5-15-4.湯呑の記憶①【陣野卓磨】
「……」
出てきた伊刈は、無言で影姫の手元を見つめている。
影姫の手には先程の湯呑みが収まっている。
「伊刈、何で……俺呼んでないぞ」
「私も、陣野君に呼ばれたっていう感じじゃなかった。……影姫さん、それ、どうしたの?」
伊刈は俺に対する反応もそこそこに、影姫の手にある湯呑みの方が気になる様であった。
「どうしたと言われても……コレはこの店の商品だ。それ以上でもそれ以下でもない」
影姫の言葉を聞き、伊刈が店内を見回す。
「ここ、見覚えがある。近所のリサイクルショップだよね。物が安いからここで買い物する事が多かったから覚えてる。それ、私のウチにも全く同じのがあったの。来客用で……多分ウチのじゃないかな」
そう言って新規入荷の棚に並べられている一部の品を懐かしそうに、そしてどこか悲しげに眺める伊刈。
「そっか……ここに引き取られたんだ……。親戚ともお金の事であんまり仲良くなかったし……この店、遺品買取してたし、そうだよね……」
「そ、そうなのか。だからさっきみたいな感触が……」
そう言って影姫が手にしている湯呑みと同じ型の湯呑みを棚から手に取る。すると、やはり先程のような感覚が手に襲ってきた。今まで手にした記憶の遺物とは異なる感覚だ。
そして今度は、意識が吸い込まれる様に白くなっていく。なぜか制御が出来ない。湯呑みをしっかりと手にしたままガクンと膝が崩れ、地べたに膝をついてしまったのは分かったが、俺にかけられている影姫と伊刈の声も朧気にしか聞こえなくなった。
そして見えてくる景色。いつもの事だ。今度はどんな風景が見えてくるのだろうか。
◇◇◇◇◇◇
「戦邊さん……これは……」
見たことのある部屋、数人の男女が一つのテーブルで向かい合い座っている。
片方の男女は見たことがある。伊刈の両親だ。それに向かい合う男女は見たことがない。
頭髪を綺麗に固めて整え口ひげを蓄えた中年の男と、少し濃いめの化粧をした頭の後ろで髪の毛団子を作っている中年の女。
誰だろうか。伊刈の父親の言葉からすると戦邊という名前のようだが……。テーブルの中央には積まれた札束と封筒があり、戦邊の目の前には赤い宝石のついた古ぼけた箱が置かれている。
「これは、ですか? 見てわかりませんかね。お金ですよ、お金。あなたが現在しておられる借金三百五十二万飛んで五十円。それに付け加えー、プラスの二百万ですな」
「だから、何のお金だと聞いているんです」
伊刈の父親の声が少し荒くなる。
「伊刈さん、言わなくても分かっているでしょうに。貴方にお会いするのはこれで二度目ですよ? 我々が何をしに来たかなど大体察しが付くでしょう。それでしてこのお金。私が誰の依頼で、何の為にこのお金をここまで持って来たか分かっているでしょう?」
「飯塚の……依頼ですか。天正寺の件について……」
「分かっているなら話は早いものでしょう。飯塚先生と宮崎先生のお話によると、天正寺先生も貴方のご息女が急遽お亡くなりになられたという事で、大変心を痛めておられるようです。これはー、まぁ……見舞金といったところでしょうかね」
話の内容からすると、どうやら伊刈が自殺した後の光景の様だ。ニコニコとお金を差し出す男の笑顔からは、なぜか妙な恐怖を覚える。それは伊刈の両親も同じなのか、顔が強張っている。
「これは……受け取れません……。私達は天正寺の娘が犯した罪を認めるまで、戦うつもりです……複数の生徒から証言も取れてますし、近日中に有志の方が会見の場を設けてくれる事になってます。もう、逃げる事は……」
伊刈の父親がそこまで言うと、戦邊の隣にいる女が口をはさむ。
「逃げる、ですってアナタ。前の時はお金を受け取って証言の一つもしなかったと言うのに、今更逃げるですって。おかしい男だこと」
それを聞きにっこりとうなずく戦邊。
「一人の女性を見て見ぬ振りをして殺したも同然な行動をとった癖に、今更そんな事を。そういう芯のない考えばかりしてるからこういう目に合うんですよ。因果応報といいますか、見て見ぬ振りをして人を死に至らしめた結果、娘さんも虐められて多くの人間に見て見ぬ振りをされて自殺してしまった訳だ」
「……」
伊刈の父親は男の言葉に黙ってしまった。
「おっと、失敬失敬。虐めじゃぁなかったですな。家の状況に将来の不安を覚えて、精神的に衰弱した上の自殺でしたな」
「……!!」
伊刈の父親の怒りの籠った鋭い目つきが戦邊に向かって投げられるも、戦邊はそれに一切動じず話し続ける。
「貴方が事故を目撃した時にすぐ通報していれば沢渡麗子は助かっていたかもしれないというのに。貴方が事故を起こした車について証言をしていれば、残された家族の心もある程度は救われたかもしれないというのに。まったく、一時の気の迷いで金に目が眩んだ男と女がこの期に及んで言えた台詞とは思えませんな」
男の話を聞いて頭の中に浮かんできたのは、以前見た記憶の中で伊刈の父親が言っていた「人の命を何だと思っているんだ」という言葉だった。
伊刈の父親は一体何を目撃してお金で黙らされたのだろうか。




