3-8-3.初めて見る学園の理事長【陣野卓磨】
昼食が終わり、その後に二階堂や三島と会話に華を咲かせようと席を立った時、俺は影姫により一人連れ出されてしまった。
影姫の真剣な顔を見て俺の肩をポンと叩く二階堂とその後ろに構える三島。二人が何を思っていたのかは分からないが、快く送り出してくれた。
どうせ、晩飯の献立選びには我を通せとか思っていたのだろう。二人の目からは、まるで戦地に息子を送り出すような視線が放たれていた。
そして俺は影姫に連れられて、校舎から少し離れた邸宅に赴いていた。
学園の広大な敷地の中にある大正時代を思わせるモダンな造りのその大きな邸宅は、木々が立ち並ぶ一角に聳えていた。
学校の校舎の窓からチラチラと見えてはいたのだが、足を運ぶのは今日が初めてであり、近寄るとその外壁の白さと大きさに圧倒される。これが霧雨学園の理事長の住んでいる家らしい。
前に養護施設がどうのと話していた時に名前は出てきたのだが、俺は理事長を見た事がない。理事長からの通達等は、中等部も高等部も全校集会で各校長より連絡があり、理事長は顔を出さないからだ。
俺だけではなく、生徒の中でも理事長を見た事がある、という人物の話は聞いた事がない。そんなせいか、理事長は人間ではないのではないか等という噂話まであり、霧雨学園の学園七不思議にも数えられたりしている。
そんな、男なのか女なのかも分からない理事長に今から会いに行くという緊張と共に、どんな人物なのだろうかと妄想が膨らむ。
イメージ的に理事長と言えば老年の人物を想像するが、アニメとかだったりすると、実は生徒に紛れ込んでいた美少女だったなんてパターンもある。想像に想像を重ねて妄想が膨らみパンクしそうである。
影姫が呼び鈴を鳴らしてからしばらくすると、小奇麗なスーツを着た老齢の男性が顔を出した。
「おはようございます! 理事長!」
やはり現実はそうはいかんと言わんばかりの老人であったかと思い、咄嗟に頭を下げて挨拶をする。
そう、偉い人には挨拶が大切なのだ。第一印象が大切なのだ。
頭を下げて硬直していると影姫が横から肘で小突いてきた。
「阿呆、早とちりをするな。この人は執事の森之宮さんだ。理事長じゃない」
「え?」
影姫の言葉に顔を上げて目の前の人物を見ると、森之宮さんと呼ばれた男性はこちらを見てにこやかに笑顔を向けていた。いかにもと言った感じの髭を蓄えた優しそうな男性だ。
横を見ると、影姫は家を見上げている。
その視線の先であろう三階には大きな窓があり、カーテンが半分開いたその窓からは一人の女性がこちらを見下ろしていた。女性は俺が視線を向けたのに気がつくと、身を翻し部屋の中へと消えていった。
「陣野様ですね。水久数様がお待ちです。さ、中へ」
俺達を案内する森之宮さんを横目に家に入るものの、少し恥ずかしい気分である。
確認もせずに大きな声で人違いをするとは、とんだ恥をかいてしまったものだ。事前にどういう人物か影姫から聞いておくべきだった。
俺と影姫は森之宮さんに案内され、モダンな雰囲気を漂わせる様式の建物内を歩いて行く。
二階三階へと階段を上がり、先程の部屋であろう三階の一室の前へと案内される。そして辿り着いた大きな扉に森之宮さんがコンコンコンとノックをし扉を少し開ける。
「水久数様、陣野様方をお連れしました」
その森之宮の言葉に対し、中から「どうぞ」と女性の声が聞こえ、更に開けられた扉の中へと入る様に促される。
部屋の中はシックで落ち着いたデザインであり、まさに仕事部屋と言う感じであった。
「久しぶりだな。イミナ」
部屋に足を踏み入れると同時に声を掛ける影姫。
イミナ? 理事長の名前は中頭水久数じゃ……?
それとも、それは偽名で本名は違うのだろうか。いや、まてよ。何かどっかで聞いた名前だな。何の時だったか……。
そんな事を考えつつ理事長がいるであろう方向に目を向けたが、イミナと呼ばれた人物は仕事用のデスクに座っているようで、山積みにされた書類で顔がよく見えない。
だが、声からしてそんなに年を食っている風ではなさそうだった。
「ふふ、私の事は思い出したのね」
「ああ。断片的にはな。目玉狩りや赤いチャンチャンコを殲滅した時に少し。どうやら厄災が関わっている屍霊を滅すると戻るものがあるらしい」
「そうなのね。通りで私も……」
「でだ、色々忙しくてしばらく会いに来れずすまなかった。入学の手続き以来だな。あの時は記憶も曖昧で大した話も出来なかったが……」
どうやら影姫と理事長は顔見知りの知り合いのようだ。
いつもの他人に対する無理くりな敬語ではなく、普段俺と話す時のような砕けた口調で話している。
「いいのよ。まぁ、そっちのソファーに座って。それと、今の私の名前は中頭水久数だからイミナと呼ぶのは止めて頂戴ね。何処で誰が聞いているか分かったものじゃないから」
理事長に、部屋の中央にある、これまた座り心地の良さそうなソファーに座るよう促される。
「知られたからと言って、聞いて分かる者もいないだろうに」
促されるままに二人揃ってソファーに腰掛けると、タイミングよく森之宮さんが綺麗なティーカップに入れられた紅茶を運んできた。
「最近、不穏な空気を感じるのですよ。私にとって嫌な空気。懐かしくも思い出したくない気配」
「厄災の関係か?」
「厄災……それも含めてですね。アレに感化された〝生きている人〟や〝毒された人〟も多いですから」
「……まぁ、お前がそう言うなら、わかった。今後は気をつけるよ」
「それに、最近分かった事ですが、他にも……いえ、この話はまた今度にしましょう」
そして、理事長は俺達が席に着いたのを確認したのか、ティーカップが並べ終えられたのと同時くらいに、立ち上がり仕事のデスクの方からこちらに近づいてきた。
埋もれた書類で隠れていて分からなかったが、出て来たその容姿は二十代かそこらの若い女性であった。
透き通るような白い肌に漆黒のロングヘアー、そして見た事もない様な金色の目。物腰は穏やかで日本語は流暢に話しているが、とても純粋な日本人には見えなかった。
俺が今まで勝手に想像していた威厳のありそうな老人の姿とはかけ離れたものであった。




