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61話 タコさん、元聖女を支える

「……タコ様、これはいったいどういうことですか?」

 オクタヴィアがじとっとした目でタコを見ている。彼女がこんな顔を見せるのは初めてだなと、タコは半分、現実逃避しながら思っていた。

 その原因はタコの右手側触手にある。そこに、ベロニカが抱き着くようにくっ付いているからだ。


「ああ、タコ様……私はやっと生まれてきた意味を知りました。あなたのような真の神に仕えるため、私はここにいるのですね……」

「えっと、ベロニカちゃん。気持ちは嬉しいんだけど、そこまで思いつめなくてもいいのよ?」

 そんなはずはないのだが、タコにはベロニカの瞳の中にハートマークが見えた気がする。

 やってしまってから気づいたことだが、心が弱っている少女。しかも、ベロニカの精神年齢はかなり幼いのだ。

 そんな彼女にあれだけのことをすれば、ここまで依存してしまうのも仕方がないのかもしれない。


「タ、コ、さ、ま! そろそろ食後の修行だとレイン様が言ってますよ!」

「そ、それもそうね。それじゃ、ベロニカちゃん。タコさんまた来るから……」

 いくらベロニカの事情を理解してるオクタヴィアでも、嫉妬心を隠すことができなかった。反対側の触手に抱き着くと、そのままタコを引っ張っていこうとする。

 さすがにドラゴニュートと綱引きをして勝てるわけもなく、ベロニカはタコの触手を離す。だが、彼女は瞳をうるうるとにじませながら、タコの上目づかいで見つめていた。


「タコ様。私はあなたへの信仰を、どのように表現したらよろしいのでしょうか?」

 ベロニカは完全にタコへ心酔しているようだ。多分、今の彼女にタコが悪堕ちを求めたら、彼女はすぐにでも頷いてくれるだろう。

 だが、それでは意味のないこともタコは理解している。タコが求めるのは自分の欲望を果たすための悪堕ちであり、タコの言いなりで悪堕ちするのは『ちょっと違う』のだ。


「ベロニカちゃん、タコさんは信仰心など求めておりません!」

 そのため、タコははっきりとベロニカに通告する。彼女の好意は嬉しいが、ずっとこのままではベロニカの為にならない。

 少々酷であるが、ここは突き放さなければいけない所であろう。


「だから宿題をだします! ベロニカちゃん、あなた自身は何をしたいのか? それをタコさんにPRしてください! その結果次第で、あなたに望む力を与えましょう! もちろん、悪堕ちという形でね!」

