5-38-2.無理はしない【陣野卓磨】
思い浮かんだ人物は一人しかいなかった。
九条春人だ。その人物像を思い出した瞬間、同時に記憶の中で見た映像を思い出して全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
捜査一課の課長は「相手は人間」と言っていたが、監察医のメモの事もあるし、蓮美の話している事が事実なのだとしたら警察の人達が危ない。屍霊一体でも危ういのに、屍霊三体も相手にして無事でいられる訳がない。
そして、影姫だけを行かせるわけには行かない。万全の状態で対抗する為にも、俺も行かないといけない。
でも、怖い。伊刈や鴫野がいると言っても、俺自身は記憶を見るだけで戦う能力なんてこれっぽっちもない。貴駒峠横の山林みたいな見通しの悪い場所に俺なんかが乗り込んで行って、今までのように無事戻って来れるなんて保障も何処にもない。
行かないといけないと言うのは分かっているが、どうしても迷いが出てしまう。
ふと、家の方を見ると影からこちらを見ている燕の姿が目に入った。心配そうな視線でこちらを見ている。状況が状況だけに、何の話をしているのかは大体察しはついているだろう。
俺が行って屍霊に殺されれば燕を悲しませる事になる。かと言って、俺が行かずに影姫がやられれば結果は同じだ。どちらにしても悲しませる事に変わりはない。今なら或谷組や警察の協力もある。この時を逃しては駄目だ。自分自身にそう言い聞かせる。
「なぁ、蓮美。その、人間って誰か分かってるのか?」
「ええ。見覚えがあったから調べたら、警察の人間だったわ。管内の警察の人間は大体把握してるから名前とかもすぐ分かった。霧雨署捜査一課の九条春人巡査長ね。送られてきた写真も解像度上げて解析したから間違いないわ。まさか警察の人間だったってのは予想外だったけどね」
それを聞いて、色々な思いがこみ上げてきた。これから俺がそこに向かうとなると、伊刈や鴫野も九条と対面する事になるだろう。警察では二人を表に出さなかったから、俺が見た記憶が何処まで二人に伝わっているかは分からないが、もし伝わっているのだとしたら……。
「すいません、あの、今の話は本当なの? 見間違いでは……」
「ん? アンタ誰よ」
今まで黙って話を聞いていた鬼塚が一歩前に踏み出し、蓮美に対して急に声をかける。
それに対して蓮美が不審な目を向ける。
「霧雨署刑事部捜査一課の鬼塚です。その、今聞いた話、俄かには信じられないのだけど……」
「あー、九条の同僚さんね……。ま、警察なんてアテにしてないから、アンタが信じる信じないなんてどっちでもいいわよ。ただ私はこの目で見た真実を言っただけ。お仲間さんが敵側にいるなんて信じたくないでしょうけどね」
「……」
鬼塚は蓮美にそういわれて黙ってしまった。警察署の時もそうだったが、この人は九条を信じたいと言う気持ちがまだあるのだろう。
「……急いで署に戻るわ。屍霊が関係しているとなると対応を変えないといけない。現状、署の方は九条巡査長は単独で行動してると思ってるだろうし。あなたの話が本当ならば、早く伝えないとまた犠牲者が増えてしまう」
「その方がいいかもね。警察なんかが何の策も無しに屍霊相手に突っ込んだって無駄死にするのがオチだし」
蓮美は興味なさそうに鬼塚に返事をした。鬼塚はそんな蓮美を見て少しの不快感を表すと、何を言い返すことも無く急いで車に戻り霧雨署の方へと引き返して行った。
「卓磨、お前はどうするんだ」
影姫と蓮美の視線がこちらに向いている。もう、迷っている暇はない。家族を守る為、街の人を守る為に少しでも高い戦力で向かうしかない。
「行く。俺も行くよ。でないと、影姫が存分に戦えないだろ」
「上出来だ。急ごう。詳しい話は車の中で聞く」
そう言いそそくさと車の方に歩いていく影姫。それに頷き後に続く蓮美と立和田。
「ワシが行ければいいのじゃが……卓磨、無理はするなよ。いざとなったら逃げる事も大切じゃからな。絶対に影姫の傍を離れるなよ」
最後に言葉をかけてくれる爺さん。引止めの言葉は無かった。昔からこういう状況には鳴れていると言う所なのだろうか。
「分かってるっよ。俺が無理をしないのは爺さんが誰よりも知ってるだろ」
「やれやれ、そうじゃな」
玄関の方を見ると、燕の姿はもう見えなくなっていた。アイツには心配をかけるが、必ず戻ってくる。フラグとかじゃなくて必ず戻ってくるからな……。




