1-7-1.理事長からの手紙【或谷岩十郎】
最終更新日:2025/3/3
部下が扉を開けると、カランカランとドアに備え付けられたベルが鳴る。その音に誘われるように、私は店内へと足を踏み入れた。
何度も訪れたことのある古びた喫茶店である。前時代的な雰囲気を残す店の内装は、懐かしささえ感じさせる。
いつもと変わらぬ店内。変わった点といえば、奥にいるアルバイト店員が異なることくらいであろうか。最近はいつも若い男の店員であったが、今日はそれよりもやや年下と思しき女の店員に替わっている。
店内を見回すと、何やら騒がしい四人組が一番手前の席を陣取っていた。着ている服装から察するに、霧雨学園の生徒のようである。
「ありゃ、珍しいですね……この時間に他の客がいるなんて。しかも騒がしそうな連中だなぁ。場所変えますか?」
「いや、構わんだろう。せっかく店に入ったのだし、奥の離れた席なら聞かれることもあるまい」
私の後ろに付き従う部下、日和坂政太郎にそう告げると、我々は店の一番奥の席へと向かった。
「離れてるって言っても一つ挟むだけですが……大丈夫ですかね」
「聞こえたとしても、ガキ共に我々の話の内容など分からんさ」
普段ならばこうした話は屋敷で聞くのだが、生憎今は出張からの帰路であった。屋敷はここからまだ遠く、屋敷にいる者たちにもあまり漏らせない内容であるとのこともあり、近くで政太郎と待ち合わせた私は、知り合いの喫茶店へと足を運んだのだ。
「さぁさぁさぁさぁ、忘れてたわけじゃないのよ本題だけどさ! 昨日も起きた目玉狩り連続殺人事件っ!」
背後から生徒の甲高い声が聞こえてくる。
おそらく、最近この町で起きている不審死事件のことだろう。ニュースや新聞でも取り上げられており、その事件は私も知っているが、さほど興味はない。
「学生は気楽ですね、人が死んでるってのに。俺は許せませんよ。聞いた話じゃ、かなりえぐい事件らしいですからね。ひょっとしたら……」
政太郎が苛立ちを隠せず、机の上で人差し指をせわしなく動かしている。そのたびに爪が机に当たり、カツカツと音が耳に響いてくる。掛けているサングラス越しにも、滲み出る怒りが感じ取れた。
「政、あまり確証のないことに勘繰りを入れるな。目玉狩り事件の被害者は、お前が追っている屍霊とは殺し方が異なる。それに、目玉狩り事件自体が屍霊の仕業と決まったわけではない。依頼がない以上、我々とは無縁の話だ」
「ですが……」
「それと、お前は我々に関係のないことで、すぐに熱くなる。悪い癖だぞ。くれぐれも言っておくが、余計なことに首は突っ込むな」
そう窘めると、政太郎は「すいやせん、以後気をつけます」と頭を下げた。このやり取りも、今までに何度繰り返したことだろうか。何度窘めようと、この男の性格が変わることはない。だが、それがこいつの良いところでもある。正義感が強く、構成員への面倒見も良く、信頼も厚い男だ。だからこそ、私はこいつに娘の世話を任せているのだ。
アルバイトの女がこちらに近づいてこようとしていたが、店のマスターである箕面が「そっちはわしが行くよ」と引き止め、歩み寄ってきた。
「いらっしゃい、或谷さん。さっきまで千さんがいたよ」
箕面が水を持ってきた。コトリと置かれる冷えたグラスが二つ。
「そうか」
千さんとは、陣野千太郎《じんの|せんたろう》という人物のことである。
陣野がこの店に頻繁に来ていることは知っている。陣野とは付き合いの長い知り合いではあるが、仲が良いわけでも、友人というわけでもない。ただの知り合いだ。顔見知り。仕事でたまに顔を合わせる程度である。ここで会ったとしても、普段なら特に話すこともない。
「陣野とは近々話す機会を設けてある」
私がそう言うと、箕面は硬い表情で溜息をついた。おそらく、今後の事情について無駄に危惧しているのであろう。
「はぁ、あんまり気を荒立てなさんなよ。昔のことはもう終わったことだし」
「分かっている。今回話をするのはそのことではない。死んだ親父も無駄に事を荒立てるのは好ましく思わんだろうしな。お前も余計なお節介は無用だ。あの件は或谷家と陣野家の話だ」
「分かってりゃいいんだがな」
そう言い残すと、箕面は注文を取らずに奥へと引っ込んでいった。私と政太郎はいつも注文するものが同じなので、分かっているのだろう。二人ともアイスコーヒー。一年を通してそれ以外のものを頼んだことはない。
「で、ここで話すってことは何か進展があったのか」
「へい。組長が出張中に、中頭の方から八日前に連絡がありまして……これです」
そう言うと、政太郎は真っ白なスーツのポケットから一枚の手紙を取り出した。
中頭……。フルネームは中頭水久数という。変わった名前だ。本名であるかすら怪しい氏名である。近くにある霧雨学園の理事長だ。
今時、手紙とは古風なものだ。手渡された手紙は、可愛らしい動物のイラストが描かれた、ひどく子供っぽい封筒であった。
いつ見ても、いい年をして趣味が悪い。私のような年寄りが持つには似つかわしくない代物だ。しかし、中頭はいい年と言っても、彼女の年齢は私も知らない。長い間見た目が変わらない不思議な女である。ただ、私の若い頃から存在しているので、かなりの高齢であるはずだ。
そして、その手紙を私に手渡す。蝋による封はまだされており、中身を誰かが見た形跡はない。封印を剥がし、封を開ける。
中には一枚の手紙に、達筆で挨拶から始まり連絡事項が記されていた。それは簡素なもので、本当に必要なことだけが記載された、感情のない短い手紙であった。
「ふむ……」
私が手紙を読み終えると、手紙は封筒ごと青黒い炎に包まれ、燃え尽きて消えてしまった。
驚くには値しない。彼女の手紙は常にこのようなものであった。どのような術理を用いているのかは分からぬが、読み手がその内容を読み終え、心に刻むと、跡形もなく消え去るのだ。
「組長、伝達人の執事は刀のことだと言ってやしたが、もしかして……」
私が手紙を読む真剣な眼差しを見て、政太郎も何かに気づいたようであった。勘のいい男だ。おそらく政太郎の頭の中にある考えは正解であろう。
「この手紙をしたためる数日前に、刀の修復がようやく完了したらしい」
「刀が! 長かったですね……あれから十年くらい経ちますか……」
そう、待ちわびた時が来た。長い年月を待たされたのだ。