32話 タコさん、火事を起こす
ニューワイズ王国の王城。王の執務室ではいつものように国王が様々な文書へ署名を行っていた。
病気により長時間の執務が困難になっていたため、以前に比べれば書類の量はかなり少なくなっている。内容の確認もほとんど大臣に任せており、王の仕事はそれこそペンを動かすくらいであった。
最近は体調も良くなっており、「少しは政務の量を戻してもいいか」とか、「久しぶりに夜も楽しめそうだ」などと考えながら書類を眺めている。
しかし、そこに息を切らせた文官が飛び込んできた。
「王よ、一大事です! フレイヤ様の屋敷が火事でございます!」
「何だと!」
王は書類を机に放りだして立ち上がる。そのまま詳しく文官から話を聞けば、既に火は消し止められているが、フレイヤと従者のコゼットが重傷で助け出されたらしい。
だが、王にとってはフレイヤの安否よりも重要なことがあった。すぐさま文官にセシルを呼ぶように命令する。
ところが、彼はフレイヤの容体と現場の確認に行っているそうだ。それならばちょうどいいと、取り急ぎの作業が済み次第、報告に来るように命令を追加する。
そして、しばらくすれば顔を青くしたセシルが入ってきた。
「お待たせしました、報告をさせていただきます。二人とも火傷を負いましたが、命に別状はありません。しかし、フレイヤ嬢なのですが……その、何と言いますか……」
「どうした? はっきり言え」
セシルはメモを見ながら話をしているが、途中から露骨に歯切れが悪くなる。それは、確実に続きが悪い話であることを示していた。
王が促せば弱々しく言葉を続ける。
「何らかの病にかかっているようです。いまだに昏睡状態のまま目を覚ましません。とても疲労のせいだけとは思えず、現在治療法を探しておりますが……」
「そんなことよりもだ、私の治療はどうなる?」
セシルからすれば、娘をこのような目に合わせた一因である自分に叱責が来るものだと考えていた。
しかし、王から出てきたのは利己的な一言である。ある程度は予測していたとはいえ、セシルも少しばかり絶句してしまった。
「……もちろん、薬や資料は残っておりますので治療は継続可能です。しかし、彼女個人の技術に依存していた部分もございますので、再開まではしばらくお時間をいただきたい。それに、フレイヤ嬢が治療できれば……」
「よい、フレイヤの治療は後回しだ。それよりも、資料から治療できる人間を育てよ。可及的速やかにな」
「……かしこまりました」
確かに、個人に依存する技術は治療法として確立したとは言いづらいであろう。
だが、娘を気遣う言葉を一つくらい出せないものなのかと、セシルは心の中でため息をついていた。
◆
「あらあらコゼット。あなたまで怪我をするようには頼んでいないけど?」
「フレイヤの実験中に症状が出たようです。不摂生も重なって、魔法薬が効きすぎたようですね。……まあ、このおかげで私は疑われていないようですし、問題はありません」
カトリーヌは嘲るような笑みをコゼットに見せる。彼女は所々に包帯を巻き、目にはサングラスをかけていた。
顔にやけどを負ってしまったことと、炎や蒸発した薬品により目を傷めてしまったためだと、コゼットは説明する。
「そう。ま、少しくらいは金に色を付けてあげましょう。命令通りフレイヤへ魔法薬を投与してくれたのだから」
カトリーヌはフレイヤの治療に当たっている人間から症状を確認していた。彼女ならば、自分の息がかかった者を送り込むのも容易である。
その者からの報告によれば、フレイヤは体の各所に火傷を負い、原因不明の昏睡状態になっているそうだ。
あの魔法薬で昏睡までしたのは疑問であるが、体力の劣るものではそういうことがあり得ることはすでに確認している。
「フレイヤは療養のためパトリック様が用意した別荘に移送することとなりました。私もそれに同行します」
「そう。ところで、分かっていると思うけど」
「はい、カトリーヌ様のことは絶対に口にしません。実は、とても感謝しているんですよ。こんな火傷なんか気にならないくらいに」
