15話 タコさん、観戦する
その日、ナスキアクア王国の首都は、夕方から濃い霧が立ち込めていた。
周囲を流れるこの川は、以前は侵略を防ぐ防壁であったはずが、今では魔族の為に多量の物資や人員を運ぶための経路となっている。
しかし、この濃霧では船を出すことも出来ず、監視している水鳥の獣人たちはただ退屈な時間を過ごしていた。
今も、やぐらの上で二人の見張りがだるそうにもたれかかっている。
「なあ、今日もういいんじゃねぇか? どうせ霧が晴れてもしばらく船は出せねえだろ?」
「同感だが、それを判断するは上だ。俺たちは待ってるしか……ん?」
そのうちの一人が霧の向こうで何かが動くのに気が付いた。目を凝らしてその正体を探ろうとするが、水中にでも潜ってしまったのかもう何も見えない。
「おい、今、あそこで何か動いたような……」
「あ? どうせ魚だろ? お前、この前も大騒ぎして怒鳴られてたばっか……」
だが、その時確かに何かが動いた。それも一つや二つではない。間違いなく人影だと分かるものが次々と水中から姿を現していた。
二人は互いに視線を合わせると小さく頷き、一人が周囲に異常を伝える鐘を鳴らそうとする。
だが、ハンマーを持ったその手を振りかぶると、あるべき場所に鐘が無くなっているのに気づいた。
「おい! 鐘は一体どこに……」
「ここっすよ」
不意に、屋根の上から一本の腕が伸びた。その手には本来天井に括り付けられているはずの鐘をぶら下げている。
思わず身を乗り出して屋根を見れば、一人のラミアが顎を手に乗せて寝そべっていた。
「お前は……ラミア!? おい、一体何の真似だ! さっさと降りて……あ?」
驚いた見張りも相手が魔族と分かると少し安堵したが、いたずらにしては悪質だ。怒りに任せてその手を掴もうとするが、何故か体を動かすことが出来ない。
隣を見れば、相方も同じように中途半端な姿で動きを止めていた。
「《忍法影縛り》、しばらく動けないっすよ。ま、そのうち治るっすから、安心してください」
屋根の上にいたのはシンミアだ。すでに周囲の獣人たちは同じように忍術スキルで動けなくしている。眠らせる術もあるのだが、今回は彼らに目撃者となってもらう必要があった。
シンミアがさりげなく視線を霧の濃い川の方に向ければ、獣人たちもわずかに動く目をそちらに向ける。
霧の中から姿を現したのは、サメの頭部をもつ半魚人であった。だが、その数が尋常ではない。次々と現れるそれは、軽く数えても百を超えているのは確実だ。
しかも、その全員が槍と鎧で武装しており、中には豪華な鎧や淡い光を放つ槍を持つ、指揮官クラスと思われる存在も混ざっていた。
そして、何よりも一番目を引くのは、集団の先頭を歩くラミアだ。
いまだに幼さを残す見た目ながら、服や装飾品は遠目で分かるほど強い魔力が込められており、その後ろに続くラミアとは一線を画している。
その中でも額に冠するティアラは異様なまでの力を発していた。それを付けているだけで、その幼いラミアが集団のトップであることが自然なことのように受け止められる。
一体、この集団は何者なのか? 魔族の反乱? ならば何故こんなところで?
