41話 タコさん、ドラゴンに会う
「ほげーっ! な、何事ー!?」
タコが窓から外を見れば、金色に輝く、巨大なドラゴンが上空で羽ばたいていた。
それは、神話に出てくるかのような神聖さすら感じられたが、今は明らかに怒っているようだ。睨みつけるような瞳を伏魔殿に向け、怒気を含んだ声を上げる。
「愚かなドラゴンに告ぐ! そこにおるのは分かっておる! すぐに出てくるのじゃ!」
タコの顔が蒼白に染まる。だが、それはドラゴンの警告を聞いたことによるものではない。先ほどの爆音の原因なのか、近くにある花畑に大穴が開いていたせいだ。
それに気づいたタコが制止にしようとする前に、レインが窓を突き破って飛び出していた。
「あっ、ちょっ! レイン、ストップ!」
タコの言葉など聞いていないのか、レインは一直線にドラゴンに突っ込んでいく。
ドラゴンの方もすぐに気づいたようだが、脅威と思っていないのか悠々と待ち構えている。
「ほう、あれを見ても向かってくるとは中々の勇……どわーっ!」
相手の口上など気にせずレインはその巨体に向かって体当たりをかます。何とか回避したドラゴンだが、突然の非常識に戸惑いを隠せない。
お互いに体勢を整えると、空中でにらみ合いが始まる。
「何をするのじゃ! ドラゴンさえ出てくれば引き下がってやろうというのに!」
「……遺言は、以上でいいかしら?」
怒りをあらわにするドラゴンに対し、レインの方は静かに佇んでいるようにも見えた。
だが、その全身からは怒りが漏れ出しかのように魔力が溢れ出ている。それに気づいたドラゴンから余裕の表情が消えていった。
「愚か者め! 天空の覇者たる我に対し不遜……な……きっ! 貴様、何だその力は!?」
「≪魔力過給≫最大レベル。<魔力最強化/怪力>、<魔力最強化/高速飛行>、<魔力最強化/韋駄天>」
レインは魔法のMP消費と効果が増大するスキルを使用し、自身に強化魔法をかけ直す。巨大な魔力が彼女の力に変換され、それは体内で魔力による爆発でも起きたかのようだった。
事実、その影響によりレインの鎧が高温を発し、陽炎が立っているほどだ。
「馬鹿な……貴様は一体……!? ありえん! そんな力は存在してはいかんのじゃ!」
「さよなら、愚かなドラゴン」
恐怖におののくドラゴンだったが、レインは一言だけ呟くと恐ろしい速さで距離を詰める。
それは瞬間移動と見まがうほどの速度であり、ドラゴンが振り向くよりも早くその頭上を取った。
そして、レインの拳がそのまま振り下ろされると、その巨体が拳と同じ速度で海まで落下する。
ドラゴンは爆発のような音を立てて着水すると、巨大な水柱を上げた。
「あーよかった。ぎりぎり理性が残っていたようね」
「あれで……ですか?」
新入りであり、タコたちの力を良く把握していないローズは、目の前の光景にとてつもない恐怖を感じている。
だが、タコからすればレインが本気を出していないのは一目瞭然だった。
「レインがマジ切れしてるなら、一発目から魔法をぶっ放してるわよ。ほら、今も格闘スキルを使ってるでしょ」
レインはドラゴンを追いかけて海に飛び込む。しばらくすると今度はドラゴンが海面から打ち上げられたかのように飛び出してきた。
「《手加減》、《手加減》、《手加減》、《手加減》」
「ほげっ! はぶっ! ぐはっ! ごへっ!」
格闘スキルの《手加減》は、与えるダメージが減少して相手のHPを一定以下にしない効果がある。
だが、衝撃による吹きと飛ばしの効果はそのままのため、ドラゴンはレインに殴られるたびにあっちこっちに吹き飛ばされていた。
しかも、レインはドラゴンが吹き飛ばされるよりも早く移動して、別の方向に吹き飛ばすような真似すら可能なのだ。