 突然の反発に、ベロニカは捨てられた子犬の様な目でタコを見つめている。

 だが、それもすぐに力強い目に戻った。いまの彼女はすでに、ただ過去の記憶に苦しむだけの少女ではない。

 記憶に立ち向かってでも生きることを選択した、一人の人間なのだ。


 さて、ベロニカがどんな提案をしてくるのか。オクタヴィアに触手を引かれつつも、タコは楽しみに思いながらその場所を後にした。



「私がしたいこと……」

 それかというもの、ベロニカは静かに考えていた。無意識にその手は腕輪を撫でている。しかし、日を跨いでも未だもその答えは見つからない。


 単純に考えて今のベロニカがしたいことは、『タコが望むことをしたい』だろう。だが、タコが望むのは『ベロニカがしたいこと』を訴えることである。

 これでは延々とループしてしまい、タコに応えることができない。


 ベロニカとしてもタコの期待には応えたいと思う。ならば、即興で新しく作るしかないのか? いや、そんな不誠実なことはできない。

 それなら、自分には他にしたいことが無いのかと考えるも、何も浮かんでこなかった。

 仕方なく、まずは仕事を終わらせようと畑に出る。


 畑仕事を始めれば教会で染み付いた習慣もあり、いつの間にか無心になっていた。気が付けば今日の分の作業は大体終わっている。

 少しは考える時間が作れただろう。休憩も兼ねて昼食にしようかと考えていると、レンナがこちらに向かってくるのが見えた。


「あら、レンナちゃん。さっそく来てくれたのですね」

「うん。お姉ちゃん、昨日はありがとう。よかったら、一緒にお昼を食べませんか?」

 レンナは二つの包みを持っている。寮の人に作ってもらったのかと思ったが、彼女も少し手伝ったという。

 ベロニカはそんな心づかいに感動しながら、飲み物準備をして昼食とする。


「お姉ちゃん、何か悩んでるの?」

「え? あー……分かりますか」

 食事の間はその嬉しさと、レンナとたわいのない会話を楽しんでいた。しかし、食べ終えた後にお茶を飲んでいると、気が緩んでしまったようだ。

 悩みがぶり返してぼーっとしていたのを、レンナに指摘されてしまう。


「それなら私が聞いてあげる! 今度は、レンナがお姉ちゃんを助けるの!」

 しかも、彼女は昨日の恩を返そうと張り切っていた。さすがに悩みをそのまま言うわけにもいかず、ベロニカは少し話をごまかす。


「ええと、レンナちゃんは将来、やりたいことって何かありますか?」

 質問に質問を返すような形。しかも、こんな子どもに助けを求めるようなことになってしまう。だが、今のベロニカには少しでも突破口が必要だった。

 そして、レンナの方は悩むことも無く答えてくれる。


「私は、フレイヤ様みたいなお医者さんになりたいの!」

「え? それは……すごいですね。でも、どうして?」

 思ったよりもはっきりした答えに、ベロニカは少々驚いてしまった。しかも、医者という少女の願いにしては『お堅い』答えも予想外である。


「うん。私ね、この村にきたときは、目も見えなくて、手足も動かなかったの。でも、フレイヤ様に診てもらったら、こんなに元気になれたんだ」

 ベロニカは絶句してしまう。レンナの両親の話は聞いていたが、本人もそんな苦しみを味わっていたのか。

 レンナの負った傷は普通の治療で治せるようなものではなく、仮に魔法を使ったところで重度の後遺症が残っていただろう。

 だが、フレイヤならば傷跡すら残さず治療することが可能である。それは、絶望の淵にいたレンナにとっては、まるで奇跡のような体験だった。


 ちなみに、レンナは今まで、メモ帳を通じて意思疎通をしていたそうだ。話せるようになった今でも持ち歩いており、聞いたことはすぐにメモするのが癖になっている。

 そして、フレイヤと交流を続けるうちに、自分も人を癒せるようになりたいと思うようになったそうだ。


「私、話せるようになってとっても嬉しいんだ! これからは皆にいっぱい『ありがとう』っていえるし。お医者さんになるための勉強も、皆とできるようなったしね。だからね、本当にありがとう、お姉ちゃん」