次々に疑問が沸いてくるが、答えなど分かる訳もない。見張りの獣人たちは、その光景をただ眺めることしかできなかった。
「姫様。レレレ、レイン様から連絡です。まもなく作戦開始と」
「そう、ありがとう、ヴォルペ」
ラミアとなっても相変わらずのヴォルペに対し、アレサンドラは微笑んで頭をなでる。だが、すぐに表情を引き締めると、首都の中心へ目を向けた。
もう、間もなくだ。他の皆も緊張が隠せていない。復讐、その為に力を蓄えていたのだ。それが凄惨なものになると理解した上で。
アレサンドラは大きく深呼吸する。もう、後戻りは出来ない。だが、後悔はしない。この選択は自分で選んだものだ。ならば、突き進むまで。
「総員、戦闘準備! さあ、復讐を始めるわよ!」
「はっ!」
剣を掲げて宣言すると、全体が進軍を開始する。シンミアたちはそれぞれ半魚人を従えて目的の場所へ向かっていった。
アレサンドラとヴァレンティーナの行く先は決まっている。王宮、叔父のレオナルドがいるはずの場所だ。
彼女の剣を持つ手は力んで震えながらも、その口は喜びを隠しきれず、先の割れた舌が唇を舐めていた。
◆
「あー、疲れた。タコさん、今回の件で何回スキルを使ったかしら」
「タコ様、お茶をどうぞ。お疲れさまでした」
一方、タコは伏魔殿の自室でちゃぶ台に突っ伏していた。オクタヴィアが用意したお茶を横にいるアイリスと一緒にすする。
今回の作戦において自分たちはあくまでサポーターだ。最初から前面に出るつもりは無い。
戦況はチャットにリアルタイムで映像を送れる機能があるので、姿を消して飛行ができるレインがカメラ係として動いている。
それに、彼女には内外への通信を妨害する魔法も発動してもらっていた。
「しっかし、眷属作成スキルが効果永続で数の上限なしってチート過ぎない?」
「今回作成したサメヘッドは40レベル相当、スキルは戦闘系のみ、アイテム消費も必要だから妥当じゃねえか?」
タコが海神になったことで得たスキル≪半魚人作成≫は、特定のアイテムを消費して従順な半魚人を作成する魔法だ。
以前、アトラが生んだ蜘蛛が永続していたことからタコも自分のスキルを試したところ、作成した半魚人はいつまでも残り続けていた。
さらに、ゲームでは作成数に上限があったが、今ではそれも無い。そのため作成すればするほど戦力は増えることになる。
しかし、次の作成まである程度の時間が必要なのはゲームと変わらなかった。
生命の作成は世界の反発を受けるので連続使用が出来ないと設定がされていたので、それはこの世界でも同じなのかもしれない。
それでもタコは、一月ほどかかって千体近くの半魚人を作成した。
半魚人は食料も休憩も必要なので管理に手間がかかるが、今の食料生産量から考えれば消費するのは微々たるものである。
ちなみに、タコは最高で100レベル相当のモンスターを作成することが出来るが、それには貴重なアイテムが必要なので今のところは見送りだ。
錬金術で野菜からそのアイテムへ変換するのにも、とんでもない量が要求される。
「ボスー、ご報告でーす」
すでに報告待ちでまったりモードになっていると、人狼のタマが入ってきた。人狼には作戦に当たり首都の周囲を警戒してもらっていたが、どうやら問題発生のようだ。
「例の部隊が予定より首都に近い場所で駐留してまーす。このままいくと、明日の朝には首都まで来ちゃいそう。今はポチが監視中でーす。あと、疲れたから今日はもう休んでいい?」
人狼でありながら猫のように気分屋なタマは、報告を終えると勝手にタコの膝の上で丸くなってしまった。
オクタヴィアから嫉妬の視線を感じながらも、タコはお疲れさんとタマの髪を梳くように撫でる。その横ではアイリスがよっこいせと立ち上がった。
