1-9-3.見知らぬ少女【陣野卓磨】
最終更新日:2025/3/4
「ごはーん……ごはーん……ごはーん……」
遠くで何かが聞こえる。これは燕の声である。未だ映像の続きを見ているのだろうか。体を動かそうとしても、だるさのために行動に移せない。
「ごはーん……だよー」
ご飯か。そうか、もう夕食の時間であったのか。俺は寝込んでしまっていたのだな。どのくらい眠っていたのだろうか。部屋にはつけっぱなしのテレビの音が流れている。
『この一連の事件の犯人は同一犯で間違いないだろうね。警察の関係者に聞いた遺体の状況から考えて、そうとしか考えられない』
『遺体の状況といいますと? 一般には公表されていませんが、どういった状況だったんでしょうか?』
『それは僕の口からはとても……一つだけ言えるのは、前三件ともに同じ状況だったとしか。今回路上で殺害された女子高生も同じ状態だったと連絡が入っていますし……だが、ちょうど夕食時だし、こんな時間にこれ以上言えるようなものじゃないね』
『そんなに酷い状況……』
『想像を絶する……まさか、比較的平和なこの国でこんな事件が……』
朦朧とした意識の中で聞こえてくるのは、恐らく夕方の報道番組であろう。
アナウンサーとコメンテーターらしき人物の声が聞こえてくる。ついに全国区のゴールデンタイムで大々的に取り上げられるほどのニュースに発展していた。
「おにいちゃーん、ごはんだよー……」
俺を呼ぶ声で意識が徐々に戻り始める。
目を開こうとするが、寝起きのせいで視界がまだぼやけている。だが、時間が経つにつれて体のだるさも解消され、起き上がるために床に手を着こうと、手を動かす。
しかし、その動かした手に何か柔らかい物が当たった。何だろうと視線を向けずに擦るように触ってみる。微かに暖かく、心地よい柔らかさである。まるで人の肌のようだ。
……人の肌?
「ん……?」
もっと触りたい。なんて触り心地が良いのだろう……。
その感覚に浸るため、何も確認せずに再び目を閉じた。
「オイコラ! クソが! ご飯できたっつってん……んん……んぎいやあああああああああ!?」
唐突に燕の叫び声が響く。その耳に突き刺さる叫び声に、さすがに目を覚まさないわけにはいかない。
ビクリと身を震わせ、勢いよく起き上がる。
「ど、どうしたっ!?」
「ふ、ふ、ふ」
見ると、燕がこちらを見ながら目を丸くし、顔を真っ赤にして全身をわなわなと震わせている。
な、なんだ?
「不潔! 変体! 死ね! 汚物!」
片手でこちらを指差し、もう片方の手で顔を覆い隠すが、指の隙間からしっかりとこちらを覗いている。
酷い言われようだ。なぜこんなに言われるのだろう? まさかパンツを脱いで寝ていたのか? いや、履いている。パンツどころかズボンもちゃんとはいているし、上半身だってまだ制服のカッターシャツを着たままだ。
「な、なぜそんなに言われにゃならんのだ! 何もしてないだろ! 寝てただけだ! 風呂だって昨日入っただろ!?」
「風呂とかそう言うのじゃないっ! じゃあその人なんなのよ!!」
その人?
ここには俺一人しかいなかったはずだ。さっきまで一人でテレビを見ていたし、今日は誰も家には呼んでいない。
だが、改めて燕の方を見ると、真っ赤な顔でこちらを指差している。いや、俺じゃない。その指の先を視線で辿ると、俺の横を指している。
燕の指の先を辿り、ゆっくりと指から視線をその先に移す。
透き通った肌。真っ白な髪。一糸纏わぬ姿。
俺と同い年くらいかと思われる女の子が全裸でそこに横たわっていた。
「なんじゃこりゃああああああああ! ウェッホッ」
思わず叫んでしまう。そして咽びかける。そうか、さっき触りまくっていたのはコレ、もといこの人だったのか!
陰キャなりに生きてて良か……いや、そうじゃない! 俺がコイツを触りまくっている所を見て叫んでいたのか、燕は!
なんということだ。意識がはっきりとしていればもっと……じゃない、兄としての威厳が。
「それはこっちの台詞よ!! 股間膨らませて何シラきろうとしてんの! お爺ちゃん!! お爺ちゃぁ~ん!!」
「ま、待て! 爺さんを呼ぶ前に何か衣類をっ……」
俺の言葉も余所に、燕が部屋を離れようとする。
が、祖父も燕の大きな叫び声で、何かあったのかと既にこちらへ向かっていたようだ。部屋を後にしようとして振り返った燕が廊下で祖父とぶつかる。
「おふっ、ど、どうしたんじゃ」
「あ、お爺ちゃん! あの汚物が!」
燕の呼ぶ声と共に、ふすまの脇から祖父が姿を現す。
「何を騒いどる……ん!?」
言いかけたところで、祖父もこちらを見て驚いている。そりゃ俺も逆の立場だったら驚く……のか? ただただエロい目線で見てしまいそうな気もする。
「こ、これは……燕、何かタオルか……それか、あれば着せるもの持ってきなさい」
祖父の的確な指示。この状況で俺を蔑まないのはさすが年の功と言ったところか。顔色一つ変えない。神妙な顔の祖父にそう促されると、燕は小走りで自分の部屋へと走っていった。
「じ、祖父、俺は……俺は悪くねぇ! 全部……!」
全部……何が悪いんだ? やっぱり俺か? 慌てて言い繕おうとするが、言葉の続きが出てこない。そして、改めて横に横たわる少女を見る。
…………その一糸纏わぬ露な姿に、顔の筋肉が緩んでにやけてしまう。
いや、そうじゃない。こんな騒ぎなのに起きる気配がない。寝ているのかどうかよく分からないが、寝息のようなものは立てている。
少女を見つつ慌てる俺を見て、無言で歩み寄ってくる祖父。倒れている少女とは俺を挟んで逆横に落ちていた刀の鞘を拾い上げると、肩にポンと手を置く。振り返ると、祖父が真顔で言ってきた。
「わかっとる。ワシに全部任せておけ。男には色々事情がある」
え? 何が分かってんの? 何か勘違いしてないか? ちょ、ま。
祖父はそのまま全裸の少女を担ぎ上げ、部屋を出て行ってしまった。俺はこの先、この家で安寧を得られるのだろうか




