34話 タコさん、湖をつくる
「皆の者! 我らの国を汚した魔族を討ち、平和を取り戻すのだ! 恐れることはない、ここにはニューワイズ王国の第一王子、ジョナサン様もおられる! 共に力を合わせ、奴らを葬るのだ!」
草原を目の前にして、領主は兵士たちを鼓舞するように訴える。それに応えて、彼らからも大きな声援が上がっていた。
兵士の一部には敵が自国の人間になるのではという不安があったが、それも相手が半魚人だと分かれば戦意は高まるばかりである。
「では、後は手はず通りに。よろしく頼みます、王子」
「はい、もちろんです」
今回の戦いは合同戦線であるが、基本的にニューワイズ王国が先陣を切ることになっていた。
さすがに地方領主の戦力で、本国の者たちと正面から戦うのは無謀であると判断されたからだ。
相手が半魚人であるならば、その判断を変更する必要も無い。
「王子。我ら魔導兵士、準備完了です! どうかご命令を!」
「よし、皆よく聞け! 奴らは邪神と名乗る者の配下であるが、しょせん、あの程度の少数だ! 我らの力を存分に見せつけてやれ!」
今度はジョナサンが自国の兵士たちに対して声を上げる。相手はせいぜい数百人。その力は未知数であるが、こちらは千人以上の戦力がいる。
しかも、その中でも魔導兵士と呼ばれる者たちは、身体強化のみならず、様々な魔法を扱うことができる精鋭部隊だ。
ジョナサンの考えでは、まずは彼らをぶつけて相手の力を測り、その後の戦略を調整するつもりである。
領主と共に戦場が見える程度の後方に下がると、まずは様子見だと落ち着いて用意された椅子に座った。
しばらくすれば前進した魔導兵士が簡易的な陣地を構築する。そこへ、半魚人の部隊が突撃してきた。
彼らが特に遠距離攻撃の武装をしておらず、魔法を使ってくる様子がないことを確認すると、部隊長が全体に攻撃指示を出す。
「攻撃開始! 目標は正面の部隊だ、行くぞ!」
「はっ! 『雷よ、槍となり我が敵を討て!』」
兵士が魔法で雷の槍を放つ。それは上空から降り注ぐように半魚人たちを襲うが、着弾する前に水の膜が展開されると、槍はそれにぶつかり弾けて消えた。
出鼻をくじかれた兵士たちだが、その程度で動揺するような素人ではない。すぐさま対策を取って攻撃を続けようとする。
「くそ! あの見た目で魔法を使うのか。しかしまだ距離はある、攻撃を集中させろ!」
「了解! 『雷よ、槍となっ……」
「『水よ! 刃となり敵を切り刻め!』」
そして、再度魔法を放とうとするが、そこへ水の刃が飛来してきた。不意を突かれるも魔法を中断し、それぞれが身を守る。
半魚人からの反撃かと思われたが、未だ前進を続ける彼らから放たれたとは考えづらい。
「攻撃魔法!? どこからだ、半魚人が詠唱してる様子は無かったぞ!?」
「待て、敵は半魚人だけじゃない。ス、スライムだ! 女性型のスライムがいるぞ!」
すると、兵士の一人が半魚人たちの足元に潜むスライムに気がついた。彼女たちは地面から上半身だけを出して、魔法で支援をしていたのだ。
しばらくは遠距離の攻防が続いていたが、その間にも半魚人たちは少しずつ前に進んでくる。この距離では魔法にだけ頼ることもできないと、兵士たちは近接戦闘の準備を始めた。
そして、ついに半魚人たちの槍が兵士たちに迫る。人間には発音できそうもない奇声にひるみながらも、兵士らは剣や盾でそれらをいなす。
ここまで混戦となってはうかつに攻撃魔法を使えない。その分、身体強化に魔力を回すと半魚人へ反撃する。
さすがに一対一では半魚人の方が強いようだが、数なら兵士のほうが多い。多対一を基本とした戦術により、人間側の方が若干の優位となっていた。
だが、そこにウンディーネたちが加わると話が変わってくる。
彼女たちの魔法は、人間のものよりもはるかに器用なことができる。半魚人たちを巧みに避けた攻撃や、地面をぬかるみに変えて妨害するなどの支援を行っていた。
