48話 アイリス、いたずらを思いつく
「おいおい、魔族様よ、てめえの力はそんなもんか?」
地面に倒れる虎の獣人、シュトラに対して人間の兵士がニヤニヤしながら問いかける。
シュトラは全身が打ち身や傷だらけであり、疲労で息も荒い。しばらくは立ち上がることができないだろう。
そんな状態とはいえ、普段なら人間にこんなことを言われて冷静でいられる彼ではない。だが、シュトラは腹を立てることなく言い返す。
「うるせー。偉そうなことを言うのは、地面から起き上がってからにしやがれ」
なぜなら、そんな彼を見て笑っている兵士も同じ状態だからだ。そして、それは一人だけではなく、周囲には魔族も人間も関係なく多数の者たちが横たわっていた。
ここは、ナスキアクアにある兵士の訓練場である。
その中心にいるのはラミアのレオーネだ。周囲にいる多数の兵士が彼女めがけて攻撃を仕掛けている。
だが、ほとんどの攻撃は彼女の体に触れることすらできない。わずかに回避できない攻撃も巧みな剣術により阻まれてしまう。
そして、尻尾の反撃を受けて吹き飛ばされるのがお約束だ。さらに、倒れた兵士たちには同じくラミアのヴォルペにより回復魔法がかけられ、傷が治り次第、戦闘に戻らされる。
ちなみに、訓練の終了はレオーネに一定以上の回数、有効打を当たるまでとされていた。
ぱっと見は虐待のようにしか見えない訓練でも、初期に比べれば兵士たちの練度はそれなりに上がっている。
いくら回復されるとはいえ、強靭な尻尾で殴られるのが好きな者などいない。彼らは必死に防御の技術を磨き、わずかでも早く訓練を終わらせようと攻撃に集中する。
それに、今日はレオーネが訓練を担当しているが、日によってこちらも変えていた。シンミアが相手の時は攻撃が緩くなるが、素早い動きにより兵士たちは当てるのも一苦労だ。半魚人の集団と模擬戦となる日もある。
そして、ヴァレンティーナが担当となる日。この日は兵士たちの間で『地獄』と呼ばれていた。
レオーネよりさらに防御寄りな能力をもつ彼女は、鉄壁の守りでどんな攻撃でもさばいてしまう。
しかも、攻撃が緩いかと言えばそんなことは無く、シールドバッシュや頭突きなど、全身を駆使した攻撃は威力も速度もすさまじいものだった。
「くそっ! おい、シュトラ! お前がいないと終わらねえんだよ! さっさと戻ってこい!」
「ったく、わーたよ! おい、人間どもは後ろから狙え! 俺たちは正面を押さえるぞ!」
回復され息が整ったシュトラが立ち上がって訓練に戻って行く。既に、彼らは人間も魔族も関係ない協力体制が築かれていた。
と言うよりも、お互いに自分たちだけではどうにもならないことを理解しているので、否が応にも協力せざるを得ないのだ。
「しかしシュトラ、今日はいつにも増して気合が入ってんな。やっぱあの綺麗どころにいいとこ見せようとしてんのか?」
「は? ……てめえには分かんねえのか?」
人間の兵士の軽口に、ホルンは信じられないものを見るような目を返す。
今日の訓練にはとある見学者がいた。副師団長である牛の獣人、ホルンが直々に付いていることから、かなりの重要人物だろうと予測されている。
だが、そんなことよりも注目されている理由があった。
見学者は女性。しかもかなりの美人なのだ。返り血を浴びたかの様な真っ赤なドレスに身を包み、兵士の視線など気にしていないのか、裾の短いスカートで足を組んでいる。
しかし、一番目立つのは左目にある大きな傷と、それを隠している眼帯だ。さらに、狼の耳やこちらを突き刺すような鋭い視線も合わせて、野生動物が獲物を狙う雰囲気すら感じられる。
そう、その見学者の正体はアイリスだ。
「分かんねえって……確かに怖そうな女だが、何かあんのか?」
いつも通りドレス姿のアイリスは、はっきり言ってこの場では浮いている。しかも、平然と椅子とテーブルを用意してお茶を飲んでいるのだから、何も知らない人間の兵士たちは、貴族がお忍びで見学にでも来ているのかと思っているようだ。
だが、シュトラはホルンからアイリスの強さを聞かされていた。言われて彼女の異常さをシュトラも理解する。
そんな彼にとっては、まるで化け物から監視を受けているような気分だった。
「……あれに比べたら、目の前のラミアなんて可愛いお嬢ちゃんにしか見えねえよ」
「は? 何を言ってんだ?」
「あいつが本気になったら、俺たちは秒で死ぬ。それが分かったら、今は目の前のことに集中しやがれ」
未だに訝しんだ表情の兵士をシュトラが小突く。彼としてもあんな存在がここにいる理由は知りたいところだが、それには自分が不相応なのも理解している。
そんな仕事を任されているホルンに同情しながらも、目の前に迫ったラミアの剣を紙一重で避け、次の一撃の為に気合の雄たけびを上げるのだった。
◆
「これが、タコ様の望んだ姿なのでしょうか?」
「ないない、あいつがそんな高尚なこと考えているわけねえよ」
