13話 タコさん、いっぱい堕とす
実は、ヴァレンティーナは事前にタコから言われて、少し前からこちらの様子を伺っていた。もちろん、今までの二人の会話はすべて聞いている。
それに気づいたアレサンドラが発言を訂正しようと立ち上がるが、もう吹っ切れてしまったのか、脱力して椅子に座り直した。
「あはは、ティーナ、幻滅したかしら? 所詮、私は姫の器なんかじゃない。この程度の人間だったのよ」
そう、彼女が人である事を支える最後の理由はヴァレンティーナだ。だが、それでさえ今にも崩れそうになっていた。
アレサンドラは半ば自棄のようにうつろな瞳で問いかける。
「いえ、あなたはとっくに知っていたのよね。昨日、私がタコ様の話を受けそうになってから、あなたが何か言いたそうなのはずっと気づいていたわ。きっと、こんなダメな姫を、どう叱るべきか考えていたんでしょう?」
ヴァレンティーナの一族は昔から王族に仕えてきた。アレサンドラが生まれた時にはすでに、彼女に仕えることが決まっていたほどである。
そんな人物が、姫の責務から逃れることを許すはずがない。アレサンドラはそう思っていた。
いや、思い込んでいた。
「……違います! 姫……いえ、サンドラ! どうか聞いてください!」
ヴァレンティーナはアレサンドラに駆け寄ると、その肩を掴んで自分の方に向ける。彼女がアレサンドラに言うべき言葉を悩んでいたのは事実だ。だが、必死に考えていた内容は、既に頭から吹き飛んでしまった。
もう、心が思うままアレサンドラに言葉をぶつける。
「私が、あなたの代わりに人を辞めます! あなたに代わって悪に堕ちます! だから、そのような悲しい顔をなさらないで下さい!」
アレサンドラは一瞬、その言葉が信じられずに目を大きく見開く。まさか、彼女が悪に堕ちることを提案するなど考えたことも無かった。
「ティーナ……本気なの?」
「もちろんです! 私の生きる意味は、あなたを守ること! あなたに仕えると決めた時からこの気持ちは変わりません! それが果たせるならば、この身などいくらでも捧げます!」
結局、二人ともすれ違っていたのだ。今まで積み重ねた信頼が、お互いを自分の中で美化しすぎていた。
アレサンドラは、ヴァレンティーナが悪に堕ちることなど許さない、正義に生きる人だと決めつけていた。
ヴァレンティーナは、アレサンドラが悪に堕ちることなど許さない、破滅が待っていても国の為に身を捧げる人だと決めつけていた。
そのことに気づいたアレサンドラは、自分の愚かさに心の中で苦笑いする。そして、喜びに滲んでいた涙をぬぐい、ヴァレンティーナの目を見つめ返す。
「ありがとう、ティーナ。……でもね、それはダメ。私の為にあなたが犠牲になるなんて、私には耐えられないわ」
そこでアレサンドラは言葉を止めると、軽く深呼吸してから子供らしい笑顔を彼女に向ける。
「ねぇ、ティーナ。私と一緒に悪に堕ちない?」
今度は逆にヴァレンティーナが目を見開く番だった。あまりの驚きに答えることができずにいると、アレサンドラが言葉を続ける。
「あなたが、私を守ってくれるのでしょう? それなら、私は他の誰に悪だと言われても大丈夫。でも、私は自分の手を汚さない卑怯者にはなりたくないの。だから、お願い」
その言葉にヴァレンティーナは思わずハッとする。
彼女に『お願い』と言われたのはいつぶりのことだろう。昔から聞き分けが良く、わがままを言わない子だった。
だが、今となってはそれが、彼女に無理をさせていた結果であることを痛感してしまう。
しかし、それも終わりだ。これからは彼女の『お願い』をすべて叶えてみせる。その決意を胸に秘め跪くと、彼女の手を取って答えた。
「……分かりました。サンドラ、喜んで共に堕ちましょう」
「ありがとう、ティーナ。……ふふふ、あはははは!」
アレサンドラは声を上げて笑う。その笑顔は、年齢相応の無邪気なものであった。ヴァレンティーナもそれにつられて微笑むと、その光景を横から見ていたタコがうんうんと頷いている。
「あー尊いわー、美しいわー。……で、あなたたちはどうするの?」
「え?」
なんの事か分からず声を上げるアレサンドラだったが、タコがヴァレンティーナが潜んでいたのと別のドアを急に開けると、そこからシンミアたち三人が転がりこんでくる。
どうやら、ドアに張り付いて中の様子をうかがっていたようだ。
「あはは……」
「……失礼、しました」
「ごごご、ごめんなさい! 盗み聞きするつもりじゃなかったんです!」
シンミアは誤魔化すように笑い、他の二人はすぐに頭を下げて謝る。そして、恐縮するようにこそこそとアレサンドラの前に歩いてくると、シンミアが口を開いた。
「あの、姫様。その悪堕ちに、私たちもご一緒していいっすか?」
どうやら話はばっちり聞いていたようだ。それぞれが自分の想いを吐露していく。
「私たちも、姫様と同じ。あいつらは、許せない」
