1-16-2.あの日の謝罪【陣野卓磨】
最終更新日:2025/3/17
まだ少しだるい体を引きずりながら校門を出ると、校門脇に桐生が立っていた。
彼女は俺たちを見つけるや否や、チラチラとこちらの様子を窺うような視線を送ってきた。その視線には、どこかためらいと期待が混じり合い、静かな緊張感を漂わせていた。
その態度が気になりつつも、桐生が特に話しかけてくる様子はない。通り過ぎようとした瞬間、彼女が何か言いたげに近づいてきた。
ひょっとすると、俺たちを待っていたのだろうか。俺はそんな疑問を抱きながら、足を止めた。心の中で、彼女の行動に隠された意図を模索する。
「あ、あの……」
桐生が申し訳なさそうに呟くように声を掛けてきた。
視線は俺や霙月に向けられたり、別の場所に逸らされたりと、落ち着かない様子が伺える。彼女のその動揺が、なぜか俺に軽い不安を与えた。
彼女がここで待っていた理由は何か。俺が起きるのを待っていたわけではなさそうだ。声を掛ける相手が霙月である可能性が高いが、俺や友惟に用事があるとも考えにくい。
「ん? あー、桐生さんだっけ?」
友惟がどこか訝しげな表情で桐生を見ている。
彼は桐生と同じクラスになったことはないはずだ。話をしたこともほとんどないだろうに、何かあったのだろうか。俺は友惟の反応に首をかしげつつ、状況を見守った。
「あれ、千登勢ちゃんどうしたの?」
霙月が桐生のおどおどした様子を見かねて、優しく声をかけた。
桐生は伏目がちに、時折視線をこちらに向けてはまた逸らし、落ち着かない様子を続けている。彼女の内面の葛藤が、言葉以上に伝わってくるようだった。
「ちょっと、話したい事があって……その……」
桐生の声はますます小さくなり、目線も定まらない。
霙月は困ったように友惟と目を合わせ、再び桐生の方に顔を向けた。霙月の優しさが、この場に穏やかな空気を運び込む。
何だろう。待ち伏せまでして伝えたいこととは。俺には心当たりがない。やはり霙月に用事なのだろうか。
桐生の行動が単なる偶然ではない何かを感じさせ、俺の心に微かな疑問と不安が芽生えた。
「烏丸さん、お昼はすぐにどっか行っちゃったし、あの、他の二人は話す隙がなかったから……」
意を決したように口を開く桐生。しかし、その言葉も途中でまた口ごもってしまう。
霙月が桐生の言葉から何かに気付いたのか、彼女に声をかけた。彼女の鋭い観察力が、この場面に新たな展開をもたらす。
「昨日の喫茶店の事だよね……ごめんね」
霙月が申し訳なさそうに桐生に謝る。
その言葉に、俺は首をかしげた。昨日の喫茶店の話とは何だろう。俺もその場にいたはずだが、謝るような出来事があっただろうか。友惟はそもそもその場にいなかったので、何のことかさっぱりわからないだろう。
「え……」
霙月に先手を打たれて驚いたのか、桐生がハッとした顔で霙月の顔を見た。
彼女の反応が、過去の出来事の重みを物語っているようだった。
「何かあったっけ?」
俺には思い当たる節がないため、霙月に尋ねるしかない。
自分の記憶の曖昧さが、状況をさらに複雑にしていることを感じながら。
「卓磨、気付いてなかったの? 伊刈さんの話をしてる時、桐生さん肩震えてた。泣いてたんだよ」
「え、そうなの?」
霙月が小声で教えてくれた。
俺は霙月の隣に座っていて、七瀬と兵藤越しに桐生の姿をチラチラ見ていたが、そんな様子には全く気付かなかった。霙月の言葉を受けて、桐生は無言のまま目を丸くし、口が少し開いた状態で固まっている。言い当てられたことに驚いているのだろう。
そうか。俺はあの時、ただ面倒くさくてあまり喋らなかっただけだった。
だが、霙月は桐生の様子に気付き、兵藤と七瀬の話にあまりコメントしなかったのだろう。彼女の気遣いが、改めて俺の心に響いた。
