5-43-1.九条の日記【七瀬厳八】
九条の部屋に日記があった。几帳面に、短い記述の日も多々あったが、毎日欠かすことなく書かれていた。
幼少の、両親が死んだ辺りの頃から……。
3月22日
今日はすごく気分がいい。
伊刈早苗が自殺した。うまく行けば儲け物だろう程度に思っていた事が、こんなにうまく行くとは思わなかった。伊刈夫妻は苦しむだろう。時分の大切な人が死ぬという事がどれだ悲しいという事か実感するだろう。自分達が過去に犯した過ちを悔いるといい。金に釣られたおろかさを悔いるといい。これで母さんが笑顔を見せてくれるとは思えないが、僕の心は雲一つない青空のように晴れ渡った。
今まで何人もの人を腐った世の中から助けてきたが、自分の心を救うという事がこんなにすがすがしい事なのかと実感した。
次は天正寺憲明だ。家族を一人ずつ送って、苦しみと悲しみのどん底に叩き落してやる。
(中略)
4月24日
昨日、屍霊となった鴫野に出くわした。綺麗だった。人は世界から解放されると、何にも縛られる事のないあんなにも素晴らしい姿へと生まれ変われるのか。願わくば、僕も死んだら屍霊になりたい。
鴫野には悪い事をしたとは思っているが、僕の愛情に気付かなかった彼女が悪い。だが、結果魂が解放され、母娘揃って素晴らしい姿になれたのだから、感謝している事だろう。
(中略)
5月16日
全く予定外の事がおきてしまった。天正寺憲明が屍霊に手によって殺されてしまった。だが、調べた情報によると先に飯塚と宮崎が殺されたらしい。この二人といえば天正寺の不祥事を隠すためにいつも動いていた腰巾着だ。天正寺が父さんを殺した時の後始末や、僕の母さんを殺した時に戦邊夫妻を使って目撃者の伊刈夫妻に金を積んだのもこいつ等だ。天正寺も、屍霊を目の前にしてさぞかし、そこはかとない恐怖を味わった事だろう。
当初の目論見通りには行かなかったが、素晴らしい物も手に入れたし、結果的にはよしとしておこう。
(略)
最後の一文は日付もなく書きなぐられている。
美濃羽がコソコソと誰かと話をしているのを聞いた話だと、僕は近々死ぬらしい。一体どんな死に方をするのか楽しみである。恐怖や不安はない。僕はやっとこの世界から救われるのだ。僕に心残りや悔いはない。だから、今までの経験からすると僕は屍霊になれないのだろう。ないとは書いたが、仮にあるのだとしたら自分が屍霊になれないということだけが残念な事だ。
―――クソみたいなヤツ等の好奇の目に晒され羞恥を味わうくらいなら死んだ方がマシか。
しかしどうせ死ぬならやりたい事をやって死のう。 証拠はいくらか残してきた。彼等なら必ず突き止めてくれる。楽しみで仕方がない。
僕が死んだら多くの事件は僕に押し付けられるだろう。汚い不条理な事件まで押し付けられるのは癪だし納得はいかないが、何年か世話になった組織だ。そのくらいの楽はさせてやるさ。先輩にも世話になったしね……。
最近の事も細かく記されている。昔から未解決となっていたいくつかの事件の証拠となるには十分なものだった。日記だけではない。部屋にあったノートパソコンからは、吐気のするような動画や写真が大量に見つかったのだ。
今思えば、目玉狩り事件の時の九条の様子、明らかに死体を見慣れている風だった。俺はそれを怪しむべきだったのかもしれない。今更そう思っても遅いことには変わりはないが、俺がその時そうしていて何かしらの行動を取っていたら被害者を少しでも減らせたんじゃないかと思うと悔やまれる。




