5-29-6.伊刈と九条①【伊刈早苗】
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職員室から無断で屋上の鍵を持ち出して来てしまった。もう誰も助けてくれないと思い、命を投げ出す覚悟を決めたからだ。
だが、いざ自分の手の中にある鍵を見つめていると、お父さんやお母さんの顔が浮かび実行に移せなかった。私が死んだ後に悲しむ両親の姿を思い浮かべると屋上へ足を向ける事が出来なかった。
私は今、学校近くのコンビニの中にいる。
天正寺達にコスメ品の万引きを指示されて一人で店内をうろうろしているのだ。店員はそんな挙動不審な私には目もくれず、商品の品出しをせっせと行っている。
店内には私と店員と、あとは長身の男性が一人。盗るなら店員が目を離していて客の少ない今だろう。バレなければ監視カメラだってチェックされる事は無い、そう自分に言い聞かせる。
鍵をポケットにしまい左右を確認し、鞄のファスナーを少し開けて商品に手を伸ばす。
大丈夫、誰も見ていない。今日これを成功させれば今日は終わり。家に帰れる。家に帰れば安息のひと時が私に訪れる。
そして、鼓動を早める心臓を抑え、商品をゆっくりと手に取り鞄へ入れようと半分くらい差し込んだ時。
「君」
不意に後ろから声をかけられた。物を盗るのに集中しすぎて周りが見えていなかった。誰が見ても分かるくらい肩をびくつかせていた事だろう。
終わった。見つかった。店員に言われれば親にも学校にも連絡が行く。私のせいじゃない、私のせいじゃないのに……。
「今戻せば誰にも言わないけど、それを持って店を出れば僕は君を捕まえなくちゃいけない」
顔を此方に近づけて小声で囁く男性の言葉は、私の予想とは違ったものだった。
「あ、あの……」
「これがほしいの? ふーん、最近の高校生はませてるねぇ」
男性はそう言いつつ私が盗ろうとしていた商品を奪うように手に取ると、迷わずレジへと向かう。そして、自分の持っていた商品と共に精算を終えると、立ち尽くす私の元へと戻ってきた。
それから私に、一緒に外へ出るように促す。外には天正寺達三人が待っていた。
「伊刈遅せー……」
洲崎がそう言いかけた時、男性がポケットから手帳を取り出し彼女等に見せた。
「君等、彼女の友達? 僕はこういう者なんだけど、君らは彼女がしようとしてた事に何か関係あるのかい?」
ニコニコと不敵な笑みで天正寺達に問いかける男性。
手帳を見ると天正寺達の表情がみるみる曇っていくのが見て取れた。男性が手に持っている手帳。後ろに立っている私からは広げている中身は見えないが、天正寺達の顔を見ればわかる。恐らく警察手帳だろう。
「か、関係ないっ! そんな奴知らないから!」
「そ、そうだよ。アタシ等は別に……なっ」
「え、ええ……」
明らかに動揺している三人を見て、男性は表情を変えずに手帳をしまった。
動揺している。だが、少し違和感は感じた。天正寺は明らかに動揺しているのは確かなのだが、御厨と洲崎は目が泳いでいる。
「なら、彼女は僕が連れて行っても問題ないね。外から彼女の事をチラチラと見てたし、もしかしたら、君等がそそのかしたのかと思ったよ。関係ないなら悪かったね。ゴメンゴメン」
「べ、別に……緑、美里、行こ」
天正寺はそう言うと他の二人も同調し、その場を離れて行った。残されたのは私と警察の男性。スーツ姿で手帳を持ち歩いているという事は恐らく刑事だろう。
「……」
それを無言で見送る刑事。私はどうしていいか分からず逃げる事も出来なかった。
「君、ちょっと話を聞かせてもらっていいかな」
「え……」
相手が刑事だと知った今、その言葉に従うしかなかった。