「私だって、大切な人が悪い風に言われてたら悲しい気持ちになる。でも、あの二人も悪気があっての事じゃないと思うから……。私もあの場にいて止める事が出来なかったし、声を大にして許してなんて言えないけど……ごめんね」
霙月が申し訳なさそうに語る。
そうだったのか。桐生は伊刈の幼馴染だったと霙月から聞いた。だが、そうなると俺には別の思いが浮かぶ。去年、なぜ伊刈の助けになれなかったのか。同時に関係者の標的にされるのが怖かったのだろうとも思う。それは俺も同じだ。手を差し伸べなかった皆がそうだった。桐生だけを責めることはできない。
「ああ、すまん。俺からも謝っとくよ。あの時は桐生さんと伊刈さんが幼馴染って知らなかった……って言ったら言い訳になるか。とにかく、あの二人も、今日はもう、その話してなかったからもう飽きたんだと思うぞ。次にその話しだしたら霙月に止めさせるよ。変に噂が広がっても気分悪いだけだしな」
正直、俺が言って話を止められる二人ではない。そもそも、人を注意するような気概もない。
だが、霙月の言うことならあの二人も聞くかもしれない。七瀬はどうか分からないが、兵藤はこういうところはしっかりしているらしい。注意が入れば、この話題は出さなくなるだろう。
「ありがとう……私、何か勘違いしてたかも。私、早苗ちゃんが苦しんでるの知ってたのに、自分の事ばっかり考えてて、早苗ちゃんの助けになることができなくて、それで後悔しかなくて……あれから何を聞いても悪い方向にしか考えれなくて……うっ……」
桐生が肩を震わせ、目を潤ませる。
遠目で見れば、三人で囲んで泣かせているように見えないかと、俺は少し心配になった。
「喫茶店の話は……私も注意していい話だと思う。亡くなった人の事をあんな風に言うのは良くない事だと思うし……それに、誰だってそうだよ。気分が落ち込んでる時は悪い方向に考えちゃう。私だってそうだもん」
霙月が慰めるように語りかける。
確かに、俺もそうかもしれない。気分が落ちている時は、引きこもって情報を遮断するのが一番だ。あくまで俺の場合だが。
「霙月も、さっきまでそれでわーわー泣いてたもんな。たっくーん、たっくんが死んちゃうーっつって、鼻水たらしながら」
友惟が笑いながら横から口をはさむ。
「もー! 人に言わないでよそんな事! それに鼻水なんて垂らしてないでしょ!」
霙月が顔を赤くして怒り、友惟にパンチを繰り出す。
友惟はそれをすんでのところでかわすが、霙月のパンチは意外と速度があり、当たれば痛そうだった。確かに目覚めた時には鼻水を垂らしてはいなかったが、俺のハンカチに霙月の鼻水が包まれているのは事実だ。
「イー!」と怒っていた霙月だが、桐生のことを思い出したのか、慌てて平静を取り戻す。
「と、とにかく。もう、いつまでも落ち込んでちゃだめだよ。伊刈さんだって、千登勢ちゃんがいつまでもそんなだったら心配すると思うよ? 前に千登勢ちゃんが伊刈さんの話をしてくれた時、すごく楽しそうだったし、私はそっちの明るい千登勢ちゃんの方が好きだな」
「うん……でも、まだ気持ちの踏ん切りつかなくて……早苗ちゃんにごめんって伝える方法があれば伝えたいくらい……」
「時々思い出してあげるだけでも伊刈さんは喜んでくれると思うよ。ねぇ、今日は途中まででも一緒に帰ろうよ。また千登勢ちゃんの話聞きたいな」
霙月の言葉に、俯き加減だった桐生の表情に少し明るさが戻った。
桐生にとっても、それは嬉しい申し出だったようで、喜んで承諾してくれた。そして四人は帰路についた。
他愛もない話をしながら、それぞれの家へと足を向ける。
楽しそうに会話する霙月と桐生を見ていると、俺も気分が少し楽になった。とはいえ、こういう賑やかさにはどうも慣れない。
だが、この後、経験したことのない恐怖が俺を襲うなど、思いもしなかった……。