いくら治療を受けたとしても、かなりの火傷を負ったコゼットは未だに痛みを感じているはずだ。
しかし、今の彼女からはそんな不調は一切感じられない。
「フレイヤは、火傷のせいで私が世話をしないと生きていけないそうです。ふふ、これで目が覚めた時に自分がどんな体になっているのか知ったら、その時の反応が楽しみですねぇ」
コゼットは妖艶なまでの笑みを浮かべている。それは、復讐を屈折した形で果たすのを妄想しているようだ。
カトリーヌもある程度そういう趣向は理解できるのだが、さすがに目の前でこのようなこと言われて愉快なる趣味は持ち合わせていない。
さっさと話を切り上げようと、コゼットを突き放す。
「……そう。理解しているなら結構です。二度と、私に会おうとは考えないように」
「もちろんです。それでは」
コゼットが去った部屋でカトリーヌは一人思索する。
フレイヤが例の病気にかかるまではしばらく時間がかかるだろう。それまでにはコゼットも『事故』にあってもらう予定だ。
パトリックの領地では少々手間がかかるだろうが、それも時間かければ問題は無い。
カトリーヌは己の計画が順調に進んでいることに笑みを漏らしていた。
◆
王族も利用する有数の治療院。そこから一台の馬車が出発する。
それに乗っているのは未だ目を覚まさないフレイヤと、自身も火傷を負いながらも甲斐甲斐しく世話を続けている従者のコゼット。
治療院の人間にはそのように思われていた。
馬車は王都を出て少しずつ田舎の方へ向かっていく。そして、周囲に人影も無い森の中に入ると、馬車は道をそれて木々の中に隠れるように進んでいった。
そして、少しばかり先に行くと二人の人物が待ち構えている。それは陽気に触手を振るタコと、日傘をさしたフレイヤだった。
「シロちゃーん、お疲れ。無事に脱出できて良かったわね」
「はい。街を出る際の検問も、王族相手ではほとんど素通りでしたね」
御者に扮していた人狼のシロが馬車を止める。コゼットはすぐに馬車から降りるとフレイヤから日傘を受け取り、代わりに彼女を日光から守っていた。
「さてそれじゃ、<覚醒>」
代わりにタコが馬車に乗り込み、横たわるフレイヤの姿をしたものに魔法をかける。彼女は起き上がるとその姿にノイズが走り、アイリスが姿を現した。
そう、今まで王都にいたのはフレイヤに変装したアイリスである。
「おう、タコにフレイヤ。おはようさん」
「おはようございます、アイリス様。この度はありがとうございました」
「うーん、こういう痛みも悪くねえが、やっぱり戦闘の痛みじゃないと気が乗らねえなあ。コゼットもそう思うだろ?」
「ですから、私は痛いのが好きなわけではありません。フレイヤ様の為になることが喜びなのです」
アイリスはスキルでフレイヤに変身し、その体に火傷を負わせた。さらにそこへ<病気>、<昏睡>の魔法をかければ、重傷のお姫様の完成である。
ちなみに、自然回復は<治癒力停止>という魔法で防いでいた。効果時間の方は、何度か治療院にこっそり忍び込んで延長している。
フレイヤが吸血鬼となった後。まずは吸血鬼になったことを隠しつつ、カトリーヌが渡した魔法薬も飲んだことにする必要があった。
そして、フレイヤがこの方法で王都を脱出することを提案する。もちろん、後で治療することを前提に、自分が火傷を負って病気になるつもりである。
しかし、そこにアイリスが待ったをかけた。そんなことなら是非、自分が体験したいとか言いだしたのだ。
だが、フレイヤとコゼットとには、なんとなくアイリスに別の考えがあるのを気づいていた。
恐らく、最近まで二人と一緒にいた彼女は、フレイヤが持つ自身の体を永遠のものにしたいという願いを尊重してくれたのだろう。
今となってはすぐに治せる火傷でも、わざわざ嫌な思いをさせる必要は無い。だから、自分に変わってそのような役目を引き受けたのだとフレイヤは考えていた。
もちろん、アイリスは素直にそんなことを言わなかったが。
