31話 タコさん、永遠を授ける
時は少し遡る。
フレイヤが治療に失敗した日の前日、彼女の私邸にある倉庫。
ここには色々と高価な物も保管されているため、かなり頑丈なつくりになっている。タコからもらったマジックアイテムもここに保管されていた。
そこにコゼットが入ると、疲労を回復するポーションを手に取る。フレイヤが大量に使用してるため、今では定期的に私室へ持っていくようになっていた。
しかし、今日は彼女が研究所に行っており、明日の治療が終わるまでは帰ってこない予定だ。急いで準備をする必要は無い。
それに、コゼットが持ちだしたのは以前、アイリスが渡した効果の高いものである。しかも、それを何故か自分の部屋に持ちこんだ。
そして、彼女は机から小瓶を取り出すと、それをポーションに混ぜようとする。
「おいおい、コゼット。そのポーションを有効活用しろとは言ったが、そんな使い方はねえだろ」
だが突然、彼女は後ろから声がかけられる。ゆっくりと振り返れば、いつの間にかアイリスとタコがコゼットを見ていた。
「あなたの管理はフレイヤちゃんの仕事だと思うけど、さすがにそれは見過ごせないわね」
「……そう、ですか」
最悪の場面を目撃されたというのに、彼女はいつものように無表情を崩さない。タコはゆっくりと近づくと、その手からポーションと小瓶を受け取った。
「ずいぶんと潔い良いわね?」
「私は、自分の気持ちを止めることができません。ならば、あなたに止めていただくしかないと思っていました」
未だに無表情なコゼットではあるが、その瞳は濁り、自分の感情を整理できていない様だ。
そんな彼女に対しタコが静かに問いかける。
「一応、理由を聞いてもいいかしら。なんで、フレイヤちゃんを裏切ったの?」
「……っ! 決まっているでしょう、あなたが……あなたがフレイヤ様を不老不死にしてしまうからです!」
苦々しく顔をゆがめたコゼットがタコを睨みつける。その瞳には間違いなくある種の狂気があった。
しかし、それはフレイヤも知る『捨てられないためには何でもする狂気』ではない。
その正体は、『約束を妨害するものに対する敵意』であった。
タコとアイリスが、彼女が持つその狂気に気がついたのは些細なことである。
最初にタコがフレイヤたちに会った時、タコが感じた違和感。その正体はコゼットから発せられた『殺意』であった。
実際の所、フレイヤの夢、不老不死は人の身で叶えられるものではない。
ならば、コゼットは自身に傷を作る限り、フレイヤが自分の傷を治すという『約束』は永遠のものとなる。そして、『約束』がある限りコゼットはフレイヤに捨てられることは無い。
その約束を侵害できるものなどいるはずがなかった。
しかし、そこに突如現れたタコが不老不死を叶えようとしてしまったのだ。
フレイヤが不老不死となれば研究をする必要がなくなる。それは、約束が破棄されるのに十分な理由となるだろう。
その予想がコゼットに対して最大の恐怖をもたらした。そして、彼女の中に新たな狂気が生まれる。
それが何であっても、『約束を妨害するもの』は許さないと。
その狂気はタコに対して殺意すら覚えさせた。しかし、タコもアイリスもそれをはっきりと感じたわけではない。
コゼットも長年、従者として訓練を積んでいる。そんなものを簡単に顔へ出すことはない。
だが、彼女ですら初めて覚えるほどの強い殺意は、ほんの一瞬、目や表情、雰囲気といったものに現れていた。
その結果、タコはあの場で微妙な違和感を覚えてしまったのだ。
しかし、コゼットがタコを殺せるわけもない。ならば、どうにかしてフレイヤに与えられた条件を失敗させる必要がある。
追い詰められたコゼットがとった方法は、カトリーヌに協力するというものだった。それが、フレイヤに害を与えるものだったとしても。
「な、面白いことになっただろ?」
「アイリスの言い分も分かるんだけどさ、これって結局タコさんがマッチポンプしたことになるんじゃ……?」
ケタケタと笑いながらタコの肩に手を回すアイリスだが、タコは微妙な顔して触手を組んでいた。
実際にタコのせいでコゼットがこうなったというよりも、彼女の本性があぶりだされたという事であろうと思い、タコは考えるのを止める。