「んじゃ、そっちは俺が対処してくるわ。」
「いってらっしゃーい。くれぐれもお上品にねー」
アイリスは軽く伸びをすると、振り向かずに手を振りながら部屋を出ていく。
それを見送ると、タコはウインドウを開いてギルド情報を確認する。領地の広さは時間と共に少しずつ広がっていた。
作戦が順調であることを確認できると、熱いお茶をすすって一息つき、レインからの映像に視線を戻すのだった。
◆
「まさか、ナスキアクアの作戦がこれほど順調に進むとは思いませんでした。これも、ひとえに副長の手腕ですな」
「ははは、作戦を実行したのは団長ですよ。私はその補佐をしただけです」
すでに太陽が沈み暗くなった森の近く。かがり火に囲まれたテントの中で複数の獣人が食事を進めていた。
彼らは魔王軍第七師団の幹部たちである。先にナスキアクア王国で行動中の師団長と合流するため、応援の部隊を引き連れて行軍しているところだ。
予定より順調な路程であったが、受け入れ先の都合もあるのであまりに早い到着も望ましくないと、今日は首都にほど近い森の周辺で駐留することとなった。
その中でもひときわ大きな体を持つ副師団長のホルンは、牛の獣人である。
物静かな佇まいであるが、歴戦の戦士でありその戦闘力は第七師団の中で最強と言っても過言ではない。
彼を慕う部下も多く、いざ戦闘となれば危険も顧みず敵陣に突き進んでいく。
しかし、彼とて今は食事中だ。穏やかな顔で食事や酒を楽しみつつ、他の幹部たちとの会話に花を咲かせている。
だが、給仕の兵に酒を注いでもらっていると、ホルンは何か言葉に言えない違和感を覚えた。その原因を探ろうとテントの中を見回すが、特に異変は起きていない。
気のせいかと視線を正面に戻すが、そこでありえないものが目に飛び込んできた。何とか声を上げることは無かったが、表情が引きつってしまう。
周囲の者も副長の異変に気付きその視線の先を追うと、次々に困惑の声を上がった。
「き、貴様! 一体何者だ!? いつからそこにいた!?」
見知らぬ狼の獣人。しかも、返り血のような真っ赤なドレスを着た女性の獣人がテーブルで食事をしていたのだ。
その美しい姿は、どこかの国の姫と言われても不思議ではない。左目に付けられた大きな傷跡と眼帯を除けばだが。
なぜ、これほどまでに目立つ存在に誰も気づけなかったのか。周りにいる者たちに混乱が広がっていく。
「ふーん、行軍中にしては結構いいもの食ってんだな。コックの腕も悪くねぇ」
だが、当の獣人は、この状況を気にもしていないのか黙々と食事を続けていた。
それに腹を立てた一人の幹部が腰から剣を引き抜こうとするが、落ち着きを取り戻したホルンが視線でその動きを止める。
そして、何とか声を荒げないように努めながら、狼の獣人、アイリスに向かって話しかけた。
「お嬢さん、いったい何の御用かな? ご招待はしていないと思うが?」
「ああ、ちょっとお願いがあってな。明日は行軍しないでここで待機してくれねぇか?」
明らかにこちらの妨害を意図する発言に、やはり敵かと幹部の一部がまたしても攻撃態勢に入りそうになる。仕方なくホルンは声を上げてそちらをけん制した。
「止めろ! 私の許可があるまで動くな! ……失礼、お嬢さん、話を続けようか。何故、そんなことを? 我々も理由もなくそんなことは出来ない」
「言ってもわかんねぇと思うが……お前らは復讐の対象じゃねえんだ。死にたくなかったら、首都に近づかないでくれ。それに、どうせ帰ることになるぞ」
復讐? 一体何のことだ? ホルンの頭に様々な予想が浮かぶが、どれも確証は持てない。