「みみみ、みんなの力になれるなら、人を辞めるなんて些細なことです」
「ま、ぶっちゃけ、ここの生活が気にいったってのもあるっすけど」
誤魔化すようなことを言うシンミアだが、それを含めて皆の言葉に嘘はない。
アレサンドラは話を盗み聞きされていたことに気恥ずかしさを感じながらも、それを責めることなく、やれやれといった感じで息を吐いた。
「あなたたち……まったくもう」
アレサンドラが立ち上がりタコの前に立つと、ヴァレンティーナたち四人はその後ろに並んで跪いた。
最後にアレサンドラが敬意を示すように腕を胸に当てると、跪いて礼をする。
「タコ様、我々一同を悪に堕としていただけますか?」
その言葉とは裏腹に、彼女たちの姿は気品に溢れ、その声には気高い誇りが込められていた。
タコは満面の笑みでそれに応える。そして、腰に手を当てて胸を張ると、その胸を触手でドンと叩く。
「もっちろん、タコさん大歓迎です! それじゃ、さっそくやりましょうか!」
タコはインベントリから転生アイテムを取り出すと、アレサンドラに使用するため近づく。触手を伸ばして彼女の腰のあたりにくっつけたのは、蛇の尻尾だ。
すると、アレサンドラの周りに緑色をした霧のようなものが吹き出し、その下半身に変化が起きる。
まず、服は衝撃で飛び散った。そして、両足がぴったりとくっつくと、一体化して先端から鱗が生えだす。
少しすれば、彼女の下半身は完全に蛇そのものになった。
アレサンドラが転生したのはラミアだ。
さらに、タコがレベルアップの宝玉を使うと、全身に満ちる力に耐えきれず大きな声を上げる。だが、それは新たな力に対する喜びの声であった。
変化が完了したアレサンドラは、その下半身を器用に丸めて跪く。
「タコ様、新たな力を授けて頂きありがとうございます。……あはは、もう取り繕う必要は無いか。これからよろしくね、タコ様」
その顔には、以前には無かった無邪気さと、妖艶さが浮かんでいた。
◆
アレサンドラに引き続き、ヴァレンティーナたちも次々にラミアへ転生を果たしていく。
さすがにシンミアたちは新しい肉体に困惑しているようだが、先の二人はすでに自分の変化を受け入れていた。
さらにタコはエキスパートブックを使用して彼女たちにクラスを習得させる。
まず、アレサンドラを含めて全員が剣を使えるため、ソードマン系を最上位までは共通で習得してもらい、後はそれぞれの適性に合わせることにした。
アレサンドラは精霊使いの能力を高めるために、タコと同じドルイド系クラスに就いてもらう。
次にヴァレンティーナ。彼女は姫を守るため防御力の高いナイト系。身軽なシンミアは忍者系。体格の良いレオーネはバーサーカー系。
ヴォルペは本人の希望によりプリースト系。ただし、こちらもタコと同じダークプリースト系に就いてもらった。
彼女たちへ能力を説明するのもそこそこに、最後はタコのお楽しみであるファッションショーを始める。
「おー! シンミアちゃん、かっこいー! セクシー!」
「これ良いっすね。体にフィットするから音も出ないし、動きの邪魔にもならないっす」
シンミアが着ているのは上半身をすっぽりと覆うボディスーツだ。
スレンダーな体の線が強調されているが、本人は特に気にしていないようで柔軟体操で動きを確かめている。
「あの、タコ様。これ、お腹が、見えて……」
「何言ってるのレオーネちゃん! この素晴らしい腹筋を見せないでどうするの!? そう! この引き締まったお腹から腰のライン、そして鱗の生えた尻尾がたまらないわ! ぐへへへへへ」
レオーネはシンプルな胸当てを装備していた。もちろん、マジックアイテムなので覆われていない部位への攻撃も防いでくれる。
だが、ゆっくりとなら普通に接触することが出来るので、タコは頬ずりしながら腰のあたりを触手でなで回していた。
さて次はとタコが周囲を見回すと、いまだにヴォルペがいないことに気づく。原因は分かっているのだが、更衣室代わりに魔法で作った闇のカーテンの向こうに呼びかけた。
「ヴォルペちゃーん、ちゃんと着れたー?」
「むむむ、無理です! こここ、このような格好で人前に出るなんて!」
未だにマントで体を隠していたヴォルペを、無理やりタコが引っぱり出す。その勢いではだけたマントの下から見えたのは、真っ黒なビキニだった。
彼女はマントを掴んで体を隠そうとするが、少し動くだけですぐに肌が露出してしまう。
「おっほー! 普段大人しい子が過激な格好しているギャップってすごく萌えるわ! 恥ずかしそうにしているのがまた良いわね!」
タコはからかうようにヴォルペのマントをひらひらと捲ろうとする。必死に逃げるヴォルペだが、激しく動くとまたマントがはだけてしまいそうで動きがおぼつかない。
ついにタコは彼女を壁際に追い詰めるが、突然、後ろから声をかけられた。
「タ、タコ様! あの、その、えーと……」