タコも彼女たちのそんな気持ちを察したのか、特に反対もせずにアイリスに魔法をかける。そして、そのまま屋敷に火を放って作戦開始となった。
その後は火事が大事にならないように調整しつつ、救援を待っていれば後は成り行きに任せるのみである。
幸い、特にばれることもなく、誰もが予定通りに動いてくれたので作戦は順調だ。
「しっかし、自分の娘が怪我したっていうのに、一度も様子を見に来ないなんてひどい親よねぇ。フレイヤちゃんのお母さんの事といい、オクトちゃんの事といい余計に腹が立ってきたわ。これは、結構強めのお灸をすえなきゃね」
フレイヤの件は実際には嘘なので王を責めるのは酷であるが、タコから王に対する印象がさらに悪くなったのは確かである。
そもそも、以前オクタヴィアと彼女の母親の話を聞いた時点で既に、好感度は地の底であったが。
とりあえず、今はフレイヤとコゼットをパトリックの領地へ連れて行くのが先だ。
そこでは表向き病人として引きこもってもらう予定なので、ある程度の自由が効くようになる。
改めて準備を済ませると、馬車はゆっくりと元の道へ戻っていった。
◆
ナスキアクア王国の国境付近。以前、パトリック達が侵攻していたのとはやや離れた位置にあるここは、とある領主により治められている。
「あらあら、やっぱりダメでしたか」
「話を聞いてもくれませんでしたよ。これまでで一番過激ですね」
その領地周辺にある森の中に設置されたコテージで、アレサンドラはジュリオから報告を受けていた。報告の内容はもちろん、新たな体制を領主に通達した結果である。
事前に難敵なのは分かっていたため、わざわざ王家に近いジュリオを派遣したのだが、残念ながら上手くいかなかったようだ。
「人間同士でも理解し合えないのは、いつの時代も同じだのう」
その横ではエルダがつまらなそうにお茶を飲んでいた。ちなみに、ジュリオの必死の説明により、今では彼女も服の必要性は理解している。
しかし、あまり窮屈な服は好かんと、ゆったりとしたローブを好んで身にまとっていた。しかも、その下はビキニという、あまり一般的とは言えない服装である。
それでも、ジュリオからすれば目の毒がかなり解消されたのは間違いない。
そして先日、ジュリオが文官たちと領主が住まう街に向かった所、街の中に入ることもできずに門前払いされてしまった。
入り口を守る兵士は彼らに槍を向け、「魔族に下った者たちと話すことなどない!」と言い放つ。
何とか文書を渡すことはできたが、これ以上は交渉の余地も無いと判断したので、ジュリオたちは撤退する。
彼らはサメの半魚人たちが設置していたコテージに戻ると、今後の対応を相談するためアレサンドラを呼ぶことにしたのだ。
コテージに石像を設置してしばらくすれば、周囲が拠点扱いとなり転移の魔法陣も設置できる。ちなみに、このコテージもタコが用意したマジックアイテムだ。
ジュリオが事前に渡された札で連絡を取れば、すぐにアレサンドラもコテージにやってくる。報告を受けた彼女は先のやり取りの後、ため息をついて頬に手を添えた。
「ご苦労様でした。やれやれ、どんな時も世代交代はトラブルの元ですねぇ」
「先代の領主は国王からの信頼も厚かったですが、息子も同じとはいきませんよ」
ここの領主は最近、先代が亡くなったばかりであり、現在はその息子が後を継いでいる。
先代は優秀な人物で、国王も彼の手腕に期待してこの地域を任せていた。実際にこの領地は国境付近という事もあり、兵の数も多く、練度もなかなかのものである。
しかし、前領主は優秀であったが、したたかさも備えていた。ニューワイズ王国との密輸入により、自身や領地を富ませていたのだ。
国としてもあからさまに指摘して反意などを持たれても困るので、規模を確認したうえで黙認していた。前領主もそうなるように取引を調整したうえでの行動である。
だが、領主の代替わりにより暗黙の了解は少し意味が変わってしまう。新領主はそれを、国が弱腰だと認識してしまった。
