1-18-3.迫り来る憎悪【陣野卓磨】
最終更新日:2025/3/19
ヒュッという風切り音から、ガキィンという激しい金属音が続き、目前に迫り来ていた触手が遠くへと弾かれる。
それと同時に、弾かれた触手から赤い液体が飛び散り、辺りを赤く染めた。
まばたきをする暇もなく行われた一連の動きに、俺は全く反応できなかった。だが、間一髪であった。身動きが取れなかった俺はその音の元が無ければ目を抉られていただろう。
「フオアアアアアア!?」
状況が頭に追いつかず、遅れて奇妙な声と共に椅子ごと転倒してしまった。
恐怖に襲われ、声が「うわああ」や「ぎゃああ」といった劇的なものにならず、ただ口と鼻から漏れる情けない音だけが響いた。
床に転がりながら見上げた光景は、現実とは思えないものだった。
目に映るのは、伸びた触手とその根元にある不気味な手。
それが、今まで見ていたパソコンディスプレイから伸びている。手の平にあるギョロリと見開かれた眼球は、俺を仕留められなかったことに対して対して恨めしそうに影姫を見ている。
その眼球の奥に、どこか見覚えのある気配を感じ、俺の心に寒気が走る。
それに対峙する影姫の右腕の前腕からも刀のような物が伸びている。
刀の刀身は、下半分が半月型をしており、上半分は普通の刀のように若干の弧を描いている。半月部分から横向きに刀の柄が出ており、それを影姫が握っている形だ。先ほどの金属音の正体はこれだろう。
そんな影姫を唖然と見ていると、影姫の背中から黒と黄色の縞模様、まるで女郎蜘蛛の足のような物が伸びて生え、着物の裾を巻き込み襷掛けのように着物を捲り上げる。
一体どうなっているんだ。何なんだ。何が起こっている。
「避けろ!卓磨!」
俺がわけも分からずあたふたしていると、ディスプレイから生えている手から伸びた触手のような指が、ぐるぐると部屋の中を駆け巡りながら俺に襲い掛かろうと身構えている。
動きが非常に速い。俺にこれを避けられるのか。いや、避かないと殺される気がする。これは第六感というものか。視線が再び俺に移された手の平の目玉から、俺に向けられた殺意がビンビンと伝わってくる。
「な、何!? 何!? その刀?? この触手何!?」
俺は身動き一つ取れずに、気になったことを口走るしかできなかった。
まさに錯乱状態だ。今まさに殺されようとしているのに、逃げるという行動が取れない。
影姫はそんな俺の問いに答えることもなく、あたふたする俺を見て眉を顰めると、腕から伸びた刀で応戦しようとする。しかし、伸びた手はそれをすんでのところで交わして俺に爪を向けてきた。
「ひぃっ!?
反射的に身を翻し、震える足を何とか動かし、床を這いずりながらそれを紙一重で避ける。
だが、完璧に避けたつもりが、迫り来る爪が腕を少しかすってしまった。
「痛ッッッッッ!!」
上腕に切り傷。裂けた服に血が滲み、染みる痛みが腕を駆け上ってくる。
自分の血が視界に入ると、『死』という言葉が現実味を帯びてくる。頭に波のように恐怖が押し寄せ、奥歯が小刻みに震え、ガチガチと音を立てて頭を振動させる。
「なななななな、何だんだよコイツ!!」
声も震え、理解不能な状況に恐怖が加わり、噛んでまともに喋れない。
それでもなんとか痛みを堪えて影姫に質問をぶつける。それしかできない。頭が回らない。
今まで生きてきた中で現実に見たことのない状況だ。ホラーの映像作品では似たような場面を見たことがあるが、あれは作り物にすぎない。
今目の前に広がる光景は、実際にディスプレイから手が伸びている。そして、その手をたどり視線をディスプレイに移すと、ディスプレイには割れた頭から無数の目玉を覗かせる化け物の顔が映っている。
「ひっっ!」
その顔に頭にあるすべての目玉が俺の方を凝視している。逃さないと言わんばかりの視線が、俺の恐怖をさらに増幅させた。
「卓磨がその黒い画面を見ていた時から……いや、卓磨が帰ってきた時からなにやら臭うと思っていた。卓磨も臭いがそれ以外のキナ臭さ! 卓磨お前、何かを連れてきたな!?」
いや、俺は臭くない! という言葉は咄嗟に出なかった。
軽く貶されたが、そんなことを考える余裕はない。俺は何も連れてきていないし、連れてきた記憶もない。朝から学校に行き帰宅するまで、何も異常はなかった。
今日に限らず、これまでこんなものに付きまとわれた覚えはない。
画面内のそのものの目玉が、グルグルと部屋中を見回し、突然一点に集中した。
視線の先は影姫。俺を攻撃するのに影姫が障害だと判断したのか、無数の視線を彼女へ向けた。
そして徐々に……徐々に……
「……!?」
その光景に目を疑った。手がディスプレイから出ている時点で予想はついたが、化物が画面から出てきた。
バチバチと青白い電気がディスプレイを這い、三次元の立体として浮かび上がる。画面から這い出しながら、化物の左手は影姫への攻撃を続けている。割れた頭から覗く無数の目が、影姫を凝視している。
部屋に金属音が何度も響き、影姫と化物の攻防が続く。
「に、逃げっ……! ひぃっ!」
弾かれた爪がこちらにも飛んでくる。俺には当たらないが、部屋の家具を次々と傷つけていく。
よく見ると、化物は霧雨学園の制服を着ている。だが、その制服は頭から流れ出た血で赤く染まっており、所々どす黒いしみとなって本来の色を著しく侵食している。
誰だ、こいつは。いや、何だ。
訳が分からない。嘘だろ、夢なら覚めてくれ。
俺の頭に、伊刈の死や目玉狩りの噂が交錯し、この化物がそれに関係しているのではないかという恐怖が広がる。
身を縮めて震えていると、影姫がブツブツと呪文のような言葉を唱えているのが聞こえた。
化物の触手を弾きながら、何かを唱え終えると、刀の無い方の手を化物に向け振りかざす。
「火迅術式、火ノ四項・蒼炎!!」
影姫が叫ぶと、手の平からボフッと情けない音と共に青白い煙が湧き、虚空に消えた。
「なっ!?」
影姫自身が驚いた表情を見せる。
その間も、化物はディスプレイからジワジワと這い出し、体の支えで攻撃の手が緩むが、這う速度が上がる。影姫は降りかかる爪を弾き返す。
「ナァンデミルノ? シニタイノォ? ナンデカクノォ? コロサレタイノ~?」
化物がボソボソと呟きながら、デスクの物を掻き分けて這い出す。
ガラガラと音を立て、キーボードやマウスが床に落ちていく。
「卓磨お前! 術とか精神の修行はしてないのか!?」
「はっ!? な、何の事……」
影姫が慌てて問いかけてくるが、意味が分からない。
術? 修行? 漫画や小説で見たことはあるが、実在するのか?
こんな状況で冗談を言っているのか?
「卓磨!お前……!! 一般人なのか!?」
一般人?
何を言ってるんだ。普通の一般人だよ!
影姫の意図が全く掴めず、この状況をどうにもできないのは確かだ。
逃げる……逃げるしかないのか? 影姫を盾に……。
だが、俺の心には、掲示板に書き込んだことがこの化物の出現を招いたのではないかという後悔が渦巻いていた。
 




