9話 タコさん、歓迎する
「ねぇ、どうだった? どうだった?」
誰も残っていないはずの食堂で、タコは左右をきょろきょろしながら声を上げる。すると、テーブルの両端にそれぞれレインとアイリスが、椅子に座った状態で姿を現した。
レインは魔法で、アイリスはスキルにより姿を隠していたのだ。
実は、ヴァレンティーナたちが村に突入する直前にはすでに、オクタヴィアたちを護衛するためレインは近くで待機していた。彼女たちの強さがよく分からない以上、念のための保険である。
しかし、監視してるクロに気づいていなかったこと、怪我の状態、移動の遅さなどから、彼女たちにそれほどの強さは無いと予想はしていた。
結論としてタコたちは、アレサンドラたちの強さはゲームのレベルに換算してもせいぜい30位だと考えている。
タコの≪神格のオーラ≫に耐えられなかったことも含めれば、それほど外れた数字ではないだろう。
そんなわけで、彼女たちが脅威になりえないことを確認できたため、タコも安心して悪堕ちの勧誘を始めることにした。今、二人に聞いたのはさっきの交渉の評価である。
「30点」
「同じく」
「えー!? そんな低いの!?」
自分としては結構いい感じに責めているつもりだったタコは、わざとらしく思いっきりのけぞる。だが、二人はそんなリアクションを気にせずつらつらと問題点を挙げていった。
「自分の方向性は決めておきなさい。恐怖で縛るか、欲望に訴えるのか。さっきのは軸がぶれすぎでしょう。ま、そんなところが『人間とは考え方が違う』っていう演出にはなったようだけど」
「それに、材料をうまく使えなさ過ぎだ。怪我したやつとか、ウンディーネとか、もうちょっと使いようがあっただろ」
「うー、ひぐ、ぐすん。えーん、二人がいじめるー」
二人が何か言うたびにタコはわざとらしく泣いたふりをする。さすがに言いすぎたと思ったのか、レインは若干のフォローを挟んだ。
「でも、最後の揺さぶりは良かったわよ。あんなの良く言えたわね」
「そうでしょ! あの娘がしてた『絶望して世界を恨んでます』って感じの眼は記憶にあったからね! 何を言って欲しいかピーンと来たわ!」
それに気を良くしたのか、タコはガバっと顔を上げると触手をわしゃわしゃと掲げて喜びを表現する。だが、そこにふとアイリスが疑問の声を上げた。
「……ん? タコ、そんなの何処で見たんだ? ゲームでそんな奴でもいたのか?」
「あ、それはね……あれ? 何処だっけ? えーと……忘れました!」
タコは触手を組んでうんうんと唸りだすが、結局、いつ見たのかは思い出すことが出来なかった。そのうちどうでもいいことだろうと思い、話を流す。
「ところで、あの娘が堕ちた場合は国盗りが必要になるけど、その方法は考えてあるの?」
「まったく無いです! レインお願い!」
胸を張って宣言するタコに、レインはどうせそんなことだろうと額を押さえる。しかし、すでに頭の中にはある程度の道筋は立てているようだ。なんだかんだでタコのことはよく分かっている。
「ま、いいけど……それならやって欲しいことがあるから、明日から準備してちょうだい」
「明日から? そんなに早く?」
レインの言葉に露骨に嫌そうな顔をするタコだが、さすがに自分の招いたことなので文句は言えない。大人しく言うことを聞く。
「アイリスにも色々お願いするからね」
「あいよ。しかし、精霊使いってのはどういう能力なんだろうな? ゲームにも精霊はいたけどそんなクラスはなかったろ?」
「話を聞いた限り、MPとSPを大量に消費して自分より強い存在を呼び出す……という感じかしら。刻印のことと合わせてその辺も調べてみたいわね」
その後も取り留めのない無い話を続けた三人であったが、しばらくして夜も遅いことを思い出すと、それぞれ自分の部屋に戻って行った。
◆
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
アレサンドラは、またしてもあの夢で目を覚ます。
気分は最悪だ。綺麗になったはずの服も汗にまみれている。荒れた息を整えながら軽く頭を振って、額の汗をぬぐう。
窓を見れば、すでに日はずいぶんと高くなっていた。昨日、魔法で体力は回復していたが、頭と体に染みついた疲れはこれだけの睡眠を欲したようだ。
