35話 タコさん、運動する
湖の中心。スキルで水面に立つタコは、自分の少し先で羽ばたくオクタヴィアの事を優しく見つめていた。
「オクトちゃん。そんなに深く考えなくていいわ、あなたの力をタコさんに見せてちょうだい」
今回の作戦は、パトリックに手柄を立てさせる最終段階だ。彼がドラゴンと交渉して邪神に対抗させたという事にする。
そのためには、ある程度タコの力を見せつけたうえで、オクタヴィアがそれに対抗しなければならない。
事前にお互いがやることを決めておいても良かったのだが、タコはいい機会だとオクタヴィアへ自由に攻撃するようにお願いしたのだ。
ちなみに、イカ達は逃げ遅れた兵士たちをこっそり救助するために動き回っている。
「オクトちゃんはアイリスと何度も模擬戦をしていたし、レインから私が使える魔法は聞いてるわよね? まずは小手調べよ。<連射/水槍>」
タコの周りに水でできた槍が大量に生成される。それらは次々にオクタヴィアに向けて飛んでいった。
しかし、彼女は動揺もせずにそれに対処する。
「させません、仙術/土行《水を阻め》!」
水属性を弱体化させる仙術により、槍は勢いを失う。完全に相殺することはできなくでも、回避をするにはそれで十分だ。
槍を回避したオクタヴィアは、今度はこちらの番だとタコに突撃する。すでに《練気》などの身体強化スキルを使用しているため、その速度は凄まじく速い。
しかも、オクタヴィアは出撃前にかけられるだけの強化魔法がほどこされていた。
「おお、やるわね。<水流>」
だが、タコも冷静に魔法を発動する。水に流れを発生させると、スケートのように湖面を移動して回避した。
水面に突っ込んで巨大な水柱を上げたオクタヴィアも、すぐさま空中に舞い戻る。
「まさに、蝶のように舞い、蜂のように刺すって感じね。なら、その舞いを邪魔しちゃいましょう。<嵐>」
今度は周囲に暴風が吹き荒れた。オクタヴィアは体勢を崩しそうになりながらも必死に翼はためかせる。
なんとか落下は免れているが、今の彼女はタコにとって的のようなものだ。
「さて、その状態でこれはどうする? <連射/水槍>」
またしても大量の槍がオクタヴィアを襲う。彼女は姿勢制御に手いっぱいで仙術を使うことができない。
そこでオクタヴィアは羽ばたきを止めて、あえて暴風に身を任せた。浮力を失った体は途端に水面へ向けて落下を始める。
だが、落下中ならば精神集中が可能だ。まずは仙術で槍の軌道をずらすことに成功するが、その時には水面はすぐそこに迫っていた。
「こっ……の程度! 《闇のブレス》!」
オクタヴィアは水面に向けて口からブレスを放出する。それは水面にぶつかると衝撃で巨大な爆発を起こした。
そして、オクタヴィアはその爆風を翼に受けてタコの方へと迫る。水面ぎりぎりを滑るように飛び、横薙ぎでカギ爪を振るった。
「隙ありです!」
「おっと危ない。<間欠泉>」
しかし、タコは魔法で自身の足元から大量の水を噴き上げる。これは本来攻撃の為に使う魔法であるが、水属性が無効なタコにとってはちょうどいい移動手段だ。
タコは間欠泉の勢いで空中に飛び上がり、オクタヴィアの爪は水柱だけを切り裂く。すぐさま姿勢を戻して振り返ると、タコはすでに水面に着地していた。
「今のはすごかったわよ! オクトちゃん、かっこいいわ!」
「ふふ、体を動かすのが楽しくて、色々と練習したかいがありました」
オクタヴィアが空中に飛び上がると、状況は振出しに戻る。
(ほんと、ちょっと前まで普通の女の子だったのに。すごいわねぇ)
タコは戦闘を続けながらも、心の中でオクタヴィアを称賛していた。
今回、タコは<時間停止>を封印している。オクタヴィアも装備で耐性を得ることはできるのだが、そんなものを身に着けるより、もっと全力を出せる装備をして欲しかったからだ。
それでも、オクタヴィアがここまで動けるのはタコの予想を超えていた。いくら手加減をしているとはいえ、自分の攻撃が一度も当たっていない。
アイリスから受けた無茶な修行の成果とはいえ、これほどまでの成長を見せてくれたオクタヴィアとの戦闘に、タコも思わず興奮してくる。
そして、タコがそんなことを考えている間に、オクタヴィアは大規模な攻撃の準備を整えていた。
「準備完了です、大技いきますよ! 仙術/土行《石の嵐》!」