「いや、私なんか……じゃなくて、そんな大したことはしてないですよ」

 フレイヤが行った治療に比べれば、自分がしたことはただ擦り傷の治療をしたくらいだ。それで少女から満面の笑みでお礼を言われるというのも、くすぐったいものがある。

 だが、あれはベロニカにとってもそうだったように、レンナにとっても『大したこと』ではなかった。


「ううん。姉ちゃん、私におまじないしてくれたでしょ? あの時、昔お母さんに同じことをしてもらったの思い出したの。そしたら、なんだか声を出す勇気が出てきたんだ!」

 それは、些細な一言。だが、二人には久しぶりに母の事を思い出すという、特別な出来事だった。

 そして、そんなレンナの言葉によって、ベロニカはまた母のことを思い出している。だがその時、彼女の頭に封印されている記憶が、何かを訴えてきた。


「お母さん、か……あれ? ……うぐっ!?」

「お、お姉ちゃん!?」

 何か、とても重要なこと。だが、自分の中の何かが、『思い出せ』とも『思い出すな』とも言っている。

 それは、セシルやデスピナに処置された記憶を思い出すときとは、また違った苦しみを与えてきた。

 しかし、それにも腕輪は効果があったようで、ベロニカは何とか冷静さを取り戻す。心配するレンナが安心するように微笑みを浮かべた。


「あ、ご、ごめんなさい、大丈夫です。ちょっと古傷がうずいただけですよ」

「ほ、本当に大丈夫? フレイヤ様に診てもらったら?」

 それでも、額には少しばかりの冷や汗が浮かんでいる。先の記憶が何だったのかも確認するため、レンナの言う通り診察を受けるべきだろう。


「そうですね。それじゃあレンナちゃん、私はフレイヤ様の所に行ってきますので、一人で帰れますか?」

「大丈夫! お姉ちゃんも気を付けてね」

 平静を務めてベロニカはレンナを送り出す。そして、すぐさまフレイヤへ連絡を取るのだった。



「話は分かりましたが、自身が思い出すことを促しつつ拒否する記憶ですか……」

「うーん、腕輪もちゃんと機能してるみたいだし、よく分からないわね」

 残念ながらフレイヤも記憶の処置などは専門ではない。そのため、セシルとデスピナも呼んでベロニカの話を聞くこことなった。

 もちろん、タコもこの場に呼べば、少々不機嫌なオクタヴィアもついてきている。

 そして、セシルはその話から一つの推測を立てた。


「ふむ、儂らが処置したものとは違うという事は、お主自身が封印した記憶じゃろうな」

「私自身が……?」

 ベロニカには記憶をどうこうするような魔法を使うことはできない。天使に乗っ取られていた時ならなおさらだ。


「あなたの記憶を確認していた際、直近の記憶はほとんど見えないようになっていました。恐らく、あまりに凄惨な体験をしたため、脳が思い出さないようしたのでしょう」

「なるほど、心を守るためにそうことがあるのは、タコさんも聞いたことがあるわ」


「……それを、思い出させることはできるでしょうか? 上手く言えませんが……その記憶が、母に関して何かあると思うのです」

 最近のベロニカは、母のことを良く思い出していた。恐らく、封印されて記憶にも母に関する何かがあるため、封印にほころびが生じたのだろう。

 だが、記憶の操作というのは簡単なものではない。


「不可能ではない。だが、それにはお主に処置した記憶、全てを思い出すことになるぞ?」

 コンピューターなら選んだ情報だけ引きだすというのも可能だ。しかし、人間の記憶はそうもいかない。

 目的の記憶がどこにあるか? それを探るだけでも一苦労だ。だから、ベロニカの記憶を処置するときも、良い記憶も含めて処置するしかなかった。


「ちょちょちょ、ちょっと待ってベロニカちゃん。それじゃ、あなた自身がどうなるか分からないじゃない!」

 仮に、ベロニカが封印した記憶を思い出すなら、天使が行った所業も再度思い出すことになる。下手をすれば発狂してもおかしくはないだろう。

 だが、今のベロニカは以前のベロニカではない。


「……それでも、お願いします。それに、その記憶には天使に関する情報があるかもしれません」

 今のベロニカには頼れる人たちがいる。タコの為に、母の為に、生きたいという気持ちがある。

 その証拠に、彼女ははっきりと意思のこもった瞳でタコたちを見つめていた。


「そしてタコ様、私を支えて下さい。そうすれば、私はどんなことにでも耐えて見せます」

 さらに、ベロニカはそっと両手でタコの触手を握る。これだけで彼女は、自分の心に無限の力が湧いてくるようだった。

 だがその時、その手の片方をオクタヴィアが奪い取る。驚くベロニカだが、それは力強くも優しい手つきだった。


「か、勘違いしないで下さい。私は、タコ様にかかる負担を自分に分散したいだけなんですから。あまり、タコ様の手を煩わせないように、その、が、頑張って下さい」

 どうやら嫉妬よりも、オクタヴィアの優しさの方が上回ったようだ。若干、顔も赤くなっているが、その手からはベロニカを助けたいという気持ちが伝わってくる。

 ベロニカ自身も、微笑んでそれに答えた。


「ありがとうございます。オクト様」

 二人の様子にタコも覚悟を決める。これ以上の反対は、ベロニカの信頼を裏切ることになるだろう。


「……分かったわベロニカちゃん。でも、何かあったらすぐに中止するからね」

 ならばと、ベロニカを信じてセシルとデスピナが魔法を発動する。それは、すぐさまベロニカの記憶の封印を解き放った。


