18話 準備の裏で
何故、こんなことになったのだろう。
薄暗い路地裏。ゴミや汚水の匂いが漂うその一角に座り込む少女、ルチアは考えていた。
彼女はもともと、ナスキアクアの王宮でメイドをしていた。掃除や洗濯、ベッドメイクに食事の手伝いなど、仕事は多岐に渡る。
予算削減によりだんだんと人が減っていたこともあり、仕事はなかなかの忙しさがあった。だが、王宮の人々は皆優しく、大抵のことは自分でこなしてしまう。王や姫でさえ専属のメイドを付けていなかったほどだ。
特に、姫であるアレサンドラはルチアの事を気にかけていたようで、しばしば様子を見に来ては、「お疲れ様」の言葉と共に頭を撫でてくれた。
そもそも、ルチアが王宮で働くことが出来たのもアレサンドラのおかげである。
ルチアは戦争により父を失い、母は病で亡くなった。我が身一つで路頭に迷っていた彼女を拾ってくれたのがアレサンドラだ。
アレサンドラはルチアを王宮に連れてくると、身を清め、食事を与え、温かいベッドを提供してくれた。さらに、しばらくは面倒を見るという、何とも親切な提案までしてくれる。
しかし、ルチアはそれに反発した。
そもそも、父を失ったのは戦争を終わらせない王族のせいだ。母が病気になっても国は何もしてくれなかった。こんな国で生きるくらいなら二人の後を追う。
彼女はそんなことを叫んでしまった。
それなのに、アレサンドラの顔は穏やかなままだった。
私が憎いのならばそれでもいい。でも、どうか、自分まで生きるのを諦めないで。あなたが元気になって、それでもこの国が許せないのならば、他の国で生きて欲しい。
ルチアを抱きしめながらそんなことを言うのだ。
さすがにルチアも言い返すことができない。そこまで言うならしばらくは厄介になるといって話を打ち切ると、布団をかぶって早々に眠ってしまう。
翌朝、ルチアは後悔と共に目を覚ます。王族にあんなことを言ってしまって無事に済むわけがない。それこそ処刑でもされてしまうのではないか。
そんな不安をよそに、アレサンドラは朝食を持ってくる。恐々としながらそれを受け取るルチアに対し、昨日と変わらぬ笑顔が向けられた。
ルチアは、安堵が半分、呆れたのが半分の笑顔を返すことしかできなかった。
そして、タダめし食らいな状況を気にしたルチアが、「何か手伝うことは無いか」と言ったことでその後の運命が決まる。
あれよあれよとメイドの仕事をさせられるうちに、いつしか本当にメイドになってしまう。その頃にはアレサンドラから気安く話しかけられる関係が構築されていた。
「ふふ、ルチアは可愛いわねぇ。妹が出来たみたいで嬉しいわ」
「姫様、あなたと私は同い年のはずですが」
そんな言葉を交わしたのも、今となっては懐かしい思い出だ。
しかし、そんな関係も長くは続かなかった。
アレサンドラは歳を重ねるごとに精霊使いの修行をする時間が長くなっていく。その内容はルチアから見ても過剰とも言えるものだった。
だが、アレサンドラはその才能と努力で次々に成果を出してしまう。そうすれば修行は重くなる一方だ。
さらに、魔族との戦争は状況が悪化するばかりで、王族、特に精霊使いに対する期待は日に日に増していく。
アレサンドラの才能も周りに評価されていくが、その身にかかる期待も重くなっていった。
久しぶりにアレサンドラと顔を合わせたとき、ルチアは彼女の顔に浮かんだ疲労を見逃さなかった。
少しは息を抜くことを進言するのだが、そんな気遣いをうけるのも彼女にとっては日常の一部であるようだ。
事前に言うことが決まっているかのように「大丈夫」という言葉を返され、ルチアはそれ以上踏み込むことも出来ない。
幸せだった生活は、少しずつ崩れ始めていた。
ある日、ルチアは王宮で働く男から奇妙なことを聞かれる。それは、「この国に不満は無いか?」「王族の政策は間違っていると思わないか?」といったことだ。
今となってはアレサンドラを始め、王族の苦労を理解しているルチアにとっては不愉快な話題である。
