3-19-2.老兵は逃げるのみ【陣野千太郎】
「赤がいいといった子は……」
赤マントがそう言うと、赤マント目前に巨大なハサミが現れる。理容師が使うような形状のハサミ。だがそれはおぞましく禍々しい見るだけで人の気分を負に持ち込む瘴気を放っている。
これも違う、これも聞いた事が無い。赤マントの武器がハサミであった事例は聞いているが、このような禍々しい外見であるという情報は一切聞いた事が無い。
中に浮かぶソレがゆっくりと二つに別れ、まるで剣のようになり、赤マントがソレを手にして両手に構える。
「グ……グ……アッ……ガッ……」
後ろは後ろで化け物が手にする剣を振り上げ構えている。双方とも、ワシ等とはもう一メートル程の距離しかない。剣を向けられ振り下ろされれば否が応でもワシ等に命中するだろう。
そして、無常にも前後から剣を振り下ろされる。燕の体がぐったりともたれかかってきた。この異様な状況に精神が持ちこたえられずに意識を失ったか。
ワシも、ここまでか……!
いや、同じ死ぬなら抵抗を……っ!
「切り刻まれて殺される」
「グガァッ……!」
懐に閉まっていた月紅石を握り締め覚悟を決めたその時、うずくまる自身の頭上から、激しく金属がぶつかり合う音が鳴り響いた。
「!」
見ると、二匹の屍霊の剣が同時に振り下ろされた事により、頭上でお互いの剣を弾いたのだ。
頭上で禍々しく黒い火花の様な瘴気が撒き散らされ、押し潰されそうになる。お互いの力が強力だった様で、赤マントも二頭の屍霊も一歩後ずさりよろけている。
ここで初めて二匹の屍霊がお互いを認識したようだ。睨み合う赤マントと二頭の屍霊。お互い硬直し、相手の様子や出方を伺っているようだ。
逃げるなら今だ。屍霊どもの気がワシ等から逸れている今しかない。
咄嗟に燕を背負い、二頭の屍霊の脇をすり抜け走り出す。老体にはきつい。逃げ切れるかどうかなんて考えている暇は無い。逃げなければならないのだ。何としてもこの場を離れて燕の無事を確保せねばならない。
屍霊どもが逃げるワシ等に気がつかない事を願うしかない。
だが、それは要らぬ心配であった。逃げる背後からは金属がぶつかり合う音と二頭の化け物の叫び声が幾度となく聞こえてくる。赤マントの声こそ聞こえてこないものの、お互いがお互いを邪魔者と認識して剣を交えている様だ。屍霊どもが無駄な戦いをしている間に逃げるのだ。
あわよくば、コレで相打ちまでとは行かずとも片方だけでも死滅してくれればいいのだが。
月紅石の能力も使わず逃げ出せたのは運がよかったのかもしれない。これが最初に出会ってしまった赤マントだけだったら、とても逃げる事は出来なかっただろう。
二頭の屍霊に最初に出会ったとしても、力が未知数な相手から逃げ切れるとも限らない。結果論になるが、二匹に挟まれ、二匹が同時に攻撃を仕掛けてきたからこそ逃げ出せたのだ。
足が、関節が痛む。腰にも響く。息が切れるのも早い。しかし止まる事は出来ない。一刻も早くこの場を離れて、屍霊どもの目の届かぬ所へ行かねばならない。鍛錬を怠ってはいないが、やはり年には勝てないという事か。身体は正直だ。
徐々に遠のいていく屍霊の声と刃の交わる金属音。幸い今の所、赤マントによる外出禁止令のせいもあってか、ワシ等以外にあの二匹の周りには人がいなかった。
付近の住民が顔を出して余計な事をしないよう祈るばかりだ。




