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1話 タコさん、さっそく女の子を堕とす

 窓もなく薄暗い室内。壁や床は石がむき出しで、時おり冷たいすきま風が吹き込んでいた。さらに、部屋の中には木製のテーブルに椅子、ベッドには薄い毛布が一枚と、最低限の物しか置かれていない。

 そんな、まるで牢獄のような室内にいるのは一人の少女だ。粗末な服を着て椅子に座り、静かに壁を見つめている。


 彼女には王族の血が流れている。しかし、それは王がたわむれでメイドに手を出した結果に過ぎない。

 そのメイドは異国からの貢ぎ物であり、この国では珍しい黒髪黒目をしていた。それは娘にも引き継がれ、彼女は幼い頃から好奇の目にさらされることになる。


 だが、仮にも王の血を引いている以上、放逐しては厄介なことにもなりかねない。それに、女である以上、何かに使えるかもしれない。そんな判断から、こうしてほとんど監禁された状態で生かされていた。


 メイドである母が生きている頃はまだ良かった。

 粗末だが、何とか二人が生活できる部屋があてがわれ、母は仕事の合間に布切れや残飯をもらう事で少女を育てることが出来た。


 しかし、その母が死んでからは悲惨だった。ちょうどその時、彼女の『使い道』が決まったことも追い打ちをかける。

 住んでいた部屋は広すぎると追い出され、この牢獄のような部屋に押し込まれた。外に出ることは許されず、固いパンとほとんど具のないスープを与えられる日々。

 さらに、首を絞めつける首輪。これは、付けた人間の命令に逆らうことが出来なくなるマジックアイテムだ。このため彼女は逃げることも、不平を叫ぶことも出来なかった。


 少女の支えは母との思い出だけだった。

 頭を撫でてくれたこと。髪を梳いてくれたこと。歌を歌ってくれたこと。物語を聞かせてくれたこと。


 苦い記憶もある。

 いつだっただろう。珍しく外出ができた日、母に抱かれて草原の中で空を見てた時、巨大なドラゴンが空を横切ったのだ。

 その体は漆黒で、まるで空に穴があいているかのようだった。しかし、その巨体は力強く、その肢体は優雅で、そして何より、その翼は自由だった。


 いつも自分の髪や目を汚らわしい色と言う人たちまで、そのドラゴンの美しさを褒めたたえていた。

 なぜ、同じ黒でもこんなに違うのだろうか。少女は、自分の髪とドラゴンの色をずっと見比べていた。


「オクタヴィア、出ろ」

 少女の空想は兵士の声により遮られる。全身に寒気が走りカタカタと震えだした。だが、そんなことを兵士は配慮しない。ドアを開けると彼女を無理やり立ち上がらせ、そのまま外に連れていく。


 素足のオクタヴィアがしばらく歩いてたどり着いたのは、床一面に魔法陣が描かれた広い部屋だった。

 多数の兵士が壁際に並び、魔法陣の中にはローブを着た魔術師たちが控えている。その中央にいるのは、この国有数の魔術師である初老の男性だ。


「ひっひっひ、もうすぐじゃ、もうすぐワシの知識が証明される」

 彼は、古い文献から一つの魔法を見つけ出した。それは、『祖霊召喚の儀』。

 自身の先祖である霊を呼び出し憑依させることで、その能力を得るというものだ。


 この国は元々、とある大魔法使いが王となり興した国であり、いまだにその力を超える者はいないとされている。その力を得ようというのがこの儀式の目的だ。

 しかし、召喚者の精神は憑依された祖霊に乗っ取られ消滅することになる。そこで、ちょうどいい召喚者として選ばれたのがオクタヴィアだ。

 さらに、事前に彼女へ首輪をはめておけば、最強と言われた魔術師の力を意のままに操ることができると考えられた。


 そもそも、なぜ、こんな儀式を行う必要があるのか。それは、この国が魔王を頂点とする魔族の侵攻を受けているからだ。

 人とは異なる姿を持ち、魔法に対する親和性が人間より高い彼らとの戦争は、今や泥沼状態である。

 そんな戦況をひっくり返すため、さらには他国への侵略のため、この国はどんな方法でも構わず力を求めた。


「オクタヴィア、よくぞ来た」

 兵士と共に魔法陣の周りにいたこの国の王子、オクタヴィアの兄にあたる人物が話しかけてくる。しかし、その顔には明らかな侮蔑が浮かんでいた。


「喜ぶがいい、貴様ごときがこの国の為に役立つことができるのだ。そして、今まで生きてこられた恩を返してもらおう」

「……」

 言いたいことはいくらでもある。だが、言っても何の意味がないことも分かっている。だから、オクタヴィアはうつむいて黙っていることしかできなかった。


「ふん。では、さっさと儀式を始めろ」

「は!」

 オクタヴィアが反応しないことに興がそがれたのか、王子は早々に魔術師たちに命令し、彼女を魔法陣の中央より少し手前に跪かせる。

 さらに彼女は、祈るような姿勢を取らされそのまま動かないように指示された。


(この儀式が終われば。私は……死ぬ)