何とかベッドから抜け出すと洗面所に向かい顔を洗う。ひんやりと冷たい水が心地よく、自分が生きていることを再認識させてくれる。
鏡を見ればひどい顔をしていた。これでは人に会うのも失礼だろう。軽くシャワーを浴びてタンスに用意された服に着替える。
そのままコップに水を汲んで一気に飲み干せば、やっと頭もはっきりしてきた。もう一杯水を入れてテーブルの方に持っていく。
だが、椅子に座って落ち着くと、彼女の頭には洪水のように様々なことが沸いてくる。
国は今どうなっているのだろうか。反乱に加わらなかった兵士たちはどうしているのだろうか。
自分はここに居ていいのだろうか。こんな居心地の良い場所で大人しくしているのは、彼らに対する裏切りではないのか。
それと同時に、彼女の心には叔父や魔族、民衆に対する恨みが渦巻いている。昨日、タコに言われたこともあり、彼女自身がはっきり自覚してしまった。
復讐。
自分の中にあったのは、こんなに黒く醜い感情だった。天誅などと考えていたことが恥ずかしい。だが、それを果たせばどんなに気持ちが晴れるのか夢想してしまう。
『あなたの願いを叶えてあげる』
まさに悪魔……いや、邪神の誘惑か。
しかし、それを受けるわけにいかないこともアレサンドラは理解している。人間をやめるなど、自分の為に犠牲となった父に顔向けできない。ここまで付いてきてくれた親衛隊たちにも申し訳ない。
そんな考えに心が揺れていると、部屋のドアがノックされた。
「おはようございます、オクタヴィアです。お目覚めですか? タコ様がお呼びです」
「分かりました、わざわざありがとうございます」
とりあえず今は余計な考えを追い払おうと首を振り、立ち上がって部屋を出る。
オクタヴィアはすでにほかの部屋に向かっており、シンミアたちも部屋から出てきた。
だが、ヴァレンティーナが出てきたとき、アレサンドラは思わず顔を背けてしまう。まだ、彼女に何と言えばよいのか言葉が見つかっていない。
向こうもそれに気が付いたのか、少し悲しそうな顔をしながらも気づかないふりをしてくれた。
言葉少なに朝の挨拶を済ませると、オクタヴィアの案内で通路を進む。
しかし、彼女はアレサンドラたちを昨日転移した部屋とは別の所に案内する。タコの指示により、伏魔殿の入り口から入ってくるように言われたそうだ。
部屋に入り転移したアレサンドラたちに飛び込んできたのは、色とりどりの花が咲き誇る一面の花畑だった。
一瞬、幻影ではないかとも思ったが、優しい風が甘い香りと花びらを運んでくる。それが、これがまぎれもない現実の光景だと証明していた。
想像していなかった状況に一同が放心していると、オクタヴィアが静かに先に進みだす。慌ててついていけば花畑の中に一本の道が走っていた。
その道を進んでいけば、たどり着いたのは巨大な神殿である。至る所にあるサメやカニ、イルカなどの海洋生物を模したと思われるオブジェクトが目立つが、アレサンドラたちにはその半分くらいしか種類は分からない。
しかし、神殿自体は邪神にふさわしい怪しげな雰囲気があるものの、周囲の花畑と合わせるとそれが軽減され、幻想的な光景を作り出していた。
正面の入口より中に進む。通路は薄暗く、小さな明かりが点々と灯っているだけだった。それに従うように先に進むと、荘厳な彫刻が施された巨大な扉がそびえている。
オクタヴィアが静かに扉を押すと、その中はかなりの大きさがある部屋が広がっていた。
部屋の奥は高くなっており階段もつけられている。その一番奥の中央、玉座の座るタコだけが明かりで照らされていた。
部屋に入ったアレサンドラは思わず息をのむ。
昨日、部屋で食事をしていた時とは明らかに雰囲気が違う。タコは腕を組みうつむいているようで、その表情は伺い知ることができない。それに、村で感じた時のようなプレッシャーを放っていた。
一同は何とか恐怖を押し殺してタコの前に進もうとする。しかし、今度は部屋に広がる闇の中から別のプレッシャーが感じられた。どうやらかなりの人数がその中に潜んでいるようだ。
わずかに人影のような物が見えたが、どのような人物が、何人いるのかまでは分からなかった。
王に謁見するように階段の前で一同は足を止める。オクタヴィアがそのまま階段を上りタコの横に付いた。そして、小声で何か話しかけるとおもむろにタコは立ち上がる。