さっきのお返しと言わんばかりに、彼女の周囲に大量の岩石が浮かび上がると、タコに向けて突撃してくる。
だが、攻撃はそれで終わりではなかった。
「まだまだありますよ! 《遠当て》! 《気功弾》! 《闇のブレス》!」
オクタヴィアは周囲を高速で飛びながらタコに攻撃を仕掛けてくる。タコは自分の周囲を水の膜でガードするが、このままでは移動も攻撃もままならない。
「やっぱり自由に飛ばれると厄介ねぇ。<連射/死の闇>」
そのため、タコは空中に大量の闇を発生させた。これは、直接当てるのが目的ではなく、飛行を制限するのが目的だ。
目論見通り、オクタヴィアは闇を避けようとしてしまうため、動きが制限されてしまう。
そして、攻撃の手も緩んできたところでタコは攻撃を仕掛けようとする。だが、オクタヴィアは何を思ったのか、闇に当たるのも気にせずタコめがけて突っ込んできた。
だが、自暴自棄になったところで速度が速くなったわけではない。タコは防御することなく、攻撃で撃ち落とそうとする。
「もう、オクトちゃん。その早さは既に見切って……」
「『血よ、肉よ。我の命に従い、更なる力を示せ』!」
「え?」
オクタヴィアの速度が、急にもう一段階上がる。彼女がこの世界の魔法を使ったためだ。
突然のことに対応が遅れたタコは、とっさに防御魔法に切り替える。
「<肉体液化>!」
タコの肉体が水に変わり、オクタヴィアのカギ爪が素通りする。その間にタコは間欠泉で先ほどのように離脱を試みることにした。
「ゲイザ……ほげー!?」
だが、オクタヴィアはそれを読んでいたようだ。既にタコの頭上で大きな口を開けている。このまま上に飛んだらその牙の餌食になるだろう。
しかし、魔法を中断したところでオクタヴィアの方がタコに向かってくる。そして、牙がタコの肉にかかる……ことはなかった。
その直後、急に勢いを無くしたオクタヴィアの口が、タコをくわえただけで止まったのだ。それはまるで、猫が甘噛みでもしているかの様である。
「……あら?」
「ごめん……なさい。魔力……切れです……」
どうやら、慣れない魔法を使ったせいで魔力を使いすぎてしまったようだ。その体もドラゴンのものから人間に戻ろうとしている。
さすがにそれが周囲の人間にばれるのはまずいので、タコは時間止める。
「<時間停止>」
そして、まずはオクタヴィアに回復のポーションを飲ませると、周囲に大量の霧を発生させて視界を遮った。
ついでにレインへチャットを送信しておく。
『レイン、こっちに来てオクトちゃんの幻覚を作ってちょうだい』
時間停止の効果が切れると共に、レインが転移でやってくる。既に人間に戻ったオクタヴィアは、タコに膝枕をされる形で横になっていた。
「あらあら、ずいぶんとはしゃぎすぎたようね」
「ほんとほんと、タコさんも思わず熱中しちゃったわ」
茶化すように話すレインだが、あまり時間も無い。魔法でドラゴンの幻覚を作るとそれを霧から飛び出させ、人から見えなくなるくらいに遠くへ行かせる。
ポーションにより回復したオクタヴィアだったが、戦闘による疲れもあるのかまだ起き上がることが出来ないようだ。
そのまま二人に面倒をかけてしまったことを謝罪する。
「タコ様、レイン様。お手数をかけて申し訳ありません」
「オクトちゃん、お疲れ様。もう大丈夫だから、ゆっくり休みなさい」
タコが優しくオクタヴィアの頭を撫でる。すると、彼女はゆっくりと目を閉じて眠りに落ちていった。
◆
そんなタコとオクタヴィアの戦闘を、少し離れたところでパトリックとジョナサンが眺めていた。
「なあパトリック、あれはいったい何の冗談だ?」
現実離れした光景に、ジョナサンは恐怖を感じながらもパトリックへ問いかける。彼の方はごく冷静に戦場を指すとそれに応えた。
その様子は、すでにこの程度のことでは動じないほどの何かを体験したかの様である。
「あちらにいる手足が触手になっている方。あれがナスキアクアに存在する第三勢力の中心人物、邪神タコ様です。すべては彼女の計画ですよ。賢者の石も、ナスキアクアとの停戦も、フレイヤの火事も、あなた方の挙兵も」
とっさには信じられない話ではあったが、ジョナサンも言われてみればパズルのピースがはまったような気がした。
一連の事態が、確かに一本の直線でつながる。だが、それをするのに、どれだけの労力や物資がかかるのかを考えたら、発案者というタコに対する恐怖がさらに高まった。