「全体、一度下がれ! まずはスライムたちを止めるぞ!」
「よし、今だ! 『冷気よ! 凍える風ですべてを止めよ!』」
部隊長の指示により兵士が後退すると、そこへ冷気の嵐が吹き荒れた。
半魚人たちの体に所々、氷が付着していく。だが、さすがに動けなくなるほどではない。多少のダメージはあるが、作戦は続行できる程度だ。
「え、あれ? 体が凍っちゃった!?」
だがそれは、スライムであるウンディーネにとって致命的だった。彼女たちは肉体が凍り付いて動けなくなってしまう。
しきりに体を動かそうとするが、凍った体はピクリとも動かない。半魚人たちがウンディーネを助けようとするも、腕力だけではどうすることもできなかった。
「今だ、喰らえ!」
「きゃー!」
そこへ、兵士が突撃し、集中的にウンディーネを攻撃する。凍り付いた体は強化された肉体から放たれる攻撃に耐えることはできず、バラバラに砕けてしまった。
「ん? なんだこの宝石は?」
その砕けた体から宝石がこぼれ落ちる。戦場には不釣り合いな落とし物であるが、一人の兵士が思わずそれを手に取った。
すると、宝石には何らかの魔力がこもっているのが分かる。ならばこれはかなりの値打ち物に違いないと、兵士は思わぬ幸運に歓喜した。
だが、次の瞬間、彼の背後から凄まじい殺気が放たれる。
「待て、それを渡すわけにはいかん」
振り返ると、そこにいたのは全身をローブで覆い隠した女性。わずかに見える顔は褐色の肌をしており、それだけでも美しい容貌が想像できた。
しかし、ここが戦場あることを思い出した兵士は、その女性、エルダに剣を向ける。
「な、なんだ貴様は! 一体どこから現れた!?」
「そんなことより、まずはそれを返してもらおう」
エルダは兵士の声など聞いていないかのように近づくと、その腕を掴んで力を込める。ローブから見える細腕からは信じられないほどの力に、たまらず兵士も宝石を離してしまった。
それが地面に落ちるよりも早くエルダが回収すると、兵士を乱暴に放り投げる。周囲の兵士も異常な存在がいることに気づき、数人で彼女を取り囲んだ。
そして、先ほどの兵士がいきり立ってエルダに突撃してくる。
「くそっ、よくもやりやがったな! くらえっ!」
そのまま彼女の肩に剣を振り下ろす。ところが、剣は肩に食い込むも、そのまま万力に掴まれたかのように動かなくなってしまう。
エルダが剣に向かって軽く腕を振るうと、それは固い音を立てて砕け散った。
「汝は職務を果たしただけ。であれば、あの子の体を壊したことを、恨むのが筋違いであることは理解しておる。下がるがよい」
「ぐはっ!」
さらに、その腹を殴りつけて再度、兵士たちの方へ吹き飛ばす。もちろん、エルダはかなりの手加減をしている。仮に本気で殴れば、その腹に大穴が開いていたことだろう。
しかし、そんなことを知らない兵士たちは、彼女に向かって突き進んでくる。
「見た目に騙されるな! 奴は強敵だ、全員でかかるぞ!」
「やれやれ、人間というものは理解に苦しむな……いや、それを言うなら我も同じか。この気持ちを止めずともよい、という喜びを感じているのだから」
エルダは笑みを浮かべると、両腕を大きく広げる。彼女が持つショゴスの肉体は自由に形を変え、持ち主の感情にふさわしい姿を取った。
それは、爪の一つだけでも兵士の剣と同じ大きさを持つ、巨大なカギ爪である。
「……ば、化け物だ……」
「そうだ。我は邪神タコの使徒が一人、『真なる永遠』のエルダ。それでは人間どもよ、さらばだ」
思わぬ変化に兵士たちがたじろぐ。そこへ、エルダの爪が無慈悲に襲い掛かった。爪の一本が一人の兵士の構えた剣をバターのように切り落とし、その首へと迫る。
だが、その皮に一枚、切り込みを入れたとこで不意に爪の動きが止まった。
