17話 タコさん、はりきる
レオーネとヴォルペが向かったものとは別の兵舎。こちらではイカたちに率いられた半魚人が攻撃を仕掛けていた。
「<輪唱/痛み>」
「<輪唱/昏睡>」
マイカとアオリの二人が同時に魔法を放つ。輪唱とはゲームにあった魔法のオプションだ。
複数人が協力することにより、同系統魔法の威力上昇や、抵抗へのペナルティ増加などの効果がある。
二人の魔法により、兵士たちは強烈な痛みと共に意識を失った。きっと、彼らは自分が死んだと誤認することだろう。
それは、周囲にいる者たちも同様である。いまだに半魚人に襲われている彼らには、悲鳴と共に倒れる兵士が寝ているか死んでいるかの区別などつくわけもない。
「<輪唱/復活>なのー!」
「<輪唱/治癒>なのー!」
「<輪唱/昏睡>なのー!」
ちびイカトリオは死んだ兵士たちに魔法をかけている。こちらは兵士たちを蘇生させているが、即座に眠らされているため、彼らが起き上がることはない。
これらは後々に使う仕込みだ。中には魔法の対象から漏れている者もいるが、その点は問題ない。
「マイカ様、石像の設置が完了しました」
「ご苦労様。兵士の制圧も完了ね、石像の防衛に数人残して次の地点に向かうわよ」
「はっ!」
半魚人の隊長からの報告にマイカが宣言する。
夜明けまでに首都をすべてギルドの領地にしなければならない。そのためにイカたちは、足早に次の目標に向かっていった。
◆
王宮で一番高い位置にある天空の間、ここからは街全体を見渡すことができ、天気の良い日は周囲を流れる川の向こう岸まで眺めることが出来た。
いつもは警備の兵士がいるくらいの場所だが、今は対面するように複数の椅子が並べられている。その一方の中心に座っているのはアレサンドラだ。
そして、もう一方に座っているのはレオナルドやヴァイス、他にもこの国の大臣と言った重要人物が座っている。
彼らは皆、アレサンドラたちに殺された者たちだが、魔法で復活させたうえで眠らされていた。
「<覚醒>」
ヴォルペの魔法によりレオナルドたちが目を覚ます。彼らは一様に、死んだはずの自分が目を覚ましたことに困惑していた。
しかも、そこから見える中庭では、多数の兵士の死体がいまだに横たわっている。
「おはようございます。皆さん、ご気分はいかがでしょうか?」
豪華な椅子に寝転ぶように座っているアレサンドラは、周囲にラミアやウンディーネを侍らせていた。
その顔は満足したかのように穏やかで、レオナルドに向けていた怒りなど微塵も感じられない。
「……一体何をした? 私は貴様に……」
「ええ、殺しました。それを生き返らせたんですよ、ここにいるヴォルペがね」
事も無げに答えるアレサンドラに一同は更なる衝撃を受ける。蘇生魔法が使える者など他国を含めてもそう多くもなく、これだけの人数を復活させるなど聞いたことも無い。
「何が望みだ? 私がしたように、民の前で処刑でも始めるのか?」
「とんでもない、皆さんにはこれからしっかりと働いてもらわなければなりませんから」
働く? 我々に何をさせようというのか。大臣たちに不安と混乱がますます積もっていく。
「この国の王は私。レオナルド、あなたは副王とします。それ以外の方々の肩書は今まで通りです」
「な、なに?」
レオナルドは自分の耳を疑った。つまり、決定権はアレサンドラが持つことになるが、国の運営については今までと何も変わらないという事だ。
しかし、この国は大量の兵士を失った。その中で邪神に魂を売り払ったものが王位に就くなど、どれほどの混乱があることだろう。
これからの国家運営がどれほど困難なものになるか、想像に難くない。
「国内のことに関しては、皆さんの手腕に任せます。まぁ、私の不興を買うような事をすればどうなるか、予測できますよね?」
アレサンドラは妖艶な笑みを浮かべて周囲を見回す。それだけでも一同には十分に理解できた。
既に一度殺されている者たちにとっては、それが何を意味しているのかなど簡単なことである。
いくら困難なことであろうとも、自分たちはやるしかないのだ。
「それと、ヴァイスさん。魔王軍との同盟は維持しますが、その扱いを変更します。基本的に魔族の特権は削除。それに、追加の受け入れ人員は『止めておきました』から、本国に戻るようにしてください。受け入れ枠にはタコ様の半魚人を充当します」
「何だと!?」
同盟の維持? 魔族への復讐が目的ではなかったのか?
