1-28-2.暴走する悪意【霧竜守影姫】
隣では燕が不安そうな顔で、同じく雑居ビルの二階を見上げている。
卓磨はいないが、もう一つの力の受け皿である刀の鞘はある。燕を先に帰して私が行けば、全員とは行かなくとも何人かは助けれるかもしれない……だが、燕が帰宅を拒み付いてきてしまったらどうする……。
「ね、ねえ、あれ、映画の撮影か何かかな?」
そうであればどれだけいい事であるか。だが、そんなものではないと言うのは私には分かっている。
私は感じるのだ。間違いなく、今あそこで人が死に、何人もの命が事切れている。聞こえていた声の数からしてあの場にいるのは一人ではない。この間も、窓に付着する血の量は時々刻々と増していく。
「……」
見上げ目に入る光景に関して、燕の問いに答える事が出来ない。なんと言えばいい。
正直に今あそこで人が殺されているとでも言うのか。言ってどうなるというのだ。
出来れば巻き込みたくいない。どうすればいい。
「馬鹿野郎! 危ねーじゃねーか!!」
どうする事も出来ずに迷っていると、不意に後ろから怒鳴り声が聞こえた。見るとスーツ姿の一人の男が車に轢かれそうになりながらも、こちらを目指して走ってくる。
その男は野次馬を掻き分け現場に近づこうとしていた。だがそこには人の壁。黒山の人だかりが進路の邪魔をしてなかなか進めないでいる。
「すいません! 警察です! 通してください!」
私服警官か。
焦る表情を見せつつも、周りを蹴散らすその目にはどこか怒りを感じる。警察にどうにかできる代物ではないと思うが、ここは警察に任せるしかないか……。
私としても刃を大勢の人の目に晒し、目立った行動を取るのは控えたい。
「燕、今何時何分だ?」
私の問いに、燕はスマホを取り出し時間を確認する。
「四時五十分くらい……だけど」
やはりこの時間か。卓磨の予想も馬鹿に出来ないな。出現条件としての時間は確定だろう。しかしいつまでも同じ出現条件で出てくるとも限らない。
このままあの屍霊があの場を飛び出し暴れだしでもしたら……。万が一そうなった時は仕方あるまいか。
「燕、これ以上見るな。警察も既に来ているようだし私達はこの場を離れよう。ここにいては危険かもしれない。映画の撮影だったら良かったんだがな……」
燕の手を引く。
仮に外に暴れ出てきたとしたら、私だけではどの道ここにいる全員は守りきれない。ならば近しい人だけでも守らねばならない。
何もしないくせに興味本位で近づくのが悪いし、私としては見知らぬヒトを守る為に戦うと言うのは性に合わない。どこぞの有象無象が殺されようと知った事ではない。
「え、う、うん」
早急にこの場を離れて帰宅せねば。前に対峙した時より恐らく……いや、間違いなく凶暴化している。
私が無事だという事は卓磨も無事ではあると思うが、先が心配だ。警察に奴が退治されるとも思えないし、この後、卓磨の所に現れないとも限らない。
「影姉、あれ、なんだったのかな……?」
歩き出し少しすると、燕が問いかけてきた。
腕を引かれる燕の顔からはまだ不安の色が抜けていない。あんな光景を見せられれば不安になるのは至極当然の事だ。
「考えるな。関わらない方がいいし、忘れた方がいい。関わると不幸になる事もある。私は燕に不幸になってほしくない」
「で、でも、すごい叫び声聞こえたし」
「だからと言って私達に何かできる事があると思うか? できるのは警察の邪魔にならないよう、場を離れる事だけだ」
「それはそうだけど……」
「千太郎から聞いた。少し前に隣の家で殺人事件があったらしいな」
「うん……警察と消防に連絡を……私はそれ以上は……」
「それが正解だ。事件と言うのは無闇やたらと首を突っ込むものじゃぁない。私は燕が……家族が危険な目に合うのは避けたいんだ。だから極力関わらない様にしてほしいんだ」
「影姉……」
拭えぬ不安と焦る気持ちが交じり合う。
歩く足が無意識に速くなる。
今は急ぐしかない。