玉座より数歩進み、一同にその姿がはっきり見えるようになると、タコは急に顔と触手を挙げた。
アレサンドラは思わず体がビクッと反応してしまったが、次の瞬間『パンッ』という音が部屋のあちこちから響き渡ると共に、辺り一体が眩しいほどの光に包まれる。
「ようこそ、伏魔殿へ! 私たちは皆さんを歓迎します!」
タコの大声が部屋に響く。それと共に、アレサンドラたちにはひらひらと紙吹雪が舞い降りてきた。何事か分からず一同が周りを見渡すと、人魚、妖精、人狼といった面々が、笑顔でこちらを見ながらクラッカーを向けている。
そして、タコはその手に持ったクラッカーをポイっとその辺に投げ捨てると、自慢するかのように触手を腰に当てて胸を張った。
「改めて自己紹介しておきましょう! 私は『潰えた祈り』邪神タコ! そして、こちらは我ら『アウトサイダー』幹部の三人です!」
すると、玉座の裏からレインとアイリスが姿を現す。オクタヴィアと共にタコの横に並ぶと、それぞれが自己紹介を始めた。
「『朽ちた翼』レインよ」
「んで、俺は『歪んだ牙』アイリスだ」
「えっと、『自由なる黒』オクタヴィアです」
レインは直立不動のまま、アイリスは少し姿勢を崩して指二本で敬礼する。オクタヴィアはきれいな姿勢で頭を下げた。
いまだに状況が飲み込めないアレサンドラたちは、無言でそれを聞いているしかない。だが、タコは階段をスルスルと降りてくると、一同に階段を上るように背中を押してきた。
階段の上に一同を並べると、部屋の面々に紹介するためタコは声を上げる。
「それじゃみんなー、この子たちは体験入学のアレサンドラちゃんと親衛隊のみなさんです。しばらくここで暮らしてもらうので、仲良くしてあげてねー!」
「はーい!」
先頭のちびイカトリオが手を挙げて元気よく返事をする。それ以外の面々も。拍手をもって一同を歓迎することを示していた。
アレサンドラたちも何とか頭を下げてそれに応える。
「はい、ではかいさーん。お疲れさまでしたー。ご協力ありがとねー」
タコの宣言と共に面々はゆっくりと部屋から出て行った。そして、いまだにほとんど硬直している一同にタコは優しく話しかける。
「んじゃ、サンドラちゃん。まずはお昼にしましょうか。その後は伏魔殿を案内してあげるからね!」
「あの、えっと、タコ様。今のは何だったんでしょうか?」
「え? 歓迎のご挨拶よ。昨日やらなかったでしょ?」
タコの「何言っているの?」と言った表情に何も言えなくなったアレサンドラの肩に、ぽんと手が置かれる。その固い感触に驚いて振り向くと、そこにいたのはレインだった。
先に聞いた時も思ったが、その声は恰好からは想像できないほど可愛らしい。
「あのね、このタコの言うことをいちいち真に受けると疲れるわよ?」
「そうそう、実害が無ければ気にしないのが一番だな」
「なによー! それじゃタコさんがいつも変なことしているみたいじゃん!」
そして、アイリスも加わり3人で言い争いを始めてしまう。その横でオクタヴィアがオロオロしていた。
どうしたものかとアレサンドラが考えていると、今度はその腰に誰かが抱きついてきた。視線を下げれば、ちびイカトリオの面々がこちらを見上げている。
「こんにちはー! 私はホタルなのー!」
「ナツメなのー!」
「ダンゴなのー!」
「「「よろしくー!」」」
「え、はい、よろしくお願いします」
「むー、お姉ちゃん元気が無いのー!」
「そんなときはご飯をいっぱい食べるのー!」
「一緒に食堂へ行くのー!」
ホタルはアレサンドラの手を取ると、そのままずんずんと連れて行こうとする。
勝手に行ってしまっていいのか心配していると、オクタヴィアがホタルたちの行動を伝えてくれたようで、慌ててタコたちもこちらに向かってきた。
食堂までの通路をちびイカトリオは元気に歌いながら案内する。
アレサンドラたちは魔族……正確には魔族ではないが、それでも人間以外の子供をこんな間近で見ることは初めてだった。何も思うところが無いかと言えば嘘になる。
しかし、彼女たちの行動は人間の子供と変わるところは無い。それに、その楽しそうな笑顔の前には何も言うことは出来ず、ただ付いていくことしかできなかった。




