5-4-2.隙間から伸びる手【柳川幹夫】
「な、なんだ……?」
こみ上げてくる恐怖を抑えて、腰にある警棒に手を添え、恐る恐るその隙間に近寄る。
こんな場所に人間が入れるはずはない。獣か何かだろうか。それにしては背丈が大きい気がする。
次第に隙間に見え隠れしている目がはっきりと見えてきた。
目だ。間違いなく目だ。それも、見た所動物等の目ではない。人間の目だ。それが、人が入る事も出来なそうな細く暗い隙間からこちらを覗いているのだ。しかし、その覗く二つの目の位置がどこかおかしい。横並びにはなっておらず少しずれている感じがする。
暗闇の中に浮き出るように見える目を見ていると、不安が湧き上がってくる。
「お、おい、お前……そこで何を……っ!?」
私が問い質そうとしたその時、その隙間から急に手が飛び出してきた。
一本や二本ではない。パッと目に入っただけでも六本はある。苔の様な緑色に変色した六本の腕が、隙間から飛び出し勢いよく襲い掛かってきたのだ。
「うっ……うぐおっ!?」
瞬く間の出来事であった。
瞬時に両腕を捉えられ、口を塞がれる。ギリギリと私の腕は締め付けられ、耐えられなくなり手に持っていた警棒を落としてしまう。
残った手は私の制服を引っ張り、私を建物の隙間へと引き寄せ、引きずり込もうとする。必死に抵抗しようと足に力を入れるが、ものすごい力に対抗が出来ない。
「うぐぐ! あがせ! ながぜっ!」
口を塞いでいる手の隙間から何とか出した私のその声に気が付いた長瀬が、慌ててこちらへ駆け寄ってきた。
「な、なんだこれ……! っ! 今助けます!」
私を捉える気味の悪い六本の手に躊躇するも、長瀬は自身の警棒を手に取ると、隙間から生え伸びている手を力任せに叩き出した。だが、叩かれているという感触はこちらまで伝わってくるも腕はビクともせず、私を引きずリ込もうとする力を一切弱める事がない。
「おい、離せよ! 離せってんだよ!」
長瀬が必死に手を剥そうとするが、まるで効いていない。その間も私はどんどんと隙間に引き寄せられて、ついには隙間を作り上げている塀と塀の間に体が接触する。
「いだい!! いだっ! いだいいいい! ああああ!」
引きずられた腕が隙間へと入り、肉が壁の角に擦れて千切られていく。凄まじい熱と痛みが全身を駆け巡る。同時に感じる悪寒が絶望へと変わっていく。ゴキゴキと骨が折られる音、グチュグチュと肉が引き千切られる音が耳に入ってくる。もはや自分の体が自分の物ではない様だ。
「いだぁい! だ、助けで! 長瀬! ながぜええ!」
「や、柳川さ……うっ……」
「ひいい、ひぃっ! ヒィッ!! ああああぁぁぁぁ……っ」
何とか顔を向けて視界に入った長瀬の姿は、もはや恐怖で戦意を喪失しており地面にへたり込んで震えていた。
もう、体の感覚がない。どこまでやられたのだ。なぜ私がこんな目に。
痛い。なぜ私がこんな目に。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
ひたすら痛いという文字しか頭に浮かんでこない。
体が圧迫されて眼球に熱を感じる。
私は妻と子を残してここで死んでしまうのか?
「い、いやだ、嫌だああああああああああ! あがあああっがっ!」
それが最後の私の声となってしまった。空も白みがかった静かな早朝の街中に私の声が響く。
声に驚いた小鳥達が、街路樹から一斉に羽ばたいていくのが最後に見えた。
そして視界が一気に下へと落ち、地面に何かがぶつかるゴッという音と共に何も見えなくなった。