「ぬ?」
「てけりー」
エルダの肩に黒い触手のようなものが置かれている。それは、彼女の背後にやってきたショーのものだ。
そして、振り返ったエルダに対し、ショーは体から頭のような膨らみを作りフルフルと振るう。
「ショー殿、止めずともよい。我は既に一線を越える覚悟はできている」
「てけりー!」
それでもショーは力強く膨らみを震わせて、エルダに声を上げる。その言葉は彼女にショックを与えたようで、明らかに動揺していた。
そのままエルダはカギ爪を元の腕に戻す。
「『それは覚悟ではなく八つ当たりだ』か……。そうか……そうだな」
痛いところを付かれた彼女は、苦い顔をしてうつむいた。そして、軽くため息をつくと兵士たちに腕を向ける。
今度はその手から大量の針を伸ばす。それは、兵士たちの剣や槍などの武器だけを貫き、すべてを粉々に砕いた。
「ば、馬鹿な……」
「失せろ。次は当てるぞ」
「て、撤退!」
さすがにこれほどの力を見せつけられては、戦意を保つことはできない。兵士たちは足早にその場を去っていった。
半魚人たちも、凍ってしまったウンディーネを抱えると後方に戻っていく。
「我にはもう汝を見ることはできんが、聞こえているか? すぐに次の体を作る。すまんが、先に湖に戻っておれ」
エルダは宝石を見つめながら、体を壊されてしまったウンディーネに謝罪していた。ショーは彼女を慰めたいのか、その頭に優しく触手を置いている。
そんなエルダの頬を、湿り気を帯びた風が撫でていった。
◆
「やっぱり、大国の精鋭ともなると強いわねぇ。半魚人だけじゃ普通に負けてたわ」
草原からほど近い山の中腹、タコはここからは戦場の様子を眺めていた。その横ではレインとアレサンドラも戦場を見学している。
「しかし、今後の参考になりました。ウンディーネが冷気に弱いのは対策が必要ですね」
「それに、ちゃんと作戦は遂行してくれたわ。ジュリオとエルダのお手柄かしら」
予定通りほとんど一進一退の戦場は、中心付近に多数の部隊が集まっていた。幾分かは範囲の外にいるようだが、それも許容範囲である。
自分の出番が近くなったタコは、準備体操のように体を動かしていた。
「それじゃ、タコさんもアップが済んだし行ってくるわね。サンドラちゃんもよろしく」
「かしこまりました。それでは失礼します」
そして、予定の時間が来ると、アレサンドラは先に目的の地点に向かって出発する。彼女には後程、作戦で重要な部分を担ってもらう予定だ。
さらに、今回はホタルやマイカたちイカも全員が集合していた。
「さて、皆も準備はいいかしら」
「おっけーでーす!」
「はい。問題ありません」
タコが気合を入れて声を上げると、イカたちもそれに応える。皆、やる気は十分のようだ。
最後に、レインがタコたちに魔法をかける。
「では、派手に行きましょうか! レイン、頼んだわよ!」
「ええ、<魔力最強化/拡声>、<他者転移>」
◆
膠着した戦場、そのど真ん中に6人が降り立った。中心にはタコ、前面にちびイカトリオ、後方にはマイカとアオリが控えている。
「おーほっほっほ! 我は『アウトサイダー』の邪神タコ! 愚かな人間どもよ、ひれ伏せ―!」
魔法により拡大されたタコの声が戦場に響き渡った。さらに、今回は《神格のオーラ》も全開である。
周囲の兵士たちは突然現れた存在に驚くと同時に、計り知れない恐怖が湧き上がってきた。
「あれが……邪神?」
「……おいおい、あれは化け物なんてどころじゃねえぞ! 逃げろ、早く逃げろ!」
「落ち着け貴様ら! こら、待て、無計画に動くな!」
魔導兵士のような精鋭はある程度の判断力が残っているようだ。しかし、それ以外の兵士はその恐怖から逃れるため、我先にその場から離れようとする。
だが、タコはそれを見過ごそうとはしない。
「おーほっほっほ、逃がさないわよ! <輪唱/魔力最強化/土を水>!」
