1-21-1.影姫の正体【陣野卓磨】
静かな朝。窓の外からは雀の囀る鳴き声が聞こえてくる。
燕と影姫はもう家を出た。爺さんは朝飯を持って来てくれたきりで、その後はずっと階下にいる。何か知っている様子ではあるのだが、これと言って俺に何かを言う事はなかった。それは俺も同じで、必要以上にこちらから声をかける事はしない。交わす言葉も少なかった。
しかし暇だ。
スマホもダメ。パソコンもダメ。部屋にある漫画も読み古したものばかりだし、燕が持っている漫画は俺の趣味に合う様な物は無い。それ以前に部屋に勝手に入ったらまた喧嘩になってしまう。
朝から体を動かして、まだ戦いの痕跡が残る部屋の片付けをするにも体がだるい。
寝るしかないかなぁ、と思いつつベッドの上をゴロゴロするが、こういうときに限って眠りにつく事が出来ない。それどころか、横になってボーっとしていると、嫌な事ばかり思い出してしまう。
そんな忘れたい様な過去の失敗を消すかの如く、影姫の事を思い出す。
昨日聞いた影姫の素性だ。
二日前までの俺ならとても信じられない様な内容だ。だが、昨日の夢であって欲しいような出来事を経験したばかりの俺だ。影姫が話す全てを頭の中で否定する事は出来なかった。
世の中、不思議なことがあるもんだなぁ、と思うしかなかった。
信じるしかなかった。
◇◇◇◇◇◇
昨日の夕食の後の話だ。部屋に戻り片付けの続きをやり始めた影姫に俺は問いただした。気になる事が多すぎるから、少しでも解消したいと思ったからだ。
「私が何者か、だと?」
散乱した衣類を畳む手を止める影姫。そして姿勢を正すと不思議そうな顔でこちらを見る。
「私は私だ。先日食卓で話をした通りだ。お前の腹違いの姉弟で……」
「いや、そうじゃなくて」
嘘だ。あんな状況を俺に見られてそんな嘘がまかり通ると思っているのか。本心からそう思っているのならコイツは相当な馬鹿だ。だが、影姫はそんなに頭の悪い風にはとても見えない。
化け物が襲ってきた時の姿を見られて、まだシラをきるつもりか。逆に俺の頭が弱いと思ってそれがまかり通るとでも思っているのだろうか。それだったらかなり心外である。
「じゃあ、さっきの……あの、刀みたいな、なんていうの? 腕から出てたあれ、なんだよ。明らかに腕から生えてたよな。ほら、この辺から……」
そう言って自分の前腕の外側を指差しつつ影姫の方を見るが、依然済ました顔で「はて、何の事か」と言いたそうな顔である。
そう、着物の振袖を突き抜けて刀が生えていた。途中から蜘蛛の足の様な襷掛けで袖が捲くられ腕も見えたが、明らかにあの刃物は皮膚を突きぬけ腕から生えていたのだ。
そう思い影姫の腕を眺める。しかし、今見ると影姫の着物の袖はどこも破けていないし、縫い合わせた形跡もなければ、刃物がそこから出ていた形跡もない。かと言って、何処かにあの刃物を隠し持っているという様子も見受ける事が出来ない。
「刀? そんなもの持っていないではないか。気のせいだろ」
両手を広げてパタパタと振袖を揺らし、何も持っていないことをアピールする。
確かに振袖の中に何か硬い物が入っている雰囲気は一切無い。
だが、そうは言われるものの、気のせいで片付けられるような事柄ではない。「気のせい」ってのは返答に困った奴がよく言う台詞だ。
突然襲われて多少パニックになってはいたかもしれないが、俺はこの目でしっかりと見たのだ。
「何だその顔は。疑い深い奴だな。ほら、何もないだろう」
そう言って袖をめくって腕を見せる影姫。露わになった綺麗な白い肌には、刀どころか傷一つ無い。
穴は毛穴があるだろうが、そんな目にも見えないような小さな穴から刀が生えてくるとも到底考え辛い。
「えっ……うーん」
出された腕をジロジロと見ながら言葉に詰まっている俺を見て、影姫は小さく一つ溜め息をついた。
そして、訝しげな顔をしつつ戸惑っている俺を見て、どこか諦めた風に影姫が口を開いた。いや、諦めたと言うよりこれ以上隠すのも面倒臭いと言う雰囲気だろうか。