追加の人員を止めた? 一体どこからその情報を? それに、止めたなどどうやって?
新たな混乱に襲われているヴァイスをよそに、アレサンドラは言葉を続ける。
「細かい点は後程文書でお渡ししますので、上司とごゆっくり相談してください。要求が飲めないなら……一戦もやむを得ませんね」
「……承知した」
言いたいことは山ほどある。そもそも、同盟を維持すると言っておきながら、魔族の兵士を大量に殺害したのはどういうことか。そこへ、さらに不利な条件を突きつける。
単純に考えれば、そんなものを飲めるわけがない。
だが、アレサンドラたちと敵対するのが得策でないことも分かっている。それを本国の者たちにどうやって認識させればいいのか。考えるだけでヴァイスの頭は痛くなってきた。
「姫、そろそろお時間です」
「あら、そうでした。皆さん、タコ様がお祝いに来て下さるそうです。粗相のない様にすることをお勧めしますよ?」
アレサンドラは立ち上がり姿勢を正す。その様子にレオナルドたちも緊張を隠すことはできず、思わず唾を飲み身構えた。
いったいどれほど凶悪な神が現れるのか、転移の前触れである空間のゆがみが発生するとともに、一同の緊張感は最大限に高まっていく。
「おーほっほっほ! 我は『アウトサイダー』の邪神タコ! 愚かな者どもよ、ひれ伏せー!」
だが、その緊張をよそに、転移で現れたのは明るい笑顔を振りまく異形の少女だった。特異な見た目を除けば、邪神などと言われても信じられそうもない。
当のタコもいつものように触手を上に掲げ、威嚇するようにしながら大きな声を上げている。
そんなタコにアレサンドラは穏やかに微笑みながら声をかけた。それは、まるで親しい友人に話しかけるような気軽さである。
「あらあら、タコ様、オーラが切れてますよ?」
「おっと失敬! それじゃ、《神格のオーラ》オン!」
その言葉と共に、すさまじいプレッシャーが周囲の者たちを襲う。
アレサンドラたちは涼しい顔をしているが、レオナルドや大臣たちは恐怖に全身が硬直する。従軍経験のない者など、泡を吹いて気絶してしまったほどだ。
「改めまして皆さん、私が邪神タコ。不憫な少女に力を与えた者よ」
すでにその言葉を疑うものは誰もいない。存在の次元が違うことが肉体的にも精神的にも感じ取れていた。
その反応に満足したのかタコはうんうんと頷く。
「よしよし。さて、まずはサンドラちゃんの就任祝をさせていただきましょうか」
そして、今度はウインドウを開くとポチポチ押し始める。何回かの操作の後、「あー、あー」と喉の調子を確かめてから、マイクを持っているかの様に話し始めた。
『えー、テステス』
「な、何だ? 頭の中に直接声が?」
ギルドに所属する者、特にギルドマスターは拠点内において様々な機能を利用することが出来る。
タコが使用しているのはそのうち一つ、拠点内の者に対してメッセージを送る機能だ。大抵はイベントの開催時などに使われるものである。
『ナスキアクアにお住いの皆さん、私はアウトサイダーの邪神タコ。今、皆さんの周りにいる半魚人の親玉だと思ってもらえれば分かりやすいかしら?』
石像の設置により、首都はすべてギルド内扱いとなっている。つまり、タコの声はこの街にいる者すべてに聞こえているのだ。
彼らは皆、突然頭に響いた声に混乱している。だが、それはすぐに恐怖に変わることになった。
『そして、アレサンドラちゃん。そう、父親である王を殺され、自身も皆さんから殺されかけた彼女は、私の使徒となり、人を辞め、強大な力を得てこの国に戻ってきました』
