3-15-3.捕らえられた怨霊【陣野卓磨】
「コレがなんだか分かるか?」
「いえ……」
目の前で蠢く影が何であるかと言うのは分からなかった。
ただ、それが屍霊に何か関係しているモノであると言うのだけは分かった。
「屍霊……になりかけの奴だ。まだ何の影響も受けてない、固有の領域も生み出せない低級な奴だ。いわば、単なる怨霊・悪霊の類だ」
「これが……この先屍霊に……」
そう聞くと少し心臓の鼓動が大きくなった。
目の前に俺が恐怖する存在の卵みたいなモノがいるのだ。
「そうだ。最近はネットやら何やらで噂話が広がるのも早いから、いつどこで完全な屍霊になるかは分からんがな。お前が赤いチャンチャンコ相手に走り回ってる時に、さっき部屋から出てきた人等が捕獲した奴だ。呪いの家があっただろ? あの家の隣のマンションで不可解な現象が最近頻繁に起こるってんでな。行ったらこいつがいたらしい」
そう言われて改めて視線を向ける。怖いもの見たさというヤツか、見たくないのに見てしまう。黒い影には顔であるだろう部分だけはかろうじて見える。顔つきからして男性だろうか。そいつの顔はこちらを見て、何か訴えているかのように、目を見開き何かを言いたげに口をパクパクとさせている。
これは……こいつは……いや、この人は……どこかで見た事がある……。
表情は歪んで何が言いたいかは読み取れないが、心のどこかに何かが引っかかる。
誰だ。 誰だ。 誰だ?
急に不安が押し寄せてきた。
なんとも言えない不安だ。
「どうした?」
日和坂が、立ち尽くし怨霊を凝視する俺を見て声をかけてきた。だが、それ以上に心に引っかかったモノが気になり返事が出来ない。必死に記憶を辿りソレを思い出そうとする。
「おい、どうしたってんだ」
日和坂が俺の肩に手をかけた。
その時、それがトリガーになったかのように、今まで見た〝物の記憶〟がフラッシュバックするように脳裏に蘇った。
伊刈の家、屋上の踊り場、鴫野の家、車暴走の事故現場……。待て、今見た中に……。
伊刈の家で、幸せそうに会話をしている男性。この人だ。
「これ……いや、この人……伊刈の父親……」
そう、間違いない。表情が歪んで分かり難くはなっているが、伊刈早苗が自殺した後に、後を追うように自殺をしたとされている伊刈の父親だ。
前に見た、携帯の袋を持ってにこやかに笑うその姿からは想像できない姿に成り果てている。
「知り合いか?」
「いえ、直接会った事は無いんですが……知ってる人の親に顔がそっくりで……」
何かを言いたげに開かれる口は、声こそ出てはいないものの、「サナエ」と言っているようにも見える。
怨念が怨念を呼ぶ……。
屍霊に殺されなくとも、屍霊となった人が死んだ事により、また屍霊となってしまう人が生まれてしまうのか。こんな、こんな負の連鎖って……。
「そうなのか。まぁ、捕まえた場所もお前の家の近所だしな。最近死んだ奴なら見た事くらいはあるかも知れんな」
その目、その口、その顔を見ていると気分が悪くなってくる。胃の中が熱くなり、今にも昼に食べた弁当が戻ってきそうだ。人は屍霊になりかけるとこの様に変わってしまうものなのか。
「今からこの檻を外して、お前にコイツの相手してもらう。本に屍霊になった奴ほどの凶暴性は無いと思うが、それなりの事は覚悟しろよ」
「え?」
突然の日和坂の言葉に頭が混乱する。む、無理だ。俺はこういうの相手に対抗する術を何も持っていない。
その術を教えてもらう為に恥を忍んで教えを乞うたというのに、今のこの状況じゃ俺は戦うとか以前に殺されてしまうんじゃないか? 俺に向かって襲ってきたらそれこそ命が危ないのだ。
「まぁ、戦えないお前にとっちゃ、生きるか死ぬかの瀬戸際になるだろう。その中で月紅石を光らせるんだ。いついかなる状況でも使えるようにならないと意味がねぇからな。だが、お前の月紅石能力が戦闘向きじゃないって事もある。そうなったら流石に俺も手助けはしてやる。が、それ以外で俺がお前を助けるなんて思うなよ」
後悔している。こいつに頼むんじゃなかった。大人しく理事長の所で気長に練習していればよかったんだ。何を焦っていたんだ俺は。影姫がいるのに、警察の人だって協力してくれているのに。気持ちだけが焦ってとんだ沼に足を踏み入れてしまった。
「まぁ、圧だけはあるからな。押し潰されんように気をつけろよ。じゃ、開けるぞ」
「待って……!」
俺の言葉を聞く事も無く、日和坂は壁に設置されているレバーをガコンと下ろした。キィキィと軋む音を立てながら、札の貼られた檻が少しずつ天井へと引き上げられていく。そして、出来た檻と床との隙間から怨霊が少しずつ這い出てくる。
まるで助けを求めるかの様にゆっくりと、何かを訴えるかのように口を動かしながら。
「お前が言い出した事だ。覚悟を決めろ。男だろ」
日和坂の方を見ると、今更止めますと言った所で止めてくれるような雰囲気ではなかった。




