16話 アレサンドラの怒り
「おかしい、何かがおかしい」
執務室では、レオナルドがここ一カ月の報告を見直していた。
予定は順調だ。無能な貴族の処刑、スラムの処理、魔族の兵士受入れ、何をとっても大きな問題は起きていない。
もちろん、そうなるように準備をしたのだ。仮に問題が起きても対策は用意してある。だが、その大半は無駄となった。
それ自体は問題ない。順調ならばあとは部下に任せておけば良かったのだが、何かの予感にかられたレオナルドはその詳細まで調べていた。
すると、引っかかることが次々と出てきたのだ。
スラムや貧民街から出てくるであろう孤児の人数が、予測より少なすぎる。
発生した暴動が、何故か早々に大人しく解散している。
火事や事故の対処に兵士が向かった先が、他国のスパイが潜む隠れ家だった。
さらに、最大の懸念。他国からの侵略に至っては、侵略が予測されていた国境付近において大雨や魔獣の大群が発生していたのだ。
まるで、外部からの侵入を防ぐかのように。
全てを幸運や神の寵愛などで済ます神経を、レオナルドは持ち合わせてはいない。何かが介入していることは間違いが無い。だが、いったい誰が、何のために。
魔族が自分に内密で部隊を動かしている可能性も考えた。しかし、これほどのことが出来るならば、そもそも最初からこの国を制圧できていたはずだ。
長考に入っていたレオナルドだが、突然、ノックも無しに扉が開かれる。入ってきたのは息を切らせた近衛兵だった。
「大変です、国王! ま、魔族が攻めてきました!」
「何だと!?」
思わずレオナルドは立ち上がる。話を聞けば、千人にも上る半魚人の軍団が、ラミアやイカの人魚に率いられて街中を攻撃して回っているそうだ。しかも、その後には奇妙な石像を設置しているらしい。
なぜ、こんな時に魔族が攻撃を仕掛けて来るのか。レオナルドは様々な考えを巡らせるが、突然の爆発音と大きな揺れがその思考を中断させた。
「今の揺れは……まさか、王宮に攻撃を!?」
まずは状況の確認をせねばならないと、レオナルドはその近衛に兵を集めて対応することを命じ、自身は部屋を出て王宮の高い位置にあるテラスへと向かう。そこからは、王宮の中庭から街の方まで見渡すことができるからだ。
しかし、そこで待っていたのは予想をはるかに超える凄惨な光景だった。
すでに王宮の中庭では人間、魔族を問わず、大量の死体が転がっていた。その周りでは、サメの頭をした半魚人が奇怪な声を上げながら槍を振り回している。
わずかに残った兵士は恐怖により逃げまどうか、半狂乱に突撃をしているだけだ。彼らが全滅するまでそれほどの時間はかからないだろう。
レオナルドは絶句する。
あまりの恐怖に手すりを掴む手は震え、全身から汗が噴き出していた。それでも頭を振って気持ちを切り替えようとする。
「レオナルド殿!」
そこにヴァイスとナーゲルが駆け付けた。だが、彼女たちも状況を理解していないようで、困惑した顔で中庭の光景を見ている。
さすがにレオナルドも冷静さを保つことは不可能であった。ヴァイスの襟を掴んで声を上げる。
「貴様ら、これはどういうことだ!」
「違う! 奴らは魔族ではない。現に魔族も殺されているだろう!」
「ならば奴らは何者だ!? なぜ、ここまで攻め込まれている!?」
そんなことが分かるわけもない。ヴァイスとてつい先ほどナーゲルの報告を受けたばかりだ。
そもそも、魔王軍には半魚人など存在しない。しかも、あれほどの大群が、誰にも気づかれずに襲撃をしてくることなど、想像できるわけも無かった。
「彼女たちを責めるのは、酷というものですよ」
「なっ!?」
緊迫した空気に、幼い少女の声が割り込んできた。
とっさに全員が声のした方を向いて身構える。そこにいたのは一人のラミアだった。黒を基調とした露出の多いドレスに身を包み、額には豪華なティアラを冠している。
一体いつの間にそこにいたのか。だが、そんなことよりも衝撃を与えたのは、その顔である。
なぜなら、そこにいる全員がその顔を知っていたのだ。
「お久しぶりですね、叔父様」
「貴様……アレサンドラなのか? そ、その姿は……!?」
自身の発するプレッシャーに比べ、アレサンドラの挨拶はとても気安いものだった。
動揺するレオナルドに対し、彼女は頬に指をあてわざとらしく悩むようなそぶりをする。
「うーん、言われてみれば、本人だと証明するのって難しいですねぇ。どうしましょうか、ティーナ?」
「信じられないなら、それでもいいのではないですか? 彼らの運命はもう決まっているのですから」
アレサンドラが自分の後ろに向かって話しかけると、もう一人のラミア、ヴァレンティーナが現れた。
禍々しい鎧を着た彼女は血塗れの近衛兵を掴んでおり、すでに息絶えたと思われるそれを、軽々と中庭の方へ放り投げる。