早々に話を打ち切ろうとすると、男は苦虫を噛み潰したような顔を向け離れていった。
その時以外にも、街に出れば国や王族に対する不満を所々で聞くことがある。
彼らの言い分が理解できないわけではない。長引く戦争は物価の上昇や、徴兵の拡大などの影響を及ぼしていた。
それでも、王を始め、王宮の皆が問題を解決するために全力で取り組んでいる。いつかはそれを理解してくれるだろうと思っていた。
そんな認識が甘かったことを理解したのは、王宮に魔族が攻めてきた時だ。
あまりにも突然なことに混乱しているだけだった彼女だが、突然男に肩を掴まれる。それは、この前ルチアに不愉快なことを聞いてきた男だった。
「ひひひ、小娘、助かりたくないか? 俺はあいつらに顔が利くんだ、革命に協力すれば口を利いてやってもいいぞ」
「な、何を言ってるんですか!? そんなことできる訳がありません!」
ルチアには男が何を言っているのか理解できない。思わず声を上げて拒否するが、途端に男は不機嫌な顔を彼女に向けた。
「なんだぁ? こっちは親切で言ってるつうのに、少しは口の利き方ってもんを教えてやろうか?」
そう言うと男は持っていた棒でルチアの右こめかみを殴打する。当たり所が悪かったのか、皮膚が裂けて血が流れ出した。彼女は痛みに声を上げるが、男は気にせずまた棒を振りかぶる。
だがその時、男の後ろの方から声が上がった。
「おい貴様、そこで何をやっている! さっさとその小娘もこっちに連れてこい!」
「ひっ! す、すいやせん旦那。ただ今!」
声を上げたのは獣人の兵士だ。男はそれに素直に従うと手を下ろし、卑屈な態度で頭をぺこぺこと下げる。
そして、ルチアの腕を乱暴に掴むと、そのままどこかの部屋へ引き連れていった。
彼女は、同じように王宮で働いていた者たちと一緒に監禁される。数日は粗末な食事のみ与えられ放置されていたが、ある日、全員を前王に協力した罪で処刑すると宣言された。
部屋にいる者たちは疲れ果て、絶望に涙を流すことしかできない。そして、処刑の日は無慈悲に訪れる。
ルチアは運が良いのか悪いのか、公開処刑の場には連れ出されなかった。なぜなら、先日男に付けられた傷が悪化し、傷口から膿が出て異臭を放つようになっていたのだ。
それは少しずつ顔に広がり右目は視力を失ってしまう。今では顔の半分が包帯で覆われているほどだ。
同情されるような見た目の少女は公開処刑に向かないと判断され、裏で処分されることとなった。
だが、それもアレサンドラの父が起こした騒ぎにより、彼女は魔族から半ば放置されたことで偶然にも脱出に成功する。
しかし、彼女に行く当てなどなかった。
見た目と異臭により雇ってくれる人などおらず、金を稼ぐことはできない。さらに、最近では浮浪者を見つけ次第兵士が連行しており、道端で恵んでもらうこともできない。
数日は惨めに残飯を捜し歩いていたルチアも、追われるように迷い込んだ路地裏で座り込んでしまったら、もう動くことは出来なかった。
◆
「くそ! くそ! くそ! 何でどいつもこいつも、俺様の事を見下しやがる!」
その声でルチアは懐かしい記憶から引き戻された。既にぼやけだした目の先にいるのは、見覚えのある男。……あれは自分を傷つけた男だ。
そして、彼女は知る由も無かったが、彼は処刑場でアレサンドラを皆の前に引き出した男でもあった。
「俺様は革命に協力したんだぞ……? 少しくらい金を盗ったのが何だって言うんだ!?」
その男もルチアに劣らずみすぼらしい恰好をしていた。手には中身のない革袋を持ち、ふらふらした足取りで壁にぶつかると、不愉快そうにそれを殴りつける。
「……何だガキ! お前も俺様を見下すのか! ひひひ、目上に対する礼儀ってもんを教えてやろうか!?」
ルチアに気づいた男は焦点の定まらない瞳で見つめてくる。よだれを垂らした口でニヤニヤと笑いながら、じりじりとこちらに歩み寄ってきた。
ルチアは既に動く気力も体力も残っていない。ただ、うつろに開く目で男を見つめる。だが、それが逆鱗に触れたようで、男はいきり立って拳を振りかぶった。