タコとイカ達全員の輪唱による魔法は、まるで爆発のような魔力の奔流を周囲に巻き起こした。そして、魔法の効果により辺り一面の大地が水に変換される。
その結果、何もない草原に突然、湖が出現した。
それはせいぜい一メートルに満たないほどの深さだったが、人が体勢を崩すには十分な量だ。
さらに、タコが与えた恐怖の効果も合わさって、周囲は大混乱に陥る。
「何だ!? 一体何が起きたんだ!?」
「水!? どうなっているんだ!? 地面が水に変わった!?」
「嘘だろ……岸があんな先に……」
「ふざけんな! あんな化け物がいるなんて聞いてねえぞ!」
このような状況では、魔導兵士ですら冷静でいられない。むしろ、なまじ魔法の知識がある分、タコたちの強さを他の誰よりも実感してしまった。
皆がばらばらに退却しようとするも、水に足を取られ、恐怖に体が震え、それは遅々として進まない。
「馬鹿な……草原が一瞬で湖に……!?」
「な、何て魔力だ。あれは本当に邪神なのか?」
その混乱は草原から離れたジョナサンたちにも伝わっていた。さすがにタコのオーラが届く距離ではないが、目の前の光景を見れば恐怖は十分に感じられる。
だが、この恐怖はまだ始まりでしかなかった。
「王子、あれを見てください!」
「あれは水面が下がって……いや、地面が沈んでいる!?」
兵士が湖の異変に気付く。ジョナサンが確認しても確かに湖全体が沈下していた。それは、事前にウンディーネが移動に使っていた地下水路が崩落したせいだ。
ただでさえ動きが鈍る水の中で、高くなっていく岸が兵士たちに更なる絶望をもたらす。
そして、そこに止めがやってきた。
「あ……あ……」
「何だ、これ以上何が……あれは水? 川がこちらに向かっているだと!?」
信じられないことであるが、草原の向こうにある山、そこに流れる川が確かに動いているのだ。
これは、アレサンドラが魔法で川を操作しているためである。その水の行く先は、もちろん生まれたばかりの湖だ。
「早く全軍を湖から引き上げろ! このままでは全滅するぞ!」
「無理です! 沈下が早すぎて間に合いません!」
運よく湖の外にいた兵士たちも協力して、水の中にいる者を救出しようとする。しかし、それは明らかに間に合うような速度ではなかった。
それでも水を凍らせ、ロープを投げ、土を掘り、それぞれが助かるために動いている。だが、川の水は無慈悲にこちらへ向かってきた。
そして、まもなく川が湖と合流する。すべての兵士たちが諦めと絶望に飲み込まれたその瞬間、空から放たれた何かが川に直撃した。
それは、魔法で作られる光線に似ていたが、漆黒の光を放っている。そして、周囲に爆音を届かせると共に、土砂が流れ込んで川をせき止めた。
漆黒の光の出どころを探るため皆が空を仰ぐ。そこには、巨大なドラゴンが翼を羽ばたかせていた。
「漆黒の……ドラゴン?」
「ふう、間に合いましたか」
何が起こったのかいまだに理解できないジョナサンを、聞き覚えのある声が現実に引き戻す。
それは、ここに居るはずもない弟の声だった。
「パトリック!? なぜこんなところに!?」
「皆の者! あのドラゴンは敵ではない、我らの味方である! 邪神の対応は彼女に任せ、今のうちに軍を撤退させよ!」
パトリックの声が周囲に響く。呆けていたものも、それを聞いて我を取り戻した。指示通りに救出作業を再開する。
そして、彼はジョナサンに近づくと儀礼的に頭を下げた。
「兄上、指揮を乱したことを謝罪いたします。……『これ以上、敵は攻めてきませんので』、あちらで少々お話をしませんか?」
「……ああ、分かった」
さらに、周囲に聞こえないように小声でささやくと、ジョナサンは何も言えずにそれに従う。
パトリックの言葉に疑問を感じながらも、それを指摘するような気力は彼には残されていなかった。
 