 すべてを思い出せば、ベロニカの心をどす黒い記憶が覆いつくそうとする。惨殺し、踏みにじり、蹂躙した記憶が、彼女の心を打ち砕こうとする。


「がっ! ああああああ!」

 あまりの苦しみに頭を抱えて暴れ出してしまった。だが、それをオクタヴィアが優しく押さえつけ、タコが少しでも落ち着くように手を握りながら魔法で補助をする。


 ベロニカは永遠とも思える闇の中にいた。彼女は少しでも目的の記憶を思い出すため、その中を進んでいく。

 亡者の群れがその腕を掴み、恨みと憎しみをぶつけようとも、今の彼女はそれを振り払い、一歩でも先に進む。


 大丈夫、自分は一人ではない。今も、優しくタコたちに守られた感覚が自分を包んでいる。こんな記憶に私は負けない。

 ベロニカはそう信じて、ゆっくりと、だが確実に前へ進む。


 ついに彼女は耐えきった。息も絶え絶えで、全身は土砂降りあったかように汗をかいている。疲労も困憊で、一人では立てないほど足がふらついていた。

 しかし、今のベロニカは一人ではない。タコとオクタヴィアがその体を支えている。そして何より、彼女自身が立ち続けることを選択した。


 そんな中で、ベロニカは思い出していた。天使が何をしようとしてるのか。『回収』と呼ぶ作戦の、その真相を。



 スプレンドルにも複数の周辺国家が存在した。だが、いくら『国』という体面を保っているとは言え、大国に属するという事は様々な制約が発生する。

 戦争時の戦力提供。道路の建設など公共事業の請負。定期的な監査や報告などといったものだ。

 そしてもちろん、スプレンドルに属するという事は、その宗教に入信する必要があった。教会が設置され、国の監査役を兼ねた司祭が派遣される。


 司祭は特権を持っており、周辺国の者は王であっても逆らうことができない。しかも、司祭は最低でも1画以上の契約者であるため、賄賂も効かなければ、色仕掛けなど御法度である。

 しかし、司祭は理不尽な要求を行うこともなく。教会は孤児院や救済所も兼ねているため、まともな国家であれば歓迎するものであった。

 まともでない国家も勧告を受けたときに従えば良し。従わなければ王の首が飛び、本国に支配されるだけである。


 そんな周辺国の一つ。周辺国の中では辺境に位置する国に、今日は激震が走っていた。それはスプレンドル本国より、高位の司祭が派遣されたることとなったためだ。

 しかも、それが5画の刻印を持つ者となれば、王をはじめとした国の重臣たちは上を下への大騒ぎである。


 いったい、こんな小国に何の用事があるのか。何か粗相があったのか。それとも、ニューワイズ王国や魔族と全面戦争を行う準備だろうか。さまざまな憶測が流れては、そのための準備に人々が奔走する。


 だが、ふたを開けてみれば、新たに生まれた5画の聖女が各国を回って皆に声をかけてくれる、ということだった。

 なぜ、急にそのようなことをするのか疑問であったが、今まで1画の司祭にしか会ったことがない者からすれば、夢のような話である。

 事前に国民のそのことが周知されると、当日は一目、聖女を見ようと大勢の人たちが駆け付けた。


 歓声が鳴り響く中、ついに長い金髪をなびかせた、まさに聖女にふさわしい美しさを持った女性が登場する。

 人々の声がさらに大きくなるが、聖女が話を始めようとすればそれはすぐに収まった。


「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。私はこの度、神より5画の刻印を賜った聖女のヘプタと申します」

 その声は澄んでおり心地よく心に響く。聞くだけで引き込まれてしまうほど魔力を持っているかのようだ。人々はうっとりとその話を聞いている。

 いや、実際にこの場では魔法が使われていた。ヘプタは声に魔力を乗せて、人々から少しずつ正常な判断力を失わせている。


「今日は、皆さんに重要なお話があります。それは、間もなく神が降臨されるという事です」

 その結果、人々の熱中具合は、突然このような話をされてもほとんど混乱が起きないくらいだった。むしろ、神の降臨が宣言されたことで、喜びの声が上がったくらいである。


「そのために皆さんにお願いがあります。……その命を、私に預けてください」

 しかし、その声もついに途絶える時が来た。ヘプタが魔法を唱えると、人々の体から生命力が抜かれていく。

 既に人々の心は正常ではなない。むしろ、それが光栄であるかのように嬉々とした表情で倒れていった。

 しばらくすれば、周囲にはミイラのような死体ばかりが残される。それどころか、この都市にはもう、人間と呼べるものが存在しなくなっていた。


 ヘプタは生命力の吸収を完了させると、自身に付き添っていた数人の従者を呼び寄せる。

 彼らは2画の刻印を持つ者であるが、すでに目の前の惨事を疑問に思わないほどの狂信者であった。


「あなた達に力を与えます。残り国内の『回収』は任せますよ」

 ヘプタが彼らに自分が得た生命力を分け与える。すると、従者たちの刻印が輝きを増して3画目が刻まれた。

 彼らはそれを確認すると静かにその場を離れていく。首都を押さえたとはいえ、まだまだこの国には人間が残っている。それらを残さず『回収』しなければならない。


 3画ともなれば強力な肉体強化も使えるため、それほどの時間はかからないだろう。ヘプタは口の端を吊り上げると、次の国に向けて移動を始めるのだった。

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