悩む彼に対してアイリスは無表情にウインドウを操作している。周囲からは奇妙に指を動かしているようにしか見えなかったが、突然、腕を空間に突き刺して何かをつかむように動いた。
幹部の中には貴重な空間魔法の使用者なのかと身構えたものもいたが、アイリスはインベントリからアイテムを取り出しただけだ。
「ま、こっちも無茶を言ってることは分かってる。これはその迷惑料だ」
そう言ってアイリスは小さな袋を放り投げる。単なる布袋のようにしか見えなかったが、受け取ったホルンには何かの魔力が込められているのが分かった。
「おっと、ここで開けるなよ。それにはお前らが一週間くらい持つ食料が入っている」
その言葉にホルンは驚き腕が震えてしまう。
容量を拡大した袋自体はありふれたマジックアイテムだが、それほどの量が入る物など聞いたことが無い。それが本当なら、これ一つがどれほどの価値を持つだろうか。
「俺の言葉を信じるかどうかはそっちに任せる。じゃあな」
「……待ってくれ、君は一体何者だ」
アイリスは何事も無い様に立ち上がると、テントから出て行こうとする。ホルンは何とか平静に問いかけると、ゆっくりとアイリスが振り返った。
その顔は何ともない笑顔。だが、その目が合った瞬間、ホルンは自分が果てしない深淵を覗いてしまったような錯覚を覚え、全身が麻痺したかのように硬直する。
「……俺たちは『アウトサイダー』。俺たちは邪神の使徒。あ、ちなみに、俺の名前は『歪んだ牙』のアイリスだ。よろしくな」
最初の二つの言葉に比べ、最後の言葉は何とも優しい口調だった。そして、アイリスは変わらず笑顔を保ちながら、軽く二本指で敬礼してテントを出ていく。
先に副長が「動くな」と言ったことが効いているのか、皆がそれを静かに見送っている。だが、その中で一番若手の幹部が声を上げた。
「副長! 何故、奴を放って……副長?」
副長を責めようとした幹部の言葉が止まる。ホルンはその全身から流れるような汗をかいていた。
「恐ろしい、方でしたな」
同じように汗をかいていた幹部の一人が呟くように声を出す。彼はすでに老齢に差し掛かっているが、格闘に関しては部隊一と言われる達人だ。
「まったくだ。これほど震えたのは先代の魔王様以来……いや、まさかそれ以上?」
ホルンは自分の掌を開いて眺める。凄まじい汗だ。それが、彼女がどれほどの者であるか雄弁に語っている。
相手の強さを見極める力は、修行の際に嫌と言うほど身に覚えさせられた。
「まずはこの中身を確認してみるか。食料班を呼べ。それから、通信士に師団長と連絡をつなげるよう指示しろ」
だが、今は任務を果たさなければならない。ただのブラフであることを祈りながら部下に指示を出す。
しばらくしてやってきた食料班の者たちに事情を伝えると、テントから出て袋の中に手を入れる。
「ふむ、なるほど、これは……」
ホルンには中に入ってるものが感覚的に理解できた。多くの物は木箱に詰められているようで、それを一つ一つ取り出して置いていく。
箱を開けながら中身を確認すれば、野菜や肉と言った食材が詰まっていた。ホルンがその量に驚いていると、食料班の者たちからはまた違う驚きの声が聞こえてくる。
「おいおい、これってまさか……うわ、マジかよ!?」
「どうした?」
「この食材なのですが、本日、副長たちにお出ししたメニューの材料そのものなのです。……隠し味のハーブまで入ってます」
「なんだと!?」
一体どういうことか。常識的に考えれば、事前にこちらの食料を調べてから用意して渡したというのが普通だろう。だが、メニュー通りの材料を用意するなど急にできるわけがない。
まさか、あの場で材料を理解して食材を用意した? そんなことが可能なのか?