「まずはその目をやめやがれ! このガキ!」
ルチアは思わず目をつぶる。次いで来るであろう衝撃に身をこわばらせるが、その前に男の悲鳴が路地に響き渡った。
「……ひ!? な、なんだこの蜘蛛は!? や、止めろ!」
何事かとルチアは目を開ける。すると、そこには手のひらほどの大きさがある蜘蛛を肩に乗せた男が暴れていた。
蜘蛛が噛みついたのか、男は肩からだらだらと血を流す。みるみるうちにその顔が青ざめると、足がもつれて地面に転がった。
しかし、いまだに苦痛は続いているようで、うめき声を出しながら痙攣を続けている。
蜘蛛の方は男が倒れる間に地面に降り立っていた。ルチアの方を向いて八つの瞳で見つめている。
いったい、この蜘蛛は何だろう? ルチアは疑問に思うが、既に体を動かすことはできない。
まぁ、この蜘蛛が楽にしてくれるなら、それでもいい。でも、できれば苦しくしないで欲しいな。そんなことを考えながら、ルチアはまた目を閉じた。
◆
「あれ? 魔法は効いたわよね? もしもーし」
ひたひたと何かが頬に触れている。その感触でルチアは目を覚ました。目を開ければ異様な姿をした少女がこちらを見ている。
紫色をした肌、白黒が逆転した瞳、触手となっている腕。ルチアには魔族であろうとしか分からなかった。
「あ、起きた起きた。おはよう、どっか体に異常はある?」
「魔族? 私はいったい……?」
気が付けば不思議なほど体が軽い。右目の視力も戻っている。顔を手で触ってみれば、傷も残っていないようだ。
自分はベッドに寝かされているようで、半身を起こして周囲を見渡す。部屋の中には数台のベッドがあるが、ここにいるのはタコともう一人の少女、オクタヴィアだけだった。
「あ、タコさんは魔族じゃないわ。その名も、邪神タコさんよ!」
「じゃ、邪神? ……なぜ、それほどの方が私を助けたのですか?」
タコの話によると、『とある人物のお願い』により、ナスキアクアで犠牲となっている子供たちを保護しているという。
よく見れば、その肩には見覚えのある蜘蛛が乗っていた。なんでも、彼らが街中に潜んでルチアのような子供を見つけているそうだ。
しかし、ルチアにとってそんなことはどうでもよかった。
「私に、戻る場所はありません。私に、できることなどありません。……私に、生きる価値などありません」
今更生き残ったところで、自分には何も残っていない。やることも無ければ、生きる理由などない。なぜ、こんな私を助けたのか? ルチアの言葉にはそんな非難が含まれていた。
体が治ったところで絶望の淵にいる彼女は、うつむいた顔を上げようともしない。
「あらあらルチア、そんなこと言われるとお姉さん悲しいわ」
「え?」
聞き覚えのある声がした。まさかと思い顔を上げると、そこにいたのは一人のラミア。しかし、その顔は間違いなくアレサンドラだった。
なぜ、彼女がここにいるのか? なぜ、彼女がラミアになっているのか? 混乱するルチアをアレサンドラはそっと抱きしめる。
「遅くなってごめんなさい。……辛い目に合わせたわね」
「……ほ、本当に姫様なのですか?」
確かに処刑場から姫が救出されたという話は聞いていた。一度は希望を持ったルチアだったが、その数日後には改めて処刑されたと発表がなされ、崩れ落ちたのを覚えている。
だが、今、自分を抱きしめているのは確かにアレサンドラだった。いくら姿が変わっても、その温もりは忘れられるはずもない。
「ルチア、生きていてくれてありがとう」
「とんでもない、その言葉は私こそ言うべきです。本当に……本当に良かった……」
ルチアは思わず涙を流す。
それは、遅れてやってきた助かった喜び。優しい言葉をかけられた喜び。そしてなによりも、アレサンドラに再会できた喜びがあふれだしたものだった。
「姫様……私は、またあなたに仕えられるのでしょうか?」
「もちろんよ、ルチアには孤児の面倒を見るのを手伝ってもらいたいの。私たちだと皆を不安にさせちゃうしね」