 体の震えが止まらない。しかし、マジックアイテムの効果により自分の意思で動くことは出来ない。


 魔術師たちが詠唱を始め、魔法陣が赤く輝き始めた。オクタヴィアにしてみれば、ギロチンの台に縛り付けられて、刃を持ち上げられているような気分だ。

 胃の中がほとんど空っぽのおかげで吐くことはないが、喉が焼けるような感覚が襲ってくる。


 詠唱の声がさらに大きくなり、魔法陣が一層輝きを増す。

 その時、世界に衝撃が走った。


 魔法陣の中央から、まるで鋼鉄のドアを殴り付けているかのような音が辺りに響く。周囲の人間には『私をここから出せ!』と、誰かが叫んでいるようにも聞こえた。


「何だ!? 一体何が起きている!?」

「まずい! 詠唱を中断しろ!」

 しかし、その判断はすこし遅かったようだ、ガラスが砕けるような音と共に空間が裂け、そこから漆黒の闇が流れ出してくる。

 闇は辺り一面に広がり、目の前にいるオクタヴィアだけが裂け目の先に何かがいるのが見えた。


 触手の一本が空間の端を掴む。さらに二本、三本。一体何が出てくるのか、オクタヴィアは恐怖を感じながらも、そこから動くことが出来ない。


 触手が力を込めると、裂け目から何かの塊が這い出してくる。

 それは、人間だった。


 ただ、紫色の肌をした、両腕はそれぞれ2本の触手、下半身も複数の触手で構成されている人間などいるわけがないが。


 紫色の人間はゆっくりと起き上がり、焦点の定まらない瞳でオクタヴィアを見据える。その瞳は白黒が逆転しており、それだけでも人外であることを主張していた。


 オクタヴィアは恐怖で目をそらすこともできない。そう、確かに恐ろしいはずなのだが……


「綺麗……」

 口から出たのはそんな言葉だった。確かにその顔は美少女のそれだったが、なぜ、今、そんなことを言ったのか、オクタヴィア自身にも分からなかった。


「……ん? ……あれ? ここ何処? なんかのイベント?」

 ここでタコの意識が覚醒した。なんだか寝ぼけていたような気がするが、よく思い出せない。一体ここは何処だろうと辺りをキョロキョロと見回すと、全員がこちらを見ていることに気づく。


(あ、これって、ひょっとして……)

「<時間停止タイムストップ>!」

 タコはとっさに魔法を発動する。そして、世界が止まった。


 周囲の人間も、魔法陣から発せられる光も、空気中に漂うほこりすら動きを止めている。

 本来、この魔法には周囲の人間や物体、魔法などのオブジェクトを強制停止させる効果があるが、ここまで完璧に時間が止まったようにはならない。

 一つの手ごたえを得たタコは、今度はメニューウインドウを開いて操作を始める。


(ログアウトボタン無し! 頬を引っ張ると痛い! あとは味覚……青汁でいいか……不味!)

 インベントリから取り出した青汁を口に含むと、ドロッとした感触に青臭い苦みが広がり、思わず吐き出してしまう。


「ふふふ、不味い! 不味いわ!」

 フルダイブ式VRMMOでは、ゲームを現実と誤認しないように様々な制約が課せられていた。特に、感覚に関しては雑な再現に留めており、味覚や痛覚はほとんど感じないようになっている。

 これでタコは確信した。


「異世界キター! 私の時代だー!」

 タコは触手を振り上げて喜ぶ。もちろん、何らかの方法で別のリアルなゲームにログインしているなどの可能性もあるが、現実世界の自分はもう限界だったはずだ。

 あのイベントの後、自分がどうなったかは察しがついている。


(ふむ、これは何か強力な存在の召喚でもしていたのかしら? それを私が乗っ取ったような感じね。そうなると、この可愛娘ちゃんは……)