そして、当のコゼットの方はいつもの無表情に戻ると二人に対し頭を下げた。
「……タコ様、計画の妨害をして申し訳ありませんでした。これはすべて私の独断によるもの。どうか、フレイヤ様に責任を問わないで下さい」
既にコゼットは覚悟を決めているようだ。邪神の計画を妨害した者がどういった末路をたどることになるのか、想像するのはたやすい。
しかし、それはタコがいわゆる普通の邪神ならの話だ。特にコゼットをどうこうするつもりないタコは、諭すように問いかける。
「もー。コゼットちゃんってば往生際が良すぎよ。タコさんは別にいいから、フレイヤちゃんに謝ったら?」
「……主を裏切った従者に、居場所などありません」
「フレイアちゃんなら許してくれるよ。なんだったら、タコさんからもお願いしてあげるわよ?」
「余計な……いえ、結構……です」
タコが様々な提案を出すも、コゼットはそれを拒絶する。だが、その肩は小刻み震え、何かを我慢しているのが見て取れた。
とどめと言わんばかりにタコは挑発するような声をだす。
「本当? あなたは本当にそれでいいの?」
「……良いわけがありません! そもそも、あなたさえいなければ、私は! 私はフレイヤ様とずっと一緒に……!」
タコが思った通り、コゼットは自分の感情を押し殺しているだけであった。力の差を理解しているはずなのに真っすぐな殺意をタコに向けている。
そのままタコに掴みかかろうとするが、アイリスが一瞬でフレイヤの後ろに回こむと、腕をひねって動きを止めた。
「そうそう、その目よ。それに、そんな声が聞きたかったの。なるほど、これほどの逸材がいたからタコさんもフレイヤちゃんの悪堕ちを保留したのね」
「ふふ、良い顔だなコゼット。気づいてるか? 今のお前、フレイヤに向けるのと同じくらいに狂った目をしてるぜ」
アイリスの拘束に抵抗しながらも、コゼットは未だ刺すような視線を続けている。しかし、タコの方はなぜかニコニコと笑顔を見せていた。
さすがに沸騰した怒りも冷めてきたコゼットだが、同時に別の疑問が浮かんでくる。
いったいなぜ、タコは何もしないのだろう。なぜ、殺意を向ける相手に微笑んでいるのだろう。その気になれば自分など、一瞬で消し飛ばす力を持っているのだろうに。
考えても答えが出ないコゼットは、半ばやけのようにタコへ問いかける。
「タコ様。あなたは一体、私に何を望んでいるのですか?」
「言ったでしょ? タコさんは強い意志を持った女の子が好きなの。今のあなたはタコさんにとってすっごく魅力的なのよ。だから、これをプレゼントしてあげる」
タコが取り出したのは小さな瓶。中に入っているのはまるで血の様に赤い液体だ。コゼットから良く見えるように軽く振るえば、粘りのあるそれが軽く揺れる。
「これは、あなたを人間ではない何か変える薬よ。何になるのかはお楽しみ。でもね、『約束』するわ。これを飲めば、あなたが望むものが得られるでしょう。さて、どうする?」
それは、コゼットが久しぶりに聞いた本気の言葉だった。その瞬間、タコへ抱いていた殺意を忘れてしまったほどである。
アイリスはコゼットの変化に気づいたのか、拘束を解いて彼女を自由にする。
コゼットは恐る恐るタコから小瓶を受け取ると、改めてこれを飲んでよいものか思考を巡らせた。
しかし、彼女にとって自分が人間であることなど、フレイヤとの『約束』に比べれば何の価値も無い。ならば、悩む必要など何も無かった。
コゼットは瓶のふたを開けて深呼吸する。そして、赤い液体を一息で飲み干した。
◆
「コゼット……?」
フレイヤに噛みついたのはコゼットだ。その目は赤く輝き、恍惚とした表情でフレイヤの体に流れる血を啜っている。
「そんな……なんで……あっ、いやっ、だめっ!」
だが、フレイヤは噛みつかれているというのに痛みを感じていない。そして、血が吸われているせいか、自分の体が急速に冷たくなっていくのを感じていた。
しかし、そのうちに不思議な感覚が彼女を襲う。自分の体が一から作り替えられているかのような、人間ではない何かに変わっていく感覚だ。
それは、普通の人間であれば恐怖を感じるものかもしれない。だが、フレイヤにとっては奇妙な快感をもたらした。