タコが振り返れば顔を真っ赤にしたオクタヴィアがこちらを見ている。さらに、その両手は自らのドレスの裾を掴んで、ほんの少しだけ持ち上げていた。
一瞬、彼女が何をしたいのか分からなかったタコだが、その意図を察すると目を光らせてオクタヴィアに飛び掛かる。
「ひゃっほーい! オクトちゃん、お言葉に甘えましー……ほげー!?」
しかし、その触手が彼女のドレスにかかる直前、タコの頭へ雷が直撃した。
オクタヴィアが慌ててタコを介抱していると、雷を放った張本人であるレインが近づいてくる。
「まったく、バカやってないの。こっちの準備は出来たわよ。ほら、いらっしゃい、サンドラ、ティーナ」
「むぅ、せっかく乙女の夢が……おーっ!?」
タコが顔を上げたその先には、ダークな色合いの衣装に身を包んだ二人の姿があった。
アレサンドラが着ているのは胸元が大胆に開いたドレスだ。魔力を強化するイヤリングやネックレスなどのアクセサリーを付け、腕にはロンググローブをはめている。
それに対し、ヴァレンティーナの方は上半身を重厚な鎧で固めていた。黒や紫を基調とし、禍々しい装飾の施されたそれは、不用意に近づくだけで呪いでも受けてしまいそうだ。
まさに悪の姫を守る騎士と言った雰囲気になっており、タコとしても大満足の光景である。
「やーん、二人とも可愛カッコ美しエロセクシー!」
タコは思わず二人に抱き飛びついてぎゅっと抱きしめる。
ヴァレンティーナは特に表情の変化も無かったが、アレサンドラの方はタコに褒められた事がよっぽど嬉しかったのか、ニコニコと笑顔がこぼれている。
「うふふ、こんな素晴らしいドレスを着るのは久しぶりです。それに、皆とても似合ってるわね」
しばらくしてタコから解放されたアレサンドラは、親衛隊の皆とお互いの装備を見せ合いながら、「ここが可愛い」「良く似合ってる」といった声を上げていた。
その姿は姫としての上品さを持ちつつも、年齢相応の無邪気さも感じられる。
今まで無駄に気負っていたものが軽くなったおかげだろうと、タコとヴァレンティーナはお互いに視線を合わせ、良かった良かったと頷く。
「おっと、忘れるところだったわ。サンドラちゃん、悪堕ち記念にプレゼントよ!」
タコは触手をポンっと叩くと、インベントリから豪華なティアラを取り出した。
このティアラは追加種族を得るために使うアイテムだ。使用したキャラはその種族の王族となる、という設定であり、女性のラミアであれば種族名が『ラミアクイーン』となる。
同種に対して強化や回復するスキルを持つが、前提がアイテムの入手だけと緩いことからそれほど強力な追加種族ではない。
しかし、『クイーン』と言う名はアレサンドラにぴったりであろう、というのがタコの考えだ。
「あなたも今日からアウトサイダーの幹部、名付けて『高潔なる怒り』のアレサンドラ!」
「あらあら、大役ですね。お手柔らかにご指導をお願いします」
戴冠したアレサンドラが恭しく礼をする。
次は他の皆にお披露目かしらとタコが考えていると、その背後に人狼のクロが姿を現した。
「ボス。お楽しみのところ恐れ入りますが、よろしいでしょうか」
「ん? クロちゃんどうしたの?」
「村に接近する者がいます。しかも、人間ではなく獣人と思われる者が複数。恐らく、アレサンドラ様を追っているのではないかと」
「人間の追っ手ではキリがないと魔族側が派遣したのでしょう。……ここは、我々が対処しましょうか?」
自分たちのせいで迷惑はかけたくないと、ヴァレンティーナが提案する。
タコも転生した体になれてもらうためにもそれでいいかと思ったが、それをレインが止めた。
「ちょっと待って、サンドラたちの復讐について作戦を考えていたの。聞いてもらっていいかしら。それと、アイリスや人狼も呼びましょう」
全員がそろったところで語られた作戦は、アレサンドラたちにはとても考えつかないようなものであった。
彼女たちもタコの異常さは知っているつもりだったが、それが甘すぎたことを再認識しつつも、計画の内容に思わず身震いする。
「でも、復讐って観点からすると微妙じゃない? サンドラちゃんはそれでいいの?」
「とんでもない。こんなにも素晴らしい手段があるとは思ってもいませんでした。ぜひお願いします」
アレサンドラが良いのであれば、タコたちは口をはさむことも無い。レインは全員を見渡してそれを確認する。
「異論はないようね。なら、この追っ手には時間稼ぎに協力してもらいましょう。アイリス、頼んだわよ」
「へいへい、戦闘じゃないのは気に入らねえが、しょうがねえか」
だるそうに椅子にもたれかかっていたアイリスが手をひらひらさせて応えた。そして、ゆっくりと立ち上がりアレサンドラに近づくと、その顔をじろじろ眺める。
その口角がにやりと持ちあがると、次の瞬間にはアレサンドラが驚きの声を上げることになった。
 