「シナリオによると、あのドラゴンは私が交渉により呼んだことになっています。そして、私はその功績により王位継承のチャンスを掴むわけですな。その後は……」
「待っていくれ。なぜ、私にそこまで話す?」
そんなジョナサンの様子を気にせず、パトリックはペラペラと話を続けている。だが、さすがに不自然さを覚えたジョナサンが話を遮った。
今の話を暴露されたら、さすがにパトリックが言う作戦に支障があるはずだ。
「それなんですが……良かったらこの功績、お譲りしましょうか?」
「なんだと!?」
続く言葉に、ジョナサンは思わず声を上げた。仮にも三大国家の一つである自国の王となるチャンスをふいにしようとするなど、普通では考えられない。
しかし、そこで戦場から大きな爆音が響いた。そちらに目を向ければドラゴンのブレスが水面に爆発を起こし、タコが間欠泉に乗って空へ舞い上がっている。
そして、その光景によってジョナサンも、パトリックがそんなことを言う気持ちを理解してしまった。
「……断る。王になるということは、あれの手下になるという事だろう? それなら、前線送りにでもなった方がまだましだ」
「ですよねぇ……」
パトリックはため息をつきながらポリポリと頭をかく。半ば予想していた回答ではあったが、少しばかり期待をしていたのは事実だ。
しばらくすれば、戦場から巨大な霧が立ち上った。そして、幻覚ではあるがオクタヴィアが空の彼方へ飛び去って行く。
そろそろ兵士たちの救助も完了しているだろう。二人は重い足取りで湖の方へ戻って行った。
◆
ジョナサンがそんな状況にあることを知らないカトリーヌは、私邸にある庭で優雅にお茶を飲んでいた。
その庭は自然の木々が多く、彼女がいるところも大木が影を作り、穏やかな陽気が保たれるようになっている。
もちろん、その周辺には警備や従者も配置されているが、カトリーヌにとってそれは背景にすぎない。
自身が危険な目に合わないように、彼女は常に細心の注意を払っている。つまり、彼らがいるのが自然な光景なのだ。
「優雅なものですね、カトリーヌ様」
「……え?」
背後から確かに聞き覚えのある声がした。しかし、それは部下の物ものはない。来客があるのなら、予約があろうともなかろうとも、部下の方が先に自分の所へ来るはずだ。
思わず振り返ろうとするが、それはカトリーヌの首に何かが噛みついたことで中断された。
「なっ!? あ……がぁ……」
噛みついたものは、そこから大量の血液を吸いあげる。
血液が失われると共に、おぞましいまでの寒気と、自分の体が作り替えられていく恐怖がカトリーヌの全身に広がっていった。
そんな彼女に、また先ほどと同じ声が聞こえてくる。
「うふふ、カトリーヌ様。そんな変な声を出さないで下さい。とっても気持ちいでしょう?」
「フ、フレイヤ……?」
そこにいたのは、以前と変わらない綺麗な顔をしたフレイヤだった。しかし、その肌は記憶にあるよりも青白く、大きな日傘をさしている。
そして、カトリーヌの首から牙が外れると、その牙の持ち主は一瞬でフレイヤの後ろに移動した。
それは、いつものように執事服に身を包んだコゼットだ。フレイヤから傘を預かると、これまたいつものように彼女の後ろで上にかざす。
「コゼットまで……貴方! 一体、私に何をしたの!?」
思わず叫んでカトリーヌは気づく。いまだ寒気は感じているが、自分の体には先ほどまでには無い力が満ちていた。
自身の両手をみれば、目の前のフレイヤのように肌が青白くなっている。
「うふふ、素晴らしい気分でしょう? あなたもコゼットの手によって吸血鬼になったんですよ」
「吸血鬼ですって? 馬鹿なことを、人をそんな化物に変えるなどできる訳が無いでしょう!?」
自身の変化など信じないとばかりにカトリーヌは声を上げた。
だが、フレイヤはそんな言葉など聞いていないかのように、カトリーヌの方へゆっくりと歩み寄る。
その顔はわずかに微笑んでいるかの様だったが、目には確実に怒りが込められていた。
「自分の体が変わったことは理解できるでしょうに。それなら、これでどうです? コゼット」
「はい。<血の刃>」
コゼットは呪文と共に自分の手を軽く振るう。すると、その手から血の刃が走って、カトリーヌの右腕を肘の先から切り飛ばした。