そして、彼女は刺すような視線でレオナルドたちを睨む。それは、自身の主を傷つけた者、次は貴様らがこうなる番だと宣言しているかのようだった。
「ヴァレンティーナ……貴様もか」
「うふふ、驚きました? 私たちは生まれ変わったんです。邪神タコ様の手によってね」
「邪神タコ……?」
「ええ、とても慈悲深いお方です。国を追われ、行く当てもない私たちを救って下さったのですから。あの半魚人たちも、タコ様からお借りしたんですよ」
アレサンドラは陶酔するような遠い目をしており、その姿は半ば狂気すら感じられる。だが、ただの少女に過ぎなかった彼女にこれほどまでの力を与えたものが、凡庸な存在ではないのは間違いない。
レオナルドたちは、まだ見ぬ邪神に対する戦慄に体が震える。
「邪神……まさか、あの廃村にいた蜘蛛が!?」
ナーゲルは自身が目撃した蜘蛛の事を思い出した。確かに、あれは神獣と言っても過言ではないほどの力を持っていた。
だが、アレサンドラはキョトンとした顔をすると、ナーゲルの勘違いに気づいてケラケラと笑い出す。
「あはは、違いますよ。勘違いされても困りますし、ご紹介しましょうか」
アレサンドラがこっそりチャットを送ると、巨大な蜘蛛、アトラが転移でやってくる。以前ナーゲルに対して放ったような威圧は抑えているが、それでも周囲に緊張が走った。
しかし、当のアトラはアレサンドラに近づくと、まるで小動物のように優しくその肩にすり寄る。
レオナルドたちはアトラが持つ力に恐怖を感じながらも、不釣り合いなその行動に困惑を隠せない。
「キー!」
「可愛い子でしょう? この子はタコ様のペットなんです。ああ、ご安心ください。私の復讐に手は出させませんから」
アトラはアレサンドラに軽く頭を撫でられると、また転移で姿を消した。
脅威が消えたことに安堵するナーゲルだが、レオナルドは半ば予想していたアレサンドラの言葉に対して、吐き捨てるようにつぶやく。
「……なるほど、そういう事か」
「ええ、私が戻ってきた理由は一つ。父の、国の、私の復讐です……あら?」
まるで周囲を警戒せず叔父と話をするアレサンドラに、ヴァイスはチャンスだとナーゲルに目配せする。すると、彼女は擬態を解き、全力で空に向かって飛び上がった。
すでにアレサンドラたちの強さが計り知れないものであることは理解した。ならば、この情報を速やかに後続の部隊に伝えねばならない。
ラミアや半魚人に、夜の闇を高速で飛ぶ自分を補足することは不可能。ナーゲルはそうであることを祈って空を駆ける。
だが、その祈りは届かなかった。
「あらあら、話の途中だというのにせっかちなお方。……ウンディーネ」
アレサンドラのつぶやきと共に、その背後にウンディーネが顕現する。転生とレベルアップにより強化された魔力によって、その姿は女神と見まがうほどに神秘的なものになっていた。
ウンディーネが空に手を向けると、そこから大量の水が噴出される。それは巨大な龍の姿をとり、すさまじい速度でナーゲルの背後に迫った。
「何だと!?」
彼女は必死に速度を上げるが、龍との距離は縮まるばかり。そして、ウンディーネがさらに魔力を込めると、龍は大きな口を開けてナーゲルを飲み込んでしまった。
龍の体内に捕らえられた彼女は必死にもがく。だが、そこは水の牢獄のようなものであり、空しく水をかき回すだけだ。
そのまま全身を締め付けられ、口から空気が漏れる。
「ナーゲル! くそっ、貴様!」
部下の窮地にヴァイスが擬態を解くと、抜剣してアレサンドラに迫る。しかし、彼女はそれに対して何も反応しようとはしない。
ヴァイスは怒りに任せて全力で剣が振り下ろす。だが、その前に一本の剣が差し込まれ、火花を散らすと共に剣の動きが止まった。その剣を握っているのはヴァレンティーナだ。
両手で剣を握っているヴァイスに対し、ヴァレンティーナは片手。ヴァイスがさらに力も込めるも、剣は固定されているかのように動かない。
「『精霊サラマンダーよ! 我の願い聞き届け、その身を顕現させたまえ!』」
だが、動きを止めた今が好機と、レオナルドがサラマンダーを顕現させる。サラマンダーが魔法を放つと、巨大な火柱がアレサンドラたちを焼き尽くさんと地面から立ち上がった。
火柱はヴァイスすら巻き込むほどの大きさであったが、彼女はすんでのところで後ろに下がり、服が少し焦げた程度で済んだ。
「ふはは! 何が邪神だ! 私の炎の前には貴様らなど……何!?」
炎が晴れて現れた二人は無傷。服に焦げ目すらついていない。
タコに与えられた装備による耐性、ラミアクイーンの能力による強化、ヴァレンティーナの広域防御スキルにより、炎のダメージを無効化したのだ。
力の差をまざまざと見せつけられ、レオナルドとヴァイスは思わず絶句してしまう。その隙を見逃すヴァレンティーナではない。素早くヴァイスに接近すると、その体へ回し蹴りのように尻尾を叩きつけた。
