3-2-3.逃げないと【服部優美】
男が去って全身から力が抜ける。
枝里子、殺されたの?
……あれで生きてるはずが無い……。有里は? どうなるの?
あいつが言ってた通り水に沈められるの? 白は? どうなるの? 私はどうなるの?
枝里子達の言う通り相手しなきゃ良かった……。
一人になって今まで抱えていた恐怖が、更に全身を駆け巡る。耐えようのない不安が胸にこみ上げ、足元から崩れ落ちる。全速力で走った事もありその場から動く事が出来ない。
どうしたらいいんだろうか。分からない。警察に通報した方がいいんだろうか。こんな出来事を説明して信じてもらえるのだろうか。
と、そんな事を考えている時だった。
「あれ? 優美? どうしたのそんな所に座り込んで」
呆然としていると、不意に後ろから声を掛けられる。
知っている声、聞いたことのある声。燕だ。同じクラスの陣野燕。
自転車に乗り、私服を着ている。カゴには買い物袋。彼女は部活にあまり出席をしていないから、私達より帰りが早い日が多い。買い物帰りにたまたまここを通りがかったのだろうか。いや、そんな事は今どうでもいい。気が動転していてどうでもいい事を考えてしまう。
「どしたん? 気分でも悪い?」
自転車を道の脇に止めてこちらに近寄ってきた。私が口を僅かにパクパクさせながら燕の方を見ていると、不思議そうな顔でこちらを見ている。
喉が渇き、うまく言葉が出てこない。
「あれ? 制服になんかついてるよ?」
燕が私の制服についているらしい『何か』を手で払ってくれた。
だが、払ってくれた箇所を見ると、制服についたそれは制服から払い落とされるどころか広がっていた。紺の制服に滲むその液体は分かり難くはあるものの間違いなく赤い色をしている。血だ。枝里子の……。
「え……よく見たら結構ついてるけど……インクかな? 血じゃないよね? もしかして転んで怪我でもしたの? それにしては……」
手に付いた赤い液体を確認してから私を見回す燕。もちろん私は怪我などしていない。先ほど枝里子が切られた時に飛び散ってついたのだ。
それを思い出し、感情が一気に爆発する。
「燕!! 警察!! 警察呼ばないと!! 枝里子が! 有里が!!」
慌てて逃げてきたのでカバンごとスマホを先程の場所に投げ出してきてしまった。燕に呼んでもらうしかない。
「え? え? ちょっと落ち着いて、何があったかわかんないよ。二人も一緒にいたの? どこ?」
私の言葉を聞いて辺りを見回す燕。すごくもどかしい。早く警察を呼んでくれないと私が殺されるかもしれない。だが、焦る気持ちで気が動転していてうまく説明できる気がしない。
「赤い! 赤いマント着けた変態が枝里子と有里を!! 呼んで! 警察! 早くううう!! 殺される!」
燕の両肩を掴み体を揺さぶる。
「ちょっと、落ち着いてよ。警察は呼ぶから何があったか説明して……」
そこまで言って燕の言葉は止まってしまった。燕も困惑しているようで、必死の形相ですがる私に対して視線も向けずに後ずさりをする。
そう、見る視線は私と合っていない。そう、私を見ていない……。
……。
私を見ていない? こんなに懇願している私を? 私の後ろを見ている?
燕の視線が上から下へと流れ落ちる。それと同時に後ろから聞こえたスタッという軽い着地音が耳に入ってきた。
「白を選んだ子は……」
聞き覚えのある嗄れ声が後ろから聞こえてきた。
「え、何? この人……」
燕は状況が飲み込めずに、私と後ろの男を見比べている。
「いやああああああああああああ!」
その声を聞いて咄嗟に這いずりながらも燕を押しのけて逃げようとするが、腰が抜けて立つ事が出来ない。
逃げないと。逃げないと。逃げないと。
逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと!
逃 げ な い と !
同じ言葉が頭の中で反芻される。もうそれしか頭にない。振り向かなくても感じるドクロの仮面から向けられる視線。それから逃れる事が出来なくなった私の目からは、次々と涙が溢れてくる。
「吊るされて血を抜かれて殺される」
その言葉と共に襟首をつかまれたかと思うと、一切の抵抗をする事も許されない馬鹿力により、ものすごい勢いで引き寄せられた。地面から離れ、男に軽々と引き寄せられ持ち上げられる私の体。
「いやあああああああああ! やだ! 無理! 助けてぇ!!! いやああああああ! 死にたくないいい!」
叫び暴れるも、男はそんな事は気にしない風で、有里を掴んで飛び跳ねた時と同じ様に、私を掴んだまますごい勢いで跳び上がった。
『吊るされて血を抜かれて殺される』
男のもう片方の手に太い白いロープが持たれている。制服の襟首を引っ張られ、首が絞まる。苦しい。息が出来ない。喋れない。叫べない。
最後に見えたのは、先程の私の様に届かぬ上空に手を伸ばし何かを叫ぶ燕の姿。
自分のこの先を考えようとすると枝里子の無残な姿が頭に浮かぶ。あまりの恐怖に全身を支配され、私の記憶はここで途切れた。いや、もうこれ以上記憶する事が出来なくなった。




