1-5-2.狭いボックス席【陣野卓磨】
最終更新日:2025/2/28
「え? 卓磨ここのマスターと知り合いなの? こんな社交的な場所に知り合いがいるなんて意外だなー」
霙月が意外そうな表情でこちらを見た。
「意外というのは失礼じゃないか。俺にも学園外に知り合いはいるよ。ずっと家に引きこもってゲームばかりしてるわけじゃないんだ」
そう答える俺と霙月の会話を耳にした七瀬が、グイッと顔を近づけてきた。
「えー! マジ? 奢ってもらったりできないかなー? 今月お小遣いピンチでさっ! ねっ!」
七瀬がヒソヒソと囁いてくる。
知り合いだからといって、こちらから奢ってくれなどと図々しいことを言えるはずもない。久しぶりに訪れたのだ。そう、久しぶりなのである。常連でも言い難いことを、しばらく来ていなかった俺が口にするなど、到底考えられない台詞である。そもそも小遣いが不足しているならば、学校で話を終わらせればよかったのではないか。
「いや、無理だよ。向こうだって商売なんだからさ。懐具合見て注文しろって。水だけ飲んでれば済むだろ、最悪」
「えー! 一人だけ水とか寂しいじゃん! じゃあさー、ちょっとくらい安くしてもらったりぃ……」
「なぁ……」
「ちっ、ケチンボ。聞くだけ聞いてくれたっていいじゃんよー。残念だなー」
七瀬は残念そうにそう言うと、一人で足早に空いている一番手前のボックス席へ向かって歩いていった。それに続く兵藤と霙月である。霙月は「お疲れ様」と言わんばかりの苦笑を浮かべつつ俺の顔を見て席の方へ向かったが、俺にはどうすることもできない。当然のことを述べただけなのに、なぜかケチ呼ばわりされてしまった。
金銭に関わる話は本当に苦手である。一人取り残され、このまま静かに帰ってしまおうかとさえ思った。
「で、どれが彼女なんだ? それともこれからどれかを狙ってるのか? あの一番背が高いのは烏丸さんとこの嬢ちゃんか? いやぁ、久々に見たけど可愛くなったのぅ」
レジ前に一人取り残された俺の背後から、突然マスターの声が響いた。いつの間にか背後に回り込んでいたらしく、驚いて肩をビクッと震わせてしまう。
振り向くと、ニヤニヤしながら俺と席に着いた三人を品定めするかのように見て比べている。好々爺であるにしては、何を考えておるのか、この老人は。
「どれも違いますよ。俺には彼女なんかいませんし、狙ってるつもりもありません。俺、ついでで連れてこられただけなんです。何かに巻き込まれて無理やり連れてこられただけです。被害者ですよ。マスターも俺の性格くらいはご存じでしょう……」
俺がそう返すと、マスターは残念そうに肩を落とした。お世話になったとはいえ、親族でもないのに余計なお節介である。俺はこの手の彼女に関する話をされるのが大の苦手であり、嫌いである。いわゆる陰キャの性というものだろう。
「そかそか。無理矢理か。残念だったなぁ。彼女でも連れてきたんなら祝いに奢ってやらんでもなかったのに」
残念そうに、だがどこかニヤついた顔で、向こうに聞こえないように呟きながら、俺の肩をポンと軽く叩く。
「あ、いや、無理やりと言ってもここに来たくなかったわけではないんですよ……」
「ええよええよ。わかっとるわかっとる。そういや千さんもさっきまでココにいたんだがな。幸か不幸かすれ違いだな。どっちかと言うと幸か? 親族に女をはべらしてる所なんて見られたくないだろうしな。ウヒッ」
千さんとは俺の祖父のことである。陣野千太郎。それが祖父の名前だ。祖父が時折この店に来ているのは知っている。
「そりゃいない方がいいですよ。マスターみたいに後で茶化されると困りますから」
「そかそか。まぁ、席につきなされや。注文取りに行かせるから」
マスターはそう告げてカウンターの奥に引っ込んでいった。
改めて店内を見回す。古風で前時代の雰囲気を残したレトロな内装である。もう、足を運ばなくなって長い時が経つが、以前来ていた頃と全く変わっていない。そして、相変わらず客がいない。こんな状態で経営が成り立っているのだろうか。それとも、俺が来る時間帯がたまたま他の客がいないだけなのか。
そんなことを考えつつ、俺もワイワイと喋っている三人のいる席に向かう。三人が腰掛けているのは、四人掛けのボックス席であり、残り空いているのは霙月の隣だけであった。
ボックス席とはいえ、チェーン店のファミリーレストランと異なり椅子がやや狭く、腰掛けると霙月との距離が近い。女子特有のシャンプーのような香りが漂ってくると、見知った幼馴染であるにもかかわらず、なぜか少し心が揺れてしまう。
「卓磨どうしたの? 少し顔赤いよ? 風邪気味?」
「い、いや、店の暖房が強すぎるんじゃないかな。少し暑い気がするんだか、そうでもないんだか……もう少し奥に詰められないか?」
「えぇ……ちょっと無理かな。これ以上詰めると私が身動き取れなくなっちゃう」
そうは言いつつ、なるべく詰めてくれようとしている。昔からこいつは優しいのだ。
向かいの席の二人は、体格が小柄なせいか窮屈そうには見えない。席の配分を間違えているのではないか。
俺が席に着くと、マスターが水を持ってきて四人分置いていった。一つ一つグラスを置くマスターは、俺の赤くなった顔を見て「ほほう」と言いたげな表情を浮かべると、ニヤニヤしながら踵を返し、カウンターの方へ戻っていった。
何か、勘違いをされているのではないか、マスター殿。
「やっぱこれ以上は詰めれないかなぁ……って、やっぱ熱っぽいんじゃない? 私は室温丁度いいと思うけど」
「まぁいいじゃないか。男は暑がりなんだよ。そういや霙月、部活があったんじゃないのか」
慌てて話題を逸らす。さっき教室でそんなことを言っていた気がする。
「だって断れそうになかったし……部活の方は今日は顔合わせだけだから、とりあえず他の子に連絡しといたから大丈夫だと思うけど。ウチの部、そこら辺そんなに厳しくないし」
「そ、そうかぁ」
そう言ってボソボソと耳打ちしてくる霙月の言葉に、さらに耳が熱くなる。生暖かい吐息が俺の顔の側面に当たり、変な声の返事が漏れてしまった。