実際の所、ホルンの予想は半分当たっている。アイリスは先に食糧庫に忍び込んである程度の材料を頭に入れておいた。
そして、食べた料理から必要な食材をピックアップし、タコにチャットして必要なものをマジックアイテムに格納して送ってもらったのだ。
この行為には迷惑料というのも目的の一つだが、もちろん示威行為も含んでいる。
「副長、通信士から報告です。何度か試したのですが、師団長と連絡がつきません。恐らく妨害する魔法が使われているものと思われます」
半ば予想していたことだが、ホルンはその内容に思わず額を押さえた。任務を放棄するわけにいかないが、部隊を危険にさらす訳にもいかない。
まずは状況を把握しないことには始まらないと、部下に新たな指示を出す。
「……やむを得ん、駐留をもう一日伸ばす。ただし、速度に優れたものを抽出して首都の偵察に向かわせろ、警戒態勢も強化だ」
あれだけの食料があれば、命令の変更による士気の低下も最小限に抑えられるだろう。師団長の安否が心配であるが、部隊の安全も重要だ。
「邪神……狼……まさかな」
先ほどの獣人の顔が頭をよぎる。その麗しい見た目からは考えられないほどの力を、一体何のために使うつもりなのだろうか。
最悪の予感が当たらないことを祈りながら、ホルンはテントに戻っていった。
◆
「おいおい、人間様よ、てめえらの力はそんなもんか?」
ニヤニヤと笑う虎の獣人、シュトラの周りには複数の人間の兵士が倒れている。近くでは複数の獣人が、同じように倒れた人間を小馬鹿にした目で見ていた。
ここは、ナスキアクアの首都にある兵士の駐屯地の一つだ。
魔族との和平が成立してからというもの、大量に削減された人間の兵士に代わり魔族の兵士が、『治安維持に協力』と言う名目で送り込まれていた。
だが、彼らは少し前まで殺しあっていた者同士である。上からの命令とは言え馴れあうことなど不可能に近い。小さなトラブルは日常茶飯事だ。
だが、少数同士の争いでは人間が魔族に敵う訳もなく、いざこざが起きた時に叩きのめされるのは人間の方である。
「ち、張り合いのねぇ。退屈でしょうがねぇぜ」
シュトラは倒れた人間を蹴り飛ばす。彼は、先の公開処刑で処刑人を務めた者であり、戦闘力は部隊でも秀でている。さらに、今では緊急時に人間の兵士にまで命令をする権利が与えられていた。
しかし、その素行は荒く、ちょくちょく人間の兵士にいちゃもんを付け、『訓練』と称して痛めつけている。人間たちには肉体的にも権限的にもそれに逆らうことはできなかった。
「……ん?」
彼の耳が不思議な音を捉える。部隊が行軍しているような大勢の足音だ。今日、この時間に移動する部隊がいるなど聞いていない。
部下に命令して何事か調べさせようと思ったところ、突然、兵舎の入り口の方で大きな爆発が起きた。
「おい! 何事だ!? 見張りは何をやっていた!?」
まさか、人間どもが反乱でも起こしたのか。突然のことに舌打ちをするが、どうせ奴らの戦力などたかが知れていると、自ら部下を連れて鎮圧のために入り口に向かう。
だが、彼がそこで見たのはラミアに引き連れられる、大量の半魚人の姿だった。
先頭のラミア、レオーネはシュトラを見つけると小さくつぶやく。
「……あなたは、見覚えがある。あの時の、処刑人?」
「なんだてめえら!? 一体どこの部隊だ!? 事と次第によっちゃただじゃ……何!?」
その言葉を遮るように、レオーネが全身から闘気を放つ。
ビリビリと肌が震えるほどのプレッシャーにシュトラは戦慄するが、その間にも周りの半魚人たちが部下に襲い掛かっていく。
「くそっ! なんだか知らねえが、やるってんならぶっ殺してやる!」
シュトラが擬態を解いて獣人としての本性を現す。その体は2メートルを優に超える巨体となり、全身が毛皮に覆われた。口には鋭い牙が並び、手足にはナイフのような爪が生える。
その爪でレオーネの体を引き裂こうと、跳躍の為に身を低くかがめる。だが、その足が地面から離れることは無かった。
「ぐはっ!?」
