その顔もアレサンドラと同じくらいに疲れ切っていた。
時間はまだ夕方、行動を開始する夜までは時間がある。
「ええ、大丈夫。……もう眠れそうにないわね。今度はあなたが休んでちょうだい」
彼女は身を起こして自身の体を確認する。固い木に寄りかかっていたためわずかに痛みはあるが、動かすのに問題はない。
アレサンドラは精霊使いの素質があったため、将来は軍を率いて戦うことが求められた。そのため、戦場でも生きてけるようにと様々なことを仕込まれている。
「そうはいきません、休むのも指揮官の務めですよ」
「ふぅ。分かったわよ、ティーナ」
ヴァレンティーナは疲れている様子を一切見せないように、少し微笑んで言う。こうなってしまっては説得するのは不可能だろう。
早くに母を亡くしたアレサンドラにとって、同性であり信頼のおけるヴァレンティーナは姉のような人物である。そんな人物の言う事には素直に応じ、地面に座り直した。
川と湖の国、ナスキアクア王国において、王弟レオナルドを中心とした魔族の軍による反乱が起きてから一週間。姫と親衛隊の一行は、魔族や反乱兵からの逃亡を続けていた。
王族を逃がしては新たな国の運営に支障が出る。それは向こうもよく分かっているのだろう、最初のうちは寝る間もなく襲撃を受けることになった。
それでも、彼女たちの必死の抵抗によりほとんどの追っ手は始末できたようだ。ようやく少しずつ休憩を取ることができている。
あとは、他国にたどり着けば保護を求めることができるだろう。問題は、そこまで全員が無事でいられるかどうかだ。
現在残った親衛隊は隊長のヴァレンティーナを含めて4人だが、全員が大なり小なり怪我をしている。
そのうちの1人、ヴォルペは魔法も使える多芸な者であるが、かなりの重傷だ。今では体格の良い隊員、レオーネが担いで移動している状態である。
追っ手のことを考えれば街道を通ることなどできず、道なき道を進むしかない。この先、安全な所まで彼女の体力が持つかと言えば絶望的な所だ。
当のヴォルペは「自分を置いて先に行って欲しい」と言う。だが、そんなことをできるわけがない。しかし、このままでは残酷な決断をする必要がある。
「私が、私がどうにかしなければ……」
アレサンドラは自分の膝を抱き必死に考える。だが、そんなことでは良い考えなど思いつくわけもない。
何か、手段はないのか。この状況を打破することは出来ないのか。どんなに考えても思考は泥沼に沈んでいく。
「考えすぎですよ。少し頭も休ませて下さい」
「そうはいかないわ。私には王族として皆を助ける義務があるの」
ヴァレンティーナも普段ならその考え方を素晴らしいと思うところだが、今のアレサンドラの姿はあまりにも不憫だ。彼女の肩に優しく手を置き諭そうとする。
「いいですか、姫。ここにいる皆は、あなたに生きて欲しいからここにいるのです。どうか、自分のことを第一に考えて下さい」
「嫌よ! 私は絶対、ヴォルペを見捨てたりなんてしない! ……あ、ご、ごめんなさい」
アレサンドラは思わず声を上げてそれに反発してしまった。しかし、自分の心配をしてくれるヴァレンティーナに対して無神経だったことに気づくと、ばつが悪くなり視線をそらす。
その後は二人とも何も言えず、ただ、静かに時間だけが流れていく。
「あのー、すみません。報告っす」
重くなっていた空気に割り込むような声が入る。どうやら偵察に行っていた隊員が戻ってきたようだ。
彼女の名前はシンミア。隊員の中でも身軽で、明るくムードメーカーな所がある。敬語が怪しいのが難点ではあるが。
話題が変わったことに二人は少し安堵しながら報告を聞く。
「この先、予定のルートからは外れますが廃村があったんです」
そう言う彼女の声には、若干の困惑が感じられた。
この辺りは以前、魔族の侵攻があった地域だ。その村に居たものが早々に村を引き払ったとしても不思議ではない。
そんなことは彼女も分かってるようで、困惑の原因は別にあるようだ。
「それがっすね……魔族が何人かそこにいたんですよ。人魚の子供、それに妖精……いや、あれは小悪魔かな? 大人っぽいのは1人だけで、フードをかぶって尻尾が生えてました。家を修理してるみたいで、小型のゴーレムも何体かいたっすね」
確かにそれは奇妙な話だ。魔族が廃村を前線基地にしようとしているならば、軍隊が大規模に作業を行うだろう。それに、人魚に妖精やゴーレムなどの混成部隊というのも珍しい。
だが、重要なのはある程度の人数がその村にいるという事だ。ならば、食料などの物資も存在するはず。
しかし、それを奪うにも謎の集団に対し襲撃を仕掛けるということであり、不安要素が大きい。自分たちの状況を考えれば判断は慎重にならざるを得ない。
「難しいですね。無視して先を急ぐか……」
「ですが、やつらは食料や薬草を持っているかもしれません」
これは賭けだ。廃村を無視した方が低リスクなのは間違いない。
それでも、運が良ければ傷ついた団員を救うことができ、自分たちも体力を回復させることができる。しかし、それは魔族に対して略奪を行うという事だ。
アレサンドラは悩む。自分はどうするべきかと。
今までの彼女ならば、略奪などという事は選択肢に無かっただろう。だが、今はそうではない。裏切られ、大切なものを奪われたその心は黒く染まっており、非道な手段すら候補に挙がる。
そもそも、魔族は人間にとって敵なのだ。ならば、この行為は間違っていない。そんな考えが頭に浮かんでしまった。
(そうだ、魔族に奪われたのだから、奪い返せばいい)
そして、決断を下す。
「村から物資を奪います。動けるものは準備を」
その言葉に、異論を唱えるものはいなかった。