コゼットが首から牙を離す。
すでにフレイヤの肌は青白くなっており、まるで病人のようだ。その目はうつろで焦点が定まっておらず、変わらずに赤い唇だけが相対的に存在感を放っていた。
「私は……私は一体……?」
「フレイヤちゃん、あなたはコゼットちゃんの手によって吸血鬼になったの。これで、永遠はあなたのものよ」
タコがコゼットに渡した小瓶。アイテム名は『真祖の血』という。
これを使用すれば、追加種族が『吸血鬼:真祖』となる。通常の吸血鬼よりも上位の存在であり、様々な能力が強化され、吸血鬼の弱点も減少する強力な種族だ。
そして、その真祖の吸血鬼が持つスキルには《吸血鬼作成》というものがあり、噛みついた相手を吸血鬼にすることができる。
ゲームでは吸血鬼になると光や神聖属性が弱点となるので、そこを責めるのがセオリーだった。
もちろん、このスキルで吸血鬼になった場合は、解呪魔法やアイテムで簡単に元に戻ることができる。
しかし、吸血鬼になって一定以上の時間が経つと種族が固定されてしまう。こうなっては教会などで治療してもらうか、転生アイテムを使わないと元に戻れない。
そもそも、こんなことをしなくても吸血鬼になる方法はあるので、本気で吸血鬼になりたいプレイヤーがとる手段ではないが。
「私が……吸血鬼?」
「そうです、フレイヤ様。ようこそ、永遠の世界へ」
コゼットがフレイヤの肩を優しく抱きしめる。その顔は妖艶な笑みを浮かべており、積年の悲願が達成されたかのような喜びにあふれていた。
それだけでフレイヤは理解する。なぜ、コゼットが自分を裏切るようなことをしたのか。なぜ、タコが彼女を吸血鬼にしたのか。
「馬鹿ね……そんなことをしなくても、私はあなたを捨てたりなんかしないのに」
確かにフレイヤは、母親が捨てられた恐怖により、血がにじむような努力をした。
しかしコゼットは、自身が捨てられた恐怖により、自ら傷をつけて血をながした。
狂気を測る事ができるのなら、どちらがより狂っていたと言えるだろうか。
つまり、タコが言っていた『目的のためには何でもする女性』。それに自分は不足していたという事だ。
「分かっていました。……しかし私は、あなたの言葉も、あなたを信じる自分の心さえも信用できない。だから、こうするしかないです」
コゼットはフレイヤの前に跪くと、その左手を取る。その姿は忠誠を誓う騎士の様であり、婚姻を申し込む王子の様にも見えた。
「<血の誓約>」
そして、コゼットが魔法を唱える。これは、吸血鬼が得意とする血の魔法の一つだ。血の刻印を相手に刻むことにより、命令通りに動かすことができる。
もちろん、ゲームでは『動くな』であったり『離れろ』といった簡単ものを一回、聞かせる程度に過ぎない。
「『約束』してくだい。私を捨てないでください。私を必要としてください。私を使って下さい。……永遠に」
そう、本来ならこのような命令は無効だ。魔法の効果は無く、刻印が消滅するはずである。
しかし、コゼットの狂気が魔法を押し通したのか。フレイヤが魔法を受け入れたせいか。彼女の右手に真っ赤な刻印が淡く輝きだした。
「『約束』しましょう。コゼット、あなたは永遠に私のものよ」
コゼットの懇願するような誓約に、フレイヤは毅然とした態度で答える。
真祖の吸血鬼である従者が、主人である普通の吸血鬼に忠誠を誓う。しかも、命令の魔法を発動したのは従者という、なんとも奇妙な儀式である。
だが、二人にとってはお互いに真の永遠を手に入れた、奇跡の瞬間であった。
その光景をタコは拝むように眺めている。さすがに彼女たちの嗜好まで完全に理解できるわけではないが、当人たちが幸せそうならば特に言う事は無かった。
吸血鬼という人外感のない悪堕ちに少々不満があるが、これまでの流れを考えれば色々とお釣りがくるだろう。
「タコ様、この度は我々にご慈悲を下さりありがとうございます。私の永遠なる従者と共に、御礼を申し上げますわ」
儀式の終わった二人は微笑みながらタコの元にやってくる。
そして、フレイヤはタコに対して淑女の礼をとった。コゼットはいつものようにその後ろについて頭を下げている。
少しの乱れもないそのしぐさは、吸血鬼の青い肌と赤い目と合わさり、艶めかしいまでの美しさを放っていた。