「さてさて、さすがに止めてきましょうか。オクトちゃん、事情説明に付いてきてもらえる? みんなはパーティーに戻っててね」
「かしこまりました」
さすがに不憫になってきたタコがオクタヴィアを連れて外に出る。レインもそれに気づけば怒りを収めたのか、ドラゴンの尻尾を掴んで陸地の方に戻ってきた。
そして、既に気絶しているドラゴンにタコが回復魔法をかけると、ぼんやりと起き上がりすぐに周囲をきょろきょろを見回す。
「はっ!? 儂は何を……?」
「おはよう、ドラゴン。ご機嫌いかがかしら」
レインは未だに気を許していなのか、少し怒気のこもった声で話しかける。だが、当のドラゴンはそんなことは気にせず、記憶を確かめるようにブツブツとつぶやく。
「そうじゃ、儂はお主にボコボコにされて……お主凄いのじゃ! 儂が一方的にやられるなんて、生まれて初めなのじゃ!」
しかし、突然飛び上がるとそのままレインの方に突撃した。それはある種の質量攻撃のようなものであるが、強化された筋力で難なく受け止める。
さらに、ドラゴンはきらきらとした瞳でレインを見つめていた。
「どうしたらそんなに強くなれるんじゃ!? 儂にも教えてくれい!」
「うるさい」
小動物のように縋り付くドラゴンに、レインはゲンコツを落とす。さすがに手加減をしているのか、せいぜい痛みを与える程度のものだ。
「痛っ!? 何するんじゃ!?」
「それはこっちのセリフよ。まず、あなたが『ドラゴンを出せ』なんて言った理由を説明しなさい。それとも、もう少し拳が欲しいのかしら?」
「わ、分かった! すぐに説明するのじゃ!」
レインが拳を握りしめて力を込める。すると、先ほどのようにその先から陽炎が立ち始めた。
さすがのドラゴンもさっきの恐怖を思いだしたのか、さっとそこから離れるとフルフルと両手を振るう。そして、ぽつぽつと事情の説明を始めた。
◆
「ほうほう。つまり、お主はドラゴンではないと……」
「はい、私は元人間です。タコ様にドラゴニュートにしていただきました」
このドラゴンはエウラリアという名前だそうだ。今は地面に座り込んで同じく椅子に座るタコたちの話を聞いている。
そして、オクタヴィアを前に出してドラゴンに変身させると、エウラリアも初めて見る光景に驚きを隠せていない。
しかし、オクタヴィアの匂いをすんすんと嗅ぐと、何か特有の匂いでもあるのか説明に納得したようだ。その表情にはなぜか喜びのようなものが含まれている。
なぜなら、ドラゴンは排他的な種族であり、今ではドラゴンの里と呼ばれるところから出ることはほとんどないそうだ。
その強大な力をむやみに振るえば自然や環境が破壊されると、過去の長が不用意に里を出ることを禁じたのだ。もちろん、他の種族に協力することは厳禁とされている。
そのため、突如として現れた守護龍を名乗る謎のドラゴンは、早急に対処する必要があった。それが、エウラリアがここに来た理由だ。
ちなみに、彼女はドラゴンをある程度探知する能力を持っているそうで、ニューワイズ王国ではなくこちらに来たのはその能力によるものである。
「タコ様か……だが、お主は別に隷属している訳ではないし、守護龍も自分の国を守るためにやったことであると」
「概ねそんな感じですね」
ニコニコと話すオクタヴィアを見れば、嘘でないことは一目瞭然だ。この世界にドラゴニュートという種族は存在しないが、ドラゴンに類するものであればエウラリアも不当な扱いを無視することはできない。
だが、この様子では対処する必要ないだろう。自身の行動が無駄骨と分かったエウラリアは、あからさまに大きなため息をつく。
「他にドラゴンがいるのは知っておったのだろう? 守護龍など名乗れば、他のドラゴンが騒ぐのは予想できんかったのか?」
