5-42-2.銃声【陣野卓磨】
ナイフを手に持つ九条の手が目の前に迫っており、刺されると覚悟した瞬間、突如鳴り響く銃声。
目の前で金属音と共に火花が飛び、九条が右手に持っていた赤いナイフが弾かれ飛ばされた。
俺の目の前で、声も無く表情を失い、自分の手元から森の中へと視線を移す九条。動きを止めて眼を見開き、その銃弾が飛んで来たであろう視線の先を凝視している。
「調子に乗んなよカス野郎が。って、足ぃ狙ったんだがな」
「……」
あまりの突然の事に驚いたのか、九条が言葉を失っている。
だが、驚いたのは俺も同じだった。援護が欲しいとは思っていたが、まさかこの人が来るとは思っていなかったからだ。
「テメェにやられた傷がまだ痛ぇし、やっぱ俺は射撃は駄目だな。ま、結果オーライってとこか」
声の聞こえた方を見ると、森の木陰から一人の人物が姿を現す。そこに立っていたのは七瀬刑事だった。銃を構えて銃口をこちらに向けている。九条の事に集中しすぎて、人が近寄ってきていることに全く気が付かなかった。それは九条も同じであったようで驚きが隠せないでいる。
「先……輩……」
九条が七瀬刑事に気を取られている。
「ゾンビみてぇな血まみれの奴等から逃げながらこの変色した森をさ迷って見れば、聞き覚えのある声がするじゃねぇか。んで、来て見ればってとこだな」
「生きてたんすか……。よくあの傷で生きてましたね」
「あぁ、生きてたさ。ま、死ぬ一歩手前までは行ってたがな」
「やっぱり、トドメを刺しとくべきでした。いい所で邪魔をされるなんて」
「どうやら、最近の俺は悪運が強いらしいな。目玉狩りの時といい、そのまま死んだ方が楽だったかもしれねぇのによ」
九条の意識が俺に向いていない今しかない。
「心配しなくても、この場できちんと殺してあげますよ。今度は確実にね。バラバラにして二度と口も聞けないようにしてあげます。でも、僕の邪魔をしたんだ。美しい作品になれるなんて思わないで下さいよ」
「言ってくれるね。俺がそうやすやすと殺されると思ってんのか。怖い思いをした娘の分まできっちり返させてもらうからな」
七瀬刑事の言葉を聞いて九条が一瞬顔を顰める。
娘、とは菜々奈の事だろうか……。いや、今はそんな事を考えている場合ではない。
「……僕を殺すつもりですか? ハハッ。出来もしない事を」
「殺しゃしねぇよ。テメェにはきっちりと檻ん中で反省してもらわにゃならんからな。全部の罪合わせて懲役五万年位じゃねぇか? これから楽しみだよなぁ?」
七瀬刑事が会話を長引かせようとしているように感じる。九条はまだ左手にナイフを持っている。九条の近くにいる俺に逃げろと言っているのだろうか。
だが、逃げる訳にいかない。七瀬刑事は九条の〝力〟を恐らく知らないのだ。月紅石のナイフが手から離れている今はどういう状態になっているのかは分からないが、俺が逃げた所で七瀬刑事が殺されてしまう可能性が高い。それどころか、俺も追いつかれてすぐさま殺されるだろう。
今やるべき事は一つである。誰にでもなく頼むだけじゃ駄目なんだ。覚悟は出来ている。俺がやらないといけない。伊刈、鴫野、俺に、力を。俺の月紅石、俺にコイツをしばき上げる力を貸してくれ。
「えらく自身満々っすね。僕を生きて捕まえられると本気で思ってんすか? 今まで一緒にいて何一つ気付かないほどドン臭かったくせに。笑いを通り越して呆れ……」
更に祈りを込めると、数珠に付いた月紅石から流れ込んできた意識の中に一人の女性の姿が垣間見えた。
エメラルドグリーンの瞳をした何処かの民族衣装のような衣服を着た女性。
その人の名前を俺は知っていた。
〝過ちを繰り返す者には罰を。悪しき心の浄化を〟
そして声が聞こえてきた。
まるで川のせせらぎのように澄んだ透明な声。
「そうだ、父さんの手記で読んだ……この月紅石を作った人……名前は確か……」
凝視してその名前を頭に刻んだ訳ではない。だが、頭の中にはハッキリとその名前が浮かんできた。
「リーゼロッテ・グリム」
俺がその名を呟き口にした途端、数珠についていた月紅石が紅く光り輝く。
それに気がついたのか、九条は喋る口を止め、視線をゆっくりと七瀬刑事からこちらに戻した。
月紅石から溢れ出した光が、閃光のように伸びて俺の両腕を包んでいく。それが徐々に形を模っていき、その姿が目に入ってくる。
〝赤き衣を纏いし主を守る篭手、『紅衣ノ篭手』〟
両手には辛苦に染まった長い布に包まれた真っ赤な篭手。
〝悪しき心を見抜き闇に染まる魂を切り裂く刀、『奇刀・目玉狩り』〟
俺の右手には、幾つもの目玉が剥き出しになりギョロギョロと辺りを覗く禍々しい容貌をした刀が握られていた。
紅衣ノ篭手に奇刀・目玉狩り……。聞こえてきた声はそう言っていた。
「なんだそれは……? お前、まだそんな……」
九条が目を見開いてこちらを見ている。
二つとも見て分かる。この刀は目玉狩りの力、この篭手は赤いチャンチャンコの力だ。それに、この二つを装着されたと同時に、体に何とも言えない力が沸き上がって来るのが全身で感じ取れた。
「チッ……!」
九条がすかさず左手に持っていたナイフを此方に突き出してきた。だが、手に装着された篭手から伸びる紅い布が円を描き盾になると、硬質化しナイフを弾き飛ばした。まるで、武具となった屍霊が意思を持って俺を導いてくれているかのように体が動く。
武具だけじゃない。まるで、俺達三人の意識が共有されているような不思議な感覚が頭にある。
そして、すかさず俺の手に握られた目玉狩りから放たれる斬り返し。
九条は咄嗟にギリギリで身を翻してそれをかわすと、紅いナイフの飛ばされた方へと飛びのき、落ちていた指輪を拾うと再びナイフを出現させた。
「動きがさっきまでと全然違うね。こんなにギリギリまで隠しておくなんて、君もいけずだね……。いきなりだから手元が狂っちゃったよ」
九条の着ていた服が胸元から腹にかけてはらりと捲れ上がる。そして、そこから少し血が滲み出す。どうやら、先程の斬り返しの剣閃が僅かに九条の体をかすっていた様だ。
「じ、陣野君、それは……!?」
七瀬刑事もこちらを見て驚いている。正直、俺自身も驚いている。七瀬刑事が助けてくれたという安心感から一気に冷静になりこれを発現させる事が出来た。
「七瀬刑事、この人は特殊な武器を持ってます。後は俺がやります」
「し、しかし!」
やれる。やれる気がする。
父さんもきっと力を貸してくれているんだ。今の俺なら……っ!