まるで、タコに対する感謝を全身で表現しているかのように。
「どういたしまして! これからはあなた達もアウトサイダーの仲間よ! そうそう、二つ名は二人合わせて『果てのない約束』ね!」
それに対してタコは胸を張って触手を掲げると、高らかに宣言した。すると、状況が落ち着いたと見たのかレインが転移でやってくる。
「お楽しみの所に悪いんだけど、これを見てもらえるかしら?」
彼女は大きな棺のようなものを抱えており、それを床に置いた。一緒についてきたセシルがその蓋を開ける。
タコは興味津々に中を覗くが、すぐさま口から変な声が漏れた。
「ん? 何を持ってきたの……て、うげっ!」
中に入っていたのはまるでゾンビのような人間だった。特徴の無い体は皮膚少なく、筋肉が所々むき出しになっている。
しかも、残っている皮膚は何らかの病気にかかったかのように、爛れて膿が噴き出していた。
「あれ、この症状ってもしかして?」
「まさか、母様がかかった病気……? レイン様、これは一体!?」
フレイヤは青くなった肌をさらに蒼白にしている。これは、間違いなく母が亡くなった時の症状に酷似していた。
レインはやはりといった感じて顎に手を当てている。
「予想通りね。これは私が作ったフレッシュゴーレム。セシル老と協力して、人間とほとんど変わらない代謝を再現してるわ。それで、こいつにコゼットがカトリーヌ女王にもらったっていう魔法薬を与えてみたの」
フレッシュゴーレムは肉を材料にしたゴーレムだ。金属製の物より材料の調達が容易ではあるが、ゴーレムなのに毒や病気などの異常状態にかかるというデメリットがある。
今回はそのデメリットを逆に利用して魔法薬の効果を試してみたのだ。さすがにそんな薬だとは思っていなかったコゼットが声を上げる。
「そんな!? あれは数ヵ月程度の不調をもたらす程度の魔法薬のはずです。私も、効果は解析しました!」
「確かに、魔法薬としてはその程度の効果しかない。ただし、これには巧妙に物理的な毒が隠されておる。しばらくしてから毒の効果が表れるような細工をしてな」
「気になって魔法薬に<毒強化>をかけて、最低レベルのゴーレムに投与したのよ」
言われてフレイヤは思い出す。確かに、自分の母もあの病気にかかる前から体調を崩していた。
事の次第を理解すると共に、棺の端を掴んでいた手に力がこもる。その力は徐々に強くなり、終いにはそれを握り潰してしまった。
「……うふふふふ、あはははは!」
フレイヤは狂ったかのような笑い声をあげる。
病気だと思っていた母。まさかそれが、人為的なものだったとは。
カトリーヌがそんなことをした理由など簡単に想像がつく。
自分よりも愛されている女が、もし男児を産んだらどうなるか? まさか王がそちらに王位を譲ると言い出すのではないか? カトリーヌはそんな不安に襲われたのだろう。
「コゼット、本当にありがとうね! あなたのおかげで私は次の目的が見つけられたわ!」
そして、怒りがこもった笑顔でコゼットの肩を掴む。自身が狂うほどの望んだ永遠。その原因が、醜い嫉妬にかられた女の陰謀だったのだ。
自分が踊らされていたことに気づいたフレイヤは、情けなさと怒りが混ざり合い、今にもカトリーヌへ復讐を果たしに行きそうである。
「フレイヤちゃん、<冷静>」
だが、タコはそんな彼女へ魔法で放ち鎮静化させる。冷静になったフレイヤだが、それでも懇願するような目をタコに向けた。
「安心してちょうだい、その復讐はしっかり果たしてあげるから。ただ、しばらくは計画に協力してもらうわよ」
「基本的な内容は同じだけど少しばかし変更するわ。まずは説明を聞いてちょうだい」
カトリーヌに対して思うところがあるのはタコも一緒だ。別にフレイヤの復讐を否定するつもりはない。
しかし、タコはそれだけで済ます気もなかった。
どうせならオクタヴィア母子やフレイヤの母親に対してぞんざいな態度をとったこの国の王も、色々と思い知らせてやりたいと思っているのだ。
もちろん、そこへ元の計画であるパトリックの王位簒奪も織り込む予定である。
そして、レインの口から今後の計画が一同に説明された。