「まぁ、いずれはわかる事だしな。ずっと黙っている訳にもいかないだろう。むしろ、〝契約者〟として知っておいて貰わねばならない事もあるだろうし」
そういうと影姫は足元に丸めて放置されていた俺の制服を足に引っ掛けて遠くへ飛ばし、ローテーブルの前に腰掛けた。
戦いの際に盾にされたローテーブルは、よく壊されなかったなと思うほどに傷だらけである。そして、勢いよく蹴飛ばされた俺の制服はゴミ箱へとホールインワンした。
おい。
「そこに座れ」
自身の対面となる位置を見ながら、何か言いたげな俺に顎で指図する。
とりあえずゴミ箱から制服を取り出しベッドの上に置くと、影姫のご希望の位置に座布団を敷き腰掛けた。
「言えるのは私の記憶が残っている範囲の事だけだ。それ以外は質問されても答えられん。いいな?」
記憶が残っている範囲とはどういう事だろうか。記憶喪失にでもなっているとでも言いたいのだろうか。
しかし、爺さんとは何処か知り合いの様だったし、完全に記憶喪失と言う訳でもなさそうだった。
だから爺さんが引き取ってきたのだろうか。
「ま、まぁ、お前の言ってる事がどういう意味かよく分からんが……覚えてない事まで言えってのは無理だろ。そこまでは言わんけど、正直に言ってくれよ」
「ああ」
「じゃあ、まずは影姫が何者なのか教えてくれ。本当は父さんの隠し子とかじゃないんだろ?」
俺の言葉に影姫は真剣な眼差しで一つ頷くと口を開き始めた。
「うむ……。では、とりあえず私の名前からだ。まず、卓磨が予感している通り私は君の父親の隠し子でも何でもない。ゆえに私の姓は当然陣野姓ではない」
「だろうな」
「私が人として生まれた時についていた元々の姓と名は覚えておらんが、今の真銘は『霧竜守影姫』だ」
「き、きりゅうのもり……? 変わった名前だな」
「人名と言うより、刀の銘だな。私の身体は、人の肉と臓物を織り込んだ妖鉄を鍛え、数多の人間の血液でその妖鉄を急冷し、妖の刀匠が作り上げた人型妖刀だ。この地の人は私の事を『刀人』と呼ぶ。刀人は体の至る所から己の質に合った武具を生み出しそれで敵と対峙する」
「ほーん……あの腕から生えてた刀みたいなのか……」
「気の抜けた返事だな。本当に理解しているのか?」
まず、一気に言われても色々わからないし始めて聞く単語が多すぎる。とりあえず人間ではないらしいと言うのは聞いて取れたが、俺の想像の範疇を超えていた為に頭の中が纏まらない。
そんな悩む俺を見て、影姫は不満そうに口を開いた。
「今の私の説明で思っている事は大体分かる」
「人間じゃないんだろ?
「そう、そこだ。だがそれは違う、私は人間だ。元々人間と言った方が正しいのか。私が人間であった頃の肉や臓物、血を使ったのだ。だから私は人間であるし、多少の違いはあれど人間であり続けたいと思っている」
多少、だろうか。体から刃物が生えてくる人間など聞いた事が無い。だが、俺の心を見透かしたかの様に自分は人間であるという事を主張する。そして少し目を瞑り、続きを語り始める。
「しかし、〝妖刀〟という区分から分かると思うが、私自身は邪を滅し、邪を討つ様な霊験灼たか|な刀ではない」
「でも、ああいうのが出てきたら戦うことはできるんだろ?」
「……そう、私はあのような屍霊が出てきた時には刃を交え討伐しなければならない。それは私に課せられた義務であり為すべき事。……なぜかと言うと……」
非常に言いづらそうに顔を曇らせる。
「私の存在が、あの手の怪異を呼び寄せ生み出す一端を担っている場合が多少なりともあるからだ。もちろん、怪異の発生は私だけが起因するものではない。ただ私がいると付近の屍霊の発生を促してしまうらしい」
「らしい?」
「ああ……私も聞いた話なので詳しくは知らん。あくまで調査した結果だと言うふうに聞いている」
「聞いた? 誰から?」
「よく覚えてない……」
肝心な所が抜けている。話してくれた部分が肝心でない訳ではないが、影姫の素性ばかりでそれ以外の事が全く分からなかった。