シュトラの顎が地面に激突する。そして襲ってくる激痛。彼はレオーネの動きを認識することも出来ず、その拳で頭を殴り倒されたのだ。
少し遅れてそれを理解するが、今度は両腕に焼けるような痛みが走る。
「がっ!? え? お、俺の両腕が!?」
自身の両腕が肘の先から潰れていた。シュトラが戸惑っているうちにレオーネはその頭を両手でつかんで自分の方へ向かせる。
「あなた、あの料理人を、処刑した人だよね? 私、あの人の料理が、結構好きだったの」
シュトラには訳が分からない。なぜ、ラミアが人間を処刑したことを気にしているのか? 奴の料理が好きだった? いったい何処で食べる機会があったのか。
だが、そんなことよりも、ラミアの暗い、漆黒のような視線が自分を突き刺している。その瞳に込められた怒りを感じるだけで、今にも心臓が止まりそうだ。
シュトラはとっさに言い訳を口走る。
「待てっ! 俺だって命令されたからやっただけだ! 仕方ないだろう!?」
「仕方ない……?」
次の瞬間、シュトラは自分の頬から焼けるような熱さを感じた。それは、レオーネが無意識に発動してしまった《力の暴走》によるものだ。
「じゃあ、私も、上からの命令で、あなたを殺すことにする。それなら、しょうがないんだよね?」
「ひっ! 嫌だ、こ、殺さな……」
シュトラに言えたのはそこまでだった。レオーネが腕に力を込めるとその頭を地面に叩きつける。頭蓋骨が潰れた音が周囲に響き渡り、力の抜けた巨体が地面に崩れ落ちた。
レオーネは体に付いた返り血を軽く拭い、無表情のままゆっくりと立ち上がる。
「レオーネちゃん。だだだ、大丈夫?」
半魚人たちの指揮を執っていたヴォルペがレオーネの元へ戻ってきた。魔法でレオーネの体を浄化すると、蛇の体を長く伸ばして彼女の頭を軽くなでる。
「うん、ありがとう。もう、落ち着いた」
「よしよし……えへへ、レオーネちゃんの頭を撫でられるなんて。ラララ、ラミアになって良かったな」
周囲では半魚人たちが魔族の兵士たち相手に戦闘。いや、ほとんど一方的な虐殺を行っていた。
そして、遅れて人間の兵士たちがやってくる。彼らは凄惨な状況にひるみながらも、レオーネたちに向かって剣を突きつけた。
「貴様ら! 一体何者だ!? なぜ魔族同士が……!? おい、お前、まさか親衛隊のレオーネとヴォルペか!?」
どうやら彼女たちを知っている者がいたようだ。一人の兵士が困惑しながらも声を上げる。
「何故、お前らが魔族になってるんだ!? いったいどうして、魔族と戦っているんだ!?」
レオーネがヴォルペを庇うため前に出ようとするが、それをヴォルペが「今度は私の番」と言わんばかりに彼女の前に立ち、兵士に答えた。
「……それは間違い」
「何だと?」
ヴォルペは先ほどまでの穏やかな雰囲気をから打って変わって、突き刺すような視線を人間たちに向ける。そこから感じられる殺意に、思わず多くの兵士が後ずさった。
「あなたたちは、レオナルドの反逆に協力した部隊だよね?」
「それは……そうだが……まさか!?」
その殺意の原因に思い至ったのか、兵士の顔がさらに青くなる。必死に弁解をしようとするが、それは既に遅かった。
「私たちは魔族と敵対してる訳じゃない。私たちの目的は、復讐」
「ま、待ってくれ! お前たちも元々は人間だろう? それなのに、人間を殺すのか!?」
ヴォルペは既に相手の話など聞いていない。剣の切っ先を向けると魔法を詠唱する。
「<死の闇>」
「がはっ! 何だ!? 体が乾……」
彼女が放った魔法は、マイナスのエネルギーを発する闇を発生させた。
闇に触れた兵士たちの体から急速に生命力が失われる。彼らは苦しみの声を上げ、次々に干からびて倒れていった。
「人間も魔族も関係ない。あなたたちも復讐の対象」
その魔法に抵抗できるものなどおらず、届かなかったヴォルペのつぶやきは風に消えていく。そんな彼女の頭に、今度はレオーネが優しく手を置いた。
周囲ではいまだに殺戮が続いている。ヴォルペの気持ちが落ち着いたところで、二人もその中に戻って行った。