衝撃で吹き飛んだ彼女は近くの壁に激しく打ち付けられる。その衝撃は壁の一部が砕けるほどのものだったが、彼女も魔族の師団長だ。なんとか受け身を取ったようで、剣を杖に立ち上がろうとしている。
だが、その近くへ龍に飲み込まれていたナーゲルが空中から吐き出される。窒息と圧迫により、その息は既に絶えていた。
ヴァイスは怒りに叫ぶと、痛みを忘れたかのような勢いでアレサンドラの方に向かってくる。
「ティーナ、そちらは任せます」
「はっ!」
その対処をヴァレンティーナに任せると、アレサンドラはゆっくりとレオナルドの方に近づいていく。レオナルドは後ろに下がりながらも、足止めの為に魔法を放った。
「く、来るな! 『炎よ! 壁となり災厄を防げ!』」
アレサンドラの前に炎の壁が立ちはだかり行く手を遮る。だが、彼女は何もないかのように壁を通り抜け、炎はその体を焦がすこともできない。
「『炎よ! 鎖となり敵を縛り付けろ!』」
今度は地面から炎による鎖が出現し、アレサンドラの体に巻き付く。だが、彼女が軽く力を込めるだけで、鎖は煙となって消えてしまった。
「無駄です。その程度の火遊びでは、この体を傷つけることはできません」
すでにお互いの距離は数メートルしか無い。今度はこちらの番だとアレサンドラがレオナルドに向けて魔法を放つ。
「では行きますよ。<水槍>」
「くそ! サ、サラマンダー!」
魔法により生成された水の槍がレオナルドに迫る。だが、とっさにサラマンダーが飛びかかり、その身と引き換えに水の槍を相殺した。
しかし、威力を殺しきることはできず、槍はレオナルドの腕に深く突き刺さる。
「あらあら、頑張りますね叔父様。でも、無駄にあなたを苦しませる趣味は無いんですよ。諦めたらどうです? あちらもケリがついたようですしね」
レオナルドのすぐ近くに何かが放り投げられた。それは、ヴァイスの死体だ。投げつけたヴァレンティーナは傷一つ無く、すでにアレサンドラの後ろに控えている。
魔法は効かず、数分も経たずに魔族の師団長が殺された。自身が追い詰められたことを悟りながらも、レオナルドは必死に次の手を考える。
「……分かっているのか!? 貴様がしていることはただの自己満足だ! 今、私が死ねばこの国は荒れる! 魔族すら敵に回し、この国を亡ぼすつもりか!?」
腕から血を流しながらもレオナルドは力強く叫ぶ。すでに顕現で魔力を使い果たし、大怪我をした彼には戦闘での勝機などかけらもない。
「貴様は悪だ! 自分のことしか考えない子供だ! 復讐のために人を捨てた貴様に、私を討つ資格があるものか!」
だが、レオナルドとて信念がある。選んだ手段は義兄と違えども、国を残すという事だけは真剣に考えていた。いま、それが水泡に帰そうとしている。それだけは何としても避けねばならなかった。
その言葉にアレサンドラは少し下を向く、レオナルドは自分の言葉が効いたのかと思った。だが、彼女が顔を上げるとともに、それが勘違いであることを思い知ることとなる。
「そもそも、私が、こうなったのは、誰のせいだと、思っているんです?」
憤怒。
アレサンドラの顔は、そうとしか表現できなかった。
目は血走り、口は歯が砕けそうなほど強く食いしばっている。歯が肉に食い込んだのか、その口の端からは血が滴っていた。
まだ成人もしていない少女が、これほどの表情が出来るものなのか。レオナルドは全身が氷に包まれたかのような悪寒を感じていた。
「……あらあら、いけませんね、つい取り乱してしまいました。心構えをして来たのに、本番では上手くいかないものですね」
アレサンドラはハッとすると、口に付いた血を軽く拭う。そして、先ほどまでの笑顔を取り戻すと、ゆっくりと腰の剣を抜きレオナルドに向けた。
だが、彼女の口角は不気味に吊り上がり、白い歯を見せつけている。それがレオナルドに対する怒りなのか、復讐を果たせる喜びなのか、あるいはその両方なのかは本人ですら分かっていなかった。
レオナルドはやっと理解した。アレサンドラの狂気を。人を捨て、悪だとなじられようとも自分に対して復讐を果たそうとする怒りを。
理解はさらなる恐怖に変わり、噴き出した汗が頬から顎に流れる。それは水滴となって滴り落ちた。
「がはっ!」
それは一瞬。汗が地面に落ちるよりも早く、レオナルドの心臓に剣が突き刺さった。アレサンドラは剣を体に貫通させたまま突き進み、壁に打ち付ける。
そして、貼り付けとなったレオナルドの耳元に口を近づけると、優しくささやいた。
「安心してください。私の復讐は、まだ始まったばかりなんですから」
「な……に……?」
大量に血を失い、レオナルドの意識は急速に薄れていく。その目には、妖艶な笑みを浮かべこちらを見るアレサンドラの顔が、最後まで焼き付いていた。




