1-15-5.本忠春香の挙動【桐生千登勢】
最終更新日:2025/3/14
〝早苗ちゃん! 早苗ちゃん!!〟
叫ぶ声は声にならず、自分の頭の中だけに木霊する。
扉に阻まれて見えないはずの早苗ちゃんの後ろ姿が眼前に浮かぶ。そして、倒れるように屋上の縁から消えていく。
私の声に応えてくれることもなく、私の方に振り向いてくれることもなく、私の目の前から消えていく。
〝早苗ちゃん! 駄目! 行っちゃ駄目!〟
声が出そうになったその時、私の体も高い場所から落ちるような感覚を覚え、ビクッと身を震わせる。それと同時に、机と椅子がガタンと音を立てた。
周囲からクスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。どうやら昼食を食べた後、自分の席でうとうとと寝てしまったらしい。
顔が少し熱くなっているのが分かる。恥ずかしさからそのまま俯き、再び寝たふりをする。
早苗ちゃんの夢、最近やっと見なくなったと思っていたのに、なぜまた見てしまったのだろう。
新学期が始まって学校に来るようになったからだろうか。
あの時、ただ扉を開けようとするだけではなく、夢の中の私の様に大きな声を上げていれば、早苗ちゃんに声が届いて、飛び降りなかったかもしれない。そう思うと、後悔だけがただただ残る。
だが、どれだけ後悔したところで、早苗ちゃんが戻ってくることはない。そう思うと、再び大きな悲しみが押し寄せてくる。
「うっ……」
思い出すと肩が震え、涙が溢れてきてしまう。早苗ちゃんはきっと私のことを怨んでいるはずだ。
助けるどころか相談に乗ることすらしなかった私を。
時折目が合った時、早苗ちゃんはどういう思いで私のことを見ていたのだろうか。
「ちょっと、どうしたの、千登勢ちゃん。泣いてるの?」
自分の席で俯き、肩を小刻みに震わせていると、不意に話しかけられた。
「え……?」
「調子悪いの? 保健室行く?」
それはクラスメイトの本忠さんだった。隣には廣政さんも立っている。二人とも去年同じクラスだった生徒だ。
「ううん、大丈夫。ちょっと、思い出して泣いちゃっただけだから」
慌てて手で涙を拭い、机に落ちた数滴の涙もハンカチで拭き取る。
「なんだー。てっきり昼ごはんに当たって食中毒にでもなったのかと思ったよー。あはは」
「思い出して……はは。ねー」
あっけらかんと安堵の言葉を漏らし、笑顔を浮かべる廣政さんとは対照的に、本忠さんが浮かべる作り笑いの裏には、少し陰りが見えた。
「あ、あのさ。何を思い出して泣いてたか知らないけど、元気出しなって。学校で一人メソメソ泣いてたら恥ずかしいよ?」
本忠さんは中学も一緒だったから、私と早苗ちゃんの関係を知っている。だから、私が何を思い出して泣いていたのか、おおよその察しがついたのだろう。
しかし、それを察した陰りの浮かぶ表情には、ただそれだけではない何かがある気がした。
「うん」
少し不審に思いながら、返事をしつつ本忠さんの目を見る。
私が真っ直ぐ目を見ると、彼女は少し視線を逸らした。
「まー、大丈夫なんだったら問題ないよね。もう休憩時間も終わるし、席に戻ろ、恋ちゃん」
「え? あ、うん。まぁ、一人で何か悩んでてもしゃーないし、ウチらに話せる相談だったら相談してよね」
顔を見上げながら目を見る私を避けるように、本忠さんは廣政さんを連れて自分たちの席に戻っていった。
そのよそよそしさに違和感を感じた。
彼女は早苗ちゃんの自殺について何か知っているのではないか。
だが、彼女が天正寺たちの虐めに直接加担しているところは見たことがないし、そんな話も聞いたことがない。
虐めに直接加担していたわけでもない彼女を問い詰めるような勇気は、私にはなかった。今の関係を壊したくない。一人になるのが怖かった。