「分かってたけど、むしろ会ってみたかったわ! ここまで元気がいいとは思ってなかったけどね!」
もちろん、その危険性は誰もが考えていた。そもそも、オクタヴィア自身がドラゴンに会ったことがあるのだ。他のドラゴンが何らかの反応を起こすのは予測できる。
しかし、それもタコのお気楽な判断により歓迎され、予定通り守護龍のお披露目となったのだ。
「儂の一撃を元気で済ますとは……この鎧やろーといいめちゃくちゃな奴らじゃのう……」
「ん? なんか言った?」
エウラリアが小声でつぶやいた愚痴を、しっかり聞いていたレインが聞こえなていないふりをして睨みつける。
すると、先ほどの戦闘がトラウマになっているのか、エウラリアは頭をぷるぷると振ってごまかす。
「いや! 何でもないのじゃ!」
「ま、誤解は解けたわよね。ところでドラゴンさんってどれくらいいるの? できればタコさん、皆に会ってみたいわ!」
そんな彼女に対してタコははしゃぎながら話しかける。オクタヴィアで見慣れたドラゴンであるが、エウラリアは見た目や雰囲気もかなり違っていた。他にもドラゴンがいるなら実に興味深い。
「すまんが、里の内情は秘密にしておるんじゃ。これも過去の長が決めたことでのう」
「あら残念。そうなるとエウラリアちゃんは、もうここに来れないの?」
オクタヴィアがドラゴンと関係ないことが分かったのだから、エウラリアが里を出る理由は無い。
だが、彼女は胸を張ってタコに答えた。
「大丈夫じゃ! 何せ今の長は儂なのじゃから、ある程度の融通は効く! 儂を打ち負かすほどの存在いるのなら、情報収集するとでも言えば部下もごまかせるじゃろう!」
「え? あなたが長だったの?」
タコが疑問の声を上げる。確かに見た目は立派だが、口調が幼いのでそれなりに若いドラゴンかと思っていたからだ。
さらに、レインが不貞腐れたような声を上げる。
「別に、もう来なくてもいいんだけど」
「そう言うな! 花畑のお詫びも兼ねて次は色んな花を持ってくるのじゃ! それではまたの!」
言いたいことだけ言ってエウラリアは空中に飛び上がる。そして、そのまま夜空の向こうへ飛び去ってしまった。
とっさのことにタコたちはそのまま彼女を見送っている。
「あらら、行っちゃった」
「追いかけましょうか? タコ様」
その気になればオクタヴィアでも追いつくことは可能であろう。だが、今は女子会の途中でもあるし、それを中断してまで追いかける気はない。
何より、エウラリアの言葉を信用するならば追う必要もないと思っている。
「また来るって言ってたし、別にいいわよ。ねえ、レイン?」
「やれやれ、あれで心が折れないとは立派なものね」
結局、タコは触手を振ってエウラリアを見送った。レインはやれやれといった感じで腕を組んでいる。
だが、そんな彼女に対して珍しくタコが苦言を呈した。
「でもさ、レインもあんまり無茶しないでよ」
「あら、心配してくれたの?」
結果として問題は無かったが、この世界に自分たちよりも強い存在がいる可能性は否定できないのだ。
花畑が受けた攻撃を見ればそこまで理不尽な強さは無いだろうが、それでもレインが軽率だったのは間違いない。
「そりゃそうよ、一人であんなドラゴンに突っ込むなんて。もし、エウラリアちゃんがもっと強かったらどうするの」
「とても荘厳で美しい方でしたね。それでもレイン様の方がよほど強かったですが」
エウラリアはドラゴンになったオクタヴィアよりも二回りは大きかった。黄金に輝く鱗と合わさり、ゲームならダンジョンのレイドボスも務められるだろう
だが、レイン一人でボコボコにできてしまうようでは、見掛け倒しだと言わざるを得ない。
「そうね。確かにあの子はあんまり強くなかったわね……」
自分の掌を見つめながら、レインは先ほどの戦闘を思い出していた。確かに楽な戦いではあったが、色々と気になっていることがある。
「どったの? レイン」
「あのドラゴン……確かに私の動き自体は見えていたのよ。体の動きが鈍くて、それについていけないような感じがしたわ」
あの時、レインの頭に血が上っていたのは確かだ。自分の愛するハチミツを生産する花畑を壊されたのだから、それも仕方がない。
だが、自身の筋力を最大限に強化し、エウラリアに拳を振り上げたその時、レインは奇妙な感覚を覚えた。
「何と言うべきか、体にエネルギーが見合ってないって感じかしら。殴る前に気づけたから《手加減》したけど、そうしなければ一撃で殺していたかもしれないわ」
「それはさすがに……脆すぎるような?」
体の大きさとHPは比例するものではないが、それでも巨大な生物はある程度の頑丈さを有しているはずだ。
さすがにあれだけのドラゴンが、格闘特化でもないレインの一撃で死ぬようでは生物としてバランスが悪すぎる。
「それに、自然を壊さないように引きこもったって言ってる割に、花畑を平気で壊したじゃない? なんだか見た目と能力と行動がちくはぐじゃないかしら」
「何か、エウラリア様が嘘をついていると?」
確かに言動から幼さも感じたが、感情があらわになっている分、あまり嘘をついているような感じはしなかった。
だが、ドラゴンの年齢など見てわかるものでもなく、あの言動も何かの演技な可能性もある。
「どうかしらね。まあ『次』があればその時にでも聞いてみましょうか」
レインはふとエウラリアが飛び去った方に目を向けた。だが、そこには既に星空しか残っていない。
とりあえず考えるのは中断して女子会に戻ろうとするが、不意に元気の良い声が聞こえてくる。
「ボス―! レイン様―! 花畑の修復終わったのー!」
「ローズ様の能力で、花もみんな修復できたのー!」
「頑張りすぎちゃって少し広くなったのー!」
タコは特に指示していなかったが、既にちびイカトリオが花畑を元に戻していた。アルラウネであるローズは植物の育成や修復が得意であり、花畑は以前よりにぎやかになっている。
「あらありがとう。ローズも気が利くわね」
「と、とんでもないです。まだ能力の制御がうまくいかなくて」
先ほどのレインの所業を見たせいか、ローズは冷や汗を流しながら答えた。現在は祖父のセシルともどもレインの部下のような状態なので、上司の異常さを再認識した以上はそうなるのも当然である。
「だいじょうぶよローズちゃん。レインの逆鱗はハチミツに関することだけだから」
「とりあえず疲れたわね。会場に戻りましょう」
会場では先ほどの様子を皆が見物していたようだ。拍手や歓声をもって出向かえてくれる。
特にアイリスはすぐさまレインにドラゴンの強さなどを聞きに来たが、期待外れの内容にさっさと宴に戻ってしまった。
その後も何回かの応答を繰り返し、喉が渇いたレインは飲み物を取りにそちらのテーブルに向かう。
「あ、ハチミツ酒もあるんですね。レイン様はこういうのもお好きなんですか?」
「あ“っ!? ローズちゃん、それは……」
ローズは気を利かせたつもりなのだろうが、グラスについだハチミツ酒をレインに渡そうとする。
タコの突っ込みも手遅れだった。すでにレインはそれを喜んで受け取り、ストローで一気に飲み干す。
「あははー! ハチ『三つ』なのに四つあるとはとはこれいかにー!」
「ちょっとレイン様! もう四杯目じゃなくて五杯目ですよ!」
そして、ローズは上司に対する新たな恐怖と、注意事項を身に刻むことになった。