そのまましばらくアレサンドラに今まであったことの説明を受ける。その内容にルチアは驚きながらも、これからの計画について聞かされた時には、少しの恐怖を覚えて身が震えてしまった。
それに気づいたアレサンドラがルチアに問う。
「ねえルチア。今の私は以前とは違う、邪神に魂を売り渡した悪の姫なのよ? それでも私についてきてくれる?」
半ば冗談のような口調だったが、それは断りやすい様に気をきかせているかの様だった。
それに気づいたルチアだが、すでに心は決まっている。一度、深呼吸をしてからはっきりとした口調で答えた。
「構いません。私は、姫を信じます」
「……ありがとう、ルチア」
その言葉にアレサンドラは笑顔で彼女を抱きしめる。それが落ち着いたのもつかの間、部屋にアイリスが姿を入ってきた。その後ろには二人の人狼、ハチとポチを従えている。
「タコー、ハチとポチが報告だってよ」
「ボス! ナスキアクアにおいて、大半のスパイは暴露に成功しました!」
「こらこらハチ、お客さんがいるんだからもう静かにしなきゃ。あ、ボス、暴動の抑制も順調だよ」
「お疲れー。よしよし、作戦は上手くいっているようね」
どうやら先ほどの話にあった計画は既に進行中のようだ。タコが二人の頭を撫でながら、アレサンドラと細かい話を聞いている。
アイリスの方はルチアの方をちらっと見ると、微笑んで「よっ」と二本指で敬礼してきた。突然、お姫様のような美人にそんな事をされてしまい、ルチアもドキドキしてしまう。
「ボスー、言われた通りの場所に大雨を降らせてきたのー」
「ちゃんと川の形も変えて来たから氾濫は起きないのー」
「監視のマジックアイテムも設置してきたのー。水が減ったらまた行ってくるのー」
さらに、部屋にちびイカトリオが入ってきた。彼女たちはきゃーきゃーと騒ぎながらタコに抱き着いていく。
「ルチア様でしたね、騒がしくてすみません。後程お部屋にご案内します、しばらくは体を休めてください」
混乱するルチアにオクタヴィアがジュースを差し出す。鱗に包まれたその手に一瞬ビクッとしてしまったが、何とか抑えておずおずとコップを受け取る。
それでもジュースに口を付ければ、久しぶりの甘味にごくごくと飲みだしてしまった。
「……姫様、ここは天国の間違いではないのでしょうか?」
コップを空にしてルチアは一息つき、改めて周囲を見回す。
この部屋に人間は自分しかいない。しかし、部屋の中は騒がしくも穏やかな雰囲気で、タコが自身を邪神だと言っていたのが信じられないくらいだ。
そんな中で優しくされれば、自分は都合のいい夢でも見ているのではないかと不安になってくる。
「あはは、そう思うのも無理はないわね。でも、安心してルチア。私もあなたも、ちゃんとここにいるわ」
アレサンドラがルチアの手を握り自分の胸元に寄せる。彼女の体温を感じることで、ルチアの不安も少しずつ薄れていった。思わずその口にも笑顔がこぼれる。
「あ、ルチアちゃんが笑った! いーわー、可愛いわー! 良かったらあなたも悪堕ちしない!? タコさん大歓迎しちゃうわよ……ほげー!」
「馬鹿タコ、今それをされると困っちゃうでしょうが」
それに気づいたタコがルチアにすり寄って頬ずりをしだす。しかし、調子に乗りすぎだと、報告を聞くために来ていたレインが引っぺがして雷を落とした。
ぶすぶすと煙を出して倒れるタコだったが、すぐに起き上がるとレインにぎゃーぎゃーと文句を言いだす。
二人のまるで子供のようなやり取りに周囲も声を上げて笑い始める。
ルチアもいつの間にか、久しぶり、本当に久しぶりに声を上げて笑い出していた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第1章はここまでとなります。
第2章の開始は1か月後、できた分だけ投稿しますので少々お待ちください。
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