1-18-5.屍霊の正体は【霧竜守影姫】
最終更新日:2025/3/19
「そうだ、この声……聞いたことがある声だ。そう、そうだ……まさか、伊刈か!? 伊刈なのか!?」
卓磨が不意に屍霊の方を向き、声を掛けた。だが、屍霊はそれに反応しなかった。
「知っているのか!? 卓磨!」
「何か声がダブってて聞き取りにくいけど……そ、そうだ、その耳に垂れ下がってる眼鏡も見覚えがある。俺の元クラスメイトだ! 一年の時に虐められてて……自殺した! 何でこんなに!」
屍霊に卓磨の声は届いていないようだ。呼ばれた名前にも無反応で、無数の目があちらこちらを向き、何か呟き続けている。
「オトウサント、オカアサンニ、メイワクカケタクナイカラ、ワタシガコロスノ。ネ、イイデショ? シンデ? コロサレテ? イッショニイコ?」
部屋から出られない以上、倒すしか方法はない。だが、現状では明らかに劣勢だ。勝てる見込みはあるのだろうか。
完全に油断していた。自分が暮らすこの部屋でいきなり襲われるとは思っていなかった。
何が虫除けだ。中頭の虫除けはこの屍霊には全く効いていない。
もしかすると、この屍霊には特別な事情があって効かないのかもしれない。
「影姫! 何とかならないのかよ! 俺無理! マジで無理だから!」
うるさい! うるさいうるさい! 囮にもなれない奴が指図するな!
卓磨の他力本願な叫びに苛立ちが募った。だが、戦力差は明らかだ。今の私ではこの屍霊に勝つのは難しい。何か別の策を考えねばならない。
「ムリー。マジデムリダカラー。キョネンイジメラレテて、ジサツシタぁ~~あ~~~ぁ~~」
卓磨の声は屍霊の深層には届いていないようだが、耳に入っているのか言葉を反復している。だが、それが意味のある行動とも思えず、今はそれに構っている場合ではない。
見たところ、画面のヒビに引っかかってからそれ以上出てきていない。あれを壊せば何らかの効果があるかもしれない。
次に屍霊が攻めてきたら受けずに隙を突き、画面に一撃を加えるべきだ。
「伊刈! 伊刈だろ!? 俺は何もしてないじゃないか! やめろ! やめろって! こっちくんなぁ!」
卓磨の情けない悲痛な叫びは屍霊に届かない。
「イカリ! ヤメロ! ヤメナイヨー! イクヨ?」
大きく振りかぶった屍霊の両手に生える指が、うねうねと脈打ち、一気に迫り襲い掛かってきた。
足元にあったローテーブルを足で蹴り上げ、盾にしてそれを避けた。屍霊の顔に卓磨のフルーツタルトがベチャリと張り付いたが、相手は動じない。だが、視界が多少狭まった可能性はある。
「でぇりゃぁ!!」
ローテーブルを弾き飛ばして相手にぶつけ、横に回り込み、一瞬の隙を突いて画面に接近。刃を一気に突き立てた。
画面にヒビが広がり、割れていく。
もう一撃!
振りかぶり、もう片方の刃も突き立てた。バチバチと電子音が響き、中の電子部品が砕けて飛び散った。
「イヤアアアアアアアアアアアアアア!!!!!! ダーーーメーーーナーーーノーーー!!!」
それは一瞬の出来事だった。
画面が割れると同時、瞬く間に屍霊は画面へと吸い込まれて消えていった。
残されたのは砕けた画面と、所々に屍霊が残していった血痕である。
見回すと、血痕も徐々に色を失い消えていった。残った血痕はおそらく腕を切られた卓磨のものだろう。
窓の外も元の風景が戻ったようだ。
「や、やったのか?」
卓磨が安堵の表情を浮かべ、ドアを背にへなへなと座り込んだ。
「いや……」
逃げられたのか?
それとも出てくる場所を失い引っ込んだだけか?
どちらにせよ、消えた屍霊の血痕から判断するに、近くにはいないようだ。屍霊特有の瘴気も感じられない。
ドン! ドン! バタン! と、ドアが勢いよく開き、卓磨が吹き飛ばされた。
開いたドアの向こうには千太郎と燕が立っていた。屍霊が去った後でよかった。燕に怖い思いをさせてしまっては申し訳ない。
「ちょっと! ドンドンドンドンうるさいのよ! 何暴れて……って、何これ!?」
部屋を見て驚く燕。千太郎は何かを感じ取っているのか、目つきが厳しい。
燕が驚くのも無理はない。先ほどの戦いで部屋の物がひどく散乱している。まして、私が刃を突き立てた家電の画面は粉々に砕け散っている。
「えらい事になってるな」
千太郎も真剣な表情で部屋を見回した。千太郎は気づいているようで、私の方にチラッと視線を向けた。
何か言い訳をしておかねば。千太郎にはともかく、燕には心配をかけたくない。
「すみません。卓磨がその画面で卑猥なものばかり見ているので、少し喧嘩になりました」
壊れた画面と卓磨を交互にチラリと見る。
「えっ、ええっ!? い、いや、おい! 俺はそんな……! 違うだろ!!」
言い訳しようとしたが、咄嗟に卓磨の口を手で押さえ、口を塞いだ。ここでうなずいておけば済むものを、鈍感な奴だ。第一、屍霊の話を燕が簡単に信じるとでも思っているのか。
「もー! お爺ちゃん!! だから私は影姉がこの部屋で生活するの反対したのに! いくら部屋がこっちの方が広いって言っても、お兄ちゃん何するか分からないって言ったでしょ!?」
「いや、まぁ、パソコンのディスプレイももう、あんな感じじゃし大丈夫じゃろ。二度も同じ過ちは繰り返さんよ。なぁ、卓磨」
「ん? んん! んふっふっふ!」
口を塞がれている卓磨が何を言っているのか分からないので、私が代わりに答える。
「大丈夫です。私がきっちりと教育しておきました。この部屋の生活も暫くの辛抱だから、燕も心配しないで。私は大丈夫ですから。万が一何かあれば卓磨のアレを切り落とすまでです」
軽やかに笑顔を作って返した。なかなか良い言い訳だ。自分でも満足のいく笑顔だ。
千太郎はうんうんと頷いていたが、燕は「もういいよ!」と怒鳴り、なぜか顔を赤くして立ち去ってしまった。