 周囲の状況を推測していると時間停止の効果が切れ、人々が動き始める。タコはまず余計な人たちの動きを止めることにした。


「おーほっほっほ! 我は『アウトサイダー』の邪神タコ! 愚かな人間どもよ、ひれ伏せー! <麻痺パラライズ>!」

 目の前の女の子、オクタヴィアを除いた部屋の者たちに魔法を発動する。全員が抵抗することもできず、体が痺れて崩れ落ちることになった。


「あら、耐えられる人はいないのね。ま、ちょうどいいわ」

「く、貴様、邪神だと!? 一体何をするつもりだ!?」

 その中で王子だけは少し体が動かせるようだ。麻痺しながらもタコを睨みつけている。


「ああ、あなたたちには興味はないわ。用があるのは……この娘!」

「え? きゃ!?」

 タコはオクタヴィアの腰に触手を添えて立ち上がらせる。思ったよりも軽く、血色の悪いその体は、あまり良い扱いがされていないことが容易に感じられた。

 だが、何よりも分かりやすいのは目だ。全てに絶望したその瞳が、彼女が置かれていた状況を雄弁に語っている。


「やっぱり! その黒くて美しい髪! 宝石のようにきらめく瞳! 素晴らしいわあなた!」

「私の髪が……美しい?」

 オクタヴィアにはタコの言葉がにわかには信じられなかった。しかし、満面の笑みでこちらを見るその顔は、嘘をついているようにも思えない。


「あなた、名前は!?」

「オ、オクタヴィアです」

「オクタヴィアちゃん、いい名前ね! ねぇ、悪堕ちに興味はない!?」

「悪……堕ち?」

「そう、タコさんのように人の体を捨て! 『アウトサイダー』として闇の世界に生きるの!」


『人を捨てる』

 その言葉にオクタヴィアは抗えないほどの魅力を感じた。きっと、そうすればこの生活から逃れることができる。

 だが、それでも一つだけ聞きたいことがあった。


「悪に堕ちたら……自由になれますか?」

 予想してなかった質問にタコは一瞬真顔に戻る。それでも、すぐににっこりと笑ってオクタヴィアに答えた。


「もっちろん! 自分の思うさまに生きる! 枷や鎖なんてぶっ壊すものよ、こんな風にね! <魔力強化/怪力マイト>!」

 そのままオクタヴィアの首輪に触手をかけると、魔法で筋力を強化して破壊する。貴重な金属で作られたそれは、きらきらと光を反射して地面に落ちた。


「馬鹿な! それは我が国の英知を集結させて作ったマジックアイテムだぞ! それをそんな簡単に……」

「だまらっしゃい! <魔力強化/麻痺パラライズ>!」

 タコはうるさい王子に対して強化した魔法を放ち黙らせる。オクタヴィアはそんなやり取りなど耳に入らず、壊れた首輪を見つめていた。

 そして、心を決めるとタコの触手を握り、その顔を正面から見て言う。


「タコ様、私を……私を悪に堕としてください!」

「もっちろん! あなたにはきっとこれが似合うわ!」

 タコはインベントリから一つのアイテムを取り出す。それは、漆黒に染まった一対のドラゴンの翼だった。ドラゴニュートという種族へ転生するときに使うものである。

 これをオクタヴィアの背中にそっと添えると、周囲に黒い瘴気のようなものが噴出した。


「ああああああ!」

 彼女の口から思わず歓声が漏れる。そして、翼が背中に癒着すると全身に変化が起きた。


 両手両足は鱗に覆われ、顔や体の様々な部分にも鱗が出現する。

 腰からは尻尾が、手足には強靭な爪が生える。

 さらに、あふれたエネルギーが雷のように周囲にバチバチと弾け飛んだ。


「ああ、良いわ、良い! 素晴らしいわ! でも、まだ終わりじゃないのよ!」

 タコはさらにインベントリから水晶を取り出す。これは、キャラクターのレベルを80まで上昇させるアイテムだ。

 そして、ドラゴニュートは高レベルになると、あるスキルを使用することができる。


「オクタヴィアちゃん、その力を解放しなさい! あなたは自由よ!」

「私は……私は自由!」

 さらに巨大なエネルギーがオクタヴィアから沸き上がる。その力は闇となり全身から噴き出して、黒い閃光のように部屋を染め上げた。

 闇が晴れた時に現れたのは、全身が漆黒に染まったドラゴンだ。


「これが……私?」

「そう! オクタヴィアちゃん、あなたはドラゴンになったのよ! その翼でどこにでも行けるわ!」

 オクタヴィアは歓喜に震えてた。まさか、自分があの、憧れていたドラゴンになれるなんて。喜びを全身で表現するように、翼を大きく広げ咆哮をあげる。


「馬鹿な……に、人間をドラゴンに……」

 王子を含め、周囲の人間はその光景に対し震えることしかできなかった。

 強力な魔法を扱う存在ならまだ理解ができる。しかし、邪神と名乗った少女が目の前で成したことは、まさに御業としか言いようが無い。


「さぁ、こんなところにもう用は無いわ! とっとと出て行きましょう!」

 タコが水魔法で壁を吹き飛ばすと、そこから青い空を見ることが出来た。オクタヴィアは思わず身を乗り出し、久しぶりに全身で外の空気を浴びる。


「タコ様。どうぞ、私の背にお乗りください」

「あらいいの? じゃぁ、お言葉に甘えまして。それじゃ皆さん。さよーならー!」

「ま、待て、いや、待ってくれ!」

 タコが背に乗ったのを確認すると、制止する声など気にせずオクタヴィアは翼を広げて外に飛び出した。

 全身に風を感じる。私は……私は飛べる! 彼女は一度も後ろを振り返ることも無く、大空に向かって翼をはためかせた。

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