うめき声と共にひるむカトリーヌだが、予想よりもその痛みははるかに鈍い。さらに、ほとんど血が流れていなかった。
「そんな……そんなそんなそんなっ!?」
カトリーヌは額を押さえると、頭を振って必死に自分の体に起こっていることを否定する。
だが、目の前で起こった現実は自身が異形となったことを証明しており、それが恐怖となって全身を駆け巡る。
「これで、自分の体のことはよく分かりましたのか? では、これからが本番です」
まるで、血のように赤い瞳がカトリーヌを睨みつけている。彼女は恐怖に押され少しずつ後ずさった。しかし、数歩下がったところでその背中が木にぶつかってしまう。
「もう知っているんですよ、母の病気が誰のせいか」
「<血の槍>」
「ぐっ!?」
今度はコゼットの手に血の槍が形成される。それでカトリーヌの左腕ごと背後の木に突き刺せば、彼女は動くことができなくなった。
そして、フレイヤはカトリーヌの右腕を拾うと、彼女の傷口にくっつける。さらに、ポーションを少したらせば腕は元通りに治ってしまった。
だが、コゼットがすぐさまもう一つの槍でその腕を突き刺す。カトリーヌは痛みに耐えながらも槍を抜こうと力を込めるが、それはわずかに揺れるだけだ。
「痛い痛い痛い! やめて、やめてー!」
「母もよく痛みに叫んでいました。今のあなたのようにね」
カトリーヌは話を聞く余裕も無く、必死に腕へ力を込める。吸血鬼になり強化された筋力は、わずかに槍を動かすだけの力を与えてくれた。
だが、あともう少しで槍が抜けると彼女が思ったその瞬間、フレイヤは指を鳴らす。
「<血の刃>」
コゼットが発生させた血の刃が周囲の木々を切り裂く。すると、葉や枝に遮られていた日光が温かく周囲を照らした。
ところが、生命にとって命の象徴であるそれは、カトリーヌの肌を炎のように焦がす。すぐさま彼女の口からは凄まじい苦痛の声が上がった。
「き、きゃああああ! 焼ける! 私の体が焼ける!」
「うふふ、少し『日』加減が強かったかしら? でも、母はもっと苦しんだんですよ? そんな母の苦しみを、十分の一でも味わってください」
そんな彼女を、フレイヤは冷めた目線で見下している。彼女は自分の母が、病気に苦しんでいる姿を思い出していた。
この程度ではまだ足りないと、フレイヤは懐から取り出した瓶の蓋を開ける。そして、赤く光を放つ液体をカトリーヌの口に注ぎ込んだ。
しかし、苦痛に呻く彼女はかなりの量ををこぼしてしまう。
「あら、もったいない。この魔法薬には、お父様があれだけ欲しがった賢者の石が大量に含まれているんですよ。自動的に損傷した肉体を修復するよう、改良までしたというのに」
「いや、誰か来て! 何で、何で誰も来ないの!?」
すでに、周囲の人間はコゼットが吸血鬼の能力で判断力を奪ってある。イカや妖精の協力によって音も周囲に漏れないため、外部から人が来る恐れはない。
そんな中で魔法薬により回復力を得たカトリーヌは、日光に焼かれるそばから肉体が修復されるという、恐ろしい状態にされていた。
「うふふ、安心してくださいカトリーヌ様。後で、ちゃんと人間に戻してあげますから。……あなたに永遠は、ふさわしくないですもの」
正気を失いかけているカトリーヌに、フレイヤは優しく話しかける。だが、その目は未だ冷たく、少しも彼女のことを許すつもりがないことを示していた。
カトリーヌが何も言わなくなったあたりで、イカがやってきて木々を修復する。そして、吸血鬼化を治療する聖水がかけられた。
しばらくして正気に戻った護衛が駆け付ける。カトリーヌは気を失った状態で椅子に座っている所を発見された。
困惑する護衛たちだが、周囲に争った形跡はない。診察の結果は異状なし。特に外傷も無く、毒や病気の痕跡も発見されない。
だが、彼女が目を覚ましてからの錯乱ぶりはすさまじいものだった。
「窓を! 窓を閉めてちょうだい! ああ、だめ、その程度じゃ全然だめ! 日が入ってきてるじゃない! いいから早くその窓を塞いで! この部屋に光を入れないで!」
太陽光に対する恐怖が植え付けられたカトリーヌは、部屋から一切の光を排除し始める。
何らかの原因で精神を病んだのは間違いないが、どんな医者でもその原因が分かるわけもない。
そして、彼女は今後、この部屋から出てくることは無かった。
 