そこへ国王が魔族に下ったとなれば、反発の方が大きくなるのも当然である。国の弱気に、自分の領が付き合う必要は無いと考えているのだ。
「さて、それじゃ今回はどうしましょうか。この辺は未整備の川も無いし……国境側に堀でも追加しましょうかね」
この領地以外にも国の方針に反発するところはあった。
内地の方は選択の余地がないこともありそれほどではなかったが、国境に近くなるほど他国と手を結ぶことが選択肢に上がりやすくなる。
実際に、少し前に訪れた領地では他国に移ることをほのめかされた。
だが、ちょうど近くに定期的に氾濫を起こす川があったので、アレサンドラが魔法で流れ変えて安定させたところ、手のひらを返したかのように国に残ることを申し出てきたのだ。
まあ、目の前で川を動かすような魔法を見せられれば、『断ったらこの水がどっちに向くのだろうね?』と言われているようなものだろうが。
「いいんじゃないですか。では地図を用意しま……おや?」
ジュリオが準備をしようとすると、空間に歪みが発生した。すると、レインが転移でやってくる。
「ああ、ちょうど良かった。悪いけど、この領地はしばらく放置してちょうだい」
「レイン様? いったい何があったのですか?」
突然のことに混乱するアレサンドラたちに、レインは状況と今後の作戦を説明する。要は、ニューワイズ王国の作戦に必要なため、あえてこの領地の反意を見逃すのだ。
「どうやら領主がニューワイズと交渉を始めているようなの。密輸で作った繋がりを上手く利用したみたいね」
「なるほど、ならば先方の準備が整うまで様子見ですね」
レインの話した計画では、近々ここへは再訪することになる。
アレサンドラはある程度の資材を隠匿しておくように半魚人たちに指示すると、撤退の準備を進めていった。
◆
一方、領主の館の方ではジュリオたちの動向が兵士から報告されていた。
「そうか、あの裏切り者どものは尻尾を巻いて逃げたと」
「はい。少し脅しただけですぐに去っていきましたよ。王族と言っても、所詮は成人したばかりの子供ですな」
兵士はそれが自分の成果とでも言いたいのか、ジュリオたちが撤退した時の様子を誇張して話している。
領主の方も気持ちよくその話を聞いていたが、執事が部屋に入ってくると領主に耳打ちした。
「若。ニューワイズの使者殿が参りました」
「若は止めろ、俺はもう領主なのだぞ」
いい気分を中断されてしまったが、さすがに大国の使者を待たせるわけにいかない。領主は足早に来客の方へ向かう。
そこでは自分と同じか、それ以上に質のより服を着た使者が待っていた。その程度には気圧されんと、領主も気を入れて交渉に臨む。
「使者殿、遠い所からどうもありがとうございます」
「とんでもありません。こちらこそ魔族からの圧力に抵抗する、気高い領主と繋がりが出来たことに感謝いたします」
しばらくはお互いの顔を立てながらの情報交換を行う。どちらもこの領地をニューワイズ王国に編入させることが目的なのだが、条件を良くしたいのも同じである。
そして、まずは領主の方がそのためのカードを一つ切った。
「そういえば、ちょうど国王からの文書が届いたところですよ。良かったら、写しをお渡ししましょう」
「ほほう、これはこれは……」
内容としては、魔族との同盟を行ったこと。アレサンドラが国王となったこと。基本的な国の制度に変更がないこと。一時的な税の免除などである。
予測よりもずいぶんと条件の良い内容に使者も若干驚いていた。しかし、その程度で魔族との同盟が飲めるかと言えば疑問ではある。
だがそんなことよりも目を引いたのは、邪神の存在と国王がその使徒となったが書かれていたことだ。
「貴重な情報をありがとうございます。我らが主……カトリーヌ様もお喜びになるでしょう」
これが、パトリックが言っていた第三勢力の事であろうか。彼がどこまで情報を得ているのかは分からないが、この情報が知らされていないのは確かだ。
裏取りなども必要となるが、それは上の仕事である。使者はそう考え、まずは目の前の交渉に頭を切り替えた。