復讐。タコの話が理解できるものなら、その単語がすぐ頭に思い浮かんだ。アレサンドラが受けた仕打ちを考えれば、邪神の力を得た今、何をするのかなど容易に考えられる。
だが、そんな考えを読んだかのようにタコは言葉を続けた。
『ふふふ、安心なさい。今日は彼女が王に就任したお祝いよ。私から皆さんにいいものをプレゼントしてあげるわ』
タコはウインドウを操作すると別の機能を選択する。それは、拠点内において自身の能力なら距離を無視して使用することができる、というものだ。
『この国に住まうものよ、あなたたちに今一度、命を与えましょう』
タコは<復活>、<覚醒>、<治癒>を発動する。
すると、街中で死んでいた者、眠っていた者たちが次々に目を覚ましていく。さらに、その傷がまたたく間に治っていった。
レオナルドたちの目の前でも、中庭で転がされていた兵士たちが起き上がっている。さらに、魔法により発生した光が街を包んでいることを見れば、何が起きているのかは疑いようも無い。
目の前にいる存在は、たった一人で、この街の死者を全員蘇らせた。
『お目覚めの皆さん。改めまして、私は邪神タコ。あなた達を死の底から拾い上げたものよ』
街の混乱も小さくない。兵士の中には自身を殺した半魚人がいまだ周囲にいることに怯えて暴れる者もいたが、すぐさま半魚人によって取り押さえられた。
『ただし、次は無いわ。その命はぜひ大事にしなさい。そのためにはどうすればよいか、よく考えてから行動して欲しいわね。それでは、新生ナスキアクアに祝福あれ』
タコが話を終えると、伏魔殿にいるレインが妖精たちと協力して<清掃>と<修復>の魔法を放つ。
今度は、血にまみれ、破壊された街並みが綺麗に直っていく。しばらくすれば、街の中は昨夜の襲撃が嘘であったかのような美しさを取り戻していた。
「タコ様、あなたの慈悲に感謝します」
「ふぅ、ちょっと疲れたかしら」
額を軽く拭うタコをアレサンドラが労う。もちろん、普段ならこんな大量の魔法を一度に使用することはできない。
事前にスキルやアイテムで最大MPをブーストし、こっそりウインドウからポーションを使用していた。
さらに、イカたちがやっていた仕込みがここで生きてくる。<復活>のMP消費が重いため、<覚醒>で誤魔化しているのだ。
しかし、レオナルド達はそんなことを知る由は無い。彼らにできるのは常識をはるかに超えたその力に、ただ慄くことだけであった。
「さて、先ほどの決定に、どなたか異論はありますか?」
言われるまでもなく、ここにいる者すべての考えは一致していた。『我らは従うしかない』と。
逃亡、反逆、サボタージュ。どれをとっても自身の破滅を意味する。しかも、死ですら彼女たちから逃れることが出来ないと証明されてしまった。
残された道は一つ、アレサンドラが、邪神タコが望むとおりに動くこと。
「何故、こんなことに……」
「さあ? きっと、あなたたちは運が悪かったんじゃないですか?」
大臣の一人が呟いた言葉にアレサンドラが答える。それは、他の者にとっては何の意味も持たない言葉だったが、レオナルドには違った。
「……はは、そうか、運が悪いのは私の方だったのか」
レオナルドは天を仰ぐ。何という皮肉だろう、少し前まで義兄に対して思っていたことが、自分に跳ね返ってきた。
だが、止まることは許されない。これからは全力を持ってアレサンドラに仕えなければならない。
『復讐は始まったばかり』
その言葉の意味は十分に理解した。
せめて、寿命ぐらいは救いであることを祈りながら、レオナルドは澄み渡った空をただ眺めていた。




