3-9-3.月紅石は光るのか【陣野卓磨】
「では、そろそろお話は終わりにして月紅石の使用を実践して見ましょうか。陣野君も座学よりも実技の方が頭に入るでしょう」
そう言ってこちらに向いて微笑を浮かべる理事長の表情には少し棘があった。
成績が芳しくないといわれた事もあり、心にグッと刺さるものがある。
「じゃあ、テーブルの上に数珠をつけた手を出して」
「はい」
返事をして手の平を上にして右手をテーブルの上に差し出す。
「まずは、雑念を捨てて意識を石に集中して。全身に流れる全てのモノを月紅石に流すように」
石に意識を集中。全てのモノを石に……。
いまいち理事長の言う事の内容が掴みきれないが、とりあえず目を閉じて集中する。
グゥ……
「あっ」
腹がなってしまった。集中とかは関係がない生理現象であるが、真剣なこの場に似つかわしくない音だ。
「ダメね。お腹が空いているからと言って意識が途切れるようじゃ、可能性はゼロよ。例えお腹が鳴ったとしてもくしゃみが出そうになったとしても、それを押し殺すくらいの集中力でないと」
そう言うと理事長は、俺の顔を見ることもなく立ち上がり身を翻すと、自身のデスクの方へと向かっていった。
視線を向けると、溜息を付きながら自身の指輪を元の場所になおしている。
「すいません……最近やけにお腹がすいて」
言い訳にもなっていない気もするがとりあえず言い訳を挟んでしまう。俺の悪いクセだ。
「屍霊はお腹が空いてても襲ってくるのよ。お腹がすいてましたので屍霊と戦えませんでした、それで誰かが傷ついて、死にでもした時に言い訳になると思う?」
厳しい言葉が返ってくる。
もちろんその通りだ。俺が何をしていようと襲ってくる時は襲ってくるだろう。
だが、何も知らずいきなり巻き込まれた身としては、何で俺は今こんな事をしているんだろうという気持ちが沸き起こってくる。
そして、何も教えてくれなかった爺さんに、他人任せな影姫に、事情も知らないで俺に厳しくしてくる理事長に腹が立ってきた。
「すいません……俺、やっぱ……」
俺は駄目だ。俺自身が前に出て屍霊と戦うなんて出来るわけがない。
そう言おうとしたが、理事長に言葉を遮られた。
「陣野君、途中で投げ出すのが一番ダメ。貴方にも大切な人や守りたい人がいるでしょう。もう既に、自分の意思とは反してであったとしても、首を突っ込んでいる以上、これは避けては通れない道よ」
そう言い再び俺の前に腰掛ける。
「まずは、君の意識を変えないと駄目ね」
理事長が放つその台詞と共に、背筋に悪寒が走った。
全身を駆け巡る血液がその時を止めたかのように動きを止め、指の先から凍り固まる感覚。そして頭に浮かんでくる言葉。「死ぬ」「殺される」。
目の前にいる理事長から目に見えぬオーラが俺にぶつけられているのだと感じた。
鋭い目つきが俺の心臓を突き刺している。鼓動が早くなる。汗が噴出してくる。
俺はここで殺されるのか? 理事長に? なぜ? 腹がなったからか? 腹がなっただけで殺されるのか?
震えだす手足を抑え、胃の底からこみ上げてくる嗚咽を必死に堪え、恐る恐る顔を上げて理事長の方を見る。理事長はただこちらを見つめているだけ。なのに、長く見ている事が出来なかった。
たったの一秒、二秒見ただけで目を伏せてしまった。これが殺気と言うものなのか。死への恐怖というものなのか。
「君は二度、屍霊と決着をつけているけど、死を覚悟した事はあるかしら」
理事長に言葉を投げかけられる。その言葉は冷たく、発せられる声の一つ一つが俺の心臓に突き刺さるように鼓動を乱していく。
「あ、の……」
感じた。目玉狩りの時も、赤いチャンチャンコの時も、死への恐怖を感じた……はずだ……。
だが、今受けている訳の分からない死への恐怖はその非ではない。まともな言葉すら口から出てこない。前の時は影姫がいたから心のどこかで安心していたのだろうか。
「君は目の前で大切な人を殺された事があるかしら」
「……」
大切な人……霙月の顔が頭に浮かんだ。
赤いチャンチャンコの時は何とか逃げ切れたが、アレが何処までも追いかけてくる屍霊だったらと思うと……。
「大事なのは生への執着、大切な人を守るという決意、屍霊を……元は人間であった相手を殺すという覚悟。陣野君には色々足りないものが多すぎるわね」
理事長がそう言い終わると、俺を包んでいた死への恐怖が、緊張の糸が途切れたかのようにフッと消え去ってしまった。
一気に流れ出る汗、荒くなる息。
その様子を見て、理事長は無数の針が刺された針山と糸を持ってきた。
「比較的平和なこの国で、戦地を経験した事もなく普通に生活している子供に求めても仕方の無い事ではあるけれど」
そう言いながら持ってきたものをテーブルの上にドンと置く。
「陣野君は授業中にもうつらうつらとしている事が多いそうね。まずは集中力をつけましょう。これに糸を通してイメージを固めなさい」
「え……これ全部ですか?」
針山はまるでハリネズミのようになっている。目だけで数えれる数ではない。これだけの針に糸を通すなんて、一体どれだけの時間がかかるだろうか。
「そう、全部。ただし、糸に水やツバをつけてはダメ。指でよりをかけて針に糸を通すの。何本通してもストレスを感じなくなるくらい。無心で出来るようになるまで。終わるまでは待っててあげるから」
目の前にある針の山を見て俺は思った。俺は自分から首を突っ込んだわけでもないのになんでこんな事をやらされないといけないんだと。
普通に生きてて、普通に生活してただけのはずなのに。いきなり化け物に襲われて、怖い思いして。なんでこんな事に。
「いい? やるの。貴方が影姫を目覚めさせた以上、これはもう、運命だと思って諦めなさい。やらなければ死ぬだけ。屍霊相手に殺されるだけ。いつもいつも影姫が守ってくれるなんて薄い希望は捨てなさい」
そんな俺の気持ちを見透かしているのか、理事長がこちらを見る視線は酷く冷たいものに変わっていた。
ただ、怒っているという訳ではなさそうだ。数々の死線を潜り抜けてきた猛者が、怠けてやる気のない人間を見下す目。半ば諦めている目。そんな視線だ。とてもモノを教える人間の目には見えなかった。
影姫も俺に対して時々こういう目をする。それはいつも、俺が弱音を吐いた時だ。
「は、はい……」
やるしかなかった。選択肢は一つしかなかったのだ。「いいえ」と答えれば影姫を刀に戻す為に躊躇なく殺される、そんな気がしたからだ。
この人は人間じゃない、そんな気がしたからだ。
◆◆◆◆◆◆
酷く時間がかかってしまった。何時間やっていたのだろうか。校門を出ると、辺りはもう真っ暗である。
学校からの通達があったせいか、校内に生徒は一人も残っていなかった。
全ての糸を通し終わった後、理事長のように石を前に精神を集中してみたがダメだった。
ダメだったが、糸通しとは別の脱力感が全身を覆いつくしたのだけは分かった。まるで石に力を吸い取られたような感覚であった。理事長は最初からできるものではないから、明日の放課後にまた来るようにと言っていた。
また、糸通しをやらされるのだろうか。今から気が重い。




