4-32-7.屍霊達【鴫野静香】
後ろから、ダンッダンッという不審な音が聞こえたので、オッサンの攻撃を防ぎつつチラリと目を向ける。
そこには、髪を強風に棚引かせながら四つん這いになり車体にへばりつき、見開かれたこちらを凝視する老婆の姿があった。さっきまでバスに並走して走っていた老婆だ。どう見ても正気に戻っているようには見えない顔つきだ。
〝ゲッ……ちょっと! 何こっちに増やしてくれちゃってんのよ!〟
私が下を走るバイクに向かってそう言うと、ライダーは申し訳なさそうに頭をかく仕草を見せながらこちらに頭を向けた。
〝わり、俺はてっきり〟
〝わり、じゃないわよ! アンタも何とかしなさいよ!!〟
〝何とかっつてもな……俺、バイクから離れれないみたいだし〟
そんな会話を頭の中でしている間も、目の前のオッサンの攻撃は止まらない。それどころか、今までとは行動パターンが変わってきた。オッサンはバスから落ちないように無数の手でバスの天井の縁を掴むと、バスの上に這いずりあがり大きな頭をこちらに近寄せてきた。
そして大口を開きこちらに向かって巨大な頭を突進させてきたのだ。
〝まずぅても喰ってやろう! 邪魔で汚い魂喰ってやろう!!〟
図体がでかいくせに動きが早い。この状況の中ではとても交わせないかもしれない。
「グッ……ガアアアアアア!」
声にならない声を発しながら、咄嗟に刃を振るう。だが、振られた刃は急接近したオッサンの頭の鼻の辺りから斬り応えもなく頭を真っ二つにしただけで、その突進は止まらなかった。斬られた頭の上半分がスッと消えてしまったかと思うと、瞬時にボウッっと浮き出て頭が復活する。
このままでは喰われる……!
と思った瞬間。背後から轟音を鳴らしながら一つの影が私の横へと付く。それと同時に繰り出された拳による一撃がオッサンの前歯に直撃した。
見ると拳を振るったのは、肘の突起から爆円を撒き散らし見事なストレートパンチを放ったお婆さんだった。
拳と歯がぶつかる凄まじい金属音と共に、驚き後ろに引き下がるオッサン。
〝ウガアアアァ!? ナニヲ舌ァ!? 誰ゾ! 誰ぞ!?〟
先程まで背後で凄まじい形相をしていた老婆がゼェゼェと息をつきながら横に立っていた。手足は黒っぽく変色しており金属のような光沢を放っている。そして、飛ばされまいと青黒い炎を噴射して向かい風に対抗している。
「いくら願いを叶えた見返りだからといって、自分の孫を殺させようなどと地蔵の風上にも置けぬ化けモンじゃ! あの娘にしろ、この地蔵にしろ好き勝手にワシの身体を魂を使いおってからに!」
「お婆ちゃん、目が覚めてたの!?」
「今、つい今しがたじゃ! ずっとあの地蔵とあの声が、反発するようにワシの中を苦しめておった。じゃが、孫の……澪の心が届いた……ワシはあんな孫を持って幸せじゃ」
地蔵を見つめるお婆さんの目は怒りに満ちている。よほどこの地蔵がさせようとしていた事が許せないようだ。
「アンタ、静香ちゃんやろ……その声、その感じ、覚えておるぞ。不思議と生きておった頃より頭がはっきりしとるわ」
急に名前を言われて驚きを隠せなかった。
私はこのお婆さんと以前に会った事があるのだろうか。
思い出せない。
「昔にデイサービスの体験に来てたじゃろ。保育師になりたい言うとったが……何があったか分からんが……あんなええ子がこんな姿になりおって……」
記憶を辿ると、思い出した。この声、着物、そして腰に結びついている巾着袋。霧雨学園に入学して間もない頃に行ったデイサービスの職業体験。そこにいたお婆さんだ。
元気で気さくで、何をしていいか分からずおどおどしていた私に優しく話しかけてくれたお婆さんだ。
「柏木……鶴ゑさん……」
「ほっほ、覚えててくれおったか。お互い悲惨な姿だの。じゃが、今は昔話に華を咲かせている状況じゃぁなさそうじゃな。ええか、静香ちゃん。ワシはアヤツの近くに長くおってわかっとる。アヤツの本体はあの金色に輝く『歯』じゃ。じゃが見た所あんたの指から生えとる刃じゃ、あの歯を斬るのは至難の業じゃろ。だから、何とかしてあの歯でアンタの刃を噛ませて、バスの下にフッ飛ばしてやりゃあええ。あとは下にいる悪ガキが何とかしてくれるじゃろう。考えがあるとか言っておったしな」
「鶴ゑさんは……?」
「ワシにはもう時間がありゃぁせん。偶然にも黄泉返らされたこの魂、可愛い孫やそのお友達の為に使えるのならば本望というものじゃろうて!」
そう言うと鶴ゑさんは背中から吹き出る青黒い炎を更に強く噴射し、迫り来る地蔵の手の隙間を潜り抜けて一瞬でバスの前方へと走り去っていった。その直後、バスが僅かに揺れる。
鶴ゑさんが何をしたのかは一瞬で分かった。
鶴ゑさんは前方からバスを押し返し支えて停めようというのだ。
鶴ゑさんが言い放った時間がないという言葉。そう、鶴ゑさんの身体からは僅かに光の粒子が洩れ出ていた。もうすぐ消えてしまうのだ。鶴ゑさんが消えてしまえば、この空間も消える。この空間が消えるという事は、バスはこのスピードのまま現実世界に飛び出しどうなってしまうかわからないという事なのだ。
万が一にも出た先が急カーブで、そのまた先が急な斜面にでもなっていようものなら、全てはこの地蔵の思う壺だ。
「グウヌウウウウウウウウウウウウガアアアアアアアアアア!」
鶴ゑさんの発する必死な声がこちらまで聞こえてくる。私もボーっとしている場合ではない。何とか鶴ゑさんの言ったように……!