単純に考えれば、目の前の光景は人間と魔族がお互いに協力しあう歴史的なものだと言える。
いくら魔族、獣人が人間より強いと言っても、タコたちから比べれば誤差に過ぎない。
そんなものが近くにいれば魔族も自分の力をひけらかす訳にはいかず、大人しく一兵士としての訓練に参加しているのだ。
これが意図的なものであれば素晴らしいのだが、もちろんタコにそんな意図はない。そもそも、こういったことを考えているのは主にアレサンドラである。
「しかし、なぜ訓練の見学を? あなたほどの方に見るようなものがあるとは思えませんが」
「そんなことないぞ? 俺は未だに肉体強化魔法が使えなくてな、色々と勉強になってる」
ほとんど同時に練習を始めたオクタヴィアが一応、実践投入できたの対し、アイリスはこの世界の魔法が満足に使えない。練習あるのみなのは理解しているのだが、気分転換も兼ねて獣人の魔法の使い方を見学に来たのだ。
アイリスは魔法自体を見ることはできないが、スキルや洞察力により強化状況を察することはできる。実際、獣人の魔法は人間のそれとは微妙に違い、体の部位ごとに強化量を変えるなどなかなか面白い技術が使われていた。
ホルンの方は、アイリスが肉体強化魔法を使えないこと。さらに、意外と本気で訓練を眺めていることが分かり二重に驚いている。
そもそも、アイリスが訓練に付いてきた時から気が気でなかったのだ。絶対的な強者である彼女が、どういった思考の持ち主なのかあまり見当が付いていない。下手に突いて爆発でもされたらどうなることか、考えるだけでも恐ろしい。
だが、今がまたとないチャンスであることも確かだ。第七師団に課された使命を果たすため、ホルンは一歩踏み込んでみる。
「まだ、力を欲するのですか? アイリス様はいったい、その力で何を成したいのですか?」
「んー? 別に、何も?」
アイリスはホルンの方を見もしないで答えた。
体よくかわされたのか、それともこれが本心なのか。ホルンは言葉を繰り返すことしかできない。
「何も……とは?」
「うーん。俺は強くなりたいんであって、力で何かをどうにかしたいわけじゃねえ。……ああ、どうせなら殺すか殺されるかの戦闘はしたいな」
アイリスは顎に手を当てて悩んだ後、弾けるような笑顔をホルンに見せた。言っていることは不穏に尽きないのだが、超越者の望みとしては何とも小さすぎる。
いや、それともこれが他人を気にする必要が無い、余裕の表れなのだろうか。
「あ、そうそう。一つ頼みがある」
「……なんでしょうか?」
何か失礼をしたのかと思い、ホルンの背中に冷たい汗が流れる。そんな彼に対し、アイリスはニコニコと笑いながらちょっとした提案を持ち掛けてきた。
「そんなにビビんなよ、とって食いやしねえさ。なに、前みたいに『お嬢さん』って呼んでくれ。あんなことを言われたのは初めてだから、けっこう気に入ってたんだ」
それは、身構えたホルンからすれば肩透かしのような内容だった。しかも、こちらは命令されれば断れないというのに、その口調は無理なら別にいいような気軽さである。
しかし、それが逆に『お嬢さん』の期待を裏切る、後ろめたさのようなものを覚えさせた。ホルンは少しばかりの気恥ずかさを覚えながら、アイリスの要望に応える。
「かしこまりました……お嬢さん」
「ふふ、ありがとよ、『おっちゃん』」
この時、ホルンは奇妙な確信を得ていた。
アイリスは自分に対して、いや、魔族に対して悪意や敵意といったものを持っていない。
師団長のヴァイスを殺したことを含め、ナスキアクアにあれだけの惨事をもたらした邪神タコの仲間だというのに、目の前にいる存在からはそういったものを一切感じることができなかったのだ。
それが認識できた時点で、ホルンの汗が止まる。むしろ、少しくらいの軽口を言うような余裕まで生まれていた。
「ところで、お嬢さんはその力で人間を滅ぼす気はないのでしょうか?」
「はは、悪いがそういう話はタコかレインを通してくれ。自分からそういうことをする趣味は、俺には無い」
実際に微妙な話題を持ち出してみるも、アイリスが不快さを感じている様子は無い。
ここで人間の強者の話でも出せば興味を引けるのだろうが、残念ながら自分の知識の中にはそこにいるラミアより強い人間などいなかった。
ホルンは少し切り口を変える。
「ところで、あちらのレオーネ殿も元は人間なのですよね? タコ様が力を与えたと聞いておりますが」
「そうだな。ま、アレサンドラのおまけみたいなもんだが」
レオーネは多数の兵士をものともせず、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの大立ち回りだ。訓練終了には今少しの時間がかかるだろう。
その戦力差は、自分が出ていったところで大きく変わるものではない。元人間、それも自分の息子と同じくらいの者にそれだけの力があるというのは、ホルンといえども思うところがある。
「なんだ、嫉妬でもしてるのか?」
「そうですね、正直に言えば。……それに、あなたがどうやってそれだけの力を得たのかも気になります。それもタコ様によるものですか?」
「うーん、俺はちょっと違うかな。タコから力をもらったというよりは、タコが俺を育てたって所だ」
「タコ様が……育てた?」
アイリスが自我を持ったのはこの世界に来てからのことになるが、それ以前の事も大抵は覚えている。
自分自身が他人……と言うかタコに操作されていたというのは奇妙な記憶であるが、それに不満があるわけでもない。むしろ、あの時のような戦闘を今一度味わえないかと焦がれているくらいだ。
まあ、この世界でも新しい仲間と模擬戦ができているし、ゲームとの違いと調べて新たな戦法を考えるというのも、それなりに充実した日々であるが。
「真面目に考えない方がいいぞ。結局はズルしてるようなもんだしな」
「やはり、私には無理でしょうか」
しかし、仮にホルンたちをそれに巻き込んだとろで、経験値などが無いこの世界では急激に強くなることはできない。
転生アイテムを渡せば手っ取り早いのだが、アイリスはそこまでして相手が欲しいわけでもないし、魔族に肩入れする理由もなかった。
その一方で、少しばかり彼らを手伝いたいという気持ちも存在する。ホルンが思っているよりもアイリスは薄情ではないし、同じ獣人に対して興味を持っているのだ。
「タコから力をもらうのは無理だな。あいつは女にしか興味がねえ。……そうだな、こういうもんであれば融通できるぞ」
そう言ってアイリスは一本の剣をインベントリから取り出す。これは、彼女からすれば倉庫の肥やしになっていた、無くしても別に惜しくない物である。
だが、ホルンにとってはめったに見ることのできない、強力なマジックアイテムであった。
「こ……これは……!?」
「俺のおさがりだが、貸してやってもいいぞ。ある程度は数も出せるが、影響がよく分からんからそっちで判断してくれ。……んで、後はどれくらい協力した方がいいんだ?」
一応、アイリスも武器や防具を大量に出してしまったら、様々な問題が起きることを理解している。力を得た魔族が暴走しかねないし、装備を作っている者たちにも影響がでるだろう。
だが、魔族にとって自分たちが恐怖の対象となっていることも理解していた。これに対し、こちらもある程度の歩み寄りはするべきだとも思っているのだ。
そんな気遣いを察したホルンは表情を引き締める。やはり、目の前の人物は油断ができない。
「……気づいておりましたか」
「ま、さすがに予想は付くだろ。宮仕えは大変だな」
アイリスとて、ホルンが単なるお目付け役では無いことは予想している。大方、こちらの内情や、どこまで利用できるのかを探っているのだろう。
それ自体は悪い事ではないのだが、アイリスは少しばかりの意地悪をする。
「しかし、おっちゃんは何でそんな真面目に仕事してんだ? 俺みたいなおっかないの相手したくないだろうに」
いくら軍人とはいえ自分の命は大事だろう。それなのにホルンがこんな仕事をする理由は何なのか。ちょっとした疑問ではあるが、内容も、答える相手も実に面倒な質問である。
だが、ホルンの方は先ほど渡された剣に対する返礼とも考えたのか、真面目な顔で答えた。
「あなた方が敵なのか味方なのか。敵ならば、どうすれば勝てるのか。魔族の未来のためには、それを確認しなければなりません。そして私は、魔王様。そして、魔族に為にその身を捧げる覚悟はできております」
既にホルンはアイリスを敵とは見なしていない。ならば、嘘をつく必要は無いだろうと、自身の気持ちを正直に打ち明ける。
アイリスは腕を組みながらも、真剣な表情でその話を聞いていた。
「その考えは師団長のヴァイスも一緒?」
「もちろんです。ヴァイス様は、魔王様の為なら死地にでも喜んで飛び込むでしょう」
「ふーん、なるほどねぇ。おっちゃん達がそれほど入れ込むなんて、そんなにいい男なのか? 魔王は」
「いえ、魔王様は女性です。ですが、あの方の精神は誰もが尊敬できるものだと、私は思っております」
同性の師団長にそこまでの敬意を持たせるとは、その魔王とやらはよほどの人格者のだろうか。アイリスはがぜんと興味が湧いてくる。
その時、彼女は一つのいたずらを思いついた。ニヤっとした笑みを浮かべると、椅子から立ち上がって歩き出す。
慌ててホルンもその後を追った。
「お嬢さん、どちらへ?」
「ちょっとな。いいこと思いついた」
もちろん、その内容を教えはしない。だが、その笑みは次第に深くなっている。
その様子を見ていたホルンは嫌な予感を覚え、すでに収まっていた汗がまたぶり返